編集・発行 「教育の広場」編集部

市民・国民・父母の立場での教育情報を提供したいと願っています。
やっている本人は労働組合役員であることを隠しませんが、市民運動
の立場に身をおかないと教育は守れないという多少の自覚ももって。
E-mail: saikam@naxnet.or.jpお手紙ください

教科書アピール
30人学級アピール
県教研・「いじめ」と子どもの権利条約
         「いま、子どものからだと心を考える」(97県教研・正木健雄)  
         
「いま、人権教育を問う」を読んで(エデュカス)雑賀光夫
        
        
         


県民のみなさんに訴えます
歴史の真実をゆがめ、民主主義を敵視する「教科書」から
子どもたちの現在と未来を守りましょう!



 どんな時代にあっても、子どもたちは未来への希望です。子どもたちとともに希望の二
十一世紀をきりひらいていくために私たちは訴えます。

県民のみなさん
 いま、歴史の真実に目を閉ざし、自由と民主主義をないがしろにしようとする「教科書」
が教室に持ち込まれようとしています。私たちはこの事態を憂慮し、子どもと教育、そし
てこの国の民主主義を守るために心から訴えます。
 「新しい歴史教科書をつくる会」が中心となって作成した「中学校歴史教科書」が、文
部科学省の検定を通過しました。
 この教科書は、古代史では神話を事実であるかのように扱い、近現代の日本の近隣諸国
への戦争を日本の生存のための戦争として肯定し、また戦後衆参両院で排除・失効の確認
決議がおこなわれた教育勅語を全文掲載し「近代日本人の人格の背骨をなすもの」として
無批判に称揚するなど、憲法と教育基本法とあいいれない内容となっています。

 この教科書の歴史観は日本人がアジアの中で高い能力を備えているという優越感と、近
隣諸国を見下すきわめて自国中心的で尊大な態度に裏付けられています。

 平和憲法を否定し、教育基本法をないがしろにするこの教科書に対し、教育関係者・国
民の中から憂慮の声が挙がり、侵略戦争を肯定するものとしてアジア諸国から厳しい批判
の声が寄せられています。
 被害国の人びとが抗議の声を上げるのは当然のことであり、決して内政干渉といえるも
のではありません。このようなアジアの人びとの声を無視するのは被害国の人びとの心を
逆なでし、亀裂を深めていくことになります。それは今後アジアの中で生きていくべき日
本にとっても大きな障害をもたらすものでもあります。
 侵略への謙虚な反省を示すことこそ、日本人が信頼を得る道であり、傲慢な無反省によ
って得られるものはアジア諸国民からの軽蔑のみであることを銘記すべきだと思います。

県民のみなさん
 六月二十二日から県下各地で教科書展示会が開催され、教科書採択のとりくみが始まろ
うとしています。
 「新しい歴史教科書をつくる会」は、自らがつくったこれらの教科書の採択をねらって、
教科書採択制度への攻撃・介入さえすすめようとしています。

県民のみなさん
 この教科書は単に歴史の見方の問題だけでなく、多くの歴史事実の記述の誤りも専門研
究者によって指摘されております。
 教科書は、子どもたちにとって真理・真実を伝える役割と責務を負っており、虚偽・虚
構の記述があってはなりません。ましてや、憲法と教育基本法を否定する教科書を子ども
たちの手に届けることを絶対に許してはなりません。
 平和と民主主義、子どもたちの未来を守るために、私たちは心から呼びかけます。
 憲法と教育基本法に基づく教科書を子どもたちの手に!
 
【呼びかけ人】(五十音順)
                 海津 一朗(和歌山大学助教授)
                       金原 徹雄(弁護士・青年法律家協会和歌山支部)
                      杉中 浩一郎(地方史研究家)
                 副島 昭一(和歌山大学教授)
                  谷口  章(日本基督教団和歌山新生教会牧師)
                 布施慎一郎(日本科学者会議全国幹事)
                  宮下  長G(元県立高校校長)
                  室井 修(和歌山大学名誉教授)

         


子どもたちに最善のものを
一人ひとりの子どもたちと親の思いを受け止められるよう三〇人学級と教職員の増員を


 県民のみなさん。
 子どもはかけがえのない未来への宝物です。私たちは、どの子も健やかに育って
くれることを願っています。しかし、ナイフによる殺傷事件、自殺、「いじめ」な
ど胸の痛む事件や出来事が全国で続いています。学校へ行きたいけれど行けないと
悩んでいる不登校の子どもたちが、たくさん生まれています。
 子どもたちの多くは自分に自信を持てないで、イライラをつのらせ、「むかつい
ている」といわれています。それは何も特別な子どもではなく、多かれ少なかれど
の子にも共通するものになっているのが特徴です。
 子どもたちをこうした状況に追い込んでいる原因は、いろいろ考えられます。幼
児期からの詰め込みと受験競争が、子どもたちに大きなプレッシャーとなっていま
す。テレビでは暴力・殺人シーンがたびたび映し出されます。イライラ・むかつき
を蓄積し、人間らしいかかわりに乏しい子どもたちがこの映像を目にしたとき、ど
のような感情がめばえるでしょうか。また日本の社会と経済のゆきづまりのなかで、
社会のゆがみ・退廃さらに、生活上の困難が子どもの発達に影響を及ぼしています。
今日の子どもを取り巻く深刻な問題は、学校まかせにしておけるものでなく、社会
全体でたちむかうべきものです。
 しかし、私たちは、何よりも学校が、子どもたちの思いを受け止められる「安心
のできる拠点」であって欲しいと願ってやみません。学校の先生が、一人ひとりの
子どもたちとの触れ合いをもっと豊にし、人間関係をもっと深めて欲しいと思いま
す。
  アメリカでは小学校で二十二人学級を十八人にするために、十万人の教員を増や
すとしています。ところが、日本では、一学級の上限は、四〇人です。これでは、
いろんな育ちをしてきている子どもたちとふれあうことは困難です。一学級の生徒
数を上限四〇人から三〇人に思いきって引き下げることや複式(二つの学年が一緒
に学ぶ)学級を解消することをはじめ、さまざまなとりくみをすすめられるよう教
職員を増やすことが緊急に求められています。
  一学級の生徒数を三〇人以下に引き下げることができれば、先生方ももっと子ど
もたちとゆったりと時間をかけてかかわりあうことができるでしょう。子育てに悩
んでいるお母さんと、ゆっくりと時間をかけて話し合うことができます。そこから、
教育の困難を克服するために力を合わせる道も開けるでしょう。

 県民のみなさん
 子どもたちは、私たちの宝物です。大人たちの責任で、子どもたちに最善のもの
を提供しようではありませんか。そのために、いろいろな意見の違いを脇において
力を合わせることを呼びかけるものです。あなたのご賛同を、呼びかけます。


一九九八年十月

   呼びかけ人(五〇音順)
         イーデス・ハンソン(タレント)
                 井谷 泰造(映画研究家・シネマプラザ築映社長)
                 井上 光雄(元和歌山県教育長)          
                 生地 冨雄(元和歌山県同和教育研究協議会会長・元高校校長)
                 岡  博之(和歌山県登校拒否親の会会長)   
                 川村 ゆり(広がれ子育てネットワーク代表)
                 瓦野 昌治(和歌山県保険医協会理事長・小児科医)
                 藤井 幹雄(弁護士)   
                 笠松  久彦(和歌山県中小企業家同友会代表理事)
                 室井  修(和歌山大学教授)

連絡先  和歌山市小松原通り三の二〇県教育会館内「三〇人学級」アピール事務局
       電話  〇七三四(二三)二二六一  ファックス〇七三四(三六)三二四三


(1)
県教研・「いじめ」と子どもの権利条約


  県教研集会「いじめと子どもの権利条約」分科会に参加しました。この分科会に
は、伊都地方の「子どもと教育を守る会」のメンバーとその知り合いの中学生も参
加してくれました。
  はじめに、東牟婁・久保さんが、子どもの権利条約の実践につかったNHKのビ
デオ「パートナーシップを築くには」をみんなで見ました。制服の廃止を横山ノッ
ク大阪府知事にうったえる高校生達。「制服製造業者の都合もあるから」とこたえ
る知事に失望する高校生。フランスの学校への子ども参加・父母参加の場面………。

  参加した中学生は、「テレビに出てくる中学生達はすすんでいる。私たちの学校
は、制服や校則で縛られていて、話し合いにしても『先生が出した意見について話
し合おう』ということになりがち。クラブの対外試合などで土日もなかなか休めな
い。学校に縛り付けられているような気がする。」と感想をのべました。

修学旅行と制服をめぐって

  久保さんは、就学旅行に制服着用をやめたこと、小遣いも自由にしたことを報告
しました。「私服で修学旅行にいったこと」については、37人の生徒中、「よか
った(33人)、「よくなかった(4人)」と好評です。東牟婁では、女生徒がい
やがるブルマはほとんどなくなったといいます。「トレーナーに学年・氏名を縫い
つけたのを来て通学する生徒をみたが、何のために必要なのだろうか」との疑問も
語られました。
  一方で、「制服でいいのか」と水を向けても生徒が乗ってこないという状況もあ
ります。また「中学生に自由にやらせる」というのでやってみると、その班編制で
女の子が一人はねのけにされていることに前日になって気づき、組み替えをしたと
いうケースから、生徒の自主性の尊重が教員の指導放棄になってはいけないという
意見も出されました。

「必要のないものはもってこない」の指導

  「シャープペンシルはもってこない」などの指導や規則がよくあります。伊都の
山岡さんから「ヨーヨーを学校に持ってきていいか」が児童会で論議になったこと
を報告。低学年から「ヨーヨーはダメ。人に当たったら危ない。ガラスを割る」な
どの意見も出る中、一票差で「持ってきてもいい」ときまったことを報告しながら、
「子どもたち自身が管理にならされている」とのべました。児童会決定をプリント
で配ってから「これでいいのか」と職員では多少の物議があったようですが、「児
童会で決まったのだから」と子どもの決定を尊重したといいます。
  助言者の野田先生から「不登校気味の6年生が学校にいくようになった。お母さ
んのはなしでは、ポケモンのトランプを学校に持ってきてもいいことになり、昼休
みに遊ぶのを楽しみにしているという。『必要ないものを持ってこない』という指
導が、子どもの遊びを奪っているのではないか」とも。

校則のおかしさが学校で見えない                   
  それを変えるものさしは「子どもの権利条約」

  「組合専従をして学校現場にもどると、意味のない校則が目につく」と和歌山市
の柳生さん。
「この規則だれが決めたんですか?」
「柳生先生が役員に出る前から、決まってたじゃないの」
「そりゃそうだけど、子どもが決めたんじゃないよね………」
 というようなやりとりがあったそうです。でも、子どもの権利条約についてよく話
し合っているうちに
「こんな規則いらないんじゃないか」
「そういえばそうだね」
というように変わってきたといいます。

ポスター「子どもの権利条約」

  和歌山の峠原先生が、午後、美術の分科会からまわってきてくれました。「子ど
もの権利条約」のポスターを見てほしかったからといいます。
  体罰が横行していた三年前、子どもたちと一緒に「子どもの権利条約」を学びな
がらつくったポスター。「大人は分かっちゃいない、子どもの心」というひときわ
目立つポスターは、なんとポスター作成の授業に2回しか出席しなかった不登校の
生徒の作品です。
  野田先生は、「戦前、私が生徒のころ、自由や民主主義について語ってくれる先
生がいた。でも、その先生は学校では孤立していた。戦争が終わって価値観が変わ
り、先生の立派さが分かるようになった。50年たってもその先生のことは忘れら
れない。どんな困難な中でも子どもの立場にたちきるということが教師の値打ちで
はないか」と感想を述べました。

ぼくの失敗、それをはなせる分科会
     ボタンとファスナーのたとえ

  記録がかりをしてくれていた世話人の先生が、話してくれました。
  「子どもの声を受け止めようと両手を広げていても、子どもがあれ出すと『コ
ラ』と上から押さえてしまう。反省ばかりです。
  2学期になって、クラスの女の子達が、一人の女の子をつかまえて「フケが汚
い」といっている。それを「いじめ」だと指導して、女の子にそっぽをむかれてし
まった。女のこたちは「親切でいっていたのに、先生はわかってくれない」という
のです。子どもの意見を聞いてやらないまずい指導だったなと反省するんですが、
子どもとの間が、うまくいかなくなった。」
  失敗と悩みが率直にだされたことに共感しつつ、参加者からも自分の失敗談をふ
くめたアドバイスがだされました。
  「昔は、ボタンの掛け違いですんだものが、いまの子どもではファスナーが引っ
かかったみたいで、後にも先にも行けなくなるときがある」というたとえをいって
くれたベテランの先生がいました。あわてずにじっくりとファスナーのかみこみを
はずさなくてはなりません。

「子どもの権利条約」前面に
    来年の分科会への提言

  「まとめ」で野田先生から、分科会名称を「子どもの権利条約と「いじめ」・体
罰・校則・管理主義」というようなものにしてはどうか。「いじめ」の話でないと
参加できないような印象では、みなさん集まりにくいからという趣旨の発言もあり、
それは参加者一同の合意になったとおもいます。「特別分科会」でなく、正規の分
科会にしてはどうかという声もあります。和教協でご検討お願いします。

「いま、子どものからだと心を考える」  

一九九七・十一・一

第二六回和歌山県教育研究集会

 【記念講演】
   「いま、子どものからだと心を考える」  
        ー そのあらまし ー
         日本体育大学  正木健雄


はじめに

 先日、高知市の教育研究集会に行ってきました。そこで、”新しい荒れ”という
ことが大きなテーマになっていました。高知市の教職員組合委員長の森尚水氏は
「子どもが何を考えているのかわからない。動機がはっきりしない。どこから手を
つけていいのかわからない。よくなる展望がない。教員が全部自分のせいでうまく
いかないと自分を追いこんでしまうか、教員もカーッとなってさらに非人間的にな
ってしまう。事態がよく見えない!というところが”新しさ”である」と言い、
「今までは、こうすれば、こうなっていくという見当がついた。それがつかなくな
ってしまった、というところが”新しさ”ということなんだ」そうです。
 ではそれが、どこからくるのか、からだからくるのか、心からくるのか、いま子
どものからだや心がいろいろと変ってきているわけですが、どこが変ってきて、ど
ういう問題になるのか、とにかく総点検してみようというとりくみが、各地で起こ
っています。

1 からだの「変化」の総点検

 《重心が低くなった子どもたち》
 アルバムをつくっているあるカメラマンが、床に座り込んでいる子どもたちの写
真をくれまして、「問題が起きていない学校の子どもたちの重心は高いが、問題の
ある学校の子どもたちの重心は低い」ということを教えてくれました。つまり重心
の低いのは、何かを訴えているわけです。東京の先生方にこの写真を見せますと、
「この子たちは、まだいいじゃない。目がいいし、靴の踵を踏んでいない」という
のです。先生方は、子どもたちのいいところをさがして下さっているのだと思いま
した。そして子どもたちの目の輝きとか、笑顔から、子どもたちのメッセージを読
み取っているのだなと感動しました。

《虫歯が多く、
   視力が低下している子どもたち》
 五歳の子どもにも、小学校五年生の子どもにも、中学校三年の子どもにも、ずば
抜けて多いのが、虫歯です。今小学校六年生で八割の子どもが虫歯になっています。
つぎに視力の低い子どもが増えています。さらに最近、歯並びの悪い子や歯ぐきの
病気が増えています。つまり今日の日本の子どもの健康問題は、虫歯と視力、そし
て歯並び・歯ぐきという口の中と目の問題に限られているのが特徴です。
 国際目標として、学校に入るころの子どもの虫歯を五十%にしようということで
すが、日本ではほど遠い状況です。
 つぎに視力の低い子どもが何時から増え始めたのかということです。一九七三年
まではあまり変らないのですが、一九七四年から急速に増え始めているのです。そ
の原因として、テレビからの電磁波と有機リン系の殺虫剤だろうと言われています。
つまり視力の低下は、生活の便利さのなかで起きているわけです。

《子どものからだのおかしさ》
 「子どもたちのからだがおかしい」といわれはじめたのは、一九七五年です。こ
れはちょうど視力の低い子どもや、不登校の子どもが増え始めた時期ですが、躓い
た時とっさに手がつけないとか、瞬きがにぶくなってライン引きの石灰が目にはい
るとか、頭がよけられないでボールが顔にあたってしまうとか、腹をたたくとブヨ
ンとしていて反射的な感じがないとか、頭から足の先までのいろいろなことが訴え
られてきたのです。
 そうしたなかでも、アレルギー性のものが一番多く出てきています。皮膚がカサ
カサ、すぐ疲れる、腹が痛い、頭が痛い、学校へいく気がしない、、首や肩がこる、
腰が痛い、体温が低いなど、六割以上の先生方から、報告をいだきました。

 ところでこれらは病気かといえば、かならずしもそうではないのです。いまから
七年前に全国の開業医の方々が調査をおこなったのですが、八割のお医者さんが、
「病気に近いようなからだのおかしさがある」という認識が一致したのです。そし
てこの調査から、八割の方々がアレルギーが増えていると指摘しています。しかし
今日の荒れの状況は、アレルギーとは別なところに問題があるとわたしは思ってい
ます。
 からだのおかしさということで、不定愁訴があります。これはどこが悪いかよく
分らないが、何かからだの調子がおかしいというのを総称してこうよんでいます。


《子どもの体格と、体力・運動能力》
 子どもたちの成長がはやくなってきており、身長はまだまだ伸びるという気配が
あります。体重は、女の子は抑えよう抑えようしていますが、うまくいかないとい
う感じです。座高では、男の子は伸びていますが、女の子は伸びが止っています。
これは女の子の足が長くなっているということです。だから体格がいいというのは、
男の子の体重が増えて、女の子の足が長くなったということで、なにも体格がよく
なったという中味ではないのです。男の子の体重の増加は肥満をひきおこし、女の
子の足が長くなるということは骨盤が大きく発育しないということで出産への影響
が心配されます。
 ところで「体格はよくなったが、体力が落ちている」といわれていますが、東京
オリンピックの頃のレベルとそんなに変っていないどころか、それ以上のレベルを
維持しているのです。

 問題になるのは、運動能力がグーッと落ちてきているということです。体力があ
るのに、それを運動の場面に出せないでいるということです。ここで問題になるの
は、指導の問題です。とくに現行学習指導要領になり新学力観が言われて、「もっ
と楽しい体育にしよう」「個性を伸ばすために、好きな種目を選べばいい」という
ことで、指導がはいらない方向にすすんでいるということです。

 それからジャンプする力があり走りもはやいのに、走ってきて跳ぶと記録が出な
いというのは、からだがバラバラで硬くて、腰の力がついていないということです。
つまり背筋力が落ちているということです。

 そこで能力の高いところよりも、低いところを底上げする指導に力をいれること
によって、体力も運動能力も全面的に発達させることができると思うのです。


《背筋力指数、腰の力の低下》
 背筋力を体重で割った数値を「背筋力指数」と言いますが、一般的には「腰の
力」とよんでいます。これがどんどん落ちてきているのです。とくに女性の場合、
育児をするのに必要な腰の力は、一・五ですが、それが現在一・五を切っているの
です。

《自律神経・体温の調節》
 自律神経というのは、ほっておいても自分でからだを調節してくれるところです。
それが、ひとりでに育たなくなったという問題がおきてきています。一日に一回汗
をかくぐらい外遊びしている子どもや、十時すぎにねている子どもは、調節がいい
ですね。それから薄着をしている子も、いいんですね。
 つぎに体温が低くなったのではないかという問題ですが、いろいろと調べてみま
すと、どうやら朝の値が低い子どもが多いということです。それは朝の気温が低い
と、熱をつくる能力が弱く、一定の気温に達しないと、調節できないということの
ようです。ところで体温の高すぎるのは心配ですが、低いのは問題ありません。


2 心への接近

《心って何?、心の基盤とその研究方法》
 心の働きというのは、結局は大脳の前頭葉のところの働きだろうと一応今日の答
としておきます。こうしようということが決まると、設計図をとり出し、筋肉に命
令をだして、動作が始まるわけです。
 そこで前頭葉の働きをどのようにして調べるかということです。

 赤いランプがついたらゴム球をにぎり、黄色いランプがついたら握ってはいけな
い、という約束をして、赤や黄色の光を出鱈目に出していきます。しばらくやった
あと今度は、赤がついたら握ってはダメよ、黄色で握るんだよ、と約束を変えてやるのです。

《不活発型の子どもの増加》
 最近、興奮も強くない、抑える力も強くないという子どもが増えていますが、こ
ういう子どもがクラスの半数に近くなったとき、いわゆる”新しい荒れ”が起きる
のではないかと思うのです。このタイプの子どもが、中学校へいって問題になるこ
とが予想されます。またこのタイプの子どもは、幼稚であって、発達の迷走がおこ
りやすいのです。
 こうした不活発型の子どもに対しては、興奮させ脳の働き全体を高めていくこと
です。一時間目に体育の授業をもってきてくたくたになるまで運動をさせますと、
ニ時間目の授業の効果が上がるというのです。とにかくからだのほうから刺激をお
くり込み、脳の働きを高め、前頭葉を動かすということでいろいろと模索している
ところです。
 ところで一九七五年以降先生方が感じてこられた「子どものからだがおかしい」
と言う実感は正しかったということです。お医者さんも十年おくれてこれを認知し
ました。

3 子どもの世紀に向けて

《子どもの権利水準の総点検》
 スポーツを楽しむことと健康になることをうまく統一できないか、いろいろな種
類のものをやって、全面発達ができないかということです。
 日本では、昨年の五月にようやく「子どもの権利条約」が発効しました。政府は
国連に対して、報告書を出しましたが、その中味は日本の子どもの権利のようすを
何も書いていないのです。そこで市民とΝGΟで報告書を作って国連に出しました。
それには子ども期の喪失や、ゆたかだと言われている日本で子どもらしい発達が保
障されていないことなどの具体的なデータをつけました。

《データを大切にし、ストーリーをつくって》
 ところでデータを大事にし、データから何が読み取れるのかというストーリーを
作り出してみますと、いろんな子どもの現状が見えてきます。

《二十一世紀に向けて》
 二十一世紀にどういう日本をつくるのかということについて、子どもの健康の問
題でいいますと、虫歯の子どもが多いこと、視力が低い子どもが増えていること、
アレルギーの子どもが多くなってきていること、自律神経がフラフラしていること、
問題になるのはこれくらいです。

《からだの全面発達を》
 ムードでとりくむ限り、いいところとわるいところのひらきがどんどん広がって
いき、からだの不均等発達ということが出てきます。その解決をどうするかという
ことです。そのためには生活のなかで、これはやろうよ、これはやらないでおこう、
ということをはっきりさせた行動計画をつくることです。そして具体的なとりくみ
をみんなで総括しながらすすめることです。そのためには、科学的なとりくみに発
展させることが求められます。そしてどんなことも、子どもの意見をきいてやって
いくことが、子どもの権利条約の精神です。

《不登校の子どもが増えている》
 学校へ行けない子どもが、中学校では七五年から、小学校では八五年から増え続
けています。これは、視力の弱い子が増え始めた時期と一致しています。
 つまり小学校で学校へ行けない子どもが増えだしのは、テレビゲームがはやり始
めた時期であり、中学校の場合はテレビということになるわけです。
 このようにデータを重ねてみますと、何が問題なのかがよく見えてきます。

《前頭葉の働きを高める》
 さきほど前頭葉の働きについてお話しましたが、宇都宮のある幼稚園では、毎朝
八時三十分から、「じゃれっこ」というのをやって、前頭葉の働きをムチャクチャ
高めるとりくみをしています。先生が適当な子どもをつかまえて、はじめます。そ
のうち「先生をやっつけよう」ということになるのですが、先生の一日のエネルギ
ーがこの三十分で使い果たされる過酷なとりくみです。それで一時期やめたのです
が、また子どもの荒れがはじまったのです。そこでまた復活し、お母さんも手伝っ
ています。この「じゃれつこ」がとてもいいということです。
 ところで今日本だけではなく世界中で、子どもの心が育ちにくくなっています。
WΗΟでは、子どもを抱きしめるバンティング・アンド・アタッチメントというの
をすすめています。これは子どもと取っ組み合いをしたり、こちょこちょやったり
して、子どもを安心させ、好奇心をふくらませ、やる気を起こさせるというもので
す。

おわりに

 結局”新しい荒れ”というのは、前頭葉の興奮の強さ、抑える力の強さが育たな
い子どもが半数近くなって、先生のいうことがきけない、きいても長続きできない、
これじゃ駄目だと思ってやりだしても、ちぐはぐになってうまくいかないというこ
とで、また幼稚化にもどってしまう、そういう発達のうごめきというか、そんなも
のを秘めているのではないかと思うのです。ですから先生が全部自分のせいでうま
くいかないと自分を追い込んでしまって、健康を害するようなことのないように、
前頭葉がちょっと動くようにしかけてみて下さい。子どもたちが、自分でやる気に
なって、発達の方向に動きだすことをしかけていただけたらと思うわけです。

「いま、人権教育を問う」を読んで


 「人権教育」ということが、各方面で語られている。私は「人権」は民主教育の重要な契機であると考えているが、本当の意味で人権を大事にする教育は「民主教育」と同義語になるのではないかとも考えてきた。こうしたとき梅田・八木両氏編集の標記の本にであった。
 本の帯に「人権としての教育とは」とある。「人権」を教え込む教育でなく、子どもを人権主体として扱い、また教育を受ける権利を保障する教育の意味であろう。
  梅田・八木両氏は、序の中で、「さかんに展開されている『人権教育』論は子どもを救うか」ということの批判的検討と「子どもの人権保障に連ながる教育理論・教育実践の内容の検討」を区別する。そして本書は、前者に重点を置きながら後者に言及するという構成をとっているが、前者は「批判としての意味しかない」のであって、今後、努力が向けられるべき中心点が後者にあることをのべておられる。読者は、本書のスタンスをつかんだ上で読まれた方がいいだろう。
  それでも本書は「人権教育」への批判にとどまらず、「子どもの人権保障に連ながる教育」をすすめる上での、多くの示唆を与えてくれるものになっている。また、議論の余地をのこす問題もふくめて刺激的である。
  本書の第二部には「自己肯定観」(高垣)「道徳教育」(吉田)「参加型学習」(山崎)「参加と自治」(船越)「登校拒否」(窪島)「いじめ」(折出)「教師の権利保障」(土屋)などにかかわった意欲的な論文が収録されている。それぞれが「人権教育」論を批判しながら、民主教育への積極的示唆をふくんでいる。たとえば、高垣忠一郎氏は「自己肯定観」とは「大丈夫」であって優劣をともなう「よい」ではないとして、競争原理が自己肯定観をこわして子どもを不安に追い込んでいることが解明される。船越勝氏は、「自治」を上位概念として参加を位置づけること、「権利としての参加の教育的組織化」について論じる。窪島務氏は、「学校を拒否する権利」という問題について、学校を拒否する子どもたちが求める学習権の保障について考えさせてくれる。
  読者の関心によっては、第二部から読みはじめるのも一つの読み方かなとも思う。
     雑賀光夫(和教組副委員長)





(4)

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