8月12日(木) ウィーンそして帰国

私は夜遅く寝ると,朝早く目が覚める習性を持っている。この日もそうだった。4時半に目覚めてしまった。8時にペンションを出て,まず市庁舎へ向かった。昨晩の喧噪のあとを見たかった。それに市庁舎の装飾を明るい日差しの中で見たかった。休日ということもあってか誰もいなかった。向かいにブルク劇場があった。その横にはフォルクス庭園があり,中のエリーザベト像を見に行った。エリーザベトはここでも美しかった。公園の掃除をしている人の他は誰もいなかった。ベンチに腰掛けて,庭園のバラや市庁舎をしばらくながめていた。次にブルク庭園のモーツアルト像を見に行った。像の前に花でト音記号を形づくっている。写真を撮っていると観光客が何組かやってきた。カップルで来ていたアジア系の若い男性に写真を撮ってくれるよう頼んだ。撮ってもらった後,彼らも撮ってくれるよう言ったので撮ってあげた。アジア系の人らしく,彼らはポーズを決めていた。

再び,カフェ・ザッハーに行ってみた。というのは,今朝考えていて,「ザッハホテルは工事中だったが,その横にあった喫茶店らしき店は確か開いていたような気がする。あの時は,別の店と思いこんだが,もしかしたらあの店がカフェ・ザッハーだったのではないか」と思い直したのであった。案の定,予想は当たっていた。店内に入ると,有名人の写真が何枚も掲げられていた。開店間もないので,色々準備をしているようだった。注文を聞きにきてくれないので,若いウェイターに向かって手を挙げると来てくれた。メランジェとザッハトルテを注文した。デーメルと食べ比べだ。メランジェはとても薄かった。Tシャツのアジア人ということでなめられたか。ケーキの方はデーメルのより甘くしっとりとして美味しかった。甘すぎるということもなかった。持ってきてくれたウェイターに手を挙げてチェックしてもらった。7.8ユーロとのことだったが,9ユーロ渡し,チップと言うとウェイターはニコッとして礼を言った。一流の店らしくハンサムな青年だった。

フィガロハウスへ行った。場所がわかりにくかったので地元の人らしき人に尋ねた。モーツアルトが住んだのは2階部分。中で日本語のガイド本を買い,読みながら見学した。フィガロの結婚初演当時のパンフレットやモーツアルトによる手書きの楽譜などがあり感激した。45分間くらい見学した。もう少しゆっくりしたかったが,プチポワンのブローチを買いたかったのでそこを後にした。10時35分,ケルントナー通りの店に行くと,店は10時半開店のはずなのにまだ開いていなかった。開くのを待つ時間はない。ペンションチェックアウトの時間は11時だった。仕方なく,ペンションに戻り,チェックアウト。地下鉄でウィーンミッテ駅まで行き,飛行機のチェックインをして荷物を預けた。そこから来たときと同じくCATに乗って空港に12時前に着いた。

空港の売店でヘレンド・アボニーグリーンのコーヒーカップとソーサーを78ユーロで買った。オーストリアでは75ユーロ以上で税の払い戻しを受けられるのでちょうどよかった。それにヘレンドのものは何か欲しいと思っていたが,買いそびれていたので念願がかなったわけだ。プラハで買ったボヘミアングラスと,買ったばかりのコーヒーカップの付加価値税の払い戻しをしてもらった。13.11ユーロ返ってきた。
ウィーンでしたいことがまだ一つ残っていた。それはウィーナー・シュニッツェル(薄くのばしたカツレツ)を食べること。出発口近くのレストランで食べることにした。フライドポテトを付け合わせにして12.3ユーロ,またオレンジジュースは3.6ユーロもした。ブダペストでもそうだったが,空港のレストランは高い。味の方は感激するほどのこともなかった。まあ,経験できたのでよかったということか。予定通り,午後2時頃飛行機は飛んだ。1時間ほどすると機内食が出た。当然,お腹がいっぱいだったのでほとんど残した。11時間飛んで関空に着いた。

この旅行ではブダペスト,ウィーン,プラハの観光もしたが,なんと言ってもオクサでの野鳥調査が楽しかった。そのせいかいつもより観光がつまらなく思えた。野鳥調査の次にくる思い出といえば黄金の間でのコンサートか。それと,いろんな人と知り合えたことだ。また,アースウォッチのボランティアに参加したい。帰国後,早速ボランティアリストをネットで見ていた。

終わり