編集・発行 寺子屋

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           まばゆい光を消してみたら見えだした黒灰色の濃淡
「『豊かな社会』日本の構造」を読む

        コメニウス「大教授学」を読む
         「戦後政治の中の天皇制」(渡辺治)を読む
          続・最近の読書(一)モンテーニュを読む
続・最近の読書 (二) 憲法九条とモンテーニュ
         最近の読書・幻の名著との出会いと漱石文化
         三池から日炭高松・古河目尾(しゃかのお)へ (1998年6月8日新規掲載)
         続・最近の読書(三)久しぶりの資本論
(1998年6月18日新規掲載)

         石母田正「平家物語」を読む (1998年6月20日掲載)
         福沢諭吉との四〇年ぶりの出会い (1998年6月20日掲載)
         連想ゲームの読書 (1998,7,4掲載)
         

まばゆい光を消してみたら見えだした黒灰色の濃淡
「『豊かな社会』日本の構造」を読む

 昼間は太陽の光で星が見えないように、片方がまばゆく輝くと反対側のものが細かいと ころまで見えなくなってしまうことがある。一方のまばゆい極にたいしてそのもう一方の 極は真っ暗にみえる。労働運動の二つの潮流についても、政治の世界でもそういうことが あるんだなと、考えさせられる本があった。「豊かな社会・日本の構造」(渡辺治・労働 旬報社)である。 この本の特徴のひとつは、「過労死」に象徴される日本の状況の出発点を、一九八五年 にもとめる分析視角のユニークさにある。そしてそれは説得的である。 著者は、日本の低賃金・長時間労働を、戦前からの延長線上でなく一九七五年を出発点に してとらえ、その立場から、「日本は豊かになったのに、長時間労働・低賃金だ。」とい っても問題の解決にならず、その豊かさと長時間労働が裏腹になっていると主張する。労 働運動に携わるものとして考えさせられる指摘であった。 日本での社会保障の貧困を社会民主主義の弱さとの関係で見るという分析視角である。 このことは、私たちの常識で言うと奇異に感じられる。なぜなら、資本と対決する労働者 ・国民の先頭にたって社会保障や福祉の充実を実現するのは、労働者階級の前衛党でなく てはならないからである。その事の是非はともかくとして、科学的社会主義をかかげる前 衛党がそう大きな役割を果たしているとは見えないイギリスやスウェーデンで社会保障が 充実しているという事実があるなら、著者の主張に多少のこだわりは持っても、まあ読み 進んでみるとしよう。 当然のこととして、著者の分析は、社会党・民社党など社会民主主義政党に向けられる。 そこでは社会党・民社党などの潮流や、それをささえる労働組合の右翼的潮流・「連合」 を、批判的に分析するのだが、その対極としての日本共産党や統一労組懇・全労連が、ま ばゆい光に照らされて登場することをしないというところに特徴がある。イギリスやスウ ェーデンとの対比をするかぎり、前衛党との対比で社会民主主義を切って捨てるわけには いかない。両国には日本ほど国民に影響をもつ前衛党も前衛党との協力関係を大切にする 労働組合の潮流もないのだから。  まばゆい潮流に対比して他方のどすぐろい潮流を切ることは簡単である。しかし、著者 はそれを避けて、黒灰色の潮流のなかに踏み込み、どすぐろい部分と薄灰色の部分を区別 しながら料理していく。それが、本書の説得力を生んでいる。わたしは社会民主主義や労 働組合運動を、それを批判し未来を代表する潮流である共産党や労働組合運動の階級的潮 流についての叙述をぬきにして、分析できるとは思わなかった。しかし、わたしが見たと ころ、本書の叙述は成功しているとおもわれる。 念のために言うが、本書の著者は階級的政党や労働組合運動の階級的役割を軽視してい るわけではない。その役割は十分わかった上で、社会民主主義の潮流についての内在的批 判をすすめているわけである。

コメニウス「大教授学」を読む    ………教育問題を深く考えるために……… 県学習協副会長 雑賀光夫(和教組副委員長)


                            (一)

 佐賀で開かれた教育共闘の交流集会で三上先生の講演を聴いた。宮沢賢治への思いに貫
かれた講演は、感動的なものであった。三上先生は理想と現実との矛盾にのたうちまわっ
た宮沢賢治と現実と順応する「生きる力」を説く第十五期中教審を対比して語られた。
  ところで、その講演で印象に残ったのが、コメニウス「大教授学」で教育の原点にふれ
ているという指摘であった。僕はこの本を読んだこともないし、持ってもいない。たいて
いの古典は、そろえなくては気が済まない「岩波文化」かぶれの僕なのに。
 そのとき、僕の脳裏に浮かんだのは、和歌山の国語教育での実践家のM先生だった。ど
こかで、M先生が「コメニウスの『大教授学』をどこでもいいから開いて読むのが楽しい」
と語られたことがあったからである。和歌山に帰ってきてから、大きな書店でコメニウス
を探した。「岩波文庫」で見つからない。ああ、わが「岩波文庫」よ、汝なぜ我を見捨て
しや? 教員の採用試験問題集には、書名がでてくるのに、わが敬愛する「岩波文庫」に
はいっていない。そこで、「パソコン通信」で出版物のなかから探す。戦後、二度、出版
されたことがわかる。
 民研の楠本先生にお聞きしたら「書庫にあるんじゃないか」とおっしゃる。そこで、書
庫に入って、やっとコメニウスに対面することができた。

                            (二)

  昔のヨーロッパの本の出版は大変だったのだろう。出版が反体制的でない証のためだろ
うか、「献辞」が長々とかかれる。この本の場合は、旧約聖書にまでさかのぼって、この
著作がキリスト教精神に合致しているという説明である。そこでM先生のことばを思い出
して、後ろの方を適当に開いて読みだした。たまたまぶつかったのが「第二六章 学校の
規律について」という章である。

 コメニウスは言う。
@「学校から規律をとれば、きっと全部動かなくなります。」
A「けれど、ここから出てくるのは、学校中に教師の怒声や拳骨・鞭の音が聞こえてこな
ければならないということではありません」
B「規律を加えるには、教師の感情 怒り 憎しみを加えてはなりません。……(そう
でない方法を示して)こうすれば生徒は、医者からいわれた・苦い水を飲むのと同じ気持
ちで規律を受け取るようになります。」
C「しかしながら、厳格な規律は学習つまり学問のために加えられるものであってはなり
ません。………なぜなら学習というものは、正しい仕組みになっておれば、それだけで学
習者の精神に喜びをもたらすものでありますし、すべての魂が、その甘美さによって学習
に引きつけられ ひきさらわれるものでありますから。」
D「私の意見を一言にして尽くせば、鞭とか鉄拳は、奴隷に似合いの道具であっても自由
人には似つかわしいものではなく、学校では絶対に使うべきではなく、遠くへ投げ棄てて
 売買奴隷とか奴隷根性の・下劣な奴隷にくれてやらなくてはならない。」
E「………その理由は、奴隷の知能が大部分はもともとから鈍いというばかりでなく、大
部分が悪に結びついているからである。この悪に学問という技術と道具が加われば、これ
は、ただ邪悪という武器に変わるばかりであろう。」

  最後Eにコメニウスが「奴隷」をどう見ているかを紹介したのは、………
 奴隷が人間として扱われなかった時代に、コメニウスといえどもその時代の制約の中に
いたこと。
 それにもかかわらず、「自由人の教育」ということについて、今日の我々にとって新鮮
な教育論を展開していること。
………こうしたことを紹介したかったからである。

              (三)

  今後しばらくは、寝床でのおつきあいはモンテーニュにかわってコメニウスになりそう
である。コメニウスが、モンテーニュが教育をうけた「幼児からラテン語教育で」という
方式に反対していることも興味深い。ただ、分厚い本は寝床で読みにくいので困っている。
やはりこういう古典は、どこの本やでもいいから、文庫本で出版して欲しい。
  なお、コメニウスは、1670年没。今から、300年以上前の人である。原著はラテ
ン語で書かれたらしい。

                                              1996年10月
                                                  

書評
「戦後政治の中の天皇制」(渡辺治)を読む


                                         雑賀光夫

         (一)
 私は、天皇制についてこだわりを持ち続けてきた。と言えば、批判的こだわりを
持ち続けてきたというふうに受け取られる。しかし、私のこだわりは、もう少し屈
折している。天皇批判がすとんと気持ちに落ち着かなかったのである。そのことに
私はこだわっていた。
  たとえば、天皇の戦争責任をめぐって、「太平洋戦争の拡大に当たって、天皇は
『本当に勝てるか』と大声で言った。」というようなことが、「裕仁天皇は好戦的
であった」という証明のようにして語られるとき、私は苦々しい気持ち以外のもの
を感じられなかった。
  どこの君主で、戦争に突入するときに「勝てるかどうか」と心配しなかった者が
あろうか。どこの君主で、戦争に勝ったとき「よかったよかった」と上機嫌になら
なかった者があろうか。そのことが君主個人の好戦的性格の証明だなどといわれれ
ば、わたしのあらゆる言動が、「好色的」「好戦的」「好・的」性格の証明にされ
かねない。(私は、君主でなくて幸いである。)

  同時に私は謙虚な人間なので、天皇についての自分の感情についての自己分析も
おこなった。そして、自分にまとわりつく皇国史観の根深さにも気がついた。私が
小学校の頃からよく読んだのは、「ポプラ社」「階成社」の「偉人伝」であった。
小学校三年生のころ買ってもらった豊臣秀吉の伝記を何度読み返したかわからない。
福沢諭吉の伝記も好きだった。そのなかに、聖徳太子もあれば徳川光國もある。源
義経もあれば太平記物語もある。こうした物語が、天皇中心主義、足利尊氏は「わ
るもん」で楠木正成は「ええもん」という史観によっていた。

  徳川光國(水戸黄門)は「大日本史」を編纂する。どんなぐあいにしたのかどう
か、私の頭にあるのは小学生の頃「偉人伝」で読んだ知識しかない。そのなかで、
南北朝問題で光國が南朝が正統だと主張するくだりがある。湊川の古戦場で正成を
想い「ああ忠臣楠氏の墓」をたてるくだりがある。その碑文を、中国からきた先生
に書いてもらったという。
その碑文を、わたしは、四〇年近く暗記している。
 「忠臣天下にあらわれ、日月天にあらわる。天地、日月なければ即ちくらし。天下
忠臣なければ乱族あいつぐ。・・・余聞く。楠木正成というもの忠勇節烈、国士無
双なり。利のために走らず、害のためにのがれず・・・・」
 馬鹿みたいだ。年を取ると物忘れがひどくなるかわりに昔のことははっきりと思
い出すという。「教育勅語」や「軍人勅喩」をそらんじて得意になっているじいさ
んみたいではないか。こんなことを恥を忍んで書くのは、そういう自分の自己分析
もしてみるほど、天皇問題がストンとこないという問題にこだわったということを
言いたかったのだ。
 私は、部落問題から民主運動にはいった人間だ。部落問題と天皇制は対極にある
と思っている。それでいて天皇史観がしみついているということに気がついたとき
複雑な思いををしたものである。
  小泉信三(今の天皇の家庭教師をした学者。慶応大学で、野呂栄太郎や野坂参三
を教えた。)の「マルクス死後五〇年」か「私とマルクシズム」かのどちらかの中
で、野呂の思い出がでてくる。小泉は野呂を学問的にも人格的にも立派であったと
している。その中に「わたしの家に野呂が来たとき、野呂は天皇についてぞんざい
な口のききかたをしなかった」というくだりがある。この部分も不正的かもしれな
い。全く記憶にたよって書いている。正確かどうかが問題ではない。私が強く印象
に残しているということを言いたいのだ。天皇史観に深くおかされているという自
省をしている私がほっとしたので覚えているのだ。
  こうした天皇問題で屈折した思いを持ち、民主的活動家としてのコンプレックス
みたいなものをもっていた私が、胸にストンとくる天皇問題の本を手にした。標題
の渡辺さんの著書である。
         (二)
  渡辺さんは、神社勢力が出す新聞などもふくめて様々な資料を駆使して、敗戦以
後の天皇をめぐる動向を、天皇個人の思惑なども含めて追求していく。そこには、
何でも「天皇の戦争責任」ということに結びつけるような「単細胞」的発想はない。
そこに登場するのは、きわめて有能であり、君主としての意欲に満ち、主観的には
イギリスで学んだ立憲君主の原則にそうことをめざす昭和天皇である。
                           ┌────────────────────┐
                           │  「開戦については、立憲君主としてまわり│
                           │ の決定にしたがっただけだ。」と語る昭和天│
                           │ 皇は、すこしも自分の気持ちを偽っていない│
                           │  しかし、昭和天皇の「立憲君主」の概念に│
                           │ は、とりまきの重臣の決定にしたがうという│
                           │ 内容はあるが、国民によって選出された議会│
                           │ に従うという観念はない。                │
                           └────────────────────┘
  このことが解きあかされたとき、「天皇は戦前から民主的観念を持っていた」
「イギリス的立憲君主が昭和天皇の理想であった。」などとする観察の皮相さを胸
にストンと落ちるところまで納得することができた。わからないとこだわり続けた
ことがストンと納得したことほどうれしいことはない。疑うことを知っているから
感じ取ることができる納得する喜びである。
 渡辺さんの「戦後史における天皇制」は、もう一つの名著「豊かな社会・日本の
構造」の姉妹編だと言える。標題からいうと関係ないのだが、内容から言うとまさ
にそうなのだ。
  「豊かな社会・日本の構造」を読んだとき、わたしは「まばゆい光を消したとき、
灰色の濃淡が見えて来る。」という印象を持った。私たちが、国民生活をめぐる諸
問題を考える時、「政府・財界・自民党 対 自覚的民主勢力(たたかう労働者・民
主勢力・共産党)」という構図で考える。そのことは間違っていない。しかし、そ
の中間にある政党の灰色に反映される国民の意識・世論が政治の動向を決定してい
く重要な要素となる。その世論をリードするのは自覚的民主勢力であっても、政治
決定はストレートにではなく、曲折を経てなされる。同じことは、保守・中間勢力
内部についても言えるわけである。そして、国民の圧倒的多数はその中間層なのだ
から、そして中間層は決して政治に傍観者なのではなく、この中間層が動くとき政
治に影響を与える深部の力の担い手なのだから、その分析を抜きにして国民に納得
される政治分析もできないのである。
                                                       おわり


続・最近の読書 (一) モンテーニュを読む

  一  今年は暑い。眠られぬ夜、ウイスキーグラスを片手に、何をしようかと考え
る。
 幸い、明日は、朝の仕事がない。 昨年の八月に「最近の読書・まぼろしの名著
との出会い」という雑文を書き、「学習新聞」に載せていただいた。感想を寄せて
いただいたのは、革新懇の岩城先生と県地評の平井議長というこちらが赤面するよ
うな読書家だけで、「すこし刺激になったら」と私が考えた若者の反応はなかった。
空振りであった。

 あの雑文で、はずかしくなるところを先に述べておきたい。あの文で、モンテー
ニュとエンゲルスの、アメリカ原住民についての見解の一致を紹介した。そこまで
はよかった。それから「モンテーニュという人は、書斎にとじこもった教養人かも
しれないが……」と書いた。私はモンテーニュという人のものは、「世界の名著」
(中央公論社)でエセーの抜粋を読んだのと、NHK教養テレビで見た覚えがある
だけの知識しかなかった。
 あの雑文を書いたあと、新聞の書評覧で「ミッシェル・城館の人」(堀田善衛)
という紹介を読んだ。どうもミッシェルというのがモンテーニュの本名であるらし
い。(えらそうにモンテーニュなどいいながらそんなこともしらなかった)

 堀田……という名前にも興味をもった。「インドで考えたこと」いう本を書いた
人もよく似た名前だったような気がする。その本はもっていないのだが、その人が
どこかで話したことを、新英語教育研究会の林野滋樹先生から聞いたことがある。
それはこんな話である。「ある国際的なあつまりで、南アフリカの人と一緒になっ
た。その時、かれは『あなたは日本人か』と確かめると、私を廊下の端の誰もい
ないところへつれていった。そこで、かれは涙を流しながら、『私の国のウランで
作られた原爆で多くの日本の人たちが殺された。申し訳ない。』と語った」という
話である。林野先生は、その話を「インドで考えたこと」の著者の講演で聞いたこ
ととして紹介されたと記憶している。二〇年前の話である。思い違いかもしれない。
まあ、そんな事情もあって、その本を読むことにした。                 
  二  とにかくフランス史というのは、ややこしい。マルクスの「ルイ・ボナパル
トのブリュメーリュ十八日」というのを「明野寺小屋」で学習したとき、「ナポレ
オン・ボナパルトとルイ・ボナパルトの関係が初めてわかった」と正直に言ったら、
メンバーの川口一男さん(元県地評事務局長)に「雑賀はん、ほんまに知らなんだ
んか」と聞かれて、また恥ずかしい思いをしたものだ。 だいたいフランス史の方
が悪い。ボナパルトがなぜ二人も出て来るのか。モンテーニュの時代には、三人も
四人も「アンリ」が登場する。カソリック派でスペインに通じるギィーズ公ア
ンリ、プロテスタントのコンデ公アンリ、病弱のシャルル九世の弟でアンリ三世に
なるアジュール公アンリ、アンリ四世となるナヴァール公アンリ(その妻は、アン
リ三世の妹で兄貴ともなにかあったと噂ある恋多き女・マルグリート、そこに「美
しのコリザント」という愛妾がいる)。そして頼りない息子たちと恋多き娘をカバ
ーするシャルル九世の母・カトリーヌ妃。フランスは、複雑だが華麗である。  わ
たしは、この文を、本の表紙裏にはりつけた、自作の「相関図」をもとに書いてい
る。                 
  三  そうだそうだ、「美しのコリザンド」や「恋多き女」の紹介をしたい余り、
本論をわすれていた。いいたかったのは、私が思っていたのとは違って、モンテー
ニュという人は、単なる書斎人ではなくて、ボルドー市の市長をつとめ、カソリッ
クとプロテスタントが殺し合う時代に、その調停役をつとめる、ある意味での政治
家であったり、行動の人であったということである。一知半解を自己批判する次第
である。同時に、殺しあいの渦中にあって、書斎にもどっては、ああいうものを書
き続け、政治行動においても平常心を失わなかったところがすごい。しかも、硬物
でないことは、エセーを読んでみるとわかる。
  モンテーニュの「エセー」が、岩波文庫のワイド版で復刊された。「城館の人」
でまだ読んでいない(一)と併せて、ワイド判六冊を県庁前の宇治書店に注文し、
寝床にもちこんで読んでいる。        (一おわり)
                  一九九四年七月            
                  和歌山県学習協副会長   雑賀光夫

続・最近の読書 (二) 憲法九条とモンテーニュ


  今夜も暑い。真夜中に起き出して(昨日は夕食のビールのおかげで、九時ごろか
ら眠ってしまったのだ)ブランデーをとりだしてなめる。2700円のものだから、
ややまろやかさを欠くが、ぜいたくは言えない。
  先月は、モンテーニュについての無知を自己批判する、だれも読まない雑文を書
いた。引続き、ベッドでの読書は、モンテーニュである。

         (一)
  モンテーニュは、敬虔なクリスチャンである。カソリックに属する。けれども、
フランスが新教と旧教に分かれて殺し合った時代に、カソリックのアンリ三世、プ
ロテスタントのナヴァール公アンリ(後のアンリ四世)やその愛妾である美しのコ
リザントなどと話し合い調停につとめる冷静さをもった知識人政治家である。モラ
リストという特徴づけもある。この場合、モラルというのは堅い意味での「道徳」
というのでなく、むしろヒューマニストと言うべきだろう。残酷な時代に残酷さを
いみきらったところにも、その性格が現れている。
  私は、残酷な時代に残酷さをいみきらい、異常な時代に平常心をもち続けたとい
うこの人物に、興味を持ってここ一年、執着している。学校現場での「日の丸・君
が代」の押しつけは、まさに教育現場から民主主義と平常心を奪い去るという事態
を生んでいる。それはファシズム、軍国主義の温床というか、道をはき清めるとい
うものだと思う。だから私は、そんな時代(一九三〇年代)に、「子どもたちには
希望がある」という山本有三がよびかけて編集された「小国民文庫」の一冊として
吉野源三郎(後の「世界」編集長)が書いた名著「君たちはどういきるか」読めと
若い先生にすすめて回っているのである。
  先日、根来寺で仏画を描いておられる牧悠恵さんという方にお会いした。「憲法
を語る会」をつくろうと山崎弁護士、平井昇三先生などと一緒に訪問したのであっ
た。牧さんはいろんなことをはなされたけれども、世間全体が、たとえばリゾート
博で大騒ぎしている中、和歌山県民にとってなにが大事なのか、じっくりと考える
平常心がもとめられているということを言われたのではないか。モンテーニュは、
牧さんのような人とも語る共通の基盤になるような気がしている。

                  (二)
  牧さんは、僧侶である。「最近、無宗教だという人が多いが、無宗教というのは
一旦宗教を知った上でこそ言えることで、宗教に関心をもったこともない無宗教と
いうのは……」と嘆かれる。
 私はそのことへの意見は保留するが、敬虔なクリスチャンであるモンテーニュの
宗教観はおもしろい。「この宗教に帰依すれば、死んだらすばらしい天国にいって
幸せになれるといわれて、誰々は『それなら、あなたが先に死んだらどうか』と言
った」というような話がでてくる。こういう唯物論的観点と敬虔なクリスチャンの
立場が混在している。こういうものが、ルネッサンス人なのだろうか。牧さんも、
そういう人のように見受けられた。
  岩波文庫「エセー」の(三)は、その一冊が「第二巻第一二章」になっている。
一つの章が数ページというのもあるエーセの中で、異常に長い章になっている。カ
ソリックの信仰のゆらぎを反論する論文を擁護するという主旨でかかれているよう
だが、一番おもしろくない、モンテーニュらしくない章ではなかろうか。(あとか
ら一知半解を自己批判するかもしれないが)
  次の(四)に入る。「第十五章・われわれの欲望は困難に会うと増大すること」
はおもしろい。最初の導入での「欲望」と「困難」は、男女の関係からはいる。モ
ンテーニュは、堅物ではないと前回述べたのは、このあたりである。そこから、日
本国憲法の先駆者としてのモンテーニュの平和論が展開される。堀田善衛さんの
「ミッシェル・城館の人」でも紹介されていたものである。(本文を紹介するので
参照して下されば幸いです)

                   (三)
  モンテーニュの時代の、ややこしいフランス史を知らなくてはと思う。「ナント
の勅令」というものが、アンリ四世による新教と旧教の和解をめざすものであった
のかなとぼんやり思い始めた。
 「パリのためには一つのミサを」というアラゴンの「フランスの起床ラッパ」に
でてくる文句は、このことをさすのかなと思う。そこでは「ヘンリー王のひそみに
ならって」とあるが、それは「アンリ四世」のことではないか。アンリ四世という
のはHenriWとかく。大島さんという人は、アラゴン訳の権威みたいだけれど、わか
りにくい訳で読者を混乱させる癖があると私は思う。ついでに言っておけば、レジ
スタンスの闘士・ガブリエルペリを歌った詩で「弾の下でも彼は歌った。血にそむ
旗は掲げられぬと。」という文句は、「弾の下でも彼は歌った。見よ旗は血にそみ
ぬと。」と訳す方がわかりやすい。ラマルセイエーズの日本語訳として後者が普及
しているのだから。
  それはともかく、手持ちの「フランス史」を開いてみた。アンドレ・ロモアのも
の。新潮文庫。「アンリ四世は、シャルルマーニュや、ジャンヌダルクや、聖王ル
イの傍らに、フランスの英雄の一人としての位置を保っている。」とある。

  一九九四、八、九
                       県学習協副会長   雑賀光夫


         

最近の読書<BR>       幻の名著との出会い



                      一九九三年八月
                   学習協副会長            雑賀光夫
                 (一)
  活字の本を読むことよりも、人生という本、地球という本を読むこと
の方が尊いということは先人の教えであるが、私は、活字の本を読むこ
とに憧れてきたように思う。こうした人間は、えてして観念論に走りや
すい。それでも、実生活では社会と人間(教育と労働運動)から離れた
らオマンマの食い上げだから、観念論にはしらずに、一応唯物論者の陣
営に属していると思っている。教育と労働の世界から、活字の世界を常
に憧れていたわけである。
  それでも、余儀なくされてそうしたわけでもない。活字の世界だけで
生きられた学生時代に、「こんなことで時間をつぶすのであれば、資本
論を読みたい。」と思い「資本主義的生産様式が支配している社会の富
は、膨大な商品の集積として現れ、個々の商品は、その素成をなしてい
る。」という資本論の書き出しを口すさみながらも、部落子ども会で「か
くれんぼ」していたという思い出がある。あの京都の銀閣寺から市電で
南にさがったところの高岸子ども会で隣保館の塀の陰で口ずさんだその
場面まではっきりと思い出すことができる。資本論を読む時間をけずって、
自分を好きでもない子ども会活動にしばりつけていた。
 こうした「天上の世界」と「地上の世界」の間で、僕は生きてきたと
思う。「天上の世界」にあこがれながら「地上の世界」から逃げ出さな
かったことは僕のほこりである。そこから「労働学校では、弁証法的唯
物論の基礎を学ぶとともに、自らの労働と生活を綴る『生活つづり方』
を」という僕の主張も出て来る。

         (二)
  天上の世界に憧れながらも、地上の世界を選んだ僕は、本にこだわっ
た。「モンティーニュが三〇〇〇冊の蔵書にかこまれて」という文をど
こかで読んだ。そこから、三〇〇〇冊の書物に囲まれるということに憧
れる深層心理が形成されたように思う。モンティーニュの時代と言うの
は、活字も大きかったし、一冊の本も貴重品だった。この情報化時代に
本があふれているのとはちがう。しかし、僕の深層心理は、モンティー
ニュへのコンプレックスから、パンフレットであろうと、ガリ刷りであ
ろうと、綴じたものなら捨てないという習慣を作ってしまった。そうす
れば、情報化時代には、綴じたものを本・書籍と呼ぶのなら、三千冊を
突破して五千冊に迫ることは容易である。
  ところでモンティーニュという人は、偉い人だと思うのである。書斎
にとじこもった教養人かもしれないのだけれど、彼が描写するアメリカ
インディアンの姿は、フリードリヒ・エンゲルスが、「家族・私有財産
および国家の起源」に書いたものと寸分違わないだ。参考のために引用
しておこう。

 「それら新大陸の住民たちは、人間の精神の手をほんの少ししか加え
られておらず、彼らの生来の純朴さに非常に近いために野蛮だと思われ
るのだ。……(中略)……わたしはプラトンにこう言ってやりたい。『こ
の国は、どのような種類の取引も、文芸の知識も……ひとを使うことや貧
富をならわしとすることもなく、契約も、相続も、分配もない。……共同
社会としての尊敬以外には親への特別な尊敬はなく、衣服も、農業も、金
属も、ぶどう酒も麦もない。嘘、裏切り、ごまかし、けち、妬み、悪口、
勘弁などを意味する言葉が耳に入ったことがないのだ』と。プラトンは、
彼の想像した国家が、このような完全さからどれほど遠く隔たっていると
感ずるであろうか。」(中央公論社「世界の名著」R・モンティーニュ・P
一七一)
 「その子どもらしい単純さにもかかわらず、なんという驚くべき制度
であろう、この氏族制度は!兵士も憲兵も警官もない……(中略)……
こういう社会がどんな男女を生み出すかは、まだ堕落していないインデ
ィアンに接触したすべての白人が、この未開人の人格的威厳、率直さ、
性格の強さ、勇気に驚嘆していることが、これを証明している。」(「家
族・私有財産および国家の起源」国民文庫P一二四ー一二五)

         (三)
  こうしたタイプの人間は、有名な本は、読まなくても自分の手元に置
きたくなる。どうしてこの本の翻訳が見つからないのかと思いながら捜
していた本を、最近見つけて、飛びついて書った。「人間の頭脳活動の
本質」(ディーツゲン)である。
 ディーツゲンが自分の著書を手紙を添えてマルクスに送り、マルクス
・エンゲルスが、ドイツの皮なめし工が独自に弁証法的唯物論と史的唯
物論を発見したと評価したことなら、多少ともマルクスをかじっている
ものならよく知っている。いますすめられている古典講座でとりあげら
れている「唯物論と経験批判論」でもレーニンがその積極面の評価とと
もに、その弱点が経験批判論者によって拡大されているとしている。(こ
のことについて三浦つとむは、レーニンはディーツゲンから後退してい
ると批判する……研究課題)こうした、科学的社会主義の古典を理解す
る上で必須の本でありながら、そのものがみつからなかった。それを最
近見つけたのは、県庁前の宇治書店である。
  宇治書店の宣伝をしておこう。昨年末、ある忘年会で飲んだ後、別の
会の二次会に合流するの時間が余ったので、宇治書店にはいった。そこ
で「武谷三男の著作集は絶版でしょうかねえ。築摩はつぶれたんでしょ
うか。」と御主人に聞いてみた。すると「築摩はやってますよ。でも最
近、武谷三男なんか出ませんねえ。」という返事が返ってきた。私は、
「武谷三男」という言葉が通じただけでうれしくなった。湯川秀樹・坂
田昌一とともに素粒子論グループといわれ、方法論として弁証法的唯物
論を重視した物理学者である。御主人は、築摩の出版目録を下さった。
あとから、武谷の著作集の私の本棚に欠けている分を宇治書店でとって
もらった。
 武谷の著作集を読んでいるうちに、羽仁五郎を読みたくなった。手元
にあった「理性の抵抗」(築摩)「明治維新史の研究」(岩波文庫)を読
みかじった。「理性の抵抗」というのは、すごいものだ。一九三六年と
いう十五年戦争の真っ最中、「歴史の審判ほど公正で快活なものはない。」
という名文句がでてくる。羽仁は、ワイロ政治の田沼意次や明治の自由
党弾圧で有名な福島県令を例に上げて、その当時は権力をふるっていた
ものも歴史の審判をうけると書いているが、本当は猛威をふるっていた
日本軍国主義への歴史の審判のことであったことはまちがいない。「金
丸逮捕」のニュースを聞きながら、歴史の審判ということばを噛みしめた。
 そのうち「ミケランジェロ」(岩波新書)というのがあり、戦前、若
い学徒が出陣の際に携帯して心の支えにしたというようなことを読み、
この本をさがした。ある友人が、「中学時代に広本満先生に薦められて
読んだ。あれは岩波新書だった。」と語ってくれたので、またも宇治書
店にでかけた。御主人がいなかったので、オバチャンに聞いたら、岩波
のカタログを繰ってくれたが見つからない。その後、その友人が、岩波
新書の本を買ってきてくれたから、いま寝床で読んでいる。宇治書店で
本の相談をするのは、御主人にしたほうが良いと言うのが、私の結論で
ある。
  さて、再度、「人間の頭脳活動の本質」を見つけたときにもどろう。
先日、宇治書店にはいって気が付いたのだが、岩波文庫やちくま文庫・
講談社学術文庫にすごくスペースをとっている。週刊誌などは、店内に
置く場所がないので外に置いている。盗まれてもわからない。ヘーゲル
全集はあるかなと捜したが、それはない。(私は、読んではいないが、「大
論理学」「精神現象学」は、十数年前、この本屋で買った)それにして
も、すごいではないか。こんな本のならべかたで、よく経営がなりたつ
ものだ。なりたつわけがない。客はあまり入っていない。
 岩波書店も立派だ。品切れになっていた本で読者から注文が多い本の
再刊を、昨年から始めたらしい。「人間の頭脳活動の本質」は、その恩
恵にあずかったらしい。それでも岩波は、小売店に本を買取りさせて返
品をゆるさないという殿様商法をする。私は、岩波の本なら、絶対に他
の本屋で買わずに宇治書店で買うことに決めた。その後も、モルガンの
「アメリカ住民のすまい」や高校時代に受験英語のテキストとして親し
んだ「スケッチブック」など買った。

                   (四)
  「岩波文化」という言葉があるのを知っているだろうか。「教養主義」
とも言うし「漱石文化」ともいう。この言葉をつくったのは、戸坂潤(戦
前の「唯物論研究会の指導者。獄死。元気な日の古在由重氏は「唯物論
に人格を与え服を着せたら、戸坂潤になる」と言う意味のことを述べた
ことがある。)だろうと思う。かれの「ブックレビュー」に出てくると
思う。戸坂の著作集は難渋だけれど、評論は才気あふれておもしろい。
私は、それしか読まない。
  「岩波文化」「教養主義」「漱石文化」について、戸坂は批判的に語っ
ているけれど、文化・教養は、民主主義の基礎である。「天上の世界」
にあこがれる私は、宇治書店に通って、岩波の本をこれからも本箱に並
べつづけることだろう。 
   
                 * 確かめてみると、「全集第五巻」なのだが、「ブックレビ
                    ュー」でなく、「世界の一環としての日本」の中に「現代
                    に於ける『漱石文化』という項目があった。



三池から日炭高松・古河目尾(しゃかのお)へ

        筑紫野の緑の道をすすみゆくわれらの戦列
                   「戸木田嘉久著作集」を読む

  学習協の松野君が本を売りにきた。「戸木田嘉久先生の著作集がでるんですよ。買うで
しょう。」限定版とかで一冊五千円と随分高いけれど、買わないと損だといわんばかりの
松野の君のすすめだから買っておいた。
  最近は、家に帰ると本を読む気力がなくなり、ねどこに入って数ページ読んで寝てしま
う。歳のせいか夜中に目をさまして少し読む。ここで読みすぎると朝もめむけが残ってボ
ンヤリする。
  そのねどこの中で、眠気がふっとぶような論文にでくわした。「著作集第二卷」「戦後
『合理化』反対闘争の歴史的教訓」である。戸木田嘉久先生は、九州産業労働科学研究所
の事務局長をしていて三池闘争を現地でたたかいつつ向坂協会派と論争して「合理化」反
対闘争の理論を構築した人である。和歌山の学習協が何年か前に先生をよんで話を聞いた
とき、「三池の炭層は、こんなに厚いんです。ところが、薄い炭層を無理をして掘ってい
る中小炭坑もある。三池は、職場闘争で突出してたたかえば要求がとれるかもしれない。
しかし、そのたたかい方では中小炭坑の組合はついてこれない。産業別統一闘争にならな
い。」と、身振りで炭層の厚さを示しながら話されたのが印象的であった。
  「戦後『合理化』反対闘争の歴史的教訓」は、一九六〇年代前半にかかれている。三池
闘争の到達点と限界、それをのりこえた日炭高松のたたかいというのは、よくいわれるが、
どういうたたかいだったのかを初めて知った。そして、それを引き次ぐ古河目尾のたたか
いと基地板付を包囲したたたかいの結びつきというところで、また眠気がふっとんだ。「地
底の歌」と「この勝利ひびけとどろけ」が、一つになって聞こえてきたような気がした。
  それにしても三池闘争の教訓から引き出された闘争方針「職場を基礎に、地域別・産業
別統一闘争を軸に、統一戦線の立場でたたかう。」という方針の意味をじっくりとかみし
めてみたい。産業別統一闘争というのは、「安定した職場の労働者も、不安定な職場の労
働者もたたかいのエネルギーを総結集できる闘争形態を提起する。」ということを含んで
いるのだということなど。

続・最近の読書(三)久しぶりの資本論
吉井さんと岸裏くんに感謝


                     (一)
  八月二〇日の土曜日、和歌山書店に立ち寄った。渡辺治の「『政治改革』と憲法改正」
という本が欲しかったのだが見あたらず、「『憲法改正』批判」(渡辺治ほか)を買った。
ついでに目についたのが「どうやって『資本論』をよんでいくか」(吉井清文)であった。
岸裏くんが言っていたやつだ。
 岸裏 「吉井さんが、資本論の読み方の本だしたよ。知ってる?」
  雑賀  「そうか、そいじゃ買わんなんな」
  岸裏  「読むことないよ。わからんでもページをめくれ、なんてこと書いてるだけやか
ら。吉井のおっさんらしいけど。」
  岸裏くんの忠告にもかかわらず、僕は一六〇〇円をはたいて、その本を書ってしまった。
家にかえって、開いてみた。岸裏くんがいうような本だ。吉井さんというのは、メチャメ
チャをいう人だ。マルクスの資本論がいかにすごい本でも、吉井さんが言うほどのことも
あるまいとも思う。堀江正規さんはすごい人だったと思うが、その理論も相当あらくたい
ところがあって、吉井さんが言うほどの神さんみたいな人でもなかろう、など思いながら、
流し読みをした。
                   (二)
  ところが、不思議なことに、資本論を読む気になったのである。日曜日の朝のことであ
る。第一巻は、一応読んでいる。二巻、三巻は途中で挫折したままである。第一巻の半分
ぐらいなら、向坂訳(岩波)、長谷部訳(青木)、全集版(大月)、社会科学研究所版の四
つの訳本をかなり汚している。社会科学研究所版を引っ張りだして見ると、第一、二分冊
は汚れているのに、第三分冊からはまっさらだ。「ここから読もう」と決めた。「相対的
剰余価値の生産」である。少し読んだ。
  昼前に、日曜版の配達をして、庭の草刈をする。すずしくなっても、まだ暑い。休みの
日は、昼食にカンビールを一つあける。ところが、それをすると資本論が読めなくなる。
飲んだら、読みだしたら寝てしまう。迷いに迷った末、麦茶をのみながら昼食にした。そ
の勢いで、夕食もアルコール抜きにしてしまった。私は、酒の量は多くないが、休肝日は、
一年に一日あるかないかである。吉井さんの本は、私に酒を絶って資本論の学習に立ち向
かわせてくれたのである。
  この土、日には、吉井さんの本の飛ばし読みの他に、「『憲法改正』批判」の渡辺、三
輪論文と資本論百ページばかり読んだのだから、珍しいことだった。

                   (三)
  吉井さんの本で、共感したことの一つ「『資本論』を学んでいくということで、充実し
緊張した時間をつづけていくというふうにならないで、たとえば気を許して余談に時間を
つかってしまい、参加者を失望させることにつながったと思われることも思い当たること
の一つです。」(P一〇七)
  そうだ、そうだ、最近の吉井さんの資本論講座(最近とはいっても八年ほど前か?)の
とき、私は「まじめにやれ」と言いたくなったものだ。でも、自分で自覚しているところ
は、さすが吉井さんだ。
  ところで、こんなにまじめになったところで、月に一回ぐらい資本論を全行読みする若
い人たちのサークルはできないだろうか。教育会館を会場にしてやってくれれば、お付き
合いするけどなあ。
         (四)
  吉井清文さんをこんなふうにボロクソにこなしながらも、私は吉井さんの崇拝者である。
今から二〇年ほど前の青年館での資本論講座で、吉井さんの講義をうけたおかげで、堀江
正規崇拝者にされてしまい、「堀江正規著作集」は、私の宝ものの一つである。
  堀江さんが、「教育労働者について」という論文のなかで、「教師は、半プロレタリア
ートである」という、正しくないことを言っているんだが、そのことについても「堀江さ
んの言うことは、確かに正しくない。しかし、堀江さんがそんなことを言う裏には、革命
の主体は生産労働者でなくてはならないという問題と、教師や公務労働者が果たす役割に
ついての、強烈な問題意識があったことを学びとる必要がある。文字面の正確さ以上のも
のをそこから汲み取るべきだ。」などと言い張っている次第である。
  みなさんも、一六〇〇円はたいて吉井さんのこの本と、資本論と、吉井さんをしごいた
お師匠さんである堀江正規先生の著作を読んでいただければ、うれしいと思う。
   一九九四年八月二一日
                   県学習協副会長     雑賀光夫



石母田正「平家物語」を読む


  最近、夢中になって読む本に出会わなかった(年のせいだ)ところ、久しぶりにおもし
ろかったのは、「平家物語」(石母田正・岩波新書)だった。著者は、「歴史と民族の発見」
(正続)で有名な歴史学者である。本棚から手にとって開いてみると「<673>197
9、11、25ー」とある。開いて読みかけただけなのだ。ところが、その下に「198
9、12ー1990、1、7」とある。正月休みに読み通したことがわかる。しかし、中
身は全く頭の中にない。
  これを読むきっかけは、芭蕉の「奥の細道」の自筆本が発見されたというニュースだっ
た。それに引かれて、岩波文庫の「奥の細道」を手にした。あの長い旅をきわめて簡潔な
ものにまとめている。岩波文庫の一冊というので相当の分量があるかと思ったら、すぐに
読み通すことができた。これも前に読んだはずなのだが、再発見である。芭蕉を読んで心
豊かになったところで、石母田の著作に目が向いたのである。
  井関先生の「平曲物語」を大変興味深く読んだことがあるし、「平家物語」そのものが
好きである。高校で教わった程度だけれど、「大原御幸(小原御幸というのだろうか)」
は、高校の先生(高芝先生というかたであった。「すなわち、寂光院これなり。」という
のが、今も耳にのこっている。)の口調まで思い出されて、引っぱり出して声を出して読
んでみることもある。
  石母田正の「平家物語」は、新鮮であった。ぼくの好きな、「大原御幸」は、あとから
付け足したものかもしれない。もともとは、三巻だったという説もある。それが、十二巻
ななった。二十巻にしたのが、後の人たちの書き加えによることは確からしい。石母田は、
源平の時代の激動の深さから、三巻の年代記が、今日の平家の物語に成長した必然性を、
歴史的背景と作品に沿って追求する。貴族から民衆をふくめた国民各層の歴史的体験にた
った要求が、物語を膨らませることを求めたという。石母田の「これ以上のことは専門家
の研究に待たなければならない」と自らが歴史の研究者であっても平家の研究者でないこ
とをふまえての、自らを押さえた態度も共感をよぶ。

                   1996、12  雑賀光夫(県学習協副会長)

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福沢諭吉との四〇年ぶりの出会い


             (一)
 アダム・スミスの「国富論」(「諸国民の富」)は、誰でも書名を知っているが読む人の
少ない本なのだそうだ。ぼくもその一人だ。The wealth of nationsという本を、ぼくは英
語版(それもイギリスで出版されたもの)で持っているが、はじめの50頁ほどに書き込
みがあるだけである。その書き込みというのは、岩波文庫版には、段落の要約が記されて
あるのを写したものである。学生時代のあんちょこな試験対策の名残である。それでも、
学習協の吉井清文先生の講義に引かれて、貨幣の歴史みたいなものは読んだことがあるか
ら(読んだのは日本語の方)まだましな方だろうか。
  日本の古典で、誰もが知っているが読まない本の筆者を「福沢諭吉」だと言ったら、福
沢先生は怒るだろうか。

                        (二)
  福沢諭吉の伝記は、ぼくが小学校時代に一番多く読み返した本だった。小学校六年生の
国語の教科書の冒頭に「咸臨丸」(いや「日本の夜明け」という表題だったかもしれない)
という詩のような文があった。姉が六年生の時の教科書にものっていて、弟のぼくが一緒
に暗記したものが、ぼくが六年生になった教科書にものっていたから、かなり長く使われ
た教材だったのだろう。

┌─────────────────────┐
│   日本の夜明け                          │
│日本は、長い長い夢を見ていた              │
│   二〇〇年もの、長い夢だった          │
│日本がまっくらだった間に                  │
│   ワットは蒸気機関を発明し            │
│    スティブンソンは汽車をつくった    │
└─────────────────────┘
という書き出しのこの詩を、いま、どう評価したらいいのだろうか。最近、小学校の歴史
で、鎖国や開国を教えなくてもいいというのが、歴史教育の到達点となっていると聞く。
「そうかな」と思いながらも、ぼくは、明治維新のロマンを福沢諭吉の伝記や「日本の夜
明け」の詩からくみ取ったことが忘れられない。
┌──────────────────────────┐
│その中には、勝臨太郎も福沢諭吉もいた。              │
│  臨太郎は、病床から雄々しく指揮をとっていた。      │
│  諭吉は、まだ見ぬ世界に胸をおどらせていた。        │
└──────────────────────────┘
という一節があったのを覚えている。
臨太郎というのは、江戸城無血開城の会談を西郷隆盛としたことで有名な勝海舟(勝安房
の守)のことである。勝海舟は著作家ではなかったから、晩年に自慢話をした記録が「氷
川清話」(角川文庫)という題で本になっている。この本ならぼくも二〇年ほど前に読ん
でいる。ところが、日本で最大の啓蒙思想家の一人・福沢諭吉の著作を手にしたことがな
かった。子どもの頃から「西洋事情」「世界国づくし」「文明(論)之概略」というよう
な著作が、当時のベストセラーになったということは知っていた。<(論)と書いたのは、
ぼくの頭の中では「文明の概略」として記憶されていたからである。>こんな本は、ちょ
んまげを落とす前後の日本人への啓蒙には意味があっても、平成の時代に生きている我々
には必要ないものと思っていた。

                          (三)
  「文明論之概略」との出会いは、またしても県庁前・宇治書店である。コメニウス「大
教授学」をとってもらおうと思って立ち寄ったら、「絶版ですよ。いい本は早く買わなく
てはダメですよ」と言われ、それじゃ、そろえたいと思っていた戸坂潤の全集の欠けたの
をの願いしようかなと言ったら、「戸坂先生のものは、最近はめずらしいが、これはある
でしょう」とおっしゃった。「戸坂先生」というご主人の口から自然にもれた言葉に、ぼ
くはご主人への尊敬を深くした。そのついでに、なにか買おうかなと見渡したとき、岩波
新書の「文明論之概略を読む」(上中下・丸山真男)が目に入った。丸山真男は、政治学
の大家である。数年前、日本共産党が天皇制論をめぐって、丸山政治学批判のキャンペー
ンをやった。ぼくは、丸山政治学の「戦争責任論」や「天皇制論」に弱点があるという日
本共産党の指摘は正しいと思っているが、党の機関の会議でそれを展開したのはどうだろ
うかと思っている。共産党の理論家たちは、党の機関で擁護されないと、純粋の学問的論
争では主導権をとれないのだろうかと思ってしまう。だから、丸山真男をヒイキして読み
たくなる。こんなわけで、「文明論之概略」(岩波文庫)そのものも買い、ベッドに持ち
込むことになった。

             (四)
  江戸時代末から明治初期の著書だといって、そうこわがることはない。古文でも、「徒
然草」にくらべれば「おくのほそ道」は、ずっと読みやすい。最近、芭蕉の自筆本が発見
されたというニュースに触発されて読み返したが、ベッドの中で二回も読みとおしてしま
った。源氏物語なら、とても歯が立たない。
  「文明論之概略」は、いま、読みかけだが、すごくおもしろい。
 「第一章 議論の本位定る事」とある。福沢はその進歩性の限界が語られることがある
が、福沢なりの限定された歴史的制約の中での判断も、それなりにうなずかれるような気
がする。
  おもしろいのは、秦の始皇帝が、書物を焼く焚書をしたのはなぜかという分析であった。
焚書では、孔子・孟子の書物も焼かれたが、孔孟だけなら、始皇帝も焚書はしなかっただ
ろうという。その時代は、諸子百家という百家争鳴の時代だった。異なる意見を戦わせる
ことが民主主義の基礎であると諭吉は考える。だから、始皇帝は書物がこわかったという。

(途中で切れている・このつづきのようなものが、ホームページのどこかに出てくると思
う)

連想ゲームの読書


  最近、変わったものを読んでいる。
  平井昇三先生と一緒に、「憲法を考える会」みたいなものをつくろうと歩き回って、お
それ多くも山崎元弁護士会会長を運転手にして、高野山大学の前学長・高木先生にまでお
会いしてきた。こんなことをすると、無信心な私も、すこしは弘法大師のことを知ってお
かなくてはと思う。高木先生の「空海入門」という本を宇治書店に注文したが、なかなか
手に入らない。手軽に手に入ったのが「空海の風景」(司馬遼太郎)で、これはなかなか
おもしろかった。
  もう少し空海のものとおもって本箱を見回して、ノーベル賞の湯川秀樹の対談「天才の
世界」の最初が、空海をめぐる対談だったので、そいつを引っぱり出して読んだ。司馬遼
太郎から仕入れたばかりの空海についての知識を湯川秀樹はちゃんと知っている。この物
理学者はなんて物知りなんだろうと思っていたとき、湯川秀樹の「ほんの中の世界」(岩
波新書)が手に入った。これを読むと、ますますたまげてしまう。このおっさんは、こん
なに幅広い教養をもっていて、いつの間に物理学を勉強したのだろうと思ってしまう。仲
良しの武谷三男もそうだものなあ。
  その「ほんの中の世界」の最初は、素粒子や中間子論を考える発想を「荘子」(「そう
じ」と読む。ぼくも知らなかったので、みんなも知らないだろうと思ってカナをふってお
く。)から得たと言うようなことを書いている。
 和教組責善部長の竹田君は、理科(専攻は物理)の先生でなかなかの読書家である。和
教組のソファーで「いま、『荘子』を読んでるんだが、きっかけは湯川秀樹の本でね。」
とはなしたら、「湯川さんのものならたいてい読んでるよ。そうそう、『本の中の世界』
には、その話しが出てくる。湯川さんという人は、漢学者の家で育ったから、子どもの頃
から漢文の素読などやってたんだ。貝塚茂樹というのは、兄弟じゃないの。」と言い出し
た。マイッタ、マイッタ。
  家に帰って本箱をみると、最近、古本やで二冊三〇〇円で買った、貝塚茂樹の「史記」
(中公新書)がある。寝床の中で読み始めるとおもしろい。「史記」というような名著を
読んでおかないと格好が悪いような気がして、本屋へいったついでに、岩波文庫の「史記
列伝」を買ってきた。はくいとしゅくせいという清廉潔白の士の物語はここにあったかと
寝床の中で読み進める。中国の古典というのはおもしろいなあと、今度は「列士」という
本を買ってきた。これがまた、おもしろい。「愚公山を移す」という毛沢東の有名な講話
がある。その話しの出典は「列子」にあるということも初めて知った。「杞憂」というこ
とばの出典も列子である。
  中国の思想には、孔子・孟子(孔孟)の思想と、老子・荘子(老荘)の思想という二つ
の流れがあるらしい。列子は、老荘の流れに属する。孔孟は官許思想で老荘は民間思想と
もいう。
 こんなものを読んでいて、荘子のなかに「聖人無名」という言葉を見つけた。平井先生、
山崎弁護士などとやっている「憲法を考える会」ということで始まったあつまりは「無名
の会」という名前になっている。私がその会のニュースに題がないので、漱石の「猫」を
もじって「名前はまだない」とつけたのが、集まったみなさんの評判が良くて、会の名前
が連想ゲームみたいに「無名の会」と決まったものである。荘子の中に「聖人無名」とい
うのを見つけたものだから、会の名前のいわれにこじつけてつかってやろうと、作りかけ
のニュース「名前はまだない・4」の裏にコピーして年末の例会にもちこんだ。
  年末の例会は、原爆被災者の会の楠本先生が、「戦前と戦後・意識の違いをさぐる」と
題して、お話いただく予定だったのだけれど、先生は体の調子を崩されて、お宅まで予定
原稿を頂に行って、その原稿も一緒に同じニュースに載せていた。会の合間にその原稿に
はじめて目を通して、気がついた。先生は、「(戦争が終わって)、『聞けわだつみの声』
を読み………論語孟子をすてて老子荘子に傾注しました。」とお書きなのです。知らない
町をあるいていて、思わぬ所で親しい友人に出会ったような思いをしたのでした。
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