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資料・いっしょに考えよう「いじめ」の問題

    

和歌山県教育相談・講師派遣センター(1996)

 
 

T、「いじめ」問題とは 一、「いじめ」は、いつ・どんな学級でも起こりうる可能性がある 今日の状況のもとでは、「いじめ」は、学級集団づくりにかなり努力してとくんでいる学級でも起こりうる 可能性があります。 今日の社会の政治的・経済的・文化的状況が、弱い者いじめを容認し、人間を大切にしない風潮を広めており、 子どもたちもその影響を受けるのは当然です。 さらに、今日の文教政策が能力主義・管理主義を推進するもとで、学校はますますゆとりがなくなり、教師 が創意を持って子どもと接することができなくなっています。 この動きに押し流され、教師も親も、心ならずも人権感覚が麻痺させられていきます。子どもたちは、自主・ 自律・自治を否定されるばかりか、人間らしさまで失われがちです。そんななかで子どもたちの内面にたまる ストレスが、「いじめ」や登校拒否などとなって吹き出しているのです。 学習指導要領は一〇年ごとに改訂されてきましたが、そのたびに能力主義・管理主義が強化されてきました。 それによって加速されるかのように、子どもの問題状況も、非行(一九六〇年代)→校内暴力(一九七〇年代) →「いじめ」(一九八〇年代)→「いじめ」登校拒否(一九九〇年代)と深刻化してきています。多忙化のなか、 教師たちは、子どもにゆったりとかかわれないため、一つの問題のとりくみの途中で、さらにまた新たな問題が 起こるという悪循環に苦しんでいます。 このような状況のなかでは、教師たちの努力にもかかわらず、いつでも、どの学級でも、「いじめ」が起こり うる可能性があります。だから、「いじめ」を見つけてとりくむことが、子どもを守る大切な闘いだととらえる べきです。 父母にもこのような事態の背景・元凶について訴え、文教政策を変える運動を起こしていくことは重要ですが、 私たち自身が、「いじめ」に対する真剣なとりくみをすすめながら訴えるのでなければ、父母の共感を得ること はできません。文部省が、学校や教師の責任論をあおっているなか、政治や社会の問題だけを叫んでも「教師の 言い逃れ」としか聞こえないでしょう。 二、「いじめ」は絶対に放置できない 「いじめ」は、政治や社会が悪いからだといって、決して見過ごすことのできない緊急の問題です。たとえ小 さな「いじめ」でも、放置すればエスカレートし、子どもの人格の尊厳がおかされ、精神的・肉体的な苦痛や屈 辱をうけて、人格の崩壊、生命の否定(自殺・殺人)に追い込んでしまうからです。 U、「いじめ」問題にどうとりくむか 一、「いじめ」を見つけるために 1、「いじめ」発見の困難さをふまえて 「いじめ」は、早く見つけ、エスカレートしないうちにとりくむ方が解決しやすく、被害も小さくてすみます。 だから、早く見つけることが大切です。 そのためには、教師も親も、日頃からどんなことでも子どもの相談にのってやれるような関係をつくっておく ことが大切です。しかしそうはいっても、先生や親に打ち明けることは、小学校高学年から中学生へと、年齢が 高くなるほど少なくなります。  それは一面では、「チクリと言われるのでは……」「仕返しされるのでは……」「ちゃんとした解決をしてく れないのでは……」「あとでよけい気まずくなるのでは……」など、いろいろの理由が考えられますが、もう一 つの面では、親や教師を信頼していても、自分の誇りに思うことや自慢になることは言えるが、「親に心配かけ たくない」という思いと、自分の受けた屈辱(みじめさ)がプライドを傷つけるので言えないという気持ちもあ るでしょう。思春期の子どもは、とくにその気持ちが強いようです(数年前、山形県明倫中での巻かれたマット に逆さにして殺された児玉君は、いつもみんなに一発芸をやらされていたことが、後日判明しました。一昨年自 殺した、大河内君は、盗みをやらされたり、川に首を突っ込まれたりしていたが、親にも言えませんでした)。 「ブス」「ブタ」などと容姿にかかわっていじめられる場合もそうでしょう。 むしろ、学校や親と関係のない、相談所や「いじめ110番」などの方が、子どもにとって打ち明けやすいの です。したがって教師が、子どもたちに外部の相談機関を知らせておくことが、子どもを守る上でとても重要です。 子どもが外部に相談したことをを後で知って、担任の恥だと思うのは間違いでしょう。 2、子どもの様子をリアルにとらえる。 (1)子どもが、遊びや掃除、昼食、授業中などに孤立していないかどうか、注意して見ていることです。(プロ レスごっこでいつもやられているとか、掃除のとき、特定の子どもの机を手で持たず足でけって動かすなど)  「いじめ」とちょっとした「いたずら」は、見分けにくいものですが、「いじめ」は対等平等な関係でなく、 そして継続されるものです。だから継続して見守っているとわかることが多いのです。) (2)子どもの書いてくる日記などの中に、気になることがないかどうかも、注意したい点です。 (3)親たちに情報を提供してもらうのも、大いに役に立ちます。いじめられている子どもが自分の親に話さなくて も、他の子どもたちがそれぞれの親に話すことのなかに、「いじめ」にかかわることが出てくることがよくあります。 学校や担任は、親たちが知った情報をいつも提供してもらえるよう呼びかけ、親たちからの連絡・相談に耳を傾ける ようにすることが大切です。 二、「いじめ」への対応とりくみ 1、まずとるべき緊急措置 (1)「いじめ」を知ったとき、まず第一に、いじめられている子どもの辛さや気持ちをよく聞きとること。  そのためには、事実調査を目的にするのでなく、それも含みますが、いじめられている子どもの辛さや気持ちを、 その子どもの立場になって聞いてあげなくてはなりません。秘密にすべきことは守り、本人の了解なしに問題を処理 しないことを伝えた上で、その子どもの心によりそい、共感し、いとおしみながら気持ちを聞くことです。  こうして、子どもが辛さや胸の内を語ることができれば、それは一歩前進です。だれかに聞いてもらうことによっ て、自分が受けた心の傷を少しづつ癒し、辛さをのり越える力を持ちはじめるのです。  ところで、いじめている子ども(たち)や「いじめ」の事実が明確になったとき、親は当然いきどおり、直接相 手の子どもや親に抗議したい気持ちになるでしょう。しかし、そうすることによって、事態をこじらせ、正しい解決 を困難にすることを分かってもらうよう説得し、協力してもらわなくてはなりません。その場合、とりくみの方針を きちんと示し、納得してもらうことなしには協力は得られないでしょう。 (2)本人を守り支える体制をつくること。 可能な場合は、本人の了解を得た上で、協力してもらえる友だちや先輩などから激励(手紙・電話などをふくむ) をしたり、守り支えるようにすることです。その仲間たちが後のとりくみの中心になりうることがしばしばあります。 それが不可能な場合は、親や教師が守り支えること、状況によっては、登下校などのさい、離れたところから見 守ってやることも必要です。(大河内君のような状況になっているときには、登下校や塾の行き帰りを後ろからそっと 見守ってやることも必要だったでしょう) 2、解決へのとりくみ (1)担任だけでかかえこんで悩むのでなく、職場集団に相談・協力を得ながら方針をたてること。(むずかしいときは、 県や郡市の教育相談センターに相談して下さい。緊急の場合は夜中でも応じますし、一切の秘密は守ります) (2)その方針をもって訪問し、本人や保護者の意見を十分に聞き、納得・了解を得てとりくむこと。 (3)いじめている子ども(たち)に対する個別指導をおこなうこと。 いじめている子ども(たち)がわかったとき、その子ども(たち)に対して、まず個別指導します。その場合、そ の子ども(たち)の気持ちを十分つかみ、内面にはたらきかけることを重視しなければなりません。 そのためには、その子ども(たち)を「悪者」と決めつけるのではなく、なぜそのようなことをするのか、その行 為の奥にひそむ気持ちをじっくりと聞いてやることが大切です。単に「いじめ」の行為だけを取り出して迫るのでなく、 日常(家庭の問題を含め)の不平・不満・いらだちなども(それが「いじめ」の根っこにあることがしばしばあります)、 共感の態度で聞き通してやり、心を開くようにすることです。  その上で、いじめられている子どもの気持ちを話し理解させながら、「いじめ」の行為についてのその子どもの思 いを聞き、自分を見つめさせるようにします。そして反省する気持ちが見えてきたとき、そのような行為・行動を克服 するように提起し、それについての本人の意見を聞きます。 そのさい、克服しようとする気持ちを激励し、援助し、説得することも必要です。また、人間は完全なものではな いから、だれでも失敗や過ちをおかすものであり、それを克服する経験によってこそ成長し、立派になっていくのだと いうことを分からせることが大切です。 *「僕たちは自分で自分を決定する力を持っている。だから、誤りを犯すこともある。しかし……僕たちは、自分 で自分を決定する力を持っている。だから誤りから立ち直ることができるのだ」          (吉野源三郎『君たちはどう生きるか』より) (4)学級指導をおこなう上で 学級会でとりあげる場合、ぶっつけ本番では学年が上になるほどうまくいくことは困難です。とりわけ、いじめら れている子どもが学級で孤立しているときは、かえって逆に本人の立場を悪くし、事態を悪化させることになる場合が しばしばあります。 @必ず事前のとりくみをおこなうこと。 ☆いじめられている子どもを支える体制を、子どもたちのなかにつくること。 ☆ 可能な限りいじめられている子どもがその苦しみ・辛さを訴えられるようにすること。(もし不可能なら友人 が、それもだめなら教師が訴えられるようにしておきます) ☆ 「いじめられている子どもにも責任がある」という考え方に対して、その間違いを理解させられるように準備 しておくこと。 (いじめられる子どもに、批判されるべき点や改めなければならない点が仮にあったとしても、だれでも多かれ少 なかれそういう点を持っており、それは正しい方法で(話し合いで)本人に改めるよう働きかけるべきであり、人権を 侵す「いじめ」で対応することは、絶対に許されるべきものではないことを、教師の問いかけや説明もふくめて話し合 い、子どもたちに考えさせ、分からせるようにしたいものです) A学級での話し合いでは ☆いじめられている子どもの辛さや気持ちが、学級全員の子どもたちに理解できるようにとりくみます。本人から (やむをえぬ場合は友人、それでもだめなら教師から)語り、子どもたちの心情に訴えるようにします。 ☆学級の子どもたちみんなの、いじめたりいじめられたりした経験や、そのときの気持ちや、いまそれについてど う思っているかなどの意見を出させながら、今回の「いじめ」について深めていきます。 ☆「いじめられた子どもにも責任がある」という考え方に対しては、そのままにせず、きちんと話し合いをふかめ、 間違いに気づかせるようにします。 ☆学級のとりくみは、子どもたちの自主・自律・自治の力に依拠して解決していくようにします。 ☆学級での話し合いが一回終わるごとに、教師が必ず総括し、前進面を大きく評価します。とくに、いじめられた 子どもがいじめられていたことを明らかにできたこと、いじめた子ども(たち)が過ちに気づいたことをほめ、みんな で自己批判・相互批判・励ましあいができたこと、何も発言しなかった子どもも真剣に考えたことを、全員の成果とし て評価します。個々のすぐれた意見や態度も、それだけをほめるのでなく、全員の成果として位置づけることを忘れな いようにします。 その上で、「人間は神様ではないから、だれでも失敗や過ちをおかすものであり、それを克服することによって 成長し立派になっていくものだ。今回の学級会でもそのことが実証されつつある」ということを確認する。その上に立 って、残された課題を整理して提起し、次回へ発展さすようにしたいと思います。 (進行状況によっては、他学級への訴え、生徒会への提起なども考えます) 三、「いじめ」克服のための学校づくり 1、学級・学年・学校全体で、人権認識をそだて、人間らしさをとりもどす営み を継続的にすすめること。 2、児童会・生徒会などで自主・自律・自治の力に依拠したとりくみを。 生徒会で「いじめ」問題をとりあげ、全校アンケートや生徒会新聞、ポスターでキャンペーンする、討論会を開く、 訴えを出すなどなど、押しつけ・引き回しでなく、生徒会・児童会に提起して、児童・生徒を主体にしたとりくみを 指導・援助し、自治能力を発展させます。(「九五年度教育実践・教育運動交流集会」(1996・2・17〜18)で報告され た伏虎中学校の実践が典型的な教訓を示しています) 3、能力主義・管理主義に押し流されないように、職場集団が力を合わせ、校則などの問題も、子どもの意見を聞き 相談しながら、子どもを主体にして見直しをすすめること。 そのさい、教師の心配な点は、子どもに提起して討議させ、どのようにして解決するのかも子どもたち自身に考え させるようにします。 四、父母・保護者へのとりくみ 1、学校での「いじめ」の具体的事実や現状、それに対する学校・学級のとりく みなどを、保護者会やPTAなど へ可能なかぎり知らせること。 2、それとあわせて、教師の苦悩も語りながら、「いじめ」や登校拒否などが生 み出されてくる背景・元凶(文教 政策、定数問題、能力主義・管理主義を推進 する学習指導要領など)を明らかにして、改善のために協力しあって 運動をす すめることを訴えること。 3、とくに、「いじめ」問題については、家庭でも子どもと人権を大切にすることを話し合い、人間らしさを育てる ことに力を注いでもらうように訴えること。 五、地域や行政機関・他団体とも協力・共同して、子どもを守る運動をすすめる。 「いじめ」問題など子どもの命と人権を守る運動においては、セクト主義におちいらず、一致する点で力を合わせ 運動をすすめることが、いまきわめて重要です。  現在教師たちは、文部省から攻撃を受け、親からは厳しく批判され、一見大ピンチに見えますが、行政・各種団体・ 父母たちとの協力・共同を思い切って発展させることができれば、教育の民主化を大きく前進させる絶好のチャンスに なります。 (校内暴力が吹き荒れたとき、それを克服するために全国各地で運動が起こし発展させたという教訓があります) V、「いじめ」問題のとりくみでさけたいこと 「いじめ」問題にとりくむとき、次にあげるような対応はまずくさけねばなりません。 一、「いじめ」がわかったとき、いじめた子どもを呼び、恫喝したり体罰を加えたり、罰を与えたりして、力でねじふ せ、形だけの「反省」をさせ、謝らせるやりかたはやめましょう。それでは、後々さらに「仕返し」をしたり、「チク リ」といっていじめられる子どもをいっそう苦しめたりする結果を招くだけでなく、「問題(理由)があれば、その子 どもをいじめても良い」という「いじめの論理」を、子ども全体に広げることになります。 二、「いじめ」の事実が明確にできないときやあいまいなとき、両者を対決させ、証拠しらべをしたりすることもたい へん危険です。そうすると、弱い立場のいじめられる子どもは、相手の前では事実を言えずむしろ否定する結果になっ たり、あとで「チクリ」といわれ、後々気まずくなり、つらい立場に追い込んでしまいがちです。 三、一方的な説教の押しつけも、子どもの自主・自律・自治の力を育てるのを妨げることになります。 何か起こると先生が一方的に説教を押しつけるというのでは、子どもたちに心から反省する力を育てたりすることに ならず、問題があると先生に頼り、自分たちの力で解決しようとする力も育たなくなっていきます。 四、学級での話し合いを、糾弾や裁判の場にすることもよくありません。いじめた者を悪者として糾弾するような学級 会では、追いつめられた子どもは、「証拠があるか」と開き直ったりして、当人はもちろん学級全体を高めることがで きず、いっそう苦しい立場に追い込むことになっていきます。 五、「手打ち的解決」も表面を糊塗するだけの対応になります。  いじめた子どもどもといじめられた子どもを呼び、いじめた子どもに「すみませんでした」とわびさせ、いじめられ た子どもにも「ぼくにも悪い点はあったよ」と言わせ、握手させて解決したとするのは、根本的解決にならないでしょ う。 (実際、そういう処理をしたあと、なお、「いじめ」がつづいていた例は、いくらもあります。先日の「いじめ」によ る自殺の中学生の場合もそうでした) おわりに  この「討議資料」が、現職教育やサークル・学習会などで話し合いの参考にされること、また、さらに充実したもの になるようご意見をお寄せいただけることを期待しています。          (1996年3月)