インドで見た、聞いた、考えた    

1997年12月31日〜1998年1月7日、アショカツアーでデリー、バラナシ、アグラ、ジャイプルを観光して来た。このツアーは名古屋から来た母娘(55才、28才)と私(36才)の3人と現地人ガイドのアローラさん(26才男性)計4人の旅であった。1人参加にもかかわらず、相部屋希望を入れていたので1人参加追加料金が不要だった。少人数だったのでガイドさんから色々なお話も聞けた。その旅の中で感じたことを書いてみた。 1ルピー=約3.5円

写真データ デジカメ CASIO QV100

こちらに写真集があります。デリー近郊 ジャイプル ガンジス川

その1 物価
夜行列車の中で売っていたチャイ(ジンジャーやシナモンが入ったミルクティー)は魔法瓶入り(コップ5杯位)で5ルピー(17円)だった。一方、観光客向けのドライブインで飲んだチャイは1杯25ルピーだった。ミネラルウオーター1リットルは町で14ルピー、一方、ホテルで40ルピーだった。日本とインドの物価を比べたら、紅茶からすると20倍位違うように思えたが、観光客向けはかなり高く設定していると思えた。

その2 貧しさ
ガイドのアローラさんに「インドで一番貧しいのはどこですか」と聞いたら、ビハールだと言った。だが、「外人はバラナシとかカルカッタを見てインドを貧乏と言うが、インドは貧乏ではない。すごい金持ちもいて、彼らはイギリスとかに住んでいる。ただ、税金を払っている人が2万5000人 しかいなく、金持ちは自分の事しか考えない。また、人口が多すぎるのが問題である。」と、なんだか、むっとした様子で一気に言った。確かに私たちが泊まったホテル(インドではかなり高級で主に外人向け)でもインド人家族を見かけた。女性は高そうな宝石をたくさんつけていた。金持ちもいるが、貧しい人はやはり多い。私たちは観光してるとき物乞いの人達によく出会った。両足が悪く、両手を道につけたまま足をひきずってついて来る人も何人かいた。

その3 子供
ある観光地で6〜7才位の子が「生麦、生米、生卵」と話しかけてきた。あれっと思い、その子を見ると案の定、物売りである。たくましい。子供の物売りもあちこちで見たが、学校へは行っていないだろう。私はガンジス川で神様と色粉を400ルピーで子供から買った。今考えれば、インドの人にとってはすごい大金だ。また、ボートのこぎ手も10才位の少年だった。稼ぎ手なのだ。一方で同じバラナシの朝、リクシャー(人力車)に乗って制服の紺のセーターを着て学校へ行く子供を何人もみた。こぎれいに髪も整っていた。

その4 はだかの子
インドは貧富の差が大きく、路上生活者が多い。日本でも路上生活者はいるが、大人の男の人ばかりで、それも収容所を嫌い、路上を好んでいるように思える。しかし、インドでは家族で小さなテントに住んでいる。当然おむつをあてなければならないような子も一緒である。私が見たのは寒い冬のデリーで素っ裸のまま遊んでいた子達である。汚すのでそのままにしているのだろう。髪の毛や体はほこりで灰色になっていた。

その5 ボールペン
インドの子供は私たちが使っているボールペンを1番ほしがった。あちこちでボールペン、チョコレートをねだられた。韓国からきている団体客はポケットにたくさんボールペンをさしていた。子供にあげるためである。私はバラナシの空港で荷物検査のとき、リュックの外にさしていた2色入りボールペンを取られた。町を歩いているときは、取られなかったのに。



その6 服装
北インドの色々な町を回ったが、人々の服装には違いがあった。
バラナシの人はほとんど素足にサンダルであった。頭や体に寒さ対策として毛の布を巻き付け、いかにもインドというかっこうの人が多かった。
ジャイプルの男の人は頭にターバンを巻いていた。砂漠の入り口で砂ぼこりが多く、帽子がわりである。アローラさんに巻かないのかとたずねると、「面倒くさいから、でも、結婚式では巻く」と答えた。シーク教の人は体に刃をあてないので、髪をまとめるために常に先をとがらせたターバンを巻いているが、その他の宗教の人は自由である。
デリーの人は私たちと同じようなかっこうをしていた。着ている布の質もよさそうであった。

その7 バラナシ
バラナシは別名KASHIと言われている。標識で出ていた。私の名前はKASHIAIであり、KASHIを愛すると語呂合わせすると面白く思えた。
バラナシは私達が行った他の町よりずっと昔のままであった。家の前には裸電球がぶら下 げられ、人々は裸足にサンダルであった。服装もみすぼらしい人が多かった。年頃の女の人はほとんど見られず、男ばかりが雑談しているのをよく見た。仕事しているように見えない人が多かった。リクシャー(人力車)が多く走っていた。道が赤くなっているのもよく見た。これは台湾にもあるビンロウであろう。たくさん噛むと毒だが少しだと刺激になってよい。唾液をはくために道が赤くなるのである。それに歯も赤くなる。

その8 サリー
インドの女性は学校を卒業するまでは洋服だが、大人になると、サリーを着る。旅行にはパンジャビスーツ。農作業をするにもサリーであった。しかし、都会ではサリーを着ない人も徐々に出て来た。今回もタージマハールでスーツを着た人を一人見た。でも足は厚いタイツであった。足を見せることはとても恥ずかしいことなのだそうだ。それにアグラ城で出会ったアローラさんの知り合いもジーンズをはいていた。それにもう一人ジーンズの人を見た。圧倒的多数は民族服であるが。外人観光客としてはいつまでも民族服を着ていてもらいたい。本当に美しいものだから。

その9 おしゃれ
インドの一般女性はファンデーションをぬっていない。TVで見る女優は化粧をしていたが。元々派手な顔立ちなので必要ないのだ。しかし、あの鼻ピアスはとても映える。外で見るとキラキラしている。みんな子供の頃からする。壁画にもあるくらいだから昔からしているのだろう。腕や足首にも必ず、わっかをつけている。子供を抱いてバクシーシ(施しを願う事)しにきたやせた女性でも足首には輪をはめていた。

その10 車について
インドの車の1/3はMARUTI SUZUKIである。インドのMARUTIと日本のSUZUKIが合弁して1984年より生産している。小型車で、初め8万ルピー(28万円)だったが今は24万ルピー(84万円)する。年収の2〜3年分である。モデルチェンジしていなかったが、ドイツなどの他の会社が進出してきたので、1997年にモデルチェンジした。人々はモデルチェンジを喜ばないと言う。ガソリンは1リットル20ルピーするので高価である。これは日本円で80円位。
インドの車には左サイドミラーがない。聞いてみると、必要ないからという。頻繁に追い越しをかけたりするが、そのとき、隣の車とすれすれのところを走ってた。もし、サイドミラーがあったらぶつかるだろう。

その11 道路
ニューデリー以外はインドの道は舗装は充分ではない。アスファルトは敷いているが、所々が盛り上がっていて速度をゆるめないと車の底を擦る。なぜか、聞いてみても答えてくれなかった。多分、上下水道なんかを埋めたときあまり掘らなかったのではないかと想像する。アグラ、ジャイプルをめぐる道は広くまっすぐで運転しやすそうであった。スピードも相当出せるということで、事故も多いのだろう。200km行く間でも車がひっくり返っているのを3回は見た。見過ごしもあるから実際はもっと多いだろう。通っているのがほとんど大型トラックだから、なかなか元へ戻せない。日本みたいにJAFはないだろうし。事故直後なのだろう、車のそばで横になっている人も見た。



その12 菜の花
アグラ、ジャイプル、デリーの道中はずっと農村地帯で菜の花畑が延々と続いていた。
一面菜の花の黄色で高い山もなく美しい景色だ。油を採るのだろう。時折、畑の中に人を見たが、すべて女性でサリー姿のまま仕事をしていた。そして頭の上にこれでもかという程たくさんの草や壷をのせて道を歩いていた。

その13 自転車
インドではまだまだ自転車が人々の足である。その自転車は女性が乗っているものでもサドルとハンドルの間に棒が渡してあり、二人乗りの場合はその棒に一人が腰を掛け、横乗りしている。そして、もう一人は普通にサドルに腰掛けている。日本のように後ろには乗らない。

その14 動物との共存
インドではホントに動物をたくさん見た。牛、豚、象、ラクダ、リャマ(?)、羊、コブラ、猿、リス、オウム、熊。動物園以外でこんなにたくさん見たのは初めてだ。
インドは野良牛が有名であるが、牛だけでなく、豚、ロバ、など色々な動物が野良であった。道沿いでつないだ熊や仕事をするラクダ、象は人間の手伝いを立派にする。リスやしっぽの長い猿も観光地で見た。みんなおとなしい。猿の神、牛の神とかある位で動物は非常に大切にされる。ちなみに神は2万位ある。アローラさんは、「交通事故で牛を殺したら、留置所に入らなくてはいけないが、人間を殺してもお金を払って出してもらえる。人が多すぎるから他の国ほど人の命が重くないのでは。」と言った。そして、黒牛はヒンズー教以外の宗教の人は食べるが、白牛は絶対食用にはならないそうだ。

その15 マラリア
私は冬に北インドへ行ったが、蚊なんかないだろうと思いつつ、マラリアが怖かったので、蚊対策として虫よけスプレーを持っていった。デリー、バラナシ、アグラはなかったが、砂漠の入り口ジャイプルではホテルロビーで蚊に似た虫を見た。部屋にも蚊取りマットを置いていた。

その16 ニンジン
ジャイプルからデリーへ行く途中の道でアローラさんは大きなニンジンを5本買った。洗って皮をむいたニンジンと大根が屋台で売られていたのである。それをどうするのか見ていると、アローラさんは、かぶりついた。そして運転手に1本あげ、私達も食べてみてというので、躊躇しながらも少しかじってみた。日本のと同じ味がした。でもおいしいとは思えなかった。それをインドの人はおやつがわりに食べるという。結局アローラさんは全部食べてしまった。同行の名古屋からきた女性(55才)は子供の頃、自分も食べていたと言い、40年前の日本と似ていると言っていた。ちなみにその頃日本でもオートリクシャー(小型3輪自動車)が走っていたという。

その17 結婚事情
インドでは95%が見合い結婚である。新聞にカーストとか履歴書みたいなのを載せ、応募を待つ。デリーとかの都会では恋愛結婚も増えている。しかし、結婚前の男女がつき合うのはまだまだ御法度の雰囲気があるらしい。アローラさんは来月結婚するが、彼の場合は恋愛と見合いの両方と言う。詳しく聞くと、大学に入る前、塾に行っていて(インドにも塾はある)そこで知り合ったそうだ。結婚式は800人位来て、公園とかでする。乾期の1月〜2月にかけて集中する。だから、時間をずらして1日に3回結婚式に行くこともあるという。男がすべてお金を出し、花嫁衣装であるGAGRA CHOLI(ガーガラチョリ、ラジャスタン州の民族衣装と同じ)は500$〜3500$かかり、1000$位が並らしい。レンタルですますわけにはいかなくて、たった一度の為に作る。これはインドの人にとっては大変な金額だ。女の方も持参金で大変だそうだ。女は22〜24才で、男は26〜28才で結婚する。必ず女が年下で、必ず格下の家から嫁入りする。アローラさんの母の世代では結婚前の女性は外へ出ず、買い物は兄弟に頼んだという。そして、結婚相手は親同士で決めた。今回もバラナシでは若い女性を道で見なかった。女は子供かおばさんであった。ほとんど、男ばっかりであった。
インドの既婚女性は髪の真ん中の分け目に赤い印を入れている。こんなはっきりした印があれば、独身女性はいつまでも独身でいられないなあと思った。

その18 人生観
インド人は仕事より家族を大切にする。アローラさんは結婚しても次男でありながら親と住む。お兄さん夫婦も一緒である。インドは伝統的に大家族主義だそうだ。人々は忍耐を強いられる。また、宗教上、殺人は少ないが、すり、などはある。

その19 女性の仕事
女性はホテルでは働いていなかった。部屋のそうじも男性である。空港のレストランでも女性はいなかった。アローラさんに聞くと女性は事務職をしている。人相手のサービス業はしないと言う。ちなみにアローラさんの婚約者はアメリカ資本の商社で働いている。

その20 チャームンダーと深い河
この旅へ出るほんの半月程前、小説「深い河」を書いた作家の遠藤周作のインド紀行を
NHKで見た。「深い河」は秋吉久美子主演で1994年に映画化されている。遠藤氏はニューデリーにある国立博物館にあるチャームンダーの像を見て感激の涙を流したという。そして、深い河を書いたのだという。私たちはどうしてもその像が見たかった。そしてその像はすぐわかるだろうと思っていたが、チャームンダーはいくつもあって途方にくれた。アローラさんに聞いてもらってやっと見つけたその像は小さくて何気なく置かれていた。しかし、その顔をみると、他の像とは全く違っていた。頬はこけ、目は大きく見開いていた。あばらは浮き出て、腹は、さそりに食われつつ、右足はハンセン病に冒されていた。そういう姿であるにも関わらず、チャームンダーは人々を救ったのだという。
深い河とは当然ガンジス川の事である。私たちは自由時間に、秋吉久美子らが映画を撮っている一ヶ月の間、滞在したホテル・ド・パリに行ってみた。このホテルは小説の主人公も滞在している。滞在客がいるようにはほとんど感じられなかった。わずかにロビーに学生らしき日本人の男性が一人いた。ロビーで秋吉久美子らの写真を見つけ、写真を撮ろうとすると、ホテルの人が写真を外へ持っていき、いっしょに撮ってくれた。その後、中庭を見せてくれて、秋吉久美子が泊まった部屋の前まで案内してくれた。このホテルは日本人団体客が普通利用するランクより下である。「深い河」は帰ってきて文庫本で読んだ。面白かった。映画も見たいと思い、ビデオを探したが見つからなかった。

「深い河」のビデオはその後レンタルで見ることができた。

その21 アローラさん
アローラさんは背が180pもあるのに、顔が小さい。26才。リーバイスのジーンズ、ベネトンのシャツを着ていた。デリー大学で核物理を勉強していたが、つまらなくなり、また、学問一筋より、遊ぶことも好きだったのでガイドになったと言う。大学の後、空軍にも少しいた。ヒンディ語、英語、日本語、ラジャスタン語などインドの地方語2つを話せる。日本語はそんなに難しくなかったが漢字はだめらしい。今韓国語も勉強を始めたらしい。語学の天才なのか。日本人も使う機会があれば上達するはずだと言った。ガイドの収入はどんなものかわからないが、チップとかオプショナルとかで結構入ってくるのではと思った。占いや宝石店とかで割としつこく勧めにきた。つるんでると思えた。特別に頼んだインド舞踊と寺のオプショナルで20$払ったが絶対高いと思った。紙に書いたものがないので言い値で払うしかなかった。インド舞踊も初め、ジャイプルのホテルの予定だったのに、デリーの町中に変わり、ダンサーも半分はチベット人だった。詐欺だ。おじいさんの占いは500ルピーもして、その中でラッキーストーンを言わせておいてデリーの宝石店で買わそうとした。日本でも同じ位の値段で買えるものだったので、買わないというと、結婚できなくてもいいの?と言った。