4日目 2020年1月4日(土) ヤンゴン市内観光

 実質最終日。モーニングコール、朝食ともに6:30、出発は8:15、と言われていた。いよいよ、このホテルともお別れである。時間的にも余裕があったので、荷物を整理したあと、7時過ぎにレストランへ行った。チェックアウトしてバスに乗り込んだら私が最後だった。予定より早く8:10に出発。



 4日間、ずっと天気が良かった。ミャンマー最後の日。町の様子をしっかり見ておこう。



ヤンゴンを代表する寺院、シュエダゴン・パゴダから観光。(写真 左:一眼レフ 右:iphone)



 

iphone撮影


 

  

 

 

 

 

   

 



大勢のミャンマー人で賑わっていた。皆、おしゃれで民族衣装の正装。鮮やかな色様々で、個性を楽しんでいるようだ。特に若い女の子たちの集団が可愛くて、レンズを向けてしまう。ミャンマー人は皆熱心に地べたに座り込んで拝んでいた。パゴタの周りには、生まれた曜日ごとに拝む像が設置されている。私が生まれたのは月曜日であると調べておいた。ツアーでは火曜日の人から順番に像に水をかけ拝んだ。水曜、木曜と順番に拝んでいったので、私は最後だった。

 

 スーパーマーケットに行った。新しいおしゃれなビルに入り、エスカレーターで上に行った。マーケットは先進国と変わらず商品が揃っていた。コーヒー、紅茶、お菓子を買い、レジへ。そのシステムは日本と変わらなかった。私は、早く買い物を済ませたので、他の店をのぞいたりていた。ビルは真ん中が吹き抜けになっていて、階下がイベントホールになっていた。私はそこに居る人々の様子を見ていた。




 
マハバンドゥーラ公園へ行った。真ん中に独立記念碑があった。周辺には最高裁判所、市庁舎、スーレー・パヤーがある。公園を横切り、外観のみを見た。何やら歓声が上がっていた。台の上に2人いて、細長い空気袋で殴り合いをしていた。喧嘩ではない。見世物だろうか。




 

 

 


郵便局

 アウンサン将軍の事務所をレストランにした「ハウスオブメモリー」に行った。



最後のミャンマー料理。持っているミャンマーのお金は残り少なかった。払えるものといえば、ソーダウォーターだけだったのでそれを注文した。料理そのものはすべて美味しかった。他の人もミャンマー料理美味しかったねと言っていた。
 

 

 

食後は2階に上がり、アウンサン将軍の部屋に入った。実際使っていたタイプライターと机が置かれていた。スーチーさん達家族と撮った写真なども展示されていた。説明を読むと、30代前半に暗殺されたらしい。そんなに若い頃、将軍として英雄になっていたことに驚いた。ガイドさんによると、スーチーさんにはお兄さんが2人いて、長兄は既に亡くなり、次兄は健在。ただし、次兄とはもめていて、現在スーチーさんが住んでいるヤンゴンの家の権利を半分よこせみたいなことを言われているらしい。






 



 ヤンゴンの町では、スーチーさんの大きな看板などをよく見た。スーチーさんはミャンマー人にとって英雄である。私は、現地ガイドさんにお会いした夜、スーチーさんの家に行きたいことを伝えていた。それをガイドさんは特別に叶えてくれた。スーチーさんの家はインヤー湖の南東にあり、大きな道路に面していた。敷地はかなり広そうだ。そこは高い塀に囲まれ、中の様子は見えない。兵隊さんが一人ずつ東端と西端に座って警備をしていた。正門は東端にあり、ガイドさんは彼に会釈をして、私たちは記念撮影をした。門といって中の様子が見えないようになっており、扉の上にミャンマーの国旗とスーチーさんの家であることを表示しているのみだ。何とか見えないかと、扉と塀の境目から中をのぞいたら、白い建物が見えた。また、スーチーさんのポスターが見えた。



 チャウッタージー・パゴダに行った。大きな涅槃仏があった。70mあるらしい。肌が真っ白で、大きな目に青いアイシャドー、真っ赤な口紅、真っ赤なマニキュア。どう見ても女性。足の裏に細かい模様が施されていた。



 





仏像の前に供えている花には、日本では考えられないバラ。これも国が変われば何とやらである。

 トイレを借りに少し歩いた。そこに小さな子どもがいたのでカメラを向けると、ニコッと笑ってポーズをとってくれた。小さな子どもであるが、サービス精神がある。きっとよくチップをもらっているのだろう。

    
 


 最後に日本人墓地まで連れて行ってくれた。ここは、ツアースケジュールになかったが、現地ガイドさんが我々に見て欲しいと特別に連れて行ってくれた。大阪から来ていた私と同い年の女性が、おじいさんが戦争でミャンマーで亡くなったと話していた。残っていたミャンマーのお金をすべて寄付した。といっても少額である。墓を見ていくと、5歳の日本人の子どもの墓があった。数年前に亡くなったようだ。

 

 

 

 空港に着くと、トイレで着替えをさせてもらった。バッグの整理をした後、チェックインをした。荷物検査は厳重だった。皆、道具で金属チェックされ、手で直接ボディチェックされていた。ミャンマーはロヒンギャの問題あり、今もやはり政治不安が残る国なのだろう。来た時と同じベトナム・ハノイの空港で乗り換え、関空へは、翌日早朝到着した。機内では夕食と朝食の2回食事が出て、私は体調が良かったので完食できた。

 この旅行後、テレビの「世界ふしぎ発見」「世界遺産」「イッテQ」でミャンマー特集をやっていた。2019年夏にバガンが世界遺産に登録され、期間限定で日本人のビザが免除になった。そんなことで、旅行会社もミャンマーツアーをよく出している。また機会があれば、バガンやインレー湖なども行ってみたいものである。


追記(2022年1月); この旅行中、ミャンマーは本当に平和そうで、日本企業の工場や新しいデパートがあり、お寺では皆おしゃれして楽しそうであった。スーチーさんの看板がそこら中にあって、皆から尊敬されているのだろうなあと思った。それが、2021年2月1日、突然、軍がクーデター。スーチーさんが拘束され、反対する一般市民の大勢の命が奪われた。外国企業も撤退した。ガイドさん、ドライバーさん、どうしているだろうか。