東 田 中 神 社 の 歴 史 と 獅 子 舞

 社伝によれば、平安時代初期の天長年中(830年頃)に慈覚大師(天台座主円仁)が

勅命を受けて、近江の日吉神社(山王権現)を当地におまつりし、山王権現社と称され

田中荘(打田町合併以前の旧田中村)の総社とされていたが、昭和20年に若宮、中の

宮、一の宮の三社を合祀して現在の東田中神社と改称されたものである。




 嘉保2年(1095年)比叡山の僧兵が山王の神輿をかついで京の都で大暴れ

した時、関白藤原師通(のりみち)は、これを鎮めるため僧兵や神人を多数殺

傷した。

 このため師通は呪いを受け重病にかかって苦しんだが関白家の荘園であっ

た田中荘の山王権現社において祈祷したところ日に日に回復したとの故事が

残っている。

 又、ある文献には、太閤秀吉の根来攻めの時、根来寺の猿樂師が打田の

山王権現社に逃げ込んで難を逃れたとの記述がある。

故に魔除けの意味を持つと言われる獅子舞の登場となる。