■上海・南京・無錫・蘇州旅情■

2000年1月2日〜6日 1元=約12.6円 銀塩カメラPENTAX ESPIO140M

従妹と二人で新日本トラベルのツアーに参加した。本当は阪急トラピックスで行きたかったのだが、10月半ばの時点で満杯、キャンセル待ち状態であった。安い、電車移動、上海ガニつき、小籠包子つき、外灘夜景鑑賞つき、という点が違ってた。仕方なく両方のツアーに申し込んでおき、キャンセルが出るのを待っていたが、一ヶ月前でも連絡が来なかったので新日本トラベルに決めた。6日発は53800円で安かったが10人集まらなかったので2日発になった。それでも57800円。5日間全食事付きでこの値段は安いと思う。ビザ代(3000円+代行料5250円)が別に要るが。案の定、関空や中国ではトラピックスのバッジをつけた大団体を何回も見た。その他近畿ツーリストの廉価版が少し。OOOなどの豪華版は人気がないみたいだ。
従妹は5年前に一度青年の船で中国に行ったことがあって上海、蘇州にも行っていたが、声をかけるとぜひ行きたいと言い、一緒に行くことになった。彼女は海外は二回目であるが飛行機は国内でも乗ったことがなかった。

2000年1月2日

御坊から10時10分発のリムジンバスで関空へ行った。今までは電車だったので御坊からのリムジンは初体験。1時間20分で着いた。出発の四時間前に着いたが、従妹は関空も初めてだったのでつきあって関空内をうろうろした。関空のトラベラーという店でおみやげの口紅ケースを8個2600円で買った。これは旅行会社から送ってきたパンフレットで見つけておいたものだ。中国では上海のホテルで1本500円、3個1000円で売っていた。妥当な値段だったというわけだ。でもこれを見たのはこのホテルだけであったから、買っておいて正解だった。
免税店でタバコフィリップモリス1を2カートン買い(これは関空には売っているが、外国ではあまり売っていない)、Gショックかスウォッチでいいのがあったら買おうと見てみた。でも、結局買わなかった。美容液で気にいっているのがあり、値段lを見たが、前より高くなっていたのでやめた。この美容液は関空へ来るたびに高くなっている。人気商品だからか。中国で安かったら買うことにしよう。

中国国際航空の飛行機は予定通り出発した。インドツアーで一緒になった人から中国機のスチュワーデスは可愛いと聞いていたので期待していたが、そうでもなかった。ユニフォームがパンツスーツというのも×である。サンドイッチその他を食べ、入国書類を書いたりしてたら、あっという間に上海に着いてしまった。2時間は速い。

上海の空港に着いて2万円の両替をしようとしたら名前、パスポートナンバーを書かされた。少々面倒くさい。そして1580元を渡された。1元が12.6円。元は日本で両替できなくてドルと連動してるらしい。今は円高傾向だから1年前よりは得しているはずだ。

出迎えガイドの馬さんに見つけてもらい、ツアーの人たちと会った。11人のツアーであった。ちょうどよい人数だ。徐々にわかったのだが、どういう人たちかというと、広島からきた40代の自営業風の夫婦(夫の指には石入りの金の指輪、金のロレックスの時計、奥さんは年の割にスタイルがよく、マスカラもばっちり、見かけもおしゃれ、この夫婦は色々買っていて雑伎よりも買い物を優先した)、神戸出身の70くらいの母、40くらいの娘、高校生の孫娘、母の妹という4人組(彼女らは上海は2回目ということで雑伎は行かなかった)、尼崎から来た77歳の祖母と大学生の孫娘、一人参加の中年男性。計、男性2人、女性9人。世界貿易センタービルで夕食を食べた。隣に座った一人参加の45歳くらいの男性がウェートレスと流暢な中国語で話し始めた。すごい!と思っていたら彼の日本語は少し変だったので残留孤児の関係かなんかで中国から来た人なのだろうと思った。後でわかったのだが、彼は徐さんといい、杭州で生まれ、台湾を経て日本の天王寺で30年以上住んでるということだった。料理は麻婆豆腐は唐辛子のせいでとても辛かった。これは南京、蘇州、無錫でも同じように辛かった。日本の麻婆豆腐は食べやすいようにしているのだろう。青い魚と紹介された魚を食べた。煮付けにしていたが、不味くはなかったが美味しいとはいえないなあと思った。あとで徐さんはこれは鯉だと言った。それを聞いてエッと思った。なぜなら日本で鯉は臭いし、不味いと聞いていたからだ。鯉のフライは後にも出たが、その時はまあまあ美味しかった。でもこれは鯉そのものよりもフライの衣につけた味のせいだろう。そして、美麗園大酒店(メリーホテル)へ。このホテルはきれいなのだが、上海の中心から遠く、出歩くには少々不便であった。7時頃チェックインしたが、関空で歩き回ったせいか疲れていたので、お風呂に入って9時半には寝てしまった。予定では外出し、和平飯店へオールドジャズを聴きに行こうと思っていたのだが。上海は4日目もあることだからその時にしようと思った。(実際は雑伎を見に行ってジャズは聴かなかった)

1月3日

6時半起床の予定が5時に目覚めてしまった。日本との時差は1時間でいつも6時頃起きているから仕方がない。従妹はぐっすり寝ていたのでしばらくじっとしていたが、退屈してきたので、暗い中、着替え、洗顔、化粧をしていたら、従妹は起きた。7時にスーツケースをドアの外に出し、朝食を食べに行った。ビュッフェであった。ビュッフェは中西式というらしい。点心を主に食べた。元々点心は大好きだ。小籠包子があったので食べてみたら、中は青菜でちっともおいしくなかった。その他はまあまあおいしかった。

朝食後、時間があったのでホテルの外へ出てみた。広い交差点があった。信号があるにも関わらず、中心に交通整理の人が一人立っていた。しばらく見ていたら、彼は自転車に乗った一人の少年を止めた。少年はばつが悪そうにしていて、何か証明書みたいなものを出していた。そして注意されていた。その後もリアカーを引いた男性達が同じように止められていた。何故そうされているのか、よくわからなかったが、交通違反をしたのだろうか。バイクの人もまあ居るが、自転車通勤の人が多く、交差点には自転車が待つ場所があり、そこには黄色い旗を持ったおばさんがその場所からはみ出さないように注意していた。もう少し歩くとまた交差点があったがここにはさっきのような係りの人達はいなかった。どうやら大きな交差点だけらしい。車が増えたといっても自転車はまだまだ市民の足らしい。よく見ると走ってる車はほとんどタクシーだった。自家用車は少なかった。タクシーはフォルクスワーゲンのサンタナばかりだった。

8時になり、南京へ向けて出発した。私達のバスは20人用くらいで、かなり古かった。暖房が利かないのか寒かった。上海市街の周辺には4階建ての労働者住宅団地がたくさんあった。市街地を出ると、田畑がずっと広がっていた。農家の家は所々に集まっていたが、どの家も同じようであった。レンガ2階立てでセメントをはっていた。外からみる限り、1,2階とも3つずつに区切られていた。田畑の区切りは細長い長方形(日本よりもずっと細長い)で、あまり作物は作っていなかった。裏作はしないのだろうか。青菜の畑がときどき見えた程度である。300km離れた南京まで同じ景色であった。高速道路はずっと真っ直ぐで北海道のようだった。山も全然なく、見渡す限り、田畑であった。らを丸くつんで上を屋根のようにしていた。この形は日本で見るのと同じだ。しかし、今、日本でつみわらは見なくなった。私が子供の頃はよくあったのに。そういえばイギリスのつみわらはロールケーキのように巻いていたっけ。

約4時間半後、南京に着いてガイドの戴(たい)さんに会った。中華門を見たりした後、霊谷寺公園内のレストランで昼食を食べた。レストランの人は、掛け軸や錫製の酒をあたためる容器を売りにきた。広島からきた中年夫婦が容器を2000円で買った。安いし、飾りに竜や亀があって風水でいいと言っていた。しかし、これはその夜泊まったホテルの売店で1000円以下で売られていた。

南京の女性を見ると、ほとんど化粧をしていなかった。髪は若い人はロングで後ろを一つに束ね、中年以上はショートというのが多い。パーマはあてていない。上海より素朴な感じだ。

霊谷寺は明初期に建設された寺で、内には辛亥革命の蝋人形などが展示されていた。また梁を一本も使っていないということだ。

孫文の陵墓、中山陵へ行った。恐ろしく長い階段の上にあった。建てられた当時、中国の人口が39200万人だったので392段の階段にしたらしい。私達が一番早く上に着いたが、その次がなんと数え77歳のおばあさんだった。年を聞いてびっくり!。毎日歩いて、水泳をしているとのことだった。上から見る景色は霧がかかって山水画のようであった。帰り道、クラシックカーが展示されていた。中国では老爺車というらしい。笑ってしまった。

長江大橋を観光した。下が電車、上が道路の二層橋である。瀬戸大橋ができるまで世界最長の橋だったらしい。長江は確かに広いが、向こう岸は十分見える幅で予想していたより狭かった。南京ではこれくらいだが、上海では、向こう岸が見えないくらいなのかもしれない。世界的に有名な河を見られたということが嬉しかった。橋にある売店で直径10cmくらいの丸い水晶の中へ細い筆で絵を描いている人を見た。台北の故宮博物院でも細かい仕事をした宝物をたくさん見た。中国人は細かい仕事に価値を認めるらしい。橋の下の構図が美しいと思ったので写真を撮った。

バス内でガイドが予定時間より一時間早いのでどこか行きたいところないかと聞いてくれた。すると、名古屋から来た42歳の女性が遜権の墓と言ったり、南京博物院と言った。私は南京大虐殺記念館と言ってガイドブックをしめした。ガイドは戦争の記念館を薦めていたが意見がまとまらなかったので結局、店に長くいることになった。古南都飯店(グランドホテル)に4時過ぎにチェックインした。記念館は自分たちで行こうと思っていたが4時までなので行けなかった。ガイドに行きたかった旨を言って、再びガイドブックを示したら、ガイドは私が行きたいと思っていた場所を彼が薦めた記念館と違うものだと思っていたらしいということがわかった。そしてこの前のツアーではそこへ連れて行ったとのことだった。それがわかってよけい行けなかったのが残念に思えた。TVで薬師丸ひろ子がそこを訪れ、涙を流していたから行きたかったのだ。もっとはっきり主張して、ホテルに早くチェックインしてもらうなりすればよかった。

ガイドの話では1978年から始まった一人っ子政策のせいで人々は教育熱心になり、塾も多くなったということだ。朝は7:30頃登校し、1kmくらいジョギングして午前は小学校は11:30まで中学校は12:00まで勉強し、1時頃から午後の勉強をするということだ。塾で勉強する子は学校の授業をちゃんと聞かないので教師は教えるのが難しくなっているらしい。これは日本と同じ。あまりに教育熱心なあまり、4歳で小2(飛び級制度がある)、中学校レベルの漢文を読める子の記事が新聞に載ったという。ガイドはこういうことには否定の意見を言っていた。毎日勉強ばっかりでこの子は幸せなのだろうかと思うと言った。また、本音は2人くらい子供がほしいのだが都会では皆一人っ子政策に協力している。もし、違反すると年収の3年分の罰金を取られる。しかし、地方では二人の子供をもつことが多い。と、言うようなことを言っていた。また、中国でも嫁姑の問題から親子3人の家庭が多いということだ

名古屋、神戸の母娘(娘は神戸で祖母と暮らしてる)と四人でタクシーで南京一番の繁華街、新街口へ行った。ホテルのタクシー(大型)を使って、9元だった。これは基本料金だ。小型だと7元らしい。タクシーは南京ではガイドによるとダイハツの赤いシャレードが多いということだ。後ろを見るとダイハツとは書いていなく漢字が書いてあった。それとシトロエンのハッチバックが走っていた。どちらにしても大きな荷物は入れられない。どうしてなのか。マクドナルドがあったので行ってみた。ソフトクリームが二元(25円)、アップルバイが三元(38円)。皆で1つずつ買った。味は変わらなかった。セットが16元(202円)。これで物価がわかる。

大きなデパートへ行った。1階の真正面に資生堂やカネボウがあり、鶴田真由のポスターがあった。鶴田真由はカネボウのCMに出ていたのだろうか?記憶になかった。日本ではス−パーに並んでるシャンプーや洗顔料がガラスケースに入っていた。値段は日本程度だったから中国では高級品なのだろう。上の階を見ると皮製品が充実していた。ジャケット、バッグ、靴など。しかし欧米のブランド品はなかった。スニーカーも中国製が多かったが、ナイキなどもあった。

特に何も買わず、ホテルへ戻り、ガイドに連れられ食事に出た。食事内容は昨日とあまり変わらなかった。

ホテルに戻り、今度は2人でタクシーに乗り、夫子廟(台湾では孔子廟という)まで行った。今度は行きも帰りも小型であったが、行きは12.5元、帰りは11.6元だった。後で聞いた話だが、同じように行った人たちはタクシーに遠回りされ、22元もかかったと言うことだ。私達はよい運転手にあたったらしい。

夫子廟がある通りの東端で降ろされた。ずっと夜店が並んでいた。香港の夜店と同じだった。ワクワクしながら店を見て行った。カセットテープの店で酒井法子と香港歌手のフェイウォンのテープを買った。それぞれ8元(100円)と4元(50円)、安い!でもこれらを日本で聴いてみたら音は悪く、よく見ると歌詞カードもカラーコピーみたいだった。完全なコピー商品だったのだ。でも、音が悪すぎる。一回のコピーでもあそこまで悪くはならないだろう、まるでラジオを聴いているみたいだった。

その通りのちょうど真ん中あたりに夫子廟があった。入り口から中をのぞいてみると、やたら派手な変な動物の模型が置いていて面白そうだったので入りたくなった。入場料は20元(260円)だった。入ってすぐは、ここは遊園地かというくらいで廟という雰囲気はなかった。しかし奥へ行くとちゃんと寺があった。寺の内部の壁全体に玉(ぎょく)でできた絵があって立派だった。インドの寺なんかにも絵が描いてあるが、こういう風に宝石で描いているのはなかった。見入ってしまった。

また夜店を見ながら来た道を戻った。マクドナルドがあった。藤原紀香のポスターを置いている店があったので下をパラパラめくってみると、日本人では酒井法子、それになんとジャニーズジュニアの滝沢秀明があった。反町や竹ノ内でさえなかったのに。なぜタッキーなのか。香港の歌手兼俳優のレオン・ライやアンディ・ラウ、フェイ・ウォンはやはり人気があるみたいだ。

降ろしてもらったあたりに戻るとタクシーが停まっていたので乗り込み、すんなりホテルに戻れた。従妹は二人だけで外出するのを不安そうにしていたが、とても面白かったと喜んでいた。

1月4日

朝から無錫へ向けてバスに乗り込んだが、高速の入り口で止まってしまった。渋滞かなと思っていたら、霧のため通行止めらしい。確かに霧は多かった。でもまさか、このまま通行止めが続くと予定通りの観光ができるか不安になった。待っている時間がとても長く感じられたが、1時間ほどして通行止めが解除され、ようやくバスは動き出した。霧はなかなか消えず昼になっても残っていた。

無錫に着いてガイドの曹(そう)さんが乗り込んできた。色白のあか抜けた感じの人で身につけているものも上等だった。昼食を食べたが「おこげ」とよばれるご飯を焼いてケチャップ入りのスープに浮かせたものがなかなか美味だった。レストランの外で農夫が売っていた青い干しぶどうを10元(130円)で買った。美味しかった。日本へ帰ってから、これを食べた母が「箱へ入ったお菓子より、こんなものの方が珍しいし、ええなあ」と言った。

40分間の太湖遊覧をした。この湖は琵琶湖の3倍あり、中国で3番目の大きさだということで、向こう岸が見えず、海のようであった。静かな湖で、船の中ではすごくゆったりした気分になった。何年か前に緒形大作(字が違うかも)の無錫旅情という演歌が少し売れたが、その歌にはこの太湖の周辺の山や島が出ているらしい。毛沢東の別荘が湖畔にあった。三白と呼ばれるシラウオ、田鰻、白魚が太湖の特産らしい。そして淡水パールもとれる。連れて行かれた国営の店で淡水パールができるカラス貝を見せてくれ、貝を開いてくれた。真珠を採るためには五年以上かかるという。カラス貝は大きさが10cm以上あり、中には20〜30個の真珠があった。記念に1粒ずつもらった。ほとんどの形はいびつであり、これらは粉にしてお茶に溶かして飲むと体にいいということでサンプルももらった。カルシウムが多いから体にいいのは当然だろう。7cm玉40cmのネックレスが2万円だったので安い!と思い、買おうかと思った。確か自分が持っている6cm玉のネックレスは10万円くらいしたはずだ。従妹は淡水パールだからこんなのものだと言って反対した。私は本真珠と淡水パールの違いを知らなかった。従妹は本物と偽物ほどの違いがあると言った。そういえば伊勢志摩の真珠は海で養殖してるし、あこや貝では1個しか採れなかったはずだ。そう思ったら、指輪(持っていないので前からほしいと思っている)さえ見る気も失せた。従妹は安いし、普段にする指輪なんてこの程度でいいと言って勧めに来たが全く気が乗らなかった。従妹は前から真珠が好きで興味を持っていたらしく、1粒ついたペンダントを5000円程で買った。

錫恵公園へ行った。この辺では1番高い山(それでも400m足らず)が見えた。確かに平野ばかりで山は見なかった。水がきれいで「天下第二泉」という井戸があった。唐代のお茶の神様と呼ばれる陸羽という人(確か香港に陸羽茶室という有名な点心の店があったと思う)が全国の水を飲み歩いてここの水をおいしいと認めたことからきているらしい。無錫は1級の水と2級の空気といって水が自慢と言うことだ。

公衆トイレに入った。トイレのことは初めて書くが、ホテルのトイレは日本と同じだが、ドライブインや公衆トイレは紙なし、胸の高さくらいの鍵なしドア、水洗である。紙は流さないらしく、ゴミ箱が置かれていた。鍵がないから押さえながら入った。となりのようすが見えたが、悪いと思ったので見ないようにした。公衆トイレではお金をとっていた。3角(10角=1元)だった。横に溝があった。見ると便が流されていた。垂れ流しなのだ。

無錫は昔、錫が採れた頃は有錫と呼ばれていたが、採れなくなって無錫となったらしいが、ずっと前は呉越同舟の呉という国で、その頃、着物が日本に伝えられたので呉服というのだそうだ。それにこの周辺の言葉で日本語と酷似しているものがいくつかあるという。たとえば息子、娘なんてそのままらしい。スイカというのも発音が似ているらしい。

交差点の掃除をしている女性達が見えた。車がどんどん通る道なので怖くないのかと思うが、平気な様子で車が人をよけるという感じだ。外国へ行ったらいつもこうだ。中国では夜でも自転車が平気で車の前を横切る。蛍光シールなんか貼っていないから、黒い影しか見えない。自転車の人は皆慣れているのだろうが、怖く感じた。ちなみに、中国では赤信号でも右折はできるらしい。

寝台長距離バスをよく見た。外から人が横に寝ているのが見えた。日本にはないと思う。こんなのがあれば疲れないのにね。豚や鶏をぎゅうぎゅう詰めに積んでいるトラックも見た。信号の代わりをするロータリーもよくあった。これはロンドンに多く、とても合理的な交通整理法だ。渋滞をつくりにくい。また、町中でも道は真っ直ぐ広い。多分、共産主義だから、土地は国家のもので、造りやすいのだろう。

夕方、蘇州に着き、レストランで蘇州のガイドの杞(き)静香さんと会った。初めての女性ガイドだ。なめらかな日本語で可愛い顔をしていた。32歳ということだが若く見えた。

この日は蘇州飯店に泊まった。今までのホテルにはドライヤーがあったが、このホテルにはなかった。他の部屋で水の調子も悪かったらしい。でも安宿よりはずっと快適なレベルである。この日は外が暗かったので外出はやめた。

1月5日

この日も霧が出ていた。朝から蘇州観光。ガイドの話では中国では12歳以下の子供は自転車に乗ってはいけないという法律があるので、学校までの送り迎えを大人がしているとのこと。1978年の一人っ子政策以来、人々は教育熱心になった。よい学校は市の中心部にあるので郊外の自宅から通わせるようになった。60年代生まれまでは平均5人兄弟、少なくとも3人兄弟ということで自宅近くの小学校まで歩いて通っていた。昼食は学校で定食が食べられるのだが、肉中心で栄養が偏るといって昼になると迎えに行って自宅で食べさせ、午後送っていくということだ。その送り迎えは定年退職をした祖父母がすることが多いらしい。当然自転車の後ろへ乗せて。

虎丘(こきゅう)へ行った。ここは呉王の墓陵である。葬儀の3日後に白い虎が現れたことから名がついた。傾いている高さ47mの斜塔があった。中国最古のレンガ塔で傾きの角度はピサの斜塔の半分くらい。地盤沈下が原因らしい。

世界遺産に登録されている拙政園へ行った。冬枯れで葉が落ちており、寂しい感じがした。

寒山寺へ行った。ここは昔、流行った蘇州夜曲で有名らしい。鐘があって日本人が除夜にこの鐘をつきに来るが、中国人はつかないという。中国人は鐘をつく日本人を見に来るということだ。これも歌の影響だ。私は蘇州夜曲の世代ではないから、あまり興味もわかなかった。母なんかだと喜んだのだろうが。

蘇州の写真はこちらに9枚あります

蘇州は東洋のベニスと言われ水路が町中にある。80元を払って船に乗ってみた。庶民の家が見え、川で歯を磨いている人、洗濯をしている人を見た。また子供達が橋の絵を描いていた。面白くて写真をたくさん撮った。細い水路の方へは行かなかったので、川がきれいなのか汚いのかはよくわからなかった。行ったところは、そう汚くなかった。バンコクの水路と同じ程度。

蘇州は両面刺繍が特産品だ。連れられて行った店で色々見たが、高い物で50万円くらいのついたてがあった。ちょっといい物で数万円。3000円くらいでもあったが、いいものを見た後では手を出す気にはなれなかった。でも、中国人向けの店では3000円のものと同じものが500円位で売っていた。やはり旅行社が連れて行く店は高い。

歩道の上に色とりどりのウエディングドレスがつり下げられていた。街灯や木や電柱にヒモをつけてそこにつり下げ、頭の上よりも少し高いところで揺れていた。こんなに埃っぽいのに汚れているようには見えなかった。日にも焼けるだろうに。

午後は上海観光。上海の人たちを観察していると、今までの町の人たちとは大分違っていた。女性は皆化粧をしていて、パーマもあてている。服も日本の人たちと同じだ。他の町では肩パッドなし小さなテーラー襟の服、スボンの人が多かった。若い人では、金髪、厚底靴の人も見かけた。日本の最新流行ファッションの人も見た。

玉仏寺(ぎょくぶつじ)でビルマ伝来という白玉でできた涅槃仏などを見た。白玉の涅槃仏と、10年前コピーして大きくした偽物の涅槃仏(当然白玉ではない)があり、比べると、本物の顔は目が真ん中へ寄っていて笑顔で面白い感じがした。偽物の方がずっとよい顔をしていた。玉仏寺の二階から屋根を見たら、瓦の重ね方が面白かったので写真を撮った。何枚も重ねて置いている。かなり重くなると思うが。そして、豫園へ。豫園はTVでよく紹介され、ここにある南翔饅頭店の小籠包子がすこぶる美味しいことで有名だ。食べたかったが、自由時間がなかったので無理だった。豫園はとても広く、すたすた歩き回った。中国では龍の飾りは王しか使えないのだが、豫園では塀の飾りとして使われていた。豫園は明代の役人の私庭園である。当然、問題になったが、この龍のようなものは「爪が3本しかない、色が黒い、口が馬」ということで龍ではないと言い訳をして切り抜けたということだ。豫園内にある漢方薬店に連れて行かれ、気功のビデオを見せられ、年輩の人達が薬を買わないかと持ちかけられたが、誰も買いそうになかったので早々に店を出た。豫園の中も外も店が多く、食べ歩きなんかしてみたかったが、何せツアーなので気ままなことはできなかった。

市内レストランで今上海人に人気というしゃぶしゃぶを食べた。日本のものを想像していたが、しゃぶしゃぶというより寄せ鍋だった。ここではこれをしゃぶしゃぶというらしい。私は前日からガイドに上海蟹を食べたいと言っていたので、見本を持ってきてくれ、8cm位のものを注文した。これでも150元(1900円)もする。これでも安いらしい。ホテルで食べる場合、ホテルのランクによって値段も変わるらしい。蒸してもらって、大阪からきた徐さんに食べ方を教わりながら初めて食べてみた。まずミソであったが、ねっとりした味だった。小さいからほとんど胴体の部分を食べることになる。脚も食べてみたが、食べにくかった。味は甘く美味しいと聞いていたが、これならタラバ蟹の方がずっと美味しいと思えた。広島から来た男性が「もずく蟹と同じだよ」と言っていた。私は日本でももずく蟹を食べたことがなかったのでわからなかった。1度経験したからもういいやという気分だった。

その後、ツアーのうち4人(私達と尼崎から来た祖母と孫)が上海雑伎団を見るために途中でバスから降りた。雑伎は前日ガイドがオプショナルとして紹介してくれたので申し込んでおいた。3000円。日本で申し込むより安いという。7時半から始まった雑伎はとても面白く、あっという間に1時間半が経ってしまった。小さな子供がスゴイ芸をする。この子供達は、何故こんな荒技をするようになったのだろうか。日本ならこんな事をさせる親がいるだろうか、それこそ孤児か、よほど貧しい家庭の子供なのか。色々考えながら見ていた。でも面白いことには変わりなく、機会があればまた見たいと思わせる内容であった。隣のお祖母ちゃんもとても喜んでいたし、孫娘も北京の雑伎よりずっとスゴイと言っていた。

終わる頃、ガイドがまた来てくれていた。その後、あらかじめガイドに頼んでおいた外灘の夜景見物にそこからタクシー2台で行った。夜景は9時半までなのでぎりぎりの時間だった。初めガイドはそこまでのタクシー代を私達が出すような事を言っていたが、結局サービスで出してくれた。欧米様式の古いビルがライトアップされ、対岸からレーザー光線が飛び、幻想的なすばらしい夜景だった。ここでもお祖母ちゃんはとても喜んでいた。こんなお婆ちゃんは可愛い。ツアーには外灘観光が含まれていなかったので残念に思っていたのだが、言ってみるものである。希望がかなった。しかし、他の人と一緒だったのでジャズはあきらめた。趣味があう人と一緒でないとこれは無理というものだ。

1日目と同じ美麗園大酒店に泊まった

1月6日

この日も霧が出ていた。この地方は霧が定番みたいだ。朝、少し時間があったので、今度は一人でホテルの外を歩いてみた。例の広い交差点には、前と同じように交通整理の人達が居た。写真を撮ったりしながら、しばらく見ていると、一台の車が交差点の真ん中で止められ、係りの人と喧嘩し始めた。どちらも負けていない、激しい口調だった。それもズームで写真を撮っておいた。早々にそこを立ち去り、ホテルに戻った。そして、職場の人たちにパンダのしおりを買った。4枚入り120元(1500円)を2袋で1500円にねぎった。でも後で空港で見たら1袋60元だった。何も得していなかった

空港に行き、空港使用料をガイドに買ってもらい、中に入った。今までのツアーではチェックインまでガイドがしてくれた。中国では、自分でしなければならないらしい。ツアーの人たちに任せてついて行った。任せすぎてボードを見てなかったのでチェックインの場所を探すのに少し苦労した。それに出国審査に行ったら、出国証を書いていなかったことがわかり、また、戻って書いた。ツアーだったので、気がゆるんでいた。しかし、なんとか免税店の場所まで行き、残りの元で家にジャスミンティ、ウーロン茶クッキー、セサミクラッカー、饅頭を買った。このおみやげで驚いた事があった。日本へ帰って食べたら、饅頭はとてもおいしかったのだが、クッキーは10個は入る箱なのに、6個しか入っていなかった。クラッカーもイマイチ。クッキーとクラッカーは同じ会社の品だった。箱は金ぴかでとても立派だった。中国で物を買うときは要注意!。従妹はランコムのマスカラ2本とシャネルの口紅(2000円と安い!)を買っていた。私はお気に入りのアメリカ製の美容液は日本と同じ位の値段だったのでやめた。

帰りの飛行機も順調に飛び、普通の機内食を食べ、無事に日本に着いた。Y2K問題も起こらず、大体したいこともできて、満足できた旅であった。おみやげはその他に南京でだったと思うが、母にイタチの毛の筆5本セットと最高級という位牌みたいに大きい墨を買った。私はできたらバッグを1つ買おうと思っていたが、結局買えなかった。南京で行ったデパートにはブランド品のバッグはなく、ホテルにあったものは安すぎで多分偽物、免税店には人気商品はなかった。上海の伊勢丹なんかに行かないと買えないということがわかった。自分の為に買ったのは、蘇州のホテルで買った楊貴妃を手書きした18元(230円)の団扇、関空で買った口紅ケース(8本2600円のうち1本)だけだった。でも旅行に出られる身分を感謝したい。上海へはもう一度行きたいと思った。今度はオールドジャズを聴いて、豫園の小籠包子を食べて。それにしても南京で大虐殺記念館に行けなかったのは残念だ。                終わり