提言 同和教育の終結をめざして

国民融合をめざす部落問題和歌山県会議
発行・国民融合をめざす部落問題和歌山県会議

ようこそ!

「国民融合をまざす部落問題和歌山県会議」発行の「提言」パンフレット
全文を、松本事務局長のご了解を得て掲載しました。
その他の論文も、執筆者のご好意を得て掲載させていただきました。
編集責任・雑賀光夫
提言 同和教育の終結をめざして   国民融合のめざすもの 補論 国民融合とは何か
同和教育終結にあたって 「同和教育」の終結と教育要求運動の発展のために 同和教育の終結(発展的解消)に向けて
追加1 「部落問題学習」の終結と人権教育
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提言 同和教育の終結をめざして
一九九九年一月一五日
国民融合をめざす部落問題和歌山県会議

 私たちは同和教育をただちに終結することを提言します。
 子ども達をこれ以上旧身分で分けへだてすることは、融合を疎外し、差別を長引
かせることになります。そのため、次の取り組みをすすめましょう。

一、「和歌山県同和教育基本方針」を廃止させましょう。

二、旧身分を特定する「同和地区児童生徒基礎調査」をただちにやめさせましょう。

三、同和加配教員制度を廃止させ、同推教員を返上しましょう。

四、同和地区の子どもだけを特別扱いする「同和教育子ども会」は、ただちにやめ
ましょう。

五、同和教育を推進する研究会は、自主的に解散しましょう。

六、部落問題を特別にとりだす「部落問題学習」をやめましょう。




国民融合のめざすもの
国民融合をめざす部落問題和歌山県会議
  代表幹事 池田孝雄

国民融合を目指す部落問題和歌山県会議のあゆみ

 国民融合を目指す部落間題全国会議(全国会議)は八鹿高校事件を契機に一九七
五年九月二一日大阪府吹田市民会館で三一都府県の代表一五〇〇人が参加して結成
されました。
 和歌山県ではこれより先の七四年八月一八日、白浜町坂田会館で第一九回部落解
放同盟和歌山県連合会大会に「解同」中央本部の主張する部落排外主義に心を寄せ
る一部不平分子(崎山派)が大会粉砕を唱えて会場に乱入し、暴力の限りを尽くし
ましたが、部落解放同盟を軸に多くの民主団体が、部落解放運動の伝統を守りなが
ら「民主主義と人権を踏みにじり、地方自治と教育を破壊しようとする」これら暴
力集団に厳しく批判を加えました。さらに七六年五月一六日、県立和歌山商業高等
学校体育館で部落解放運動のために努力する団体と部落問題の解決を願う部落内外
の個人が思想信条所属の違いをこえて、県内各地から一〇〇〇人にあまる人々が参
集して「国民融合を目指す部落問題和歌山県会議(県会議)」を結成しました。
 しかし、県会議はその後全国的にもすぐれて先進的な活動を行いましたが、一方
和歌山県では解放運動の主流を形成した和歌山県部落解放運動連合会(和解連)が
国民融合路線に立脚して運動を進めたため、県会議の活動は総体的にその比重を小
さくしていきました。とはいえ結成以来一貫して「解同」やそのエセ同和団体など
の部落問題の解決に逆行する不法な行動については批判を加え、また具体的な事実
に基づいて「部落差別は解消の過程にある」ことを明らかにし、正しい部落問題に
ついての理解を広げる活動を進めてきました。
 あるいは部落問題の現状を正しく分析し、同和対策事業や特別対策から一般対策
への移行の問題、同和教育や国民の学習活動、いわゆる啓発の問題等について国民
融合の立場からそのあり方を解明し、問題提起し、国民世論の形成に大きな役割を
果たしてきました。

部落をめぐる現在の状況

 同和対策審議会答申(一九六五)が出され同和対策事業特別措置法が制定された
頃の和歌山県の部落の状況は、総体的に生活水準はもとより、教育水準も一般地区
と比べてかなりの格差のあった事は確かでした。しかし以来今日まで、およそ三〇
年に及ぶ特別対策の結果、そうした格差はほとんど解消され、住民の意識も大きく
変化していることが誰の目にも明らかになってまいりました。
 和歌山県同和委員会が行う県民の同和問題・人権意識についての意識調査を見て
も、間題の解決の大きく進んでいること、即ち多くの人々の間に人権意識が定着し、
民主主義社会の実現への努力が一層前進していることが顕著になっています。
 もっとも和歌山県同和委員会はこうした調査の結果、遅れた面を強調して、いま
なお「部落差別を始めいろいろの差別」がなお抜き難いかのように描いています。
私共はせっかくの調査を何故遅れた面のみ強調するのかという懸念とともに、日本
国憲法制定以来半世紀を経た今日、そして同和間題解決を国の責務とし国民的課題
として取り組んですでに三〇年を経過した今日、和歌山県内はもとより、広く全国
的にも、部落問題は基本的に解決し、「真に自由・平等の民主日本を建設する」基
盤の確立されていることを、換言すれば国民融合の著しい前進を強く認識しており
ます。

同和行政・同和教育の終結と国民融合の前進のために

 国民融合とは、部落内外の格差をなくし、日本国民として、生命、自由、平等な
どの権利が尊重され、個人として幸せに生きる社会を作り出すことにあります。前
述したように同対法制定のころには「部落だから」という理由で個人として幸せに
生きる権利(日本国憲法第一三条・一四条)の犯されている点が多くありました。
以来三〇年に及ぶ部落内外の多くの人々の努力で、そうした障害(差別)がほとん
ど解消され「二一世紀に部落差別を持ち越さない」というスローガンがいま現実の
ものになろうとしている事実を、私たちはきちんと見ていく必要があります。

 国民融合の運動は七〇年代を通じて解同の暴力的「糾弾」や利権あさりなどの蛮
行を批判し不公正乱脈な同和行政を正すための努力を続けてまいりました。八〇年
代にはいると国民融合を目指す同和行攻、同和教育、部落解放運動の前進のための
理論と実践を発展、進化させるための努力を続け、更に部落問題の到達段階を踏ま
えて、同和行政の本来の目的、性格とその功罪等から、可及的速やかに特別措置と
しての同和対策を完了・終結させて一般対策へ移行し、その行政水準を引き上げる
ことを主張してきました。
 そして九〇年代にはいると地対財特法が暫定的措置を残しながらも基本的にはそ
の歴史的任務を終えて、まさに「二〇世紀に部落差別を持ち越さない」というスロ
ーガンは現実のものとなろうとしています。
 和歌山県では既に吉備町、南部町、印南町、白浜町等で同和対事業の終結を明ら
かにし、あるいは同和子ども会補助金の返上を行った町村も少なくありません。こ
うした時期に和歌山県部落解放運動連合会高野口支部が「『同和問題解決の到達
点』にふさわしくない制度が残されていることに注目」して「同和教育の終結(発
展的解消)に向けて私たちはこう考えます」という見解を明らかにしたり、「同和
行政・同和教育の終結を目指す和歌山県連絡会」が結成されました。

 こうした動きは私たちが従来おこなってきた主張と一致するものです。そのため
私たちは同和対策事業を終結させ国民融合のいっそうの前進のために、「同和問題
の提起する課題」が不明確になったことが全県民的な共通認識となっている同和教
育について、別項の「提言 同和教育の終結をめざして」を明らかにし、あれこれ
の困難点も可及的速やかに克服しながら民主教育のいっそうの前進を期したいと考
えます。


補論・国民融合とは何か


一 部落問題の解決(国民融合)とは何か

 そもそも部落問題の解決とは何でしょうか。日本にも世界にも、残念ながらさま
ざまな差別の問題があります。これらは、いずれも人間みな平等という人類普遍の
原理に照らして、撤廃しなければなりません。これが大前提ですが、それぞれの問
題にはそれぞれの特質があり、それを無視したとりくみは、問題の解決に役立たな
いばかりか、逆効果をもたらすことが多いのです。
 部落問題の特質は、封建的身分の「後遺症」です。明治維新のあと、日本の近代
化が解決しなければならない諸問題を放置したまま、急速に進行したからです。今
日、日本の女性問題が先進資本主義国中もっとも厳しいのも同様の結果です。

 その本質に照らして言えば、基本的には部落問題は、今日、元士族であったかど
うかが問題にされなくなっていると同様に、旧身分にこだわり、部落住民であるな
しにこだわる意識が払拭されれば解決するという問題です。
 女性問題や民族問題とくらべて考えてみましょう。女性問題の解決は決して「女
性からの解放」ではなく、「女性としての解放」です。民族問題も同様でしょう。
しかし、部落問題の解決とは「部落民としての解放」でなく「部落民からの解放」
であり、解放されたら「部落民」でなくなることです。
 この部落問題の性質と解決の筋道を理論的に明らかにしたのが、「国民融合論」
です。これは、一九七〇年代の中頃に八鹿高校事件など部落解放同盟の蛮行がつづ
いたころに改めて提起され、部落問題の解決に大きな役割をはたしてきました。
(楠本一郎)

二 同和行政・同和教育行政とはそもそも何なのかを考えてみましょう。

 同和行政がはじまったころ、同和地区の生活は劣悪であり、同和地区には切実な
教育課題が山積していました。そこで「同対審答申」「特別措置法」による同和対
策事業がはじまったのです。
 同和対策事業は、そもそものはじめから矛盾をもっていました。特別対策をしよ
うとすれば、日本国民の中にあってはならない旧身分の線引きをせざるを得ないと
いう矛盾です。それでも、同和地区の生活実態が劣悪であり、部落差別が厳然とし
て存在するという状況の中では、「線引きしてでも特別対策をする」ということも
積極的意義をもっていたのです。
 しかし、同和対策事業と社会の進歩の中で、同和地区をめぐる状況が大きく変わ
りました。いつまでも「線引き・特別対策」をつづけることは、同和地区内外の垣
根をつくるという弊害の方が大きいという段階にきているのです。
 約十年ほど前から、同和地区内外の「学力格差」「高校進学率格差」は、四〇年
前とくらべると大きく縮小した段階で、固定しています。このことは、「同和対
策」としてこの問題にとりくむことが限界にきていることを示しています。 和歌
山市でいえば、不当に手厚く同和対策をされている地域で、いっこうに「格差」が
なくならない(逆に「自立」と「交流」をさまたげている)という事実が、そのこ
とを示しています。
 それとはちがって、民主教育をすすめる中で残された課題を解決しようとすると
りくみが前進することによって、最終解決への道が開かれるのです。そのことも、
県下各地の実践によって示されています。(雑賀光夫)


参考

「二一世紀をめざす部落解放の
 基本方向」より
 部落問題の解決すなわち国民融合とは、
■部落が生活環境や労働、教育などで周辺地域との格差が是正されること、
■部落問題にたいする非科学的認識や偏見にもとづく言動がその地域社会でうけ入
れられない状況がつくりだされること、
■部落差別にかかわって、部落住民の生活態度・習慣にみられる歴史的後進性が克
服されること、
■地域社会で自由な社会的交流が進展し、連帯・融合が実現すること、である。
(全国部落解放連合会)

同和教育終結にあたって
国民融合をめざす部落問題和歌山県会議
 幹事 駒井 俊英


(一)同和教育とは

 和歌山県における同和教育は、一九四七年、責善教育という名で自主的でローカ
ルな教育運動として出発した(註一)。自主的な教育運動であるが故に融合を進め
た成果は大きかったと考えられる。しかし、部落問題解決の進み具合い、つまり運
動と理論面での前進さらに経済成長を見越した国策樹立や近代民主主義の熟成など
多方面にわたる要素に伴って、教育運動の中身を点検しながら修正を怠ることはで
きなかった。同和教育運動でいつも関係者を悩ませたのは、同和教育とは何か、と
いうことであった。和同教発足から五年程は研究大会で教課別分科会、一○年位は、
「障害児教育」の分科会を設けていたぐらいだから、今になって振り返ればおかし
い。運動会の二人三脚は障害者差別ではないか、と同和教育の観点から……これも
よく使われたた語句……真剣に議論したところもあった。なぜこんなことになった
のかというと、差別という窓口から教育や社会問題をとらえようとする傾向が強か
ったのではないか。その後、同和教育の肥大化や中核論などに批判があり、同和教
育は民主教育の一環だということで一応落ち着いたが、一環ではなく一部だ、いや
ごく一部だという意見もあり、責善教育創設から半世紀の歴史を経て同和教育の終
結を迎えようとしているのにすべての人の納得する定説はない。西滋勝先生の定義
も「あえて定義するならば、部落問題の提起する教育課題に応える教育的営み」と
なっていて「あえて定義するならば……」という前置きがある。しかし西定義は同
和教育を厳密に吟味する際、一定のものさしとなった。教育学的定義はさておき、
最終的に同和教育運動の在り方と同和教育の中身を規定したのは、まぎれもなく国
民的融合論である。

(二)「県同和教育基本方針」と自主的民主的な同和教育運動

 和歌山県では他府県で見られたような全県画一の副読本を創らなかった。それぞ
れの地域で自主的に課題を見つけ民主的な取り組みを展開してきた。県同和教育基
本方針にも(学校教育)の項で「全教職員の共通理解のもと、地域の実状に即した
適切な指導方針をたて、児童生徒の発達段階に応じた具体的な計画によって、同和
教育の積極的な推進につとめる」とあり、県教委もこれまで自主的民主的な取り組
みを保障し、学校や地域の取り組みに干渉することはほとんどなかったといってよ
い。和同教はこうした県内各地の自主的な取り組みを交流し互いに学び合う場とし
て、多くの県民に支持されてきた。行き過ぎや不十分さは常につきまとったが、民
主的討論の中でそれを克服してきたのは、自主的な取り組みであるからこそできた
ことであった。
 今でも忘れられないのは、部落問題学習の教材研究会におけるエピソードである。
七○年代に小中学校の社会科の教科書に部落問題が記述され、小学校六年生、中学
校では社会科の教師を中心に教材研究が盛んに行なわれ、和同教の主催する教材研
究会も盛況を極めた。幸い和歌山には渡辺広和歌山大学教授がいらっしゃったので、
いつも教材研究会の助言をお願いした。「小中でそんなに詳しく学習したら大学で
教えることがなくなる」という渡辺先生特有の言い回しで、現場の過熱ぶりに冷や
水をあびせた。その後、教科の論理とか子どもの発達段階という学校教育上ごく当
然のことが提起され、徐々に正常化した。子どもの部落問題の学習といってもこの
場合多くは江戸時代の身分制の学習である。渡辺教授を嘆かせたこのような状況は、
その際、子どもが部落問題にかかわって不適切な発言をしたらとか、ときには差別
発言として社会問題化するということを恐れたからであろう。発達途上の一二才や
一四才の子どもに、部落問題だけをそれも教科学習という狭い領域で短期間に完全
な認識をさせることのできないのは、当たり前のことである。それから間もなく、
国民的融合論に基づく自主的な同和教育運動の生み出したパンフレット「学業途上
の子どもの問題発言について」(一九八三年民研)が発刊され、各学校の現職教育
などでも盛んに使用され県内でもまたたく間に数千部を頒布した。これで部落問題
学習最大の支障は理論的には解決した。前近代の賎民身分を表す用語を記載した教
科書を採択しておいて、子どもが覚えたてのその用語を使って遊んだら、これを部
落差別として社会問題化し、時にはすべて学校の責任として糾弾されることもあっ
た。教育委員会が学校と教育を守るために毅然として対応したという話は、あまり
聞かない。幼児から競争に駆り立てられ、思いやりなどという感情の希薄になって
いる子ども達を相手に苦闘している教育現場の実状を考慮しないで、部落差別とい
う窓口からだけとらえて未熟な子どもの発言を差別として社会問題化するのは、理
不尽な話である。このような状況のひどい一部の地方では自主的民主的な同和教育
は育ちにくく、同和教育は同和対策教育になっていたきらいはある。身分制の過剰
な学習の深層に、このような現実が背景の一つとしてあったと考えられる。国民的
融合論に基づく「学業途上の子どもの問題発言」は、子どもの部落問題にかかわっ
た発言を社会問題化しないで、他の様々な問題と同様に学校が主体的に教育的解決
をはかるというものである。これの定着した八○年代で同和教育は実質的に終了し
た、という意見さえある。
 同和教育をめぐる混乱は、初期の責善教育でも見られた。一九六二年に和歌山市
部落問題研究会の発表した「部落解放をめざす教育活動のために」という論文では、
責善教育の問題点を多方面にわたって、すこぶる大胆にえぐりだしている。「教育
をすべて部落差別という一つの『サシガネ』で測定しようとし」とか「立論面で可
成りの欠陥があり、知的労働者階級としての教職員がそのときどきにうつりかわる
流れを追うに汲々とし『どうもよくわからん』という結果も起きた」などの記述か
らだけでも当時の状況はうかがえる。同和教育では、他の教育課題であまり見られ
ないような混乱が断続的に続いたといえる。

(三)中身を創ったサークルと自主活動

 一部の地方を除いて共通の同和教育の副読本を創らなかったので同和教育実践の
中身を創るのに大きな役割を果たしたのは、サークル活動や自主活動であった。代
表的なものとしては歴史教育者協議会、紀南作文教育研究会、生活指導研究会など
であるがその他にも地方毎に様々なサークルが存在し、これらのサークルでの実践
が、和同教研究大会分科会の中身を充実させた。高校ではなんといっても自主活動
であろう。それは社会問題研究会や部落問題研究会だけでなく演劇活動などと幅広
い。

 国民的融合論の発表されて以後、同和教育といっても部落問題に直接ふれる実践は少なくなり、人権認識、人間認識、社会認識と教育全般にわたる問題を取り上げ
てきた。最近では性教育、不登校、いじめ、学級づくり、文学教材、学力問題など
の研究講座はいつも盛況であった。県教育委員会はこのことにやや神経質になって
いたようで、講座の後援依頼の際、いつも「部落問題は」と訊ねられたが、同和教
育研究協議会だから当然のことといえば当然である。自主的民主的な同和教育のも
とで自主的民主的な教育研究に一定寄与してきたことは確かであろう。西牟婁地方
や日高地方で「人権の教育」へ移行をするのも、中身としてはこれまでの取り組み
との間に断層ができるのではなくごく自然になされたと考える。こういう事情もあ
って同和教育の終結はおくれてきたように思う。


(四)社会問題と学校教育

■タブーをうちやぶった責善教育
 一九四七年三月一五日付で和歌山県教員組合の発表した「責善教育創設趣旨」が、
和歌山県における同和教育の出発である……地域的には前年の一九四六年六月一四
日付で現吉備町の御霊国民学校は同和教育要項を作成……。僅か数百字の「責善教
育創設趣旨」には「日本民族が一部同胞に対して数百年にわたり血のつながりに於
いて拒否し、今なお彼等をして完全に孤立せしめている。思うだに身の毛のよだつ
この事実を、多くの世の人は当然のこととして日本民主化の埓外においているばか
りでなくして彼等の上に封建的圧迫を加えている」と記されている。
 戦前から新聞社では「菊」と「荊」には要注意といわれていた。「菊」とは皇室、
「荊」とは部落問題を指す。戦後まもなくのこの時期、部落問題は民主化の埓外に
おかれてまぎれもなくタブーであった。もし部落問題が戦後一連の民主化の重要な
柱の一つとされていたならば、責善教育は創設されていたか、またその後大きな運
動に発展していたか、歴史にもしはないが考えざるを得ない。責善教育創設はタブ
ーに果敢に挑んだという点で、民主教育のなかで特別な位置を与えられるべきだと
考える。

■社会問題と知る権利

 ここで同和教育終結にあたって提起したいのは、重大な社会問題と初等中等教育
の関係である。
 先ごろ沖縄への修学旅行を企画した中学校にたいして、市教育委員会は「沖縄の
問題は国論を二分するような問題だから中止するよう指導した」と報道されていた
が、語るに落ちるとはこのことで、教育現場にタブーを持ち込む以外なにものでも
ない。最終的には沖縄県側からクレームがついて修学旅行は実施された。国論を二
分するような深刻で重要な問題だからこそ子どもたちに知らせるべきだという考え
は、市教育委員会にはなかったと思われる。
 最近テレビで、大統領のセックススキャンダルについて生徒が自己の意見を述べ
ているアメリカの高校の授業風景が放映されていたが、彼我の違いは何なのか。知
らしめない、考えさせないというこれらの事例からわかることは、基本的には子ど
もを主権者として育てるという観点の欠落であろう。
 たとえ為政者にとって不利な情報であっても、その知る権利の保障というのが自
由人権思想である。

■「○○教育」のネーミングは、必要だったか
 部落問題がわが国の近代民主主義のとりわけ自由権の未成熟な状況によって存在
していることと、知る権利をないがしろにする公教育におけるこうした教育行政の
姿勢は、近代民主主義という指標でみれば同根である。
 ところで沖縄への修学旅行や政治腐敗の問題を○○教育と名付ける必要はあるの
か。そのときどきの重要な社会問題を初等中等教育でとりあげるとき、それを○○
教育と銘打つ必要はないと思う。ただしタブーさえつくらなければ。
 大切なのは、子どもを主権者として育てるという教育的観点と発達段階に応じた
適切な内容かどうかであろう。

■問題点も含めて教訓と成果の整理を
 和同教の研究主題は「部落問題の現状を正確につかみ、憲法と教育基本法にもと
づく豊かな教育内容を創造しよう」としており、この流儀でいくと、社会問題の現
状を正確につかみ、憲法と教育基本法にもとづく教育をすればよいということにな
るが、あまりにも大づかみで概念的過ぎる。この際、自主的民主的な同和教育の過
去五○年の歩みをふりかえって失敗や問題点も大胆にえぐりだしながら、教訓と成
果をまとめて、社会問題と(学校)教育の関係を具体的に整理してみてはどうだろ
うか。「人権教育」あるいは「人権の教育」への流れができているとき、具体的に
整理する作業はすこぶる大切でないかと考える。

(五)融合による生活と意識の変化

■ 特別対策終結には大きく分けて二つのタイプがある。一つは解同などの目に余
る無法が住民の批判を受け、首長選挙などを通じて自治体の改革がなされるところ、
もう一つは住民の合意に基づいて終結に向うところである。和歌山では幸いにして
かなり多くの自治体が後者で、成果をあげている。
 最も進んでいると思われるのは吉備町であろう。多分全国でも最も早く、責善教
育創設以前に御霊国民学校に同和教育要項を作成した吉備町であるが、和同教や有
同教の結成された後も町同和教育研究協議会は創らず、同和教育は、町学校教育研
究会の当面の重要な柱とした。同和教育終結にあたっては当面の重要な柱をなくせ
ばよいので、いわゆる同和教育の発展的解消とか同和教育研究協議会の改組発展な
どを考える必要はなかった。また同和教育推進教員を最初に返上したのも吉備町で
ある。このことは同和教育終結にあたって改めて考察すべき価値はあろう。

■ さる一○月二七日、国民融合実行委員会の県教育委員会交渉で、県教育長は
「いろいろな考え方のあることがわかった」と述べていた。特別対策や同和教育終
結にたいする態度は、考え方の違いというよりも生き方の違いといったほうがよい
のではないか。自立に重きをおくか特別対策依存かである。
 一九九六年五月に発表された最新の地対協意見具申については、多くの人や団体
が問題点を指摘している。この三○年にわたる特別対策のなかで、部落住民の生活
や感情と意識も大きく様変わりをしたということについてあまり言及されてない。
このことも意見具申の最大の問題点の一つであろう。自由権の飛躍的な拡大によっ
ていわゆる通婚も珍しいことではなくなり、また、あらゆる地域や職場に進出し、
普段は日常の生活に自己の出自を特別に意識しなくても済むようになってきている。
もちろんこのような状況のなかで周辺地域の人々の旧い意識も若い世代ほど急速に
なくなってきている。経済の高度成長もあって以前のような農村共同体的な生活が
大きく様変わりし、「よそもの」などと表現される閉鎖的な地域セクトなどは崩壊
し、学校や職場・職域、思想・信条あるいは同じ趣味などでの交際に重きを置くよ
うになってきている。このような状況のなかで部落問題を意識したり、あるいは出
自にわだかまりをもつ機会は以前に比べれば極端に減っている。出自に特にわだか
まりをもつのは、特別対策や同和教育にふれた時であろう。結婚の際にわだかまり
をもつことはあっても、その多くは取り越し苦労にすぎず愛情を大切にし結婚を成
就させている。若い世代の地区内外の結婚は、ほぼ八割前後であり、地区外の妻の
実家近くに住居を構え、その地域に融け込んでいる例も珍しくない。結婚による融
合が、地域の意識を変え融合を加速させている好例である。生活のなかで融合を実
感している人々にとっては、今や特別対策や同和教育は疎ましいものになってきて
おり、早く終結してほしいと思っている。

■ 顕著に表れているのはこの二、三年で一気に前進した子ども会の返上であろう。
ある地域では若い母親は地区の子ども会ではなく、地域の母親子どもクラブへ子ど
もを連れて参加し、そこでは一人一役、少ない予算なので手作りの子どもクラブ活
動にいそしんでいる。もちろんこの地区ではその後、子ども会を返上した。
 今日の若い母親は以前に比べれば高学歴であり、また労働者として組織のなかで
訓練を受け社会的にも幅広く活動している人も多く、生活や意識の上ですでに閉鎖
性を克服している。他府県の話だが、解放教育推進の教師達が子ども達に部落民宣
言をさせようとしたところ、若い母親達から猛反発を受けてその試みは挫折した。
それ以後、全同教ではこの種の実践報告は激減した。誠に喜ばしい現象である。
 子ども会は、自由権の飛躍的な拡大や住環境整備のほぼ完了した今日、同和地区
を周辺地区から際立たせているものの一つであろう。運営やきわめて高額の補助金
などで閉鎖的な存在にならざるを得ない同和地区子ども会の在り方に、疑問をもっ
ている人はかなりある。なにはともあれ旧身分をより所に子どもを集めるというこ
とは、子どもの世界に垣根を人為的に残しているようなもので、今日では融合を阻
害していることに間違いない。こういったことに早くから着目していた地方や地区
では、子ども会をここ数年の間で自主的に返上しているし、また現在、返上の準備
をしている地区もある。
 どうしても不公平感の生じる特別対策や、部落差別だけの学習や啓発をして、こ
れを特殊化したりする取り組みは、こだわりやわだかまりを増幅していかざるを得
ない。わだかまりとこだわりを完全に解消していくには、今日的課題(註二)によ
って新しい垣根をつくっている特別対策と同和教育を、まずやめることである。


■ しかし特別対策や同和教育に今なお固執する人々は、このような部落内外の生
活や意識の変化に注目するのではなく、いまや少数となったおくれた旧い差別意識
だけを取り上げようとする。しかもこのような人々は、不公正乱脈なあるいは不公
平感の生じている特別対策による今日的課題については触れないし、それに基づく
新しい意識の問題についてもなぜか避けている。特別対策や同和教育の重要性を主
張する人々は、利権とか高額の補助金あるいはポストなどの既得権益に固執してい
るとしか考えられない。同和問題の重要性を人権教育のなかでことさら強調する県
教育委員会の姿勢は、融合を阻害するものであり、新たに今日的課題の一つに加え
なければならない。
 「可及的すみやかに」部落問題の解決を図るということで特別措置法による同和
対策事業は始まった。対県交渉の席などで行政側の挨拶ではもう何年間も「早期解
決を目指して」と枕言葉のように述べるが、それでは子ども会終結のめどはと問え
ば、答弁不能になる。特別対策を三○年も続けてきて「早期解決を目指して」でも
あるまい。吉備町など県内いくつかの町村のように全体であれ部分的であれ終結の
前進しているところと、まだ特別対策終結のめどさえ立っていないところとの違い
は何か、問いたい。行政の責務は、早期解決から特別対策の早期終結・一般対策へ
の移行と具体的になっている。


(六)同和教育推進教員について

 この三○年間で同和教育推進教員の果たしてきた役割は非常に大きい。しかし融
合が前進し、部落問題は大きく様変わりをしてくるなかで、本来の役割は減少し、
それぞれの学校の実状に即してその任務を決めている例も多いと思われる。同和教
育推進教員の人事と任務については、学校として悩ましい問題となっているところ
もあるのではないか。融合が著しく前進し部落問題の提起する課題も変化している
ことと、同和教育推進教員の存在との関連について、本質的な問題で論議を深め、
検討の必要な時期にきている。
 同和教育推進教員の配置されている学校は、毎年、指定地区(註三)の子どもの
旧身分を特定し、その人数を県教育委員会に報告する。このことをほとんどの親は
知らされていない。この旧身分の特定は、一三○年余り続いてきた過去の習俗的差
別に基づいてなされていて、当然のことながら他に資料はない。本人の戸籍謄本を
見ても三代前までしかわからない。
 婚姻と居住の自由は大正デモクラシーの息づいていた水平社創立後の昭和初期に
一定拡大しており、それ以後この三○年で飛躍的に拡大している。行政の指定地区
の周辺に居住している人は以前から多いし、この三○年で、地区外からかなり多く
の人が移住してきている。地区内に住んでいても地区外との結婚は多い。旧身分の
血が二分の一、四分の一などという子どもも相当数あると考えられる。この点につ
いても調査にあたって何の決まりもない。今や住環境の改善、婚姻と居住の自由の
飛躍的な拡大とによって、人の流出入は多くなり、三○年前、行政上の地図に引い
た地区内外を分ける線は、ほとんど意味をもたない。学校がやらされている地区内
の子どもの旧身分の調査は、教育実践上のメリットも考えにくく、同和残しに一役
買っているだけで融合の弊害になってきている。
 このところ行政は同和教育の重要性や必要性の理由づけに盛んに較差を持ち出す
が、較差といっても公的に区別した指定地区内に居住している旧身分の者だけ、そ
れも婚姻による融合は勘案しない調査によるものと全体との較差である。

 こういった調査によるものであっても、較差は部分的、限定的なものになってい
る。特別対策は「きわめて劣悪で低位な実態」を解消し、融合を為し得る状況をつ
くることにあり、それができればたとえ較差は部分的限定的に残されていてもでき
るだけ早期に特別対策や同和教育は終結すべきである。なぜなら今日もなお残され
ている問題は、さまざまな要因を背景としており、同和という枠組みのなかで従来
の取り組みを漫然と続けても解決できない。
 同和教育推進教員の制度の廃止を要求するとともに、少なくとも子ども会の自主
的な返上が、それも相当数進んでいる和歌山県では、自主的民主的な同和教育を推
進してきた経緯から、同和教育推進教員の返上も自主的に行なうのが望ましい。な
かでも子ども会の返上をしたところで旧身分の調査を伴う同和教育推進教員を置い
ておくのは、どのように考えても理屈に合わない。子ども会の自主的な返上は、部
落から学校に投げられたボールであり、学校はこれをきちんと受け止め投げ返す必
要がある。だから、三○人学級実現や指導困難校加配などの教育条件改善の要求は
要求として明確にし、同和教育推進教員の自主的な返上を促進すべきである。また
子ども会のある地区でも「部落問題の提起する教育課題」のない学校は、もちろん
同和教育推進教員の返上も念頭にいれてそのことを部落の保護者に投げかけ、子ど
も会と子どもの課外活動のあり方について保護者と話し合うことも大切ではないか。
これは同和教育推進教員配置校の最後の責務でなかろうか。


(七)先駆者の先見
 責善教育創設に参画し、全同教の結成にも参加(和歌山県からは三人)した故桜
谷正雄氏は、晩年、和同教副会長として活躍されたが、特別対策の始まった一九七
○年頃すでに「同和教育は早く終えなければならない。そのために一生懸命同和教
育を推進するのだ」とおっしゃっていた。また役員を引退された後の八○年代の後
半になって、同和教育を続けていることについて手厳しい批判をなさっていた。
「日本民主化の埓外」におかれたという責善教育創設の趣旨からして、国策として
特別対策の始まった時点で終結ということを視野にいれておられた。これは今日的
課題を地対協が指摘するずっと以前の話であり、特別対策の大きなうねりのなかで
「そこのけそこのけ同和が通る」とやゆされた世間の風潮を早くから肌で感じ、わ
だかまりとこだわりのない民主的な社会に思いを馳せておられていたようにも思う。

(八)逆流の「人権教育」

 同和教育終結にあたって私達にたちはだかる新たな課題が生まれてきた。それは
一九九七年に県教育委員会の発表した「人権教育」である。特別行政から一般行政
への移行が国の方針であり、全国的には終結をした自治体もかなりの数にのぼる。
また段階的に終結にむけて計画をつくり実行に移している自治体はさらに多い。特
別対策から一般対策へと移行する趣旨に沿って同和教育を人権教育へと発展させる
のかと思えばそうではない。「人権教育」ではその前文に「同和問題を人権問題の
重要な柱として明確に位置付け」とある。和歌山のこれまでの五○年にわたる責善
教育から同和教育への積み重ねから見れば、この文言はすこぶる奇異に感じる。
「人権教育」と標榜する限りは憲法の基本的人権のすべてを包括するものでなくて
はならないし、人権に重要な柱とそうでないものとあってはならない。和歌山県で
はほとんど例はないが、研究団体と行政が癒着して排外主義的な同和教育や解放教
育を推進したところでは、融合の前進するなかで理論的にも実践的にも同和教育は
行き詰まっていて、国民の同和教育への批判はきびしくなっていた。そこで「人権
教育のための国連一○年」(一九九五年から二○○四年)の取り組みに逃げ込んだ
ものであろう。国連の取り組みは教育権の確保が主旨であり、一○年の行動計画の
半ばになろうとしているのに、国内行動計画を作成しているのはフィリピンとイン
ドネシヤ、それにわが国の三国である。
 これと関連して気になるのは、さる一○月一日付の広報紙「県民の友」に発表さ
れた「『人権教育のための国連一○年』和歌山県行動計画」である。その前文に
「わが国においても残念ながら固有の人権問題である同和問題」という文言がある。
この「固有」という言葉について県推進本部にくわしい説明を求めねばなるまい。
同和問題がわが国固有の人権問題となると、歴史認識の問題として歴史学の成果を
無視したものとなり、これは大変なことである。また同対審答申の歴史認識とも異
なる。県推進本部と県教育委員会の「人権教育」とは連動しているものと考えるの
が妥当である。だから「同和問題を人権問題の重要な柱として明確に位置付け」と
いう文言は、部落問題を「固有」の問題として特殊化して、県民のおくれた旧い差
別意識のみを追求するという行政側の意図を、すべて物語っている。かつて、ねた
みを「ねたみ差別」として県民の特別対策批判を封じてきた県行政と本質的には変
わっていない。
 聞くところによると、県教育委員会の指導主事は、地方に出かけて現場の校長や
同和教育推進教員あるいは市町村教育委員会に、「人権教育」推進の立場からかな
り高圧的な発言をしているらしい。地方では、学校、各種団体、行政、個人など一
体となって郡市同和教育研究協議会に結集し、自主的民主的な同和教育に長年なじ
んできたので、かなりの不協和音を生んでいる。

 県同和教育基本方針は策定の際は広く県民の意見を聴いてつくられた。「人権教
育」については突然発表され、押しつけをしている。先に述べた地域での自主性を
尊重する県同和教育基本方針との整合性はどうなるのか。このような事態を見れば、
やはり「人権教育」批判を全県規模で徹底しなければならない。そうでなければ、
ここまで進んできた融合と民主教育の前進を、今や逆流となった官制の「人権教
育」によって阻害されることになる。

(九)融合の最終責任は民主運動が果たす

 特別対策のねらいは、早急に「劣悪で低位な実態」を経済の高度成長のなかでな
くし、融合をなし得る状況をつくることにある。融合を完成させるのは、特別対策
ではなく、それぞれの地域の自立とか自治などの民主的力量である。自立の精神の
希薄な特別対策依存の姿勢は、人間を堕落させ、新しい垣根をつくるのではないか。
 特別対策や同和教育は王道ではない。部落問題は、わが国の行政レベルが高けれ
ば、本来、一般行政と民主教育や地域の民主的力量で解決をしていくのが基本であ
る。したがって特別対策や同和教育は、それらを補完するものである。かつて全解
連の中西書記長(当時)は「部落問題に最終責任をもつのは私達である」と繰り返
し述べていたが、自立と融合を目指す全解連としては当然のことである。三○年に
わたる特別対策は、今日的課題という新たな垣根をつくってきた。この事実に照ら
せば、自立と融合を前進させるため、まず同和教育を終結させなければならない。
ついで憲法と教育基本法に基づく教育を教育行政に保障させ、さらにこれを充実さ
せていく運動を展開しないと、最終責任は果たせない。 他府県では、全解連や全
教など融合を進める団体は、同和教育の終結を県教育委員会に強く要求している。
和歌山県でもこれらの団体は、県教育委員会に同和教育の終結を強く要求しなけれ
ばならないが、終結の主体は、あくまでも半世紀にわたる自主的な取り組みの積み
重ねをもつ研究団体や教職員組合また学校や地域である。終結の意義を明確にし、
終結への大きなうねりをつくっていく自主的な運動が、逆流となっている官制の
「人権教育」を形骸化させ、融合を進めることになるのだから、これは素晴らしい
ことである。              

(註一)同対審答申が出てから同和教育を始めた県も多い。和歌山県教員組合によ
る責善教育創設は、昭和二二年という時代を考えれば画期的なことである。当時教
員の間でもかなりの頻度で差別事件は起きていた。

(註二)地対協が一九八六年の意見具申で指摘した「地域改善対策の今日的課題」
をいう。同対審答申の時期には考えられなかって、特別対策によって生じた新たな
課題を指す。それは
 一、行政の主体性の欠如 
 二、同和関係者の自立、向上の精神のかん養の視点の軽視 
 三、えせ同和行為の横行 
 四、同和問題についての自由な意見の潜在化傾向である。

(註三)同和地区ともいう。三○年前、特別対策を実施するにあたって行政上便宜
的につくられた行政区画である。同和行政実施後まもなく、道路整備などの事業で、
地区外の道路の方がせまくなったりし、様々な矛盾が出て、地区内外を分ける線引
はほころび始めた。そこで一九八二年、法を同和対策事業特別措置法から地域改善
事業特別措置法に改め、法に「周辺地域との一体性の確保」を盛込んだ。地区は特
別対策としての同和行政を完了すれば早くなくさなければならない。三○年にわた
る地区内の住環境整備と自由権の拡大による人の流出入で、地区指定は実質的に無
用になっている。それなのに今でも教育では「地区児童生徒」「地区の子」などと
いう用語を日常的に使用している。

「同和教育」の終結と教育要求の運動の発展のために
国民融合をめざす部落問題和歌山県会議
 幹事 谷口幸男



一、学力と進路を保障するとりくみの到達点

 同和教育の重要な課題であった教育の機会均等と進路保障の問題は、次のような
経過をたどって、今日では基本的に解決した。
 戦後いち早くとりくまれた問題は、同和地区の子どもたち(「部落の子どもた
ち」)の成長と発達を保障するための生活の確立と不就学を克服するとりくみであ
り、具体的には子供会の活動であり、就学援助の諸とりくみであった。このとりく
みを飛躍的に発展させたのは、一九五二年の西川事件闘争であった。各地に子供会
が組織され、学校へ行けない子どものための夜学級が開設された。その後、責善教

育研究集会ではワークショップが行われ、一九五八年勤務評定反対のたたかいの中
で教育的関心が高められ長欠・不就学問題は基本的に解決した。

 次の問題は、学校に来た子どもたちの学力と進路をどう保障するかであった。子
どもたちの生活現実を抜きにした文部省による一斉学力テスト反対のたたかいを進
めるともに、子どもたちに生きて働く学力をどのように保障していくかの具体的実
践が自主的・自覚的に展開され、高校への進学のための進学保障の制度的要求のた
たかいがすすめられた。
 一九六五年、「同和対策審議会答申」が出され、「答申」完全実施要求運動が全
国的に展開された。翌年、全同教第一八回大会が、県教委の妨害にもかかわらず、
県下に組織された現地実行委員会の力によって成功させ、一九六七年四月、和歌山
県同和教育研究協議会が組織された。このことによって差別の現実を無視した県教
育委の「人間尊重教育(同和教育)」の誤りを追求して行く足場が確立し、自主的
民主的同和教育運動を飛躍的に発展させていくことになった。この時点での「差別
の現実」としての高校進学率は、紀北地方全体七四・九%、地区五七・七%、紀南
地方全体六二・七%、地区三二・三%であった(和歌山県同和委員会『同和地区の
現況と問題点』昭和四一年九月)。今少し、現状を引用しておこう。
 「裏路地に入れば、辛うじて傘をさして通れる程度の道路しかなく、不良住宅が
多い(不良住宅率七七・六%)」状態で、「建築日雇・製材雑役工・失業対策従事
者など半失業的、不安定な仕事の従事者が圧倒的に多く、経済力は低い。長い間の
差別が醸成した無気力、社会的連帯感の欠如、生活意識の欠除、視野の狭さは、地
域の成り立ちを阻害し、家庭生活を暗くしている。生活保護率の高さ、高校進学率
の低さ(紀南平均三二・三%、地区平均二四・〇%)、長欠・不就学の圧倒的高さ
は、地区の低位性、教育と社会福祉面での諸問題を提起している。」(御坊市同和地区)
 「この地区の場合、家庭における両親不在の問題が提起されている。地区の生活
は一般に貧しく日々の生活に追れている現状では必然的に両親の共稼世帯はかなり
の数にのぼっている。このような環境の中で地区の子供をどうしつけ、教育してい
くかは重要な課題となっている。即ち遅進児対策の特別学級の問題や、地区生徒の
高校進学問題や、学校と地区父兄との結びつきの問題等、今後十分検討していくべ
きである。特に現場に於いては、地区を抱えた学校に対して、福祉教員の特配と、
特別手当の予算措置を強く要望している。」(印南町同和地区)

 このような状況は、一九六九年「同和対策特別措置法」が成立したことによって、
大きくかわっていく。生活条件・学習条件改善のとりくみは飛躍的に発展し、学力
と進路保障のとりくみは、同和加配教員の配置と進学保障の特別措置によって大き
く前進する。ここには地区住民の同和問題解決への自覚的高まりがあったことは言
うまでもない。
 一九七一年、全県の高校進学率は八二・九%であり、全県同和地区は六八・三%
であった。これが七五年には九二・一%と八七・四%と格差は急速に狭まり、八〇
年では九二・一%と八四・五%となっている。これを切目中学校で見れば、一九六
六年全校四八%、同和地区八・三%で合ったものが、一九七四年全校九五・三%、
地区七七・八%、七六年九七・七%と一〇〇%となり、八〇年には全校一〇〇%と
なっている。これらをみれば進学率にみられる同和問題としての格差は七〇代後半
から一九八〇年代の時期に基本的に解消し、地域的に違いをもち、全県一律平均で
は事実をとらえられなくなったことを示している。
 もちろん、それ以後も数%の「較差」は存在するが、それは地域的・階層的、流
動的であり、同和地区のすべてに、「地区の子どもたち」に一律にみられるもので
はなくなっている。今日の低学力は低所得者層や環境条件に恵まれない家庭の子ど
もたちに多く見られるところであり、同和対策という特別な施策・取り組みによっ
て解決できるものではない。このことは八〇年代から今日に至るまで若干の変動は
ありながらも「較差」は消滅しないことに証明されている。


二、学力と進路をめぐる「特別な取り組み」の問題

 それでは、今日の「較差」は何によってもたらされているものなのか。基本的に
は今日の学力問題は学習指導要領によってもたらされているものであり、進学率に
みられる「較差」は入試制度によって意図的・政策的につくられたものである。ま
た、学力調査等で男女・校区・住宅状況・生活条件などをもとに比較すれば必ず
「較差」が表れる。問題はそのことによって何をあきらかにしようとするのかがと
われなければならない。今日学力や進路をめぐって何が問題となるのかを的確に掴
むためには、子どもたち一人ひとりを詳細にとらえていかなければならないし、そ
の分析から共通の問題を捉えたとき、はじめて課題が明確になってくる。
 しかるに県と県教委は、依然として高校進学率にみられる「較差」を「同和問
題」とらえ、「特別対策」のとりくみを強制している。基本的な考えは、次のとお
りである。
 「平成九年度に実施した『校区に同和地区を含む学校の状況調査』によると、高
等学校への進学率において全体と地区との間に五・三ポイント、大学・短大への進
学率においては一六・三ポイントの較差が存在している。また、高等学校卒業後の
就職先について、企業規模別について見た場合、明らかな較差がある。したがって、
学力問題は同和問題であり、同和地区住民が安定した生活を築くための基礎となる
教育水準の向上を図るための施策は、総合的に取り組む必要がある」(和歌山県同
和委員会「同和問題解決への展望」平成一〇年五月)
 「平成四年度に実施した『学力状況調査』の結果を見ると、同和地区児童生徒の
総合正答率が、小学校で約四ポイント、中学校で約七ポイント低くなっております。
このことが、同和地区生徒の進学率にもつながり、最近五年間の高校進学率では四
〜六ポイント、大学・短大への進学率では一二〜一六ポイントとの較差となって現
れています。」(和歌山県「人権教育のための国連一〇年和歌山県行動計画」平成
一〇年八月)
 高校への進学率が高まり、「較差」が縮小し、それが地域的・階層的・個別的に
なり、全県一律平均にとらえられなくなっていることは誰しも認めるところである。
そして、若干の地域の地区にある「較差」が同和問題であるとしても「漫然と同和
対策」を続けても問題を解決することができないことは事実が証明している。例え
ば和歌山市のA地区の小学校の場合児童数一六七名、学級数七、教員総数一八名、
内同和教育推進教員六名であり、ここのB中学校の地区生徒の進学率は八七・〇%
である。地区を含まないK小学校は児童数二五二名で、学級数一二、教員総数一六
名であるから、大変な条件整備、「特別対策」を実施していることになる。それで
も進学率が高まらないのはなぜなのか。ここで指摘されているのは誤った解放運動
とこれと癒着した行政によって自立が阻害されているということである。このこと
については啓発指針が指摘する「新しい要因」によってつくりだされているところ
であり、現在にいたっても「格差」が解消しないところはいずれもこの問題を抱え
ている。したがって、この問題の解決がなければ「格差」の解消はおぼつかないの
ではないか。
 それから、高校進学率だけでなく、最近では大学への進学率を大きくとりあげ、
従業員大規模の企業への就職を問題にするようになっている。地域別同和教育研修
会等でも、指導主事が、そのことを得々と説明しているが、これらは準義務教育化
している高校への進学と同列におくことはできないし、本人の生き方、進路選択の
自由を無視する暴論である。質問されると国立と私立への進学率を引き合いに出す
状況もある。そのことの問題を指摘され、返答に窮し、別の会場で返答する始末で
ある。また、大規模企業への就職といっても、県下に一〇〇〇人以上の従業員をも
つ企業は数えるほどもない。圧倒的多数は中小企業であり、小規模である。したが
って県内での若者の就職は地元産業、中小の企業とならざるを得ない。それをいけ
ないとでもいうのであろうか。「較差」に固執すればするほど、自己矛盾に陥らざ
るを得ない。問題を「同和問題」ととらえ、「特別なとりくみ」をすることは、つ
ぎの点で問題がある。
■「地区の子ども」を特定する問題
 この問題は基本的な問題である。居住の自由による混住の進行、結婚の自由の広
がりは「地区民」「地区の子ども」を特定することを不可能にしている。事実をあ
げる。
 一九九一年二月、田辺市は「地区実態調査」をおこなっているが、「結婚の状
況」では、「夫婦とも同和地区生まれ」三〇・六%、「夫・婦どちらか地区外生ま
れ」五四・六%、「どちらも地区外」一三・六%となっている。これを「時期と状
況」でみれば、「昭和四四年〜五六年」「どちらか地区外」が六七・八%、「昭和
五七年以降」「どちらか地区外」が七四・一%である。また、御坊市のT地区は一
九九五年現在一二六世帯、内従来からの地区住民は六二世帯で、他は来住世帯である。
 これらの事実は部落問題の解決を如実にしめすものであり、「地区」と「地区
民」「地区の子ども」を「特定すること」ができないことを示している。このよう
な状態で、子どもたちを「旧身分」に「固定する」ことは基本的人権の侵害にあた
る。誰にも個人を「旧身分」に「特定」し、「固定する」資格はない。すべて人格
において平等であり、自由である。
 現在、文部省は「平成九年度三月中学校卒業者の進学状況調査」をおこなってお
り、「調査票」には「対象地域に居住する同和関係の子弟」の数を記入することを
求めている。このことに対して、岡山県・福岡県を中心に中止要求のたたかいが展
開されているが、「旧身分」を特定する人権侵害、情報保護の観点でのプライバシ
ーの侵害、「別枠教育」前提の「格差」さがしとして厳しく批判している。その通
りであって、和歌山県も例外ではない。多くは学校長と同和教育推進教員によって
「特定」され、保護者にも知らされず、極秘のうちに作成されている。一〇月二七
日の対県交渉の席で、若い母親がその事実に驚き、怒りの発言をされたが当然のこ
とである。本人も保護者も知らないうちに「特定」され、「調査」されるのである
から、プライバシーの侵害の何物でもない。その責任をだれがとるのか。だれも責
任をとることができないであろう。こうした責任のとれない「実態調査」はもちろ
んのこと、たとえそれがどのような意図であったとしてもしてはならないことであ
る。

■「特別対策」は、子どもと親の中に対立をもちこみ、誤った認識を育てる問題
 かつて部落問題が厳しく存在していた時は、地区内外の「格差」を解消するする
ための「特別対策」は当然のこととして誰もが認め、それを支持し、協力をおしま
なかった。その結果、県下各地の同和地区は大きく変貌し、「同対審答申」が指摘
した実態は、どこにもみることができなくなり、「格差」も基本的には解決した。
これらは、取り組みの成果として高く評価されなければならない。すでに県下各地
の「同和教育子ども会」は、今日ではその任務が終了し、これを続行することは子
どもたちの中に不審をもちこみ、友情を阻害するものとしてすでに半数近くが返上
している。この事実をどうみるのか。保護者が何を求めているかを正しく認識しな
ければならない。しかるに、県教委はこの事実を正しくとらえることができず「特
別対策」を固持しているのである。
 さる七月三日、和歌山県教職員組合は「同推配置校長・同推教員研修会」をめぐ
って県教委交渉をおこない、「格差」さがしと地区児童生徒への「特別なかかわ
り」について問題点を厳しく追求した。そのとき、参加者からの地区内外にかかわ
らず子どもたちの「荒れ」や「学力問題」などに取り組むことが大事だとの発言に
対して、同和担当指導主事は「同和対策とは、部落の人に特別配慮するものだ」
「不登校でも、地区の子どもの場合は特別の配慮が必要だ」「同和教育推進教員が
家庭訪問したり、保健室登校の場合は、保健室で勉強を見るというようなこともあ
る」と述べている。参加者は唖然とし、「不登校は今日的な課題であり、地区・地
区外もないではないか。一方にだけ特別な配慮するというのは、他の子どもに不公
平感を抱かせ、同和問題の解決に逆行するのではないか」「どの子どもにも同じ配
慮が当然ではないか」といって批判が集中したと言われる。指導主事の発言には空
いた口が塞がらない。
 学力保障のために、県外では複数担任、抽出指導、訪問指導、地区での学習指導
教室などがおこなわれており、県内でもいくつかの地区で学力指導、進学ホールが
行われ、同和教育推進教員だけでなく、一般教員もでかけている状況がある。しか
し、そのようなことで問題が解決されないばかりか、地区の子どもたちに「自分た
ちだけ何故」という疑問を抱かせ、地区外の子どもたちには「あの子らだけ、どう
して」という不審をもたせることになっている。これを説明するとすれば「同和地
区」「地区の子ども」を教える以外にない。こうした特別な取り組みに対して、地
区の父母からは「いつまで続けられるのか」「いい加減にして欲しい」「特別なこ
とはやめて欲しい」「学力保障は、学校で」と言われているのは当然のことである。

 また、「受験競争」が激しい中で、「同和地区の子どもの進路保障」として「特
別内申」「別枠入学」等を行えばどういうことになるであろうか。地区内外の子ど
もたちに不審と不信を抱かせ、あげくの果てに、対立を持ち込み「特別な意識」を
生まれさせ、誤った認識を育てることになるであろう。保護者からも厳しい批判の
眼がむけられ、教師・学校に対する抜き難い不信感をもたせることになるであろう。
今日における「特別対策」は自立と融合にとっては百害あって一利なしである。


■地区住民の願いを踏みにじり、「終結」の運動を阻害させる問題

 「部落問題を、二一世紀に持ち越さない」。このスローガンは、地区住民はもち
ろんのこと、すべての県民の共通の願いとして共感を呼び、運動・行政・教育の各
分野で最大限の努力がはらわれてきた。その結果、今日では「同和対策の終結宣
言」をする自治体は各地に生まれており、部落問題解決の最終段階を迎えている。
このような段階にあって、「較差」があり、「差別意識」が根深いとして、「特別
な施策」を温存することは、部落問題の解決にならないばかりか、自立と融合の発
展を阻害するものであるといわなければならない。問題は、それが一部運動団体と
公的組織・行政によってよって行われているところにある。

 また、子どもたちの学力を保障し、進路を保障することはすべての保護者の基本
的な要求であり、すべての教職員の願いである。子どもの教育を受ける権利の保障
は、子どもたちが学校へ来ればよいというだけのものではない。教育をうける権利
の保障とは子どもたちの人間としての発達を保障することであり、学んで賢くなる
権利を保障することである。そして、義務教育とはこうした子どもたちの権利を保
障する義務が保護者・教育関係機関・教育行政にあるということである。このよう
な基本的権利を保障する取り組みを放置し、問題を「同和問題」に矮小化し、「特
別対策」でことをすまそうとすることは、許されないことである。また、そのこと
によって子ども・教職員と保護者の正当な要求行動を押さえることは国民の教育権
への侵害であり、正当な運動を分断させる何ものでもない。


三、「終結」と「発展」、「返上」と「要求」を統一したとりくみを展開しよう

 「いじめ」、不登校、高校中退、授業不成立など、今日ほど学校が病んでいると
きはない。その解決は緊急の課題である。現在「教育改革」がさけばれ、「教課審
答申」も出されているが、問題の根源を曖昧にした「改革」は、真の解決にならな
いばかりか、ますます矛盾を拡大するであろう。
 本来子どもたちは、賢くなりたい、仲間とともに成長したい、楽しい学校を作り
たいと願っている。この願いを踏みにじっているのが学習指導要領であり、高校入
試制度である。したがって、これらを改めさせる運動を展開しなければ、問題の真
の解決とはならないことは言うまでもない。しかし、同和教育の終結と人権と民主
主義の教育を発展させるための緊急の課題は、同和加配教員制度の廃止と返上、三
〇人学級実現、教育困難校加配の要求運動を展開することであると考える。

 本来同和加配教員は部落問題が提起する教育課題を解決するために「特別配置」
された教員である。和歌山県では、この制度は一九七一年度から実施され、同和教
育推進教員、学級編成基準改善による教員、学力向上加配教員として同和地区を含
む学校に一定の基準で配置された。一九九七年度現在それぞれ一五四名・九八名・
二六名、計二七八名となっている。もともとこの加配教員は課題が広く存在する中
で要求運動が高まり、「法」の成立によって獲得されたものであった。その時点で
特別配置は当然であり、他の施策の推進とその活動によって課題は徐々に解決し、
八〇年代になると同和教育推進という特別の任務が少なくなってきた。このような
状態からそれぞれの学校での任務に違いが生まれ、見直しの論議が始まった。同時
に、いじめ・登校拒否等の新しい教育困難を前にして、それへの対応の任務をもつ
ようになってきた。そのこと自体は学校の教育課題解決へのとりくみとして評価さ
れなければならないが、同和教育の課題でないし、推進教員の独自の任務でもない
ことは言うまでもない。
 過日の県教委による同和加配校校長に対するヒアリングで、多くの校長は「学力、
生活指導上に問題がある」として加配教員の現状維持を求めたと言われる。どの学
校にも生活指導上の問題や学力問題があり、その解決のために苦労し、教職員を増
やしてほしいという声は一段と高まっている。こうした問題は、本来的には教育行
政の責任において解決しなければならないものであるが、政策的に解決されない中
で、苦肉の策として同和加配教員を「流用」し、これにあてている現状がある。こ
のことは理解できる。しかし、「流用」を正当化することはできない。また、「配
置されているものはもらっておく」という安易な姿勢で、教師の負担軽減に解消し
てしまっている所もなしとしない。
 こうした事実を、同和地区の人たちはどのようにうけとめられるであろうか。一
日も早く「同和問題」の解決を願い、そのために努力してきた人々が、この事実を
知れば何と言われるであろうか。終結の運動を阻害する行為と受け止められ、願い
をふみにじる行為、「エセ同和」行為と言われても弁解の余地はないであろう。
 和歌山県における勤務評定反対闘争や人間尊重(同和教育)廃棄運動は、教師と
地区の人たちが堅く手を結び、たたかいを共にしたものであった。また、自主的・
民主的同和教育運動の歴史は部落の人たちとの信頼と連帯の歴史であった。これら
のことを思うとき、今行われている「流用」という行為は、信頼関係を損ない、歴
史を冒涜し、運動を阻害するものと言わなければならない。
 現在すでに吉備町・かつらぎ町等では、課題が解決したとして加配教員を返上さ
れており、先進的な取り組みとして評価されなければならない。しかし、県教委は、
これを評価せず、課題があるという報告をもとに「再配置」し、地区の人たちの願
いに棹さしている。したがって、各校の思惑による「事実があるという報告」と
「流用」は地域の人々の願いを踏みにじるものであり、先進的なとりくみの足をひ
っぱると同時に結果として県教委の考えに加担し、同和固執勢力の誤った運動に手
をかすものであるといわなければならない。

 今日の学力と進路保障の問題はすべての子ども・保護者の基本的な要求であり、
すべての教職員の願いである。それ故、その解決のための学習指導要領見直し、学
級定員改善・教員増員要求、入試制度改善のたたかいは正義のたたかいとして広く
県民の支持を得られるものである。事実、学習指導要領に反対する請願署名が全県
に広がり、三七の自治体がこれを採択したのである。それが早急に実現しないから
「同和加配」を「流用」していると言ってもだれしも納得できるものではない。配
置されていない学校の教職員・父母の中に不信感をもたせ、正当な運動を阻害して
いることで許されることではない。

 現在、三〇人学級要求・定数改善運動を推進するのにあたらしい状況が生まれて
いる。中教審の「今後の地方教育行政の在り方について」の答申が、それである。
そこでは「地方分権と学校運営の自主性・自律性の確立を促す観点から、教職員配
置の改善や学級編成の在り方など教育条件の整備充実に十分配慮すること」をみと
め、「義務標準法」で定める学級編制の標準を下回る人数の学級編成基準を定める
ことができることとするなど、弾力的な運用がきるよう、必要な法的整備を図るこ
と」、「都道府県が弾力的な教職員配置基準等を定めるなどにより、実際の教職員
配置がより弾力的に運用できるようにすること」としている。
 また、イーデス・ハンソンさん(タレント、アムネスティ日本委員会代表)・井
上光雄氏(元和歌山県教育長)等が「三〇人学級実現と教職員の増員を」のアピー
ルを発表され、賛同のとりくみが展開され、多くの県民に共感を呼んでいる。こう
した状況をふまえ、正当な「要求」の運動をするならば必ず勝利するであろう。
 したがって、「最終段階」にふさわしいとりくみとして、特別加配教員返上の取
り組みと今日の教育問題を克服していくための学級定員改善要求、教員増員要求を
統一して運動展開することはきわめて重要である。この「返上」と「要求」の統一
した取り組みは同和地区の人々はもちろんのこと、多くの県民の支持と共感を得る
ものであり、県教委の誤った認識を改めさせ、要求を実現する唯一の道である。共
に立ちあがろうではないか。

(どの子ものびる研究会代表幹事)





同和教育の終結(発展的解消)に向けて
……私たちはこう考えます……
一九九八年十一月一日
  和歌山県部落解放運動連合会高野口支部



一 はじめに
 一九九七年三月末をもって、地対財特法が一部の暫定的措置を残しつつも基本的
に終了し、二八年間にわたって続けられた同和の特別施策はその歴史的任務を終え
ました。
 今、同和問題解決の条件は、『いかにスムーズに同和施策を終結することができ
るか』にかかっていると言っても過言ではありません。
 このような、「同和問題解決の到達点」の正確な認識の上に、和歌山県では「同
和対策事業の完結・終結」を宣言する自治体が数多く生まれています。また、子ど
もの世界から同和の垣根を取り除こうと、多くの同和教育子とも会が自主的に同和
の補助金等を返上し、新しい地域子ども会として再出発しています。とりわけ、伊
都地方では、同和教育子ども会を解消するにとどまらず、他の子ども会との一元化
を実現させ、文字どおり同和のない時代に足を踏み入れています。
 ところが一方で、先進地といわれる伊都地方においても、特に教育の分野で(教
育行政を含む)「同和問題解決の到達点」にふさわしくない制度が残されているこ
とに注目しなければなりません。私たちはこれまで同和問題解決のために共に闘い、
協力していただいた多くの良心的な教育関係者に対して、あえて問題提起をするこ
とで、これからの教育のあり方についての論議を深めたいと考えます。

二 「同和地区児童・生徒の状況調査(統計把握)」について

 この調査は、文部省が各府県や指定都市の教育委員会に依頼(照会)して行うも
のと、各府県教育委員会が独自に市町村教育委員会を通じて小・中・高等学校に対
して行うものとがあるが、調査の目的は、対象地区児童・生徒の進学率把握・奨学
金把握・同和加配教員把握などとされており、本人や保護者の同意なしに行われて
いるものです。和歌山県でも全県下的に現在も実施されており、特に三五人学級や
同推教員の確保の前提として行われているのが現状です。
 このような調査は、過去において、実態的差別の解消を図る上で、その実態把握
・教育上の課題を検討するために一定の合理的な行政目的を持ち得たものであるが、
その後の民主(同和)教育の進展や部落差別解消の歴史的到達点などを考慮するな
らば、現在において調査を継続すベき合理的な理由・必要性を見い出すことはでき
ません。
 現在、子どもたちは、「部落」や「同和」という意識を持たずに日常生活を送っ
ており、「地区内外のわだかまり」も見受けられません。
 今日、学校現場が提起する教育課題は「同和問題」に起因するものではなく、地
区内外共通の一般的教育課題です。こうした一般的教育課題を解決するために、こ
とさらに「同和」の視点から調査し分析することは間違った「同和問題」を教育現
場に残すものとなります。
 そればかりか、このような調査は次の理由から現在においては人権侵害となるも
のです。
■ 今日的人権・新しい人権といわれる『自己情報コントロール権』(日本国憲法
第十三条)の保護という観点から、本人や保護者の同意なしに「旧身分」を特定す
ることはプライバシーの侵害になること。
■ ましてや、その対象にしてほしくないと意思表示をしている人やその子どもを
調査対象にすることは、どういう名目をつけても人権侵害になること。
■ 誰が行うにしても、今日の同和地区の実態は、混住率の上昇等により「同和関
係者」として判別できないものであり、調査がもつその本質はその信憑性を高めよ
うとすればするほどプライバシーの侵害になるという性格のものであること。
 従って、「同和地区児童・生徒の状況調査(統計把握)」は即刻廃止すべきもの
であり、学校現場や教育委員会で十分な論議の上、廃止に向けた取り組みを強化さ
れるよう強く要請します。


三 同和教育推進教員の問題について

 和歌山県、とりわけ伊都地方における同和教育運動を振り返った時、同推教員が
果たした役割を私たちは過小評価するものではありません。ややもすれば、部落第
一主義に陥りがちな同和教育を自主的・民主的同和教育として発展させていった、
その核に同推教員がいた、と私たちは評価しています。
 しかし、同和教育とは、「部落問題が提起する教育課題に応える教育的営み」と
するならば、部落問題が提起する教育課題の解消とともに同和教育そのものも解消
に向かうのが事の成り行きであります。
 伊都地方子ども会連絡協議会(伊子連)は、地域の現状から見て、もはや子ども
たちの生活や学力に「同和」の課題はないと判断し、自主的に同和教育子ども会を
解消させました。これは、単に子ども会の自立宣言にとどまらず、同時に、行政や
教育現場さらには地区住民の全体に対して投げかけた『いつまで同和の施策を続け
るのか』という重要な問題提起であった、と私たちは受け止めています。
 その後、伊都地方の多くの教育現場では「同推」という名称は使わずに人権教育
推進教員「人推」という呼称で、「人権」にかかわる教育実践を進めているようで
ありますが、同和加配として配置されていることに変わりはありません。文部省の
教職員定数に関する第六次計画に基づいて、同和加配教員の制度は当面二〇〇〇年
三月まで続くことになっており(その後どうなるかは不明)、教育現場が返上の声
を上げない限り、これまでどおり同和加配教員は存続することになります。そこで
私たちは問いたい。
■ 地域には見られない「部落問題が提起する特別な教育課題」が学校現場には存
在するのか。
■ 特別な課題がないとした場合に、同和加配教員を置くことはエセ同和行為にな
らないのか。
 以上の二点について、教育関係者のひとりひとりが自問自答していただくことを
望みます。
 私たちは、教育現場が大変厳しい状況にあること、ひとりでも多くの教師を欲し
いこと、十分認識しているつもりです。しかし、それは先にも述べたように、同和
地区内外共通の一般的教育課題が深刻なためであって、その解決のためには、同和
の枠をこえた「教育困難校加配」制度の拡充や三〇人学級実現のための幅広い教育
運動を展開する必要があると考えます。歴史的任務を終えた「同和加配教員」を制
度の活用だとして存続させることは、同和施策の終結を望む圧倒的多数の地区住民
の願いに背くばかりでなく、終結できる日を夢見て長年取り組んできた同和教育運
動そのものの価値を損なうことにもつながりかねないと考えます。「同和加配教
員」を教育現場が自主的に返上する決断をする時こそ、新たな教育運動の始まりを
告げる時ではないでしょうか。


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「部落問題学習」の終結と人権教育










  「部落問題学習」の終結と人権教育
                            どの子も伸びる研究会  谷 口 幸 男

1.「部落問題学習」を終結させよう
  今日、部落問題解決の最終段階を迎えているが、学校現場では依然として「部落問題
学習」がすすめらており、近年ではむしろ「強化」されている状況がみられる。

 1994年7月、文部省が「学校における同和教育指導資料」をだしたことによって拍車
がかけられていると言ってよかろう。この「指導資料」は、「学校教育の場において、未
だ毎年200件程度の差別事象が発生したとの報告がなされていることは極めて残念な
ことである」ので、「文部省としては、今後とも基本的人権尊重の精神を高めるため、同
和教育の推進に努力していくこととしているが、特に、学校に置いて差別事象が繰り

返し発生していることを踏まえ、同和教育推進上の留意点を示すとともに、学校にお
いて発生した部落差別事象についての指導事例を取り上げ、学校における同和教育の
一層の改善.充実のための参考に供することとした」というものである。「留意点」では
「児童生徒の発達段階に即し、各教科等の特質に応じた同和教育の充実」として「各教
科、道徳、特別活動等の特質に応じ適切に行うこと」があげられ、、「家庭.地域社会との
協力」では「保護者にたいする啓発」として「同和問題についての正しい理解を促すと
ともに、学校で行っている同和教育の内容の十分な理解を促す」としている。

  この「資料」にはいくつかの問題が含まれている。一つは「差別事象」の7割が「児童生
徒の差別発言」、2割が「差別落書き」といわれているが、学習途上にある子どもたちの
部落問題かかわる発言を「差別発言」ととらえてよいのかどうか、まただれが書いたか
わからない「落書き」を「差別事象」としてよいのかどうかの問題がある。二つには、「差
別発言」「差別落書き」といわれるものが何によってもたらされたものがとわれなけれ
ばならない。事例としてあげられているものはいずれも「差別発言」と言えるものでは
ない。三つには、「同和教育の充実」として学校教育の全領域があげられ、「同和教育の
視点」からの検討をあげていることである。なるほど「各教科の特質に応じた」として
いるが、「各教科のがもつ固有の目標と内容を同和教育の視点から検討して、それぞれ
の中で分担する重点的な内容及び指導上の留意点を明らかにして計画し、位置づける
こと」と言われている。明らかにこれは同和教育を「中核」にしたとりくみの強制であ
る。四つには家庭.地域への啓発が学校教育の課題、教師の任務としていることである。
学校教育が家庭.地域と支援.協力で推進されなければならないが、それは子どもたち
の成長.発達を保障し、学ぶ権利を保障するためのものである。啓発の課題は基本的に
は社会教育の課題であり、地域住民の自覚的なとりくみにまつべきものである。
  今日子どもたちの生活に部落問題は存在しない。また、地区内にあって、子どもたち
に自らの被差別体験を語る親はなくなっているし、地区外でも間違った考えを教えた
り、差別を肯定する人達もなくなって来ている。こうしたとき、「指導資料」あげられて
いるような観点で同和教を推進し、「部落問題学習」をすすめてよいのかどうか。私は、
そのことによって、子どもたちの中に「差別発言」やと「誤った部落問題認識」をあらた
な問題をつくりだすと考える。
 つぎに「部落問題学習」をした子どもたちの作文をとりあげる。

        同和問題について                   中学校2年女子
 今回、「人間に光りあれ」を学習して、部落の人々が、どれだけ苦労して自由を手に入
れようと努力をしてきたかがよく分かりました。
 この部落が確立されたのは、16C初め〜17C中頃で以後何百年という長い間差別を
受けなければならなかったなんて、私は最近まで知りませんでした。職業は人の嫌が
るようなことばかり、住む所は河原やがけっぷちの生活環境の悪い所で、服装や髪型
にまで厳しいきまりがあったのです。私ならとても耐えることができません。この時
代の人々も、本当につらく悲しい思いをしたと思います。しかも、この身分制度は、上
の身分の人が農民など一揆を起こさないようにするために、まだ下がいるんだぞ、と
いうふうに部落の人々に農民のはらいせをぶつけるよう作っていたのです。とても腹
が立ちました。人間というものはみんな平等であっていいはずです。それを、身分のラ
ンクづけをしたり、差別したりすることは本当に悪いことだと思いました。

 しかし、この部落というものが今もなお根強く残っているというのです。部落出身の
人とは結婚してはだめ、会社の就職にしても、いれてもらえない、などとあらゆる面で
差別をうけていることは確かです。「なぜなんだろう。」と、こういう話を聞くといつも
思います。部落、同和地区という名前がついている所に住んでいるだけで、どうして人
々が差別を受けなければならないんだろう。どうして、「基本的人権の尊重」という憲
法があるのに人権が尊重されていないんだろう。どうしていつまでたっても差別がな
くならないんだろう。この最後に書いた差別がなくならない、ということは、みんなの
心のどこかに知らず知らずのうちに、この人は部落出身なんだ、自分とは違うんだ、と
いう差別意識が働いているかもしれません。(略)
 わたしにもいつ部落の人との出会いがあるか分かりません。もしその時に、まわりの
みんなが、その人を差別的な目で見るとしたら、私も、もしかするとその集団に入って
しまうかもしれません。だけどそんなことは絶対にやめようと思います。それは、私達
の方から「何か違う」というような意識をなくしていかなければ、いつまでたっても
こ
の問題は解決できないと思うからです。同和地区の人々には、昔のような、つらくて悲
しい、いやな思いは二度としてほしくありません。だから、一人一人が差別意識をなく
し、一日も早く自由で平等に暮らせるようになってほしいです。(平成6年度作文集)

             部落問題について                   高校2年女子
 わたしは今まで私の回りで部落差別だけでなくその他にあるいろいろの差別につい
て考えたり、両親とはなしをしたりすることがなかった。だから、同和問題の授業で同
和地区に生まれたというだけで、今だに差別されている人たちがいることを勉強して、
驚いた。そして、同じ人間なのに差別されなければならないのが不思議だった。なぜな
ら、私の中では、部落差別や身分差別などということは、昔にあったということが強く
まさか今、現在になっても続いていることだとは、知らなかった。
 部落差別は、昔の封建的な時代にある支配者が人間に順番をつけ、いくつかの身分に
分けた。そして、人民を支配しようとしたのが原因である。この古い時代の考え方が何
百年たっても、私たちの社会の中で解決せず残っており、国民主権や人間みな平等と
いわれている今でも尾をひいている問題である。例えば、同和地区の人たちは、就職の
採用試験の時などに、同和地区の出身であるからというだけの理由で採用されなかっ
たり、解雇させられたりしたそうだ。また、結婚のことについても、同和地区の出身の
人同志の結婚だけ周囲には認められたが、他の地域の人との結婚場認められなかった
そうだ。それにその地区の人と分かれば、婚約を解消されたりした人もいたそうだ。し
かし今は、そういう間違った人たちが減っている。それは、昭和44年から特別の法律を
定めて、取り組みを進めてきたからだ。(略)44年制定ということは、今年で25年目とい
うことになる。その間に地区の環境はみちがえるようになり、人々の考え方もかわっ
てきたはずだ。でも、今だに、差別や偏見がなくならないのはなぜだろう。人間の心の
どこかに自分より立場の弱い人を見て安心するというみなくさがあるからだろうか。
そんな人間の心の弱さが、部落差別だけでなく男女、外国人、障害者差別などを生みだ
し、人権問題として今問題になっている。将来、差別の問題と出会うかも知れない。そ
んな時、積極的に差別をなくしていこうとする行動がとれるようにこれから、さらに
差別について勉強していかなければならないと思う。(平成6年度作文集)
  この作文は、和歌山県同和委員会が平成6年度同和運動推進事業の一環として実施
した「啓発作文」募集に応じ(応募総数は24,951点)「優秀」として選ばれたものであ
る。これらの作文は、きわめた真面目子どもたちの書いたものである。また、それを理
解することができなかった子どもたちや批判的に受け止めていた子どもたちは、「適
当に書いておいた」ということになる。そして、その中から「差別発言」、「差別事象」と
される事態もうまれることになる。
  「優秀作文」は、きわめて真面目な子どもたちによって書かれたものである。それだ
けに、学校ですすめられている「同和対策としての部落問題学習」の問題をきわだたせ
ている。
 問題の第一は、子どもたちの部落問題の出会いが学校の「部落問題学習」にあり、それ
が子どもたちの認識を決定づけることになっていることである。
 私たちが部落問題を教え始めたとき、子どもたちの「生活の事実」として部落問題が
存在していた。それが、今日では子どもたちの普通の生活では地区の内外を問わず部
落問題と出会うことはない。「厳しい差別の現実」をはなしても、「劣悪な状態」は「過去
の事実」であり、聞き取りをしても父母から「被差別の体験」を聞くことができなくな
り、祖父母の話も「祖父母の時代のこと」としてしかうけとめられなくなっている。し
たがって、私たちが最も大事にしてきた科学的認識を育てる三原則(「本当のことを、
生活と結びつけて、分かりやすく教える」)がなりたたなくなっているのである。どの
作文をみても「授業ではじめて知った」とあり、「差別の現実」として共通して就職と結
婚の差別をあげている。しかもそれが「厳しい差別の現実」として教えられ、強烈なイ
ンパクトを与えられことになり、作文にみられるような「認識」と「意識」がつくられる。
 第二は、このようにして教えられた子どもたちは、「なぜ」「どうして」という疑問をも
つ。なかには「これだれ取り組んでもなくならないのはおかしい」と書き、「人々の意識
はかわらない」という子どももいる。当然であろう。解決への事実を教えられなければ、
この作文に見られるように「人間の心」「心の弱さ」の問題となっていく。そこから、こ
の「弱さ」を克服し、「差別意識」をなくし、差別の問題に対処できるように「勉強
し」なければならないとなる。しかし、部落問題は社会問題であり、その社会のありよ
うを問わなければならないものである。したがって、部落問題を残している社会とは
どのような社会なのかを問う学習が重視されなければならない。だが、どの作文も
「心」を問うものになっている。心の中はだれにも分からないし、「勉強」しても「差別意
識」が払拭されているかどうかも客観的にとらえることができない。差別とは客観的
的な事実をいうのであって、それ以外のものではない。部落問題の客観的事実を科学
的に学習して正しい認識が育てられ、人権意識が高められていくことになるのである。
 第三は、「江戸時代に、支配者である武士によってつくられた差別」が「四百年近くた
った今も」続いているという事実認識、歴史認識の問題である。ここでは、封建社会の
身分と制度、近代社会の社会構造と部落問題、現在社会に残されている人権問題とい
うとらえができず、問題を超歴史的にうけとめている。教科書の記述は、次のように
なっている。

 「<部落差別とは何か>部落差別は400年ほど前に江戸幕府が封建体制を維持するた
め、士.農工商という身分階級を定め、さらにその下にえた.ひにんという差別した身
分をもうけたことにはじまりがあるとされます。明治維新以後、「解放令」が出され、た
てまえとしては国民は平等であるとされましたが、実生活での差別はなくなりません
でした。こうしたなかで、差別にたち向かい、自分たちの手で自由と権利を勝ちとろう
とする運動がおこり、1922年(大正11年)には全国水平社が結成されました。その後も
差別をなくそうとする運動はねばり強く行われました。そして、部落差別をなくする
ことは国の責務であり、国民的課題であるとした、同和対策審議会の答申(1965年)は、
部落差別だけでなく、その他の差別をなくす運動をすすめる大きなきっかけとなりま
した。しかし、部落差別は表面化しにくく、いまだ被差別部落に生まれたというだけで、
人権を侵害されている人たちがいることを私たちは忘れてはなりません。」(帝国書院
「公民的分野」、このような記述は東書.大書にもみられる)。
 多言を要しないであろう。結論として「部落差別」は「400年ほど前」に「はじまり」、現
在も続いている「人権侵害」の問題であるということになっている。封建社会における
賤民制度は、明治維新の変革、戦後改革、現在社会と社会の変化に照応して性格をかえ
ている。部落問題(部落差別)は近代日本の社会構造によって成立した社会問題であり、
現代のそれは「残されている問題」である。部落差別をなくする運動も戦前と.戦後で
は質的に変化している。これでは社会が変化し、発展しても、どのような運動を続けて
も部落差別だけはなくならないと言っているのと同じである。これでは正しい歴史認
識は育たず、解放への展望も生まれて来ない。これは「部落問題学習」が「特別な学習」
になっているからであり、歴史学習として学習されたとしても、科学的な歴史認識(生
産力の発展による社会が変化し、発展していくという歴史認識)を育てる学習と切り
離された「特別な学習」「つけたしの学習」になっているからである。

  第四は、部落問題の現状についての認識の問題である。選ばれている作品のすべて
が就職と結婚の差別をあげ、依然とし「厳しい」状況にあるとしている。また、「差別意
識」や「偏見」も根強いという。果たしてそうなのか。総務庁がおこなった実態調査(19
93年)によっても若年層を中心に安定的職業に就業しているし、結婚の形態で「夫婦と
も同和地区」というのは57.5%であり、25歳未満では70.5%が地区外との結婚になって
いる。また、「被差別体験なし」が67%である。「隣近所の人が同和地区の人だとわかった
場合」でも「かならず親しくつきあう」が87.8%で、差別は確実に解消に向かっている。
昨年5月17日の地対協「意見具申」では、「特別対策については、おおむね目的を達成で
きる状況になったことから、現行法期限である平成9年3月末をもって終了することと
し、残された課題については、その解決のため、工夫を一般対策に加えつつ対応すると
いう基本姿勢にたつべきである」と述べている。こうした事実をぬきにして「残されて
いる」ことのみを強調すればあやまった認識になるのは当然である。 
 ところが、どの教科書も、「同対審答申」が出され、「特別措置法」が制定され、「事業」が
おこなわれてきたが、「差別は根強く残っている」というものである。「まだ差別は残っ
ています」(大書)、「就職や結婚における差別は根強く残っている」(東書)、「部落出身
であることがわかると、婚約や採用を取り消すことなど今でもある」(教出)、「被差別
部落出身であることを理由に、結婚の自由や職業を選ぶ自由などがしばしばおかされ
ている」(帝国)。これらには「法」のもとでとりくまれてきた成果、変化の事実を記述し
ていない。現実を客観的にとらえ、解消の事実と残されている事実を正しく記述すべ
きである。
 第五は、基本的人権や民族問題などを差別問題に矮小化し、それぞれの問題の独自性
を見失い、解決への道筋を誤らせている問題である。
  「今日の日本には、とくに、部落差別や民族差別、障害者差別や女性差別などの問題
をどう解決するかが、社会全体の大きな課題である。」(日書)という記述は、どの教科
書にもみられる。これらは、それぞれ独自の問題であり、「どう解決するか」はそれぞれ
ことなる。これを差別だけでとらえているところに問題がある。また、日本書籍は「差
別のみなもと」に「無知や偏見による差別、それにもとづく不当な慣習や制度などによ
る差別は、今なお世界各地にある。貧しい人々、弱い立場の人々、障害や難病になやむ
人々など、差別に苦しんでいる人々は多い。現代では、政治の民主化や無知や偏見の克
服なと、差別をなくすための国際的な取り組みが進み、これに協力することが各国の
責務とされている。」(同「公民的分野」P32)
 ここには国内的あるいは国際的な問題があげられているがすべてを「差別」でくくり、
問題を羅列しただけであって、「なにがみなもと」かわからない。

 公民的分野での「基本的人権」の学習は、基本的人権を身につけさせるためにあるこ
とを忘れてはならない。いうまでもなく基本的人権は最初に自由権的基本権が追求さ
れ、資本主義の発展とともに労働者の運動を中心にして生存権をはじめとする社会権
的基本権が確立されてきた。そして、今日では社会の発展と地域住民の権利意識の高
まりによって新しい人権が確立されつつある。また、自由権的基本権は、個人の人格の
自立を前提として、国家権力からの権利侵害を守ることに主眼がおかれ、発展してき
たものであり、「平等権」は「自由権」の平等をもとめる運動によって確立してきたもの
である。これらの権利獲得の歴史をふまえ、基本的人権を身につける学習をさせたい
ものである。社会問題のあれこれをとりあげ、解決の課題を学習課題とすることには
問題がある。
  最後に残されている問題の解決を子どもたちの課題とし、「ぼくたちの役目」とした
り、「私たちの歪んだ心をなおしていかなければならない」としている問題である。現
在「21世紀に差別をもちこさない」とし、成人の課題としてとりくみを進めている。
残されている「差別意識」が問題であるとしても、それは子どもたちの「意識」ではない。
現在子どもたち中にあらわれている「特別な意識」は「部落問題学習」によってつくら
れたものであると言ってよい。それらを問題にするのであれば「部落問題学習」をやめ
れば解決する。
 以上が、子どもたちの作文にあらわれた問題を教科書の記述との関係分析した問題
点である。結論的に言えば、「同和対策としての部落問題学習」を行うとすれば内容.方
法ともに「人権作文」にあらわれているようなものにならざるを得ないということで
あり、それは歴史認識.社会認識を歪め、部落問題そのものに対するあやまった認識を
抱かせるものになるということである。問題の解決は、こうした「部落問題学習」を終
結させ、科学的な歴史認識.社会認識を育てる社会科の学習を創造する以外にない。
 
2.「人権教育」をめぐる動き

 本年度にはいって「人権教育」の声が急速に高められている。私たちが人権教育(人
権の教育)の主張をかかげたのは、「地域改善対策特別措置法」の期限ぎれを目前にし
たときであった。それは部落問題の解決の現状と子どもたちの状況をふまえて、「21世
紀の担い手を育てる」ために何をしなければならないかを展望してのものであった。
その中心は民主的な人格を形成することとし、人権と民主主義の教育を提起した。
  ところが、1990年前後から解放教育は行きづまりを打破するために「人権教育」を言
いはじめ、1991年3月、日教組が「人権教育指針」を打ち出した。これは、従来の解放教育
を「人権教育」と言い換えたにすぎず、あいかわらず差別を「差別.被差別の人間関係」
と捉え、「社会的立場の自覚」と「反省と連帯」を強制するものであった。しかし、部落問
題の現状と子どもたちの生活とかけはなれたものであり、親の教育要求にたったもの
でなかったから、矛盾が拡大していた。このことについて、森実氏は、つぎのように言
っている
  「従来の同和教育や解放教育の中心概念である「解放の自覚」や「社会的立場の自
覚」ということばは、1970年ごろまでの実践を土台として作られてきました。「なぜこ
んな家に(地域)に生まれたんだろう」と自分の生まれを否定的に捉えていた子どもが、
反差別という視点に立って自分の生いたちを捉え直して運動に立ち上がる。このよう
な、悔しさをばねにした変革を端的に表したのが解放の自覚や社会的立場の自覚とい
ったことばです。では、今の部落の子どもたちはどうなるのでしょうか。以前のような
悔しさや被差別の実感を強くもった子どもたちが多数を占めているでしょうか、「最
近の部落の子どもには根性がない」とか、「学力だけでなく、体力も弱い」などと先輩の
活動家から指摘されることがありますが、これなどは、「解放の自覚」ということばが
表現していた生活実態を前提にして、それと同じ視点で今の子どもを指摘しようとし、
ひいては評価しようとする言い方なのではないでしょうか」(森実「「教室の人権教
育」何が実践課題か」(明治図書)。
 ここでは部落の子どもたちの中に「悔しさや被差別の実感」がなくなっているので
あるから、「差別の現実」にたって「解放の自覚」を育てる実践はなりたたないと言って
いる。ところが「解放教育」の基本的主張である「自己の社会的立場を自覚させ、差別と
闘うこと」「社会的立場の自覚を高めることは、すべてに優先する」ということを堅持
しての「人権教育」であるから、方法論の見直しに終始せざるを得なかった。当然、子ど
もはもちろんのこと親・地域からも厳しく批判され、実践的に行き詰まることになる。
こうした時に出されたのが「人権教育に関する国連10年」であった。かれらにとっ
て渡りに船であり、これにすべてを託することになったと言ってよかろう。
 「国連の呼びかけは同和教育がさらに豊かに発展しまた広範に広がっていく可能性
をもたらしていると同時に、日本の優れた人権教育である同和教育を世界に発信する
絶好の機会を与えるくれるものである。」(平沢安政.森実監修「わたし出会い発見」大
阪府同教)
  「国連が提示した「人権教育」の定義を見ると、わたしたちが今日まで積み重ね、ある
いはめざしてきた同和教育の理念や実践のスタイルと多くの部分で重なることに気
づきます。もっとも組織的・体系的に数々の成果を上げてきた同和教育が、国内の人権
教育の柱として、その位置をしめていることが確認できます。一方、「十年」の理念や、
世界各地ですすめられている人権教育は、従来の実践がカバ−できなかった分野や、
十分に克服できなかった課題、さらには弱点ともいえる部分について、かなり明確な
示唆を与えてくれます。」(奈良県・大阪府・大阪市同教編「人権の授業をつくる」解放出
版社)
  森実氏は「いま人権教育が変わる」部落解放研究所.1995.12.)で、「同和教育が世界
の人権教育を取り入れる」理由を二つあげている。@「今日、同和教育は、すべての子ど
もたちに自己実現を支援するものとして、グロ-バルな視点をもって、人権・差別・環境
・平和などの社会の問題を考え、自分自身の生き方として行動して行ける子ども育て
る方向をめざして大きく動きだそうとしている」が、これが「世界の人権教育で強調さ
れていることとまったく合致している」こと、A「世界の人権教育が整理しているよう
に、知識(認識)・態度(姿勢)・技能(スキル)をト-タルにとらえ伸ばすことや、参加体験
型の多様な手法を取り入れることが、同和教育の弱点を補う意味で有益だからであ
る」。(「発見」)
 これが、「解放教育」のいう「人権教育」への考えである。
  これに対して政府.行政レベルから推進される「人権教育」は、「地対協の「意見具
申」(1996.5.)をうけて成立した、「「人権教育のための国連10年」に関する国内行動計
画(中間まとめ)」(96.12.6.)と「人権擁護施策推進法」(96.12.17.)によって本格化
する。「意見具申」の提起は、次のとおりである。
 「教育及び啓発の推進」 についての「@基本的な考え方」 は「同和問題に関する国民
の差別意識は解消に向けて進んでいるものの依然として根深く存在しており、その解
消に向けた教育及び啓発は引き続き積極的に推進していかなければならない。」。「今
後、差別意識の解消を図るに当たっては、すべての人の基本的人権を尊重していくた
めの人権教育、人権啓発として発展的に再構築すべきと考えられる。その中で、同和問
題を人権問題の重要な柱として捉え、この問題に固有の経緯等を十分認識しつつ、国
際的な潮流とその取り組みを踏まえて積極的に推進すべきである。」
  そして、「A実施体制の整備と内容の創意工夫」では「人権教育のための国連10
年」に係る施策の積極的な推進等による差別意識の解消に向けた教育及び啓発の総合
的かつ効果的な推進という観点を踏まえる必要がある。」、「教育及び啓発の内容の面
でも、様々な課題に対する国際的な人権教育・啓発の成果、経験等を踏まえ、公正で広
く国民の共感を得られるような更なる創意工夫を凝らし、家庭、地域社会、学校などの
日常生活の中で実践的に人権意識を培っていくことが必要である。」としている。
  それでは「人権問題」についての「国際的な潮流」、「国際的な人権教育.啓発の成果」
とはどういうものなのか。次に「国連10年」決議の要旨をあげる。
  「人権教育は、次の諸点を志向するような知識技能の伝達と態度の育成を通じて、
人権の普遍的文化を形成することを目的とする教育、訓練、普及、情報の努力であ
る定義できる」。「@人権と基本的自由の尊重の強化、A人格の全面発達と人間の尊
厳、B全ての諸国、先住民、人種、国民、エスニック、宗教、言語グル−プの間の
理解、寛容、男女平等、友好の促進、Cすべての人々が自由な社会に実質的に参加
できること、D平和維持のための国連の諸活動の促進」(八木英二・仮訳「国連人
権教育の10年(抄)」(『部落問題研究』135号)  「決議」は国際的に合意でき
る「人権教育」についての基本的.一般的な考えを確認したものであって、「条約」のよ
うな拘束力.強制力をもつものではなく、「行動」するかどうかは、それぞれの国の判断
にまかされている。それが日本では、ことのほか重視され、「行動計画」まで策定してい
るのである。何故なのか。「意見具申」にあるとおり、「同和問題」への対応、「差別意識」
解消のための「教育.啓発」のとりくみを合理化以外の何物でもない。

  政府が考える「人権教育」は、次のようになる。
 ☆「国は、すべての国民に基本的人権の享有を保障する日本国憲法の理念にのっと
り、人権尊重の理念に関する国民相互の理解を深めるための教育及び啓発に関する
施策並びに人権が侵害された場合における被害者の救済に関する施策を推進する責
務を有する」(「人権擁護施策推進法」第二条国の責務)
 ☆「学校教育においては、日本国憲法及び教育基本法の精神にのっとり、人権教育
が推進されている。初等中等教育においては、児童生徒の人権尊重の意識を高める
教育を一層充実する。また、大学教育においては、それまでの教育の性かを確実な
ものとし、人権意識を更に高揚させるよう配慮する。」(「『国連10年』に関する
国内行動計画(中間まとめ)」「(1)学校教育における人権教育の推進)」
 これに続く(2)社会教育、(3)企業その他の一般社会、(4)特定職業従事者に対する
「人権教育」も、「人権意識を高める教育」となっている。これらは「国連10年」決議
の主旨とは異なっており、「人権教育」が「人権尊重の理念」「人権尊重の意識」を高め
る教育であるといっている。そして、「推進法」の「提案理由」や衆.参議院の「付帯決
議」をふまえるならなば、実際は「同和問題」「差別意識」に対する教育・啓発となる危
険は十分にある。現にすすめられている上からの同和教育・同和啓発が「国民相互」の
「人権意識」「差別意識」の問題として、それぞれの自覚を促す図式で推進されており、
それを「人権教育・人権啓発」と言い換えたにすぎないことになるのではないか。すで
に、文部省は平成9年度予算要求で「教育総合推進地域等」として、208,589千円(新
規)を計上したが、「要求要旨」では「第15期中教審第一次答申」の「今後重視すべき教育
内容として人権を尊重する心を育むこと」と「同和問題の早期解決に向けた今後の方
策」(96.7.閣議決定)をあげ、「従来の地域改善対策としての教育の振興を図る教育推
進地域及び研究指定校を、教育総合推進地域及び人権教育研究指定校に再構成すると
ともに、その成果を人権教育資料として作成.配布する」としている。「同和教育」を
「人権教育」と言い換えたにすぎない。   
  「解放教育」が「人権教育」と言い、政府も「人権教育」と言う。そしていずれも「差別意
識」の厳しいことを根拠にし、「国連10年」の決議をよりどころにして「人権教育」を推
進しようとしている。しかも、従来のとりくみの行きづまりを打破するために「参加型
人権学習」を取り入れているのである。このことについて、両者はそれぞれ次のように
言っている。
  ☆「人のいたみがわかり、一切の差別を許さない人権・反差別の態度を育てるために
は、その前提として、人間の尊厳についての認識や、自尊感情(自分らしさ)の獲得、人
間関係の基礎としてのコミュニケ-ションづくりが大切である」。「人権の基礎にあた
る部分」、「人権の土壌を耕す」ものとして、「楽しく主体的に参加する」「体験的参加型
の手法」がとりいれた。(「発見」)
  ☆「我が国固有の人権問題である同和問題をはじめ、様々な分野における国民の差
別意識は、各方面の教育・啓発活動の努力にもかかわらず依然として存在している状
況が見受けられます。このように差別意識を解消するてめの教育・啓発活動の在り方
については、これまで講義形式による受け身型の啓発活動が中心であったことから、
マンネリ化しているとの指摘がされているところであります。このような状況を打破
するために、近年、関係者において、参加者自らの知識や体験をもって積極的に関
わることのできる、ワ−クショップ(体験的参加型研修)への関心が高まり、各地
で新たな試みが始まっています。このため、総務庁では、ワ−クショップで学び考
える手法を中心に、楽しく、より主体的に人権について考え、行動するためのワ−
クショップ用ガイドブックを作ってい成しました。」(財団法人人権教育啓発センタ
−(旧地域改善啓発センタ−)「ワ−クショップ-「気づき」から「行動」へ-」)

  いよいよ上からの「人権教育」のはじまりである。わたしたちは、あらためて部落
問題の現状を科学的につかみ、子どもたちの現状にたって人権教育を考えなければな
らない。そして、上からすすめられる「人権教育」と「解放教育」がすすめる「人権教育」
を実践的に批判しなければならないと考える。

3.子どもたちの現状と人権教育
 今、子どもたちの学校生活は深刻であり、教師も子どもたちの「崩れ」や「荒
れ」の中で呻吟している。「うるせぇ」「むかつくなぁ」「くそババァ」等が、最近の子ど
もたちの親や教師にたいして頻発する言葉である。「夜はねむれない」「つかれやす
い」「朝、食欲がない」「何となく大声を出したい」「何でもないのにイライラす
る」と言う子どもたち。そうした中で、いじめや登校拒否が年々増加し、「生きる
力」をうしなって自殺が相次いで発生している。1955年度「いじめ」発生件数は60,0
96件となり「過去最高」「最悪」と報ぜられ、文部省の「本格的ないじめ対策」にもかかわ
らず歯止めはかからず、今や「学校は、教職員と子どもが教え、教えられ、学び、
学び合うなかで、お互いがより豊かな人間形成をしていく場」ではなくなりつつあ
ると言ってよい状態になっている。
 子どもたちの願いは、「わかりたい」、「仲間とともに成長したい」「自分の夢
を実現したい」である。その願いと夢の実現を阻み、「努力」から「あきらめ」へ
の生活へ追い込んでいるのが学習指導要領による能力主義の教育と管理主義の教育
であり、現在の高校入試制度である。
 1990年度から「新学習指導要領」が実施されることになり、「新学力観」にもとづく教
育がすすめられることになった。それにともなって「個性の重視」、「選択幅の拡大」、
「多様な進路選択」、「校外活動.ボランテイア活動等の評価」「内申書重視」「推薦入試拡
大」がすすめられることになった。これらは、子どもたちの基本的な願いを受け止めた
ものだろうか。否である。子どもたちはますます「閉塞状態」においこめられ、「最悪の
事態」が拡大しているのである。
 こうした事態に対して、政府によって「教育改革」がすすめられ、「心の教育」
が強調されている。橋本首相の「教育改革」についての基本的考えは、次のとおり
である。
 「国民一人一人が充実感をもって暮らしていくためには、学歴が一生を左右しか
ねない現状を改め、一人一人のが自分の適性にもとづいて能力を伸ばし、努力し、
生涯にわたって活躍できる社会を建設する必要があります。また、国際化・情報化
が進展する中で、国際社会に通用する人材を育成することはますます重要でありま
す。かかる認識に立ち、平等性、均質性を重視した学校教育を個々人の多様な能力
の開発と、創造性、チャレンジ精神を重視した生涯学習の視点に立った教育に転換
する教育改革を進めてまいります。この国の将来を担う次の世代が、みずからの夢
や目標のために努力すると同時に、国や地域の将来に高い志と国際的視野をもって
積極的にかかわっていく世代であってほしいと願っております。こうした人材を育
てるためには、答えが決められている問題を解く知識だけでなく、みずから問題意
識をもって自分なりの答えを出し、その実現に努力できる知識、見識、良識をバラ
ンスよく育てる教育が必要であり、また、子どもたちが多様な夢や目標を目指して
努力するためには、教育の分野においても選択の幅を拡げることが必要です。この
ような認識に立って、学校週五日制に移行するための準備を進めながら、中高一貫教
育など学校制度や教育課程の見直しにより、子どもたちのもつ可能性を十分に引き
出し、生きる力をはぐくむことのできる教育を実現したいと考えます。いじめや非
行の問題については、家庭、学校、地域社会が一体となってとりくむことができる
よう支援を強化いたします。」(第140国会施政演説)
 ここにあげられている「選択幅の拡大」「教育課程の見直し」「中高一貫教育」
は、第15次中教審の第一次答申「21世紀を展望した我が国の教育の在り方につ
いて」をふまえたものであり、それはまた財界の「21世紀戦略」のための人づくり
政策にそうものである。そのことを紹介しよう。
 1985年3月、日本経済調査協議会は「21世紀に向けての教育を考える」を発
表しているが、そこには「人間は創造的人間としての天才、能才、異才と、圧倒的
多数のの凡才、非才の五つのタイプにわけられるが、そのうち天才は学校教育では
育たない、学校教育の役割は天才などの創造的人間を開発することだ。その開発の
システムこそ、競争の原理だ」とのべられている。子どもたちを競争させ、ふるい
わけるのが学校の役割だというのである。また、1995年5月、日本経営者団体
連盟は「新時代の日本的経営」をだし「先行き不透明な」21世紀を生き抜くため
には従来の「日本的雇用慣行」を解体して、「能力主義的なもの」へ移行させ、
「必要なときに必要な人材を確保」できる「雇用システム」を確立するとしいる。
そして労働力を「長期蓄積能力活用型」、「高度専門能力活用型」、「雇用柔軟
型」の3グル−プにわけて確保し、必要に応じ随時に雇用するというものである。
この「雇用システム」と理念に即応する人材を確保するための学校が考えられてい
る。ここから、子どもたちをはやくから能力別に選別し、それぞれの能力に応じる
ためとして「選択幅を拡大」し、エリ−トのための「中高一貫教育」「飛び級制」
が考えられいるのである。 一目瞭然である。「競争原理」にたって少数の「中高一
貫」の学校をつくり、「優れた才能を有する者」を大学へ早期に入学させることは、
学校間格差を拡大するものであり、ますます子どもたちを競争の淵に落としこむ何
ものでもない。子どものたちの「否定的状況」をとらえて、「豊かな人間性の育
成」を叫び、「望ましい社会性や倫理観の育成」としての「心の教育」を言うのでは
なく、「競争原理」にたつ教育を払拭し、過度の受験競争をなくすることこそが問
題解決の基本であろう。このことがあって、はじめていじめや登校拒否・不登校の
問題、高校中途退学などの深刻な問題も解決するこができる。「教育改革」はそれ
に逆行するもであり、より問題を深刻にするだけであるといわなければならない。
 今年は、教育基本法が制定されて50年目にあたる。私たちは、あらためて教育
基本法にしめされる原則を確認しなければならないと思う。
 「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、心理と
正義を愛し、個人の価値をたっとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心
身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならない」(第一条)
 「すべて国民は、ひとしく、その能力に応ずる教育をうける機会を与えられなけ
ればならないものであって、教育上差別されない。」(第三条)
 「教育行政は、不当な支配に服することなく、国民全体に対して直接に責任を負
って行われるべきものである。」(第10条)
 私たちのめざす教育は、日本国憲法と教育基本法の原則にしたがい、すべての子
どもたちを主権者に育てることにある。そのための実践的課題の一つは、子どもた
ちの願いを深くとらえ、子どもたちの人権を守り、人権を保障することであり、中
心課題は、すべての子どもたちの発達する権利、学習する権利を保障する教育にある。
そのためにしなければならないことは、子どもたちの基本的な願いにたった教育を
すすめることである。すべての子どもたちの願は「わかりたい」「賢くなりたい」「みん
なと一緒に楽しい学校生活をおくりたい」であり、これらは学んで発達する権利、人
間として成長する権利の主張である。子どもたちの今日の状況は、この権利が土台か
ら侵害されていることによって引き起こされているものである。したがって、私た
ちがしなければならないことはこの権利侵害を取りのぞき、権利を保障するとりく
みである。とりわけ大事にされなければならないのは、すべての子どもたちの人間
として成長.発達を保障するとりくみであり、学力を保障するとりくみである。

 「どの子も、わかりやすく教えてもらい、法則や原理を理解し、ものごとをすじ
みちだてて考え、生きて働く学力を身につけていく「学習権」をもっている。そし
て仲間とともに「わかった」という学習の喜びを実感する権利をもっている。「で
きないのも個性」という「新学力観」と「多様な進路を保障する」という入試制度
はすべての子どもの学力を保障するものではない。私たちは、こうした学力観や制
度を厳しく批判しながら、すべての子どもの人間的成長と発達、学力を保障する実
践を重視していきたいと考える。
 子どもたちの現状が提起する人権教育の今一つの課題は、自主的な活動を保障し
ながら、人権についての確かな認識を育てなければならないということである。子ど
もたちの生活から異年齢集団の遊びがなくなり、学校では自由な学級活動や自主的
な活動の場が少なくされ、子どもたち同志の人間的交わりや結びつきをより困難にし、
否定的状況に拍車をかけることになっている。その上に「人権教育」として、「人権意
識」を高め、互いに相手の立場にたって「人権を尊重」しようという教育がすすめら
れようとしているのである。これらは子どもたちを人権主体に育てるものでなく、人
権を「意識」の中にとじこめ、自分自身の心を見つめ、態度をあらためることを強
制する以外の何物でもない。すでに「人間の心」や「人間の弱さ」をみつめる教育が
実践されているが、これが「心の教育」としてさらに強制されていくことになるで
あろう。
 私たちは、同授研(「どの子も伸びる研究会」の旧称「同和教育における授業と
教材研究会」)以来もっとも大事にしてきたのは、確かな人権認識を育てるとりくみ
である。それは生活認識を基礎に、豊かな人間認識とたしかな社会認識を形成すると
りくみを通して形成されるものであ。こうした人権認識を育てるとりくみと子どもた
ちの主体的な活動(自主活動)によって人権主体(主権者として成長する力をもった子
どもたち)が育てられていくと考える。
 現在、政府によってすすめられようとしている「教育改革」と「人権教育」は本当の人
権教育なのかどうか。憲法と教育基本法に照らせば、自明のことであろう。 私た
ちは、こうした動きに立ち向かうとともに子どもたちの人権を守り、人権を保障す
るる教育、人権主体を育てる教育を創造していかなければならないと考える。