京都2003秋 旅行記
例年、京都は11月半ばが紅葉の見頃が多いので11月17日にメモリアルデー休暇の予約をとっていた。11月初め,ネットでホテルを検索したが,空いているのは辺鄙な所の旅館しかなかった。それで1泊で行くのをあきらめていた。2日前になって検索してみたら,結構空いていた。それで急遽,手頃な料金で駅に近い第3タワーホテルに予約を入れた。
11月16日,日曜の朝,京都まで直通のくろしおで行った。比較的空いていそうな洛北へ行くことにした。地下鉄で北大路まで行った。そこで,地下鉄,市バス,京都バス2日間チケットを2000円で買った。バス乗り場へ行ったら,長蛇の列ができていた。どうやら目的は同じらしい。ここでこんな風なら,他の有名どころはどうなってることかと思った。
最初に源光庵へ。しかし,門を入ってがっかりした。紅葉はしているのだが,美しくないのだ。四角い迷いの窓,丸い悟りの窓から見る紅葉もさっぱりだった。ちなみに源光庵はこれらの窓と伏見桃山城から持ってきた血天井で有名だ。
次は,歩いてすぐの光悦時。そこも紅葉は駄目。係の人とのやりとりはこうだ。
「今年の紅葉はどうですか?」
「今年は色は出ていません。」
「これからはどうですか?」
「今年はこれで終わりです。」
がっかりした。他の寺の紅葉も悪いのじゃないかと嫌な予感がした。
光悦寺は元々,本阿弥光悦が多くの職人と共に工芸集落を作り,その死後,寺とした所である。本阿弥家は室町時代から代々刀剣鑑定などを家業とし,今もその業を続けている家柄だそうである。今年の大河ドラマ「武蔵」で津川雅彦が光悦役をやっていた。
来た道を戻って常照寺まで行った。ここは,吉野太夫ゆかりの寺である。太夫寄進の赤い山門をくぐった。建てたばかりの建物があって,中で住職が説明していた。太夫が実際に使っていた障子,引目,瓜実顔の太夫の姿を描いた掛け軸,光悦筆の扁額「學室」などが展示されていた。學と室を下から見上げたとき,大きく見えるように工夫していると説明していた。こじんまりとした吉野太夫の墓があった。
あまり訪れる人がいないという吟照寺へ行くことにした。その方面へ歩いて行く人は他にいなかった。しかし地図を頼りに歩いていくことにした。30度くらいありそうな急な下り坂があった。地図では確かにこの道を行くとよいはずなのだが,不安だったので,そこでトレーニングしている若者に尋ねてみた。しかし,彼はわからないと言い,上の喫茶店で訊いたらいいと言ってくれた。そのうちに,カメラを下げた中年の男性が一人ふうふう言いながら坂を登ってきた。吟照寺のことを訊くと,ここを下って左に曲がるとすぐだと教えてくれた。寂しい道を歩いていくと,寺らしきものが見えてきた。逆行に映えて紅葉が美しい。この日初めて美しいと思えた紅葉だった。観光客は2組。彼らは貸し切りタクシーで来たらしく,運転手が,
「この寺は昨年テレビでこの角度から映されました。しかし,奥さんが観光客に来て欲しくないので,ガイドブックには載せないでほしいと言ってます」
と,説明していた。私は「ぴあ・秋」という雑誌を見て来たのだが,そこにも紅葉の穴場と書かれていた。
そこから大徳寺方面へ歩いて行った。しょうざん庭園があったので入って行った。そこを通り抜けても目的地へ行けるとふんだ。雑誌では50分と書いていたが,途中,道に迷って遠回りしてしまった。お腹がすいていたが,観光客が通らない道を行ったらしく,適当な店を見つけられずにいた。そうこうしているうちに,大徳寺高桐院にたどり着いた。ここも紅葉の名所と言われ,細川ガラシャ,細川忠興夫妻の石灯籠の墓がある。しかし,やはり紅葉は駄目だった。妻が明智光秀の娘というにもかかわらず,細川忠興が豊臣,徳川の時代を乗り切れたのは,よほど優れた知将だったのだろう。そんなことを思いながら,後にした。大徳寺には織田信長や石田三成の墓などがある多くの寺院があったが,拝観したのは高桐院のみとした。
午後2時半頃だった。何かお腹に入れようと店を探した。いかにも観光客向けの高そうな店は入る気がしなかった。手打ちうどんという看板が見えたので行ってみたら,シャッターが降りていたり,食事処と書かれた店に行っても,昼食の時間が過ぎて準備中と書かれていたりと,さんざんだった。大通りから入った所にのれんが掛かった小さな食堂があった。のぞいて見ると,中年の女性が一人カウンターで食べている。それで入ってみた。メニューを見ると安い。定食500円とあった。店のおばちゃんに定食は何ができるか訊くと,煮魚か,豚キムチか,鶏の何とか。どれも気分じゃなかったので焼きうどんを頼んだ。ソース味かしょうゆ味か訊かれたのでしょうゆ味を頼んだ。先客のおばちゃんはよくしゃべる人で,店のおばちゃんと話がはずんでいた。そのうちにこっちにも話をふってきたので輪に入って話をした。先客のおばちゃんは大阪枚方から来たそうで,よく京都には来るみたいだ。店のおばちゃんは,秋田の出身で,店に自分が描いた京都の風景画を数点掲げていた。そして,自分は京都に来て20年以上になるが,紅葉がこれほど駄目なのは初めてだと言っていた。枚方のおばちゃんも,紅葉見るより立命館大学の学園祭へ行った方が面白かったかもしれへんと言っていた。おまけにミカンを1個ずつもらって食べ,400円だけ払って店を後にした。安くて面白い店だと思った。枚方のおばちゃんは「また,来るわ」と言っていた。そしてバス停で待っている間,大阪のおばちゃんらしく,飴をくれ,マクドやましろ店の店長をしている息子のことやら,源光庵の血天井のことやら,何かの呪いの話をしていた。私が京都駅まで行くというと,それは何番で,そのバスが来ると,「これに乗るとええわ」と世話を焼いてくれた。こういうことがあるから,旅は楽しい。
バスに乗って京都駅まで行くつもりだった。しかし,アナウンスの「一条戻り橋,晴明神社へはここでお降り下さい。」を聞いて急いで降りた。明日,晴明神社へ行ってみようかなと思っていたからだ。晴明神社は意外と小さかった。映画等で話題になっているので,観光客も多く,売店などの建物,壁画など新しくしたばかりのように見えた。映画「陰陽師」に出演した野村萬斎らの絵馬が掛けられており,彼ら自筆の言葉を読むのが面白かった。
夕闇がせまっていた。ホテルのフロントでライトアップの紹介をしたパンフレットを3枚ほど手にした。部屋で,それらを見て知恩院のライトアップが豪勢なようで,コンサートもするらしいと知り,行くことにした。実は,京都へ来るまでは高台寺のライトアップを見ようと思っていた。地下鉄で東山まで行き,そこから歩いた。けっこう遠かった。たいていの人はバスで知恩院前まで行くのだろうが,混むのが嫌だったので地下鉄で行った。知恩院のライトアップは三門などのライトアップが豪勢で,南米の楽器アルパ,ケーナなどを使ったコンサートもよかった。アルパはハープに似た楽器で癒し系の音がとても心地よかった。奏者は志賀昭裕さん。2000円のCDにサインしてもらった。しかしモミジは,大したことなかった。旅行後,TVで見た高台寺のライトアップがよかったので,また,来年にでも行きたいと思った。 円山神社を通り抜け,祇園まで歩いた。ローソンで朝食にするおにぎり,サラダを買ってそこからバスに乗って帰った。夕食は夜9時を回っていたにもかかわらず,京都駅の地下で松花堂弁当。
翌日。予定通り,地下鉄で蹴上まで行き,そこから南禅寺へ歩いた。今春,南禅寺の三門,方丈へは入っていたのでそこは入らず,紅葉だけを狙って歩いて行った。三門周辺のモミジはさっぱりだった。雑誌に載っていた法堂と紅葉の写真を同じアングルから撮った。さらに歩いて永観堂まで行った。ここは,モミジの名所として人気があるそうだが,今まで行ったことがなかった。拝観料も1000円高額だた。しかし,期待はずれ。例年なら,素晴らしい紅葉を見られたのだろうが,今年はどこも駄目みたいだ。顔を横に向けた「みかえり阿弥陀如来」が珍しかった。赤い毛氈に座って600円のぜんざいを食べた。
哲学の道を歩いた。この道を歩くのは約15年ぶりだ。きれいな水が流れていた。街角の地図を頼りに真如堂へ行った。観光客はそれほど多くなかった。境内は自由に入れ,三脚を使っての写真撮影もOKである。土の道を歩いて行った。静かな道でなかなか風情があった。鮮やかな黄色の銀杏の大木が見えた。そして寺。金戒光明寺(こんかいこうみょうじ),通称黒谷さんである。観光客はますます少ない。ここは知る人ぞ知る紅葉の穴場だそうだが,良い色のモミジはなかった。疲れたのでベンチでしばらく休んだ。寒くなってきたので移動することにし,すぐ近くからバスに乗った。市役所前で降り,地下街を御幸町方面へ歩いて行った。時間は2時を過ぎていた。お腹がすいていた。レストランは西のはずれにしかなかった。鮭などのフライの定食を食べた。
地上へ上がると,テレビ撮影のマイクが見えた。老舗旅館柊屋の前でロケをしている。よく見ると,電柱の陰にうじきつよしがいた。そして向こうに,踊る大捜査線の署長役の人。サスペンスものを撮っている感じだ。私は,柊屋の前へ行きたかったのだが,スタッフの人に向こうへ真っ直ぐ行けと言われ,仕方なく御池通りを歩いて行った。でも,そちらの方へ行く目的がないので,次のsで引き返した。すると,今度はうじつよしが走って御池通りへ出てくる所を撮影していてテレビカメラが私の方向を向いていたので,私もテレビカメラに収まってしまった。もしかして,映されてしまった?と思ったが,その後,何度も撮り直しをしていた。
修学旅行の男子高校生達が携帯のカメラで撮っていたが,その子達に混じってロケを見ているのも気恥ずかしかったので柊屋,俵屋の前まで歩いて行った。使用人の方が前の道を掃いていた。いつか,これらの旅館に泊まってみたいが,一見さんは駄目らしいから無理だろう。
御幸町は今は京都を代表するファッションストリートになっているそうだ。若い人向けの店が多かった。クラシックな1928ビル,町屋の中を改装したデニムショップが目を引いた。
錦市場に突き当たった。京都は何度も来ているが,この市場には来たことがなかった。どんなものかと歩いて行くと,生湯葉を置いている店があった。観光客が物色していた。私が今までに食べた湯葉とは見た感じがだいぶ違っていた。刺身湯葉と葉にくるんだ麩饅頭
を買った。
何でも1000円の店があった。店の名「Dragon Magic」。1000円には見えないアンディークドールがあった。面白いものがたくさんあった。レトロなカメラ型の時計と銀色のチューリップ型ブローチを買った。時計は電池交換できることを確かめておいた。
錦市場の西の端まで一通り見て行った。そこから南へ行くと,大丸があった。いつも買うブランドの店があったので,のぞいてみた。しかし,ほしいものはなかった。四条通を東向いて歩いていった。高島屋に入った。高島屋は大丸より天井が低く,暗い感じがした。大丸の方が新しい。先ほど物色したブランドの店がここにもあったが,規模は小さかった。結局,デパートでは何も買わなかった。京都駅まで行き,焼き栗を買った。試食させてもらって,その食べやすさ,美味しさが気にいった。皮が半分むけていて手が汚れない。栗は多分,日本のもので大きい。秋限定のおたべも買い,時間があったので伊勢丹のレストラン街へ行った。ラーメン小路がオープンしたばかりで人が大勢並んでいた。私は,まだお腹がすいていなかったので同じフロアの小川コーヒーでブレンドコーヒーとクッキーを食べて時間を過ごした。そして,往きと同じく直通のくろしおで帰った。
後から今年の京都の紅葉を考えると,1週間後の方がましだったのではないかと思う。以前に比べて,温暖化しているので紅葉も遅くなったのではないだろうか。でも,いずれにしても今年はよくなかっただろう。昨年はよかったそうだから,来年に期待したい。