2月3日(木) 「学ぶ機会〜男女の枠にとらわれない〜」

 私は現在、理科の教師をしているが、学校を出て4年半会社勤めをした経験がある。三菱電機北伊丹製作所に勤めた。会社では半導体開発の仕事をしていたが、最初、入社したとき、まるで何もできなかった。最初の仕事はワープロ。当時、三菱もパソコンを作っていて、(多分、今は作っていない)社内にはマルチ16というパソコンが置かれていた。マルチ8というのもあった。8ビット、16ビットということである。BASICやフォートランを少し学生時代に習ったが、ワープロはやったことがなかった。パソコンを立ち上げて文字の打ち方を少し教えてもらって、後はマニュアルを見ながら1日がかりで文書を仕上げた。他の人はとても忙しそうにしていたが、新人の特権で、マイペースで仕事をさせてもらっていた。ワープロがまあまあできる頃になると、今度は、ハンダを使って回路を作った。理科系の学部であったが、ハンダづけはした経験がなかったと思う。あまり記憶がないのである。コツを教えてもらった。その後、私が担当していた仕事では毎日のようにハンダ付けが必要となった。ICのテストプログラムとテスト周辺回路を作ること、後に回路設計が仕事だった。プログラムはアドバンテストや国際電気の大型テスター(1台1億円といってた)のプログラムでBASICに似ていたが、テスター特有なものであった。簡単なものだった。テスト周辺回路や回路設計は、回路の知識がない私には難しかった。トランジスタや抵抗、コンデンサーはもちろんアナログICだったのでオペアンプの知識が要った。電気科出身の人には簡単なことだったのかもしれないが苦労した。家に帰っても本を読んだりした。オシロスコープ、断線チェック等のためのテスター、電源、デジボル(デジタルボルトメーター?)の使い方も会社の先輩に習った。炭酸ガスのボンベを運んできて低温特性、高温特性の実験もした。テスト周辺回路ボックスを作る為に金属板にドリルで穴を開けたりと会社に入って初めて経験することばかりだった。IBMの大型コンピュータでシュミレーションをしたり、社内LANを使って歩留まり情報を得たりとコンピュータも使った。学校は理学部で、数式ばかり扱っていて、会社では役にたたなかった。男子なら中学時代に技術を習っていて、当然ハンダ付けの経験、ラジオ等の制作、金属加工等経験しているが、女子の私は家庭科でスカート、パジャマ、ワンピース、編み物でベスト、マスコット人形を作っていた。私はこれらを作ることは好きだった(母が家で洋裁や編み物をしていて影響された)が、今は何の役にもたっていない。私にとって服は買う物だから。当時、疑問も持たず、男子は技術、女子は家庭を学ぶことを受け入れていたが、会社に入って、中学時代に技術を学んでいないというのは損だと思った。今の子供は男女とも技術、家庭科両方を学ぶが、学校によっては中3で男子は機械、女子は被服をしているところもあるようだ。今勤めている中学校は完全選択制で、女子でも被服を学ばず金属加工をしている子がいる。私のことでいえば、理科の教師をしていて、会社でやってたことは非常に役にたっている。コンピュータ、オシロスコープ、テスター、ハンダつけ・・・。
 高校生のとき、部活動でキャンプをしたことがある。キャンプの場所はある中学校下の河原だった。1年生であり、その場所へ行ってから先輩の言うことを聞いて仕事を分担することになったのだが、男子は三角型のテント張り、女子は中学校内でカレーをつくることになった。それを聞いた瞬間、「料理なんて家でできるのに。キャンプでしかできないこと、テント張りしたい!」と思った。でも言えるわけがない。誰か料理しなければならないし、普通に考えれば料理をするのは女子ということになろう。仕方なく受け入れた。でも、どうにも割り切れない思いがした。
 自動車学校でタイヤ交換を習う教程に入ったとき、先生が「パンクした時、女性は男性に助けてもらったらいいから、男性だけこちらへ来て習ってください。」と言った。人数の都合もあったのだろうが、「同じ料金を払ってこれはないだろう」と思ったが、また受け入れた。私はその後ずっと幸運にもタイヤ交換しなければならない機会はなかったが、山間部に勤めて、雪用のスタッドレスタイヤを使うようになり、とうとうタイヤ交換をしなければならなくなった。父に教えてもらってできるようになった。大して難しくもなかった。そして思ったことは、なんで自動車学校では教えてくれなかったのか!ということ。
 何を学ぶことが将来どう役立つか、その人が何に興味を持つかというのは個人の問題であり、男女の枠にとらわれるのは、その人の芽をつむことになるかもしれない。学校や社会はその点に気をつけ、学ぶ機会を与えなければならない。