1995年12月26日 台北自由行動

この日は午前中自由だったので、自分たちでタクシーに乗ってまだ見ていない所を探りました。タクシーはたくさん走ってるからどこでも拾えました。ただし、運転の荒さは天下一品。何台か乗り換えましたが、ある運転手の時は、前に乗っていた私は小さな悲鳴を3度もあげてしまいました。この日、一度事故を目撃しましたが、タクシーはスイスイと運転して行ってるようです。市民はバイクで、煤煙よけのマスクをしてビュンビュン走っています。彼らを見ていると、日本人がせっかちというのはウソのようです。

横断歩道に立つ小学生達。蛍光線が入ったベストを着て、渡りたい人が居ると、車を止めていました。 台北新公園で太極拳をする人々。一番前のおじいさんが指導者みたいでした。

朝の台北新公園ではたくさんの人たちがそれぞれ色々なことをして過ごしていました。平和やなーって思いました。形をつけながら太刀を振っている若者が居ました。素人目にもかなり上手に思いました。カラオケをしているおばあさん達。よく聞くと歌は日本語の「岸壁の母」。カラオケ道場らしきところからは日本の演歌が聞こえてきました。

台北新公園で。 台北医大病院。

総統府(日本でいうと国会議事堂)の前。道路が広く、軍の車がたくさんありました。
台湾では憲兵という名前が今も使われ、防空壕という張り紙も見ました。戦争を知る父母は驚いていました。台湾は今も大陸との関係に備えているのでしょう。
総統府前。毎年、この時期にはこういう「中華民国万歳」という派手な飾り付けがあちこちにあるそうです。総統府そのものにも派手な飾りがつけられていました。この派手な色合いはいかにも中国という感じでしょう。

保安宮 国父記念館。孫文の記念館です。ここも中正記念堂と同じように衛兵、像がありました。孫文は中華民国建国の父ということなのです。中国の南京にも孫文の陵墓、中山陵があって、私は2000年1月に訪れました。HPにも載せていますのでご覧下さい。

連れていかれた漢方薬のおじさんが紹介する日本からの手紙には日本國という文字が使われていました。おじさん、今、日本でそんな文字使う人いないですよ、これだと自分で書いたのがバレバレですよと思いながら説明を聞きました。

台湾の街には漢方薬の匂いが充満していました。どんな料理にも漢方薬が入っているのかと思えました。そういっても台湾料理は私達には口にあって、美味しくいただけました。お昼に食堂で食べたラーメンは、一杯100円程度で薄味でした。香港でも薄味だったから、本場はこんなものなのでしょう。

名産のパイナップルケーキと蓮の実もとても美味しかったです。パイナップルケーキは高かったですが、値段に負けない味でした。何年かたって台湾出身の俳優金城武がTVの「食わず嫌い」で紹介していて嬉しくなりました。

午後4時発の飛行機で帰国したら、日本はすごく寒かったです。聞けば私達が台湾に居たとき、日本は寒波に襲われ、雪が降ったそうです。私達は台湾で気温20℃、快適に過ごせました。10人、2家族のツアーでゆったりした気分で旅行できました。台湾は私達のような年代の家族旅行にはうってつけだと思います。