統一労組懇から県地評再生へ

ようこそ!
雑賀光夫の手記
私は、1988年から統一労組懇事務局長、県地評事務局次長・事務局長
を歴任しました。そのころ書いて、あちこちにのせたものをまとめてみました。
「労働運動」誌や民研「月報」のような立派な印刷物になったものもあります
が、手作りのニュースで、100枚ぐらいしか印刷していないものもありす。
そんなものも探し出して載せていきます。
統一労組懇事務局長に聞く(和歌山)    統一労組懇から和教組のA君へ
         


統一労組懇事務局長に聞く(和歌山)
「労働運動」誌1988


・・・今年の二月から事務局長になられたそうですね。それまで、県教組の書記長
で・・ 

 雑賀 まだ書記長は任期中ですが、四月から副委員長になって、統一労組懇に専
念することにしています。和歌山では、事務局次長だけが専従だったのですがこん
ど事務局長を専従にして体制強化することにしました。さいわい、和教組の方でも、
支える体制をとってもらえるので二月から、できるだけ、統一労組懇の方に座りき
れるようにしています。
  和教組としても「国鉄の次は教育だ」と言われますし、教育臨調・初任者研修問
題など抱えて大変なのですが、和教組運動を発展させ民主教育を守るうえでも階級
的ナショナルセンター・ローカルセンターの確立が急務になっていることから、思
い切って専従的に役員を派遣しようということに踏み切ったのです。わたし自身は
三三才の時、和教組書記長になり十年になるのですが、官公労動運動のことは分か
っても、民間労働組合のことは外からの応援しかできない、分かりにくいという面
があります。それだけに、そこに飛びこんで民間労働運動まで分かる幹部になって
見たいという気持ちもありました。プロ専従になっていますので学校現場にもどっ
て教壇にたつことはできないのですから。

・・・県教組からの派遣になったということは、県統一労組懇のなかで、県教組の
締める比重が大きいということでしょうね。

  雑賀  そこが和歌山の特色でして悩みでもあります。和教組・和高教で、県統一
労組懇の財政のかなりの部分を支えているという現状にあります。郡市統一労組懇
の事務局は、和歌山市をのぞいてすべて教職員組合の教育会館の中にあります。そ
こでは、和教組の専従者が事務局長になっています。
  和教組は、もともと県地評の中心的な組合であり、ほとんどの時期に和教組から
県地評議長をだして和歌山の労働組合運動を支えてきたという歴史があります。現
在も和教組委員長は県地評議長です。
  そういう歴史的つみあげもあって総評右転落・階級的ナショナルセンターの確立
は急務という情勢のもとでは、幹部の派遣ということも意志統一できました。

・・・ところで、和教組委員長が議長をしておられる県地評の現状は?

  雑賀  和歌山県地評については、わたしたちは、総評と同じようには見ていませ
ん。和歌山県地評は、一九七〇年代には今までの社会党一党支持を排して、政党支
持・政治活動の自由の方針を確立しました。その後、社会党一党支持の組合のゴリ
押しの中で政党支持自由の文書表現は方針書から削除されていますが、それでも特
定政党支持は決めていないという全国でも少ない県地評の一つだと思います。また、
闘争課題については不一致点は「たなあげ」ということで一致点での運動をすすめ
てきています。
 「沖縄共闘」「いのちとくらしをまもる県民会議」など統一戦線・県民との団結
という立場を堅持してきたという歴史があります。けれども、その県地評でも、困
難は増してきています。「いのちとくらしをまもる県民会議」は、一九七〇年代の
終わりごろ社会党からの「共産党とは一緒にやれない」という通告によって、凍結
されたままになっています。いま問題は労戦問題ですが、社会党一党支持の組合が、
「県地評の方針に、同盟などと団体間協議をするということをいれよ」といって譲
らないのです。統一労組懇にはいっている労働組合は「県地評の伝統を守って存続
せよ。」と主張しています。こうした意見の違いがあるので、わたしたちは、不一
致点は「たなあげ」して、当面の問題で一致してやれることはやろうと言っていま
す。大量の首きり問題をかかえた争議中の組合もあるのですから。こういう意見の
対立で昨年ひらくべきであった県地評定期大会が延期されたままになっているので
す。 社会党支持の組合といってもみんな同じではありません。化学関係の中心的
な組合が、合化労連を脱退し全民労連反対の立場で頑張っている全国化学加盟を決
定しています。また、統一労組懇には、結集していませんが全農林・国労・などの
組合が「左派結集」の動きをみせています。

・・・県統一労組懇の結成は、一九八〇年ですか。

   雑賀   そうです。全国の動きからみて遅かったのは、県地評への期待があった
からだと思います。しかし、今日の事態を見る時、県統一労組懇の結成は実に大き
な意義をもっていたと思います。この階級的潮流の奮闘なしに、県地評もふくめた
県内労働運動の建て直しはできません。

・・・和歌山の統一労組懇運動の取りくんできたことを、お話しください。

   雑賀   いままでの取組について今年の総会の議案に、簡単にまとめてみました。
  「統一労組懇は・・・・・ 1980年結成当初から、8%低額要求に反対し、春
闘の先頭に立ちました。有交タクシーの労働基準法違反や銀行のサービス残業廃止
などの要求をとり上げました。郡市統一労組懇の確立や大運動実行委員会結成にと
りくみました。 1981年には、和歌山線の割増し運賃反対などの住民と力を合
わせた運動、島本合成の偽装倒産反対・自主再建のたたかい、有交労組支援のたた
かいなどもすすみました。
  1982年は、臨調行革が、本格的に始まった年でした。この年の秋、大運動実
行委員会とともに、「軍拡臨調反対、全県縦断行動」に取りくみました。この行動
は、地域に「軍事費を削って・・・」のスローガンをひびかせ、自治体交渉を前進
させる出発点になりました。このとりくみのなかで1983年、救命急患センター
の設置という大きな要求の前進をかちとり、ジャンボビラで統一労組懇の姿を県民
に知らせました。1984年は、健保改悪反対で統一労組懇が、ストライキをふく
むたたかいでイニシヤティブを発揮しました。7、29には、国家機密法反対・ト
マホーク来るななどの課題とも合わせた中央大集会が開かれました。
 そのたたかいは、1985年の年金改悪反対闘争へと引き継がれ、総評も年金改
悪反対でストライキを提起せざるをえませんでした。また、この年、「ヒロシマ・
ナガサキからのアピール支持署名」が、和歌山で嵐のように進みました。その中で
統一労組懇各組合は大きな役割をはたしました。
 1986年の、最大の闘争は国鉄闘争でした。国鉄分割・民営化を許したとはい
え統一労組懇は、たたかう国鉄労働者を支援し、連帯を深めました。
 1987年は、売り上げ税反対闘争で幕を開けました。地域の商工団体とも手を
結び中曽根反動政治にたちむかったこのたたかいは、私たちに大きな確信を与えま
した。
  また、未組織労働者の組織化や首きり反対・雇用を守るたたかいでは、日本食堂
・神崎鉄工のたたかい、今たたかわれている和歌浦病院・塩屋自動車学校のたたか
いなどにとりくみましたし、勤労者友の会、医療・教育友の会が組織をのばしてい
ます。 原発反対のたたかいでも  地域労組懇が大きな役割をはたしました」
 官公労働者が中心でしたから、県民要求をひっさげて運動をすすめ、要求を実現
してきたところに、特徴があります。大運動実行委員会と一緒にやるのですが、交
渉の取り付けにいくと、当局の担当者が「これは、むかしの『いのくら(いのちと
くらしを守る・・の略称)』ですね。」というのです。県地評の積極的伝統と、そ
の後継者が統一労組懇になっているということを当局もふくめて認めていることを
感じたものでした。

・・・国鉄和歌山線の「交通権裁判」や、「ヒロシマ・ナガサ
キからのアピール支持署名」などでも、和歌山の運動は注目されましたね。

 雑賀  そうです。国鉄闘争では、「国鉄をまもる県民会議」をつくって頑張りま
したが、分割・民営化反対闘争の前からローカル線をまもる地域住民との共同闘争
がはじまっていました。和歌山線でも、紀勢線でも。
  「和歌山線まつり」というのが毎年ひらかれています。
  「ヒロシマ・ナガサキからのアピール支持署名」は、和教組書記長であったわた
しが、署名推進本部長をやらせていただいたのですが、県下五〇の市町村に署名推
進委員会を作ってとりくみました。あのとりくみでたたかう労働組合・民主団体が、
自民党反動政治と国民との対決点で県民のなかにうってでれば多数派になることが
できるという確信を得ることができました。
  幅広い県民との団結でいえば、健康保健法改悪反対闘争で、医労協が中心になっ
て保険医協会などとの共同闘争を広げましたし、売り上げ税反対では、商店街との
共同が広がりました。売り上げ税反対の時は、和教組の執行委員会で各地の報告を
きいても「デモ行進をしてこんなに住民から励まされたことがない」と、労働者の
部隊が励まされているのです。今から、このたたかいは再現しなくてはなりません
ね。

・・・和歌山市も「住金城下町」ということで、産業空洞化問題をかかえているのでしょう。

  雑賀  そうです。和歌山県は、もともとメリヤス、ネル、捺染など、地場産業が
盛んで、いまでも多いのですが、高度経済成長時代に地場産業が後退し、石油と鉄
に特化した産業構造がつくられてゆきました。一九八〇年代に入ると県内製造品出
荷額の三八%が石油、二五%が鉄鋼という状況になっています。自民党県・市政は、
大企業奉仕の行政をすすめてきました。例えば一九六〇年代に県北臨海工業地帯の
建設の「基盤づくり」につぎこんだ税金は一年間の県・市の予算を上回る膨大なも
のですし、工業用水をやすく供給する、税金をまけてやるなどなど露骨な「おもい
やり」を見せてきました。
  その住友金属が減産と人減らしにはいったから大変です。
  その住金が減産と人減らしに入ったのだから大変です。かつては、本工一万四千
人、下請け二万人が働いていましたが、現在は本工六千三百人、下請け・関連三千
人と言われいます。それを、さらに大幅に削減しようとしてます。まず、しわよせ
を受けるのが、第二次・第三次の下請けです。下請け労働者の首きり・企業倒産が
おこってきます。運送関係で見ると五年前年には、二〇トンの鉄材を大阪まではこ
んで四万六千円になったものが一九八七年には三万八千円に引き下げられています。
この間、運輸一般が、企業主と手を結んで、切り下げ幅をおさえるたたかいも組ん
で実利もあげていますが・・・。さらに、住金の系列会社が、仕事を求めて、クリ
ーニング・運送・パチンコ屋・自動車修理など何にでも進出し、地元の零細な業者
を圧迫するという問題がおこっています。学校でも、住金周辺で転向生が目立つし、
「非行」問題も父母の生活不安と無関係ではありません。
  先日、住金に勤めている知り合いの家に立ち寄ったら、奥さんが切り出したのは、
「出向を言われたらどうしよう」という不安でした。そこのご主人は、技術者で、
「技術の工夫をして提案するのがすごく楽しい」と仕事に生きがいがあると言って
いた人でした。それが、夫婦で生活への不安を訴えるのです。こんな具合に、産業
空洞化は、正社員・下請けを問わず労働者の生活を脅かしているだけでなく、地域
住民の生活を脅かしています。「住金連絡会」は、住金労働者の中の自覚的な人た
ち・運輸一般に組織されている下請け労働者・地域の民主勢力をつないで、住金に
対して「社会的責任をはたせ。」と追及するものです。この運動形態は、国鉄県民
会議もそうなのですが、資本が集中攻撃をかけている職場の労働者のたたかいと住
民要求を結合したもので大変大事な運動形態をつくりだしていると思うのです。

・・・八八春闘でどんなことを重視しますか。

  雑賀   第一に、自民党政治と国民の矛盾がかつてなく激化している中での春闘で
す。二月から三月にかけて教育・農業・増税反対などの国民的課題での大集会が続
いています。住金連絡会の活動、国民健康保険改悪反対など、政府・財界を国民的
に包囲する春闘にしなくてはなりません。
  そのたたかいの盛り上がりの中で、民間組合は回答日を指定し、回答を迫って行
く。そのため、回答速報など統一労組懇に入っていない組合にも届け、「要求実現
のために頼りになる統一労組懇」の姿が目に見えるようにしたいと思います。
  次に、階級的ナショナルセンター確立に向けての春闘だということです。そのた
め@統一労組懇の拡大強化  A国民春闘連絡会などたたかうまじめな組合の総結集
  B組合のイニシアティブをとれていないところもふくめて、すべての労働者が階
級的ナショナルセンター結成の事業に参加する(ありかた懇など)ということを重
視したいと思っています。  統一労組懇の体制強化については、八郡市に地域統一
労組懇があるのですが、事務局を担当している和教組に任せておくのでなく、本当
に労働者が日常的に結集してくる統一労組懇にしなくてはなりません。そのため、
地域統一労組懇としてきちんとしたセンターを確立できないかといっています。具
体的には教育会館の一室を統一労組懇の事務局として借り切るということになるの
ですが。
  今、和歌山では、かつてない産業別・課題別の運動が発展しています。教育臨調
反対で教組が大集会を計画しています。農業を守る集会もあります。「人間らしい
くらしを」の署名が、右寄りの労働組合の保育部会にまで広がっています。国保・
国立病院問題など医療を守るたたかいがひろがっています。そして、新大型間接税
と非核の問題です。こうした課題を束ねて大運動に発展させれば、政府・財界を包
囲することができます。統一労組懇のキャラバンをそんな観点で準備中です。和歌
山は、地域的に不便なので、大きな運動をすすめるときはキャラバンをくんできて
います。
  やりたいことはいっぱいありますが、なにしろ一年生なので前任者の阪中さんや
事務局次長の滝さんに教えてもらいながら無我夢中というところです。


雑賀光夫/1967年、中学校英語教員に。1974年 和教組海草支部書記長(専従)。
78年〜現在 和教組書記長。88年2月  県統一労組懇事務局長。趣味/読書・囲碁
(三級)いま、ワープロ・パソコンに夢中


         


統一労組懇から和教組のA君へ

A君  和教組の役員生活にも慣れましたか。役員になるとき父母から「学校を去らない でくれ。」と引き止められ、その説得に苦労した君だし、「早くまた担任を持ちた い。」と言っていた君だけれど、数年間、組合役員の仕事に全力を上げることは決 して無駄にならないと思います。ぼくは、プロ専従だから、もう教壇にはもどれま せんが、広い世界に出れば出るほど、教育の世界にお返ししたいことにも出会うし、 大きい目で教育を考えることが大切だと思います。  一、統一労組懇事務局長になって 四月から統一労組懇事務局長になって、すごくいい勉強をしています。一緒の事 務所にいるのは、次長の滝さん(島精機で組合を作って首を切られて労働運動の道 に入ったベテラン)医労連、運輸一般、木材木工組合の役員などです。  運輸一般の橋本さんというひとは、二〇年近く前に同和地区の企業でストライキ をしたら「部落民に不利益なことは差別だ。」という理論にもとづいて「差別」攻 撃をやられたが「労働者が生活を守るためにたたかって何が悪いか。」と当たり前 のことを言って頑張ってきた人。ところが、この攻撃で組合はつぶされ一人組合員 なのです。一人で、会社の専務と団体交渉をするそうです。(これを団体交渉と言 うのだろうか。労働組合法には「団体交渉権」という言葉はあるが「個人(一人) 交渉権」という言葉はないからしょうがない。)橋本さんに「トラックの助手席に 乗せて夜中の住友金属の構内に入らしてくれやんか。」と言ったら「幌のなかに隠 してやろうか。」と言ってくれました。統一労組懇事務局長が幌のなかに隠れてい るのが見付かるというのも恰好が悪いのでやめました。住金という会社にはいるに は助手席に乗るのにも身分証明書が必要だそうです。独占大企業とそこに働く労働 者の生の姿を自分の目で見たかったのですが・・・・。 運輸一般和歌山合同支部の吉田支部長もトラックの運転手です。住金から「朝二 時に鋼材をつんで、午後・・時までに鹿島にとどけろ。」といわれてでかけます。 二時に行ってみると、まだ荷物を積む準備が出来ていないので待たされます。それ でも、指定の時間に荷物を届けなくてはなりません。休憩も、仮眠もする暇がない ので、眠気をもようすとトラックをとめ自分のほっぺたをたたきまくって眠気を覚 まし、また走りだすそうです。 二、銀行労働者の悲鳴にも似た声     住金出向労働者の手は曲がっていた 人との付き合いだけでなく、労働運動の原点のようなものを統一労組懇に来て学 んだようにおもいます。銀行のサービス残業問題に取り組んだときです。統一労組 懇のアンケートはがきで寄せられた銀行労働者の声は、悲鳴にも似たものでした。 「八〇時間、百時間というサービス残業」「ノルマの追及」など。このとき、右翼 的労働組合に組織されていようと、「いらっしゃいませ」と、しとやかでにこやか な笑顔を見せていようと、労働者は人間らしく生きたいという願いを持っていると いう当り前のことを痛感しました。  住友金属から出向中の労働者が相談にきたとき、その人の手はひん曲がっていま した。「魚屋に出向して、マグロを切る仕事をしてこい。」といわれたのです。 「楽な仕事だ」というので行ってみると、マイナス五〇度Cの冷凍庫に入っている 冷凍マグロを鋸で切り、骨と身をノミで剥がす仕事でした。冷凍庫への出入りで体 調を崩した上、クレーンの熟練工であったこの人は慣れない仕事で腰を痛めてしま いました。その上に、凍傷で指が曲がってしまったのです。 組合は出向に協力の組合ですから、とうとう統一労組懇に相談に来たのです。  滝さんが会社にかけあい、休職を認めさせ、労働基準局に労災の手続きをしまし た。同時に私たちは多くの労働者が出向先で苦労しているに違いないと、出向労働 者の家庭訪問をはじめました。 ・「行った先でがんばらなしょうない。がんばってますよ。」と 吐き捨てるよう に言うのは、住金で保安の仕事をしていて、警 備会社に出向してガードマンをし ている労働者。 ・「今晩は、労働組合関係のものですが。」と訪ねて行くと、奥 さんが「いつも お世話になっています」と挨拶してくれました。 住金の組合と間違えたのです。 「実は・・・」と話してみると 「関係のないあんたたちが、こんなにして来てく れるのにうち の組合はなぜ何もしてくれないのだろう。」という話になりま し た。  (詳しい内容は「学習新聞」和歌山県学習協発行) すべての世界が新鮮です。 考えてみると、教師というものは、こんな人たちと「教師と父母」という関係で接 しているのです。でも、先生だと威張っていてはダメなのでしょうね。胸を開いて こういう父母の生活をつかみ統一労組懇に持ち込んで来て欲しいものです。 三、タクシー労働者との対話でルイ・サイヤンが分かった  タクシー労働者が相談に来てくれたときの事です。タクシー乗り場がないので困 るというので「なんなら相談に来て下さい。」と名刺を置いてタクシーをおりたら、 なんと十人も未組織労働者が連れだって相談に来てくれたのです。そのとき「どん な要求で運転手はまとまるんだろうか。要求がねりあげられれば闘争は七割りは成 功したようなものだと言われるんですよ。」という言葉が私の口から自然に出てま した。フランスの労働運動の指導者の言葉だとは知っていましたが、わたしにはピ ンときにくかった言葉だったのです。言葉としては知っていても、「そんなもんか なあ」「要求がまとまっても実現する保障はないじゃないか」という受け止めかた をしていました。そのことばが、自分の口から自然に出たのに驚いたのです。今度、 春闘方針討議の中で、またそのことを強調しました。  春闘方針討議のあと、お酒を飲んだ席で木戸さん(県統一労組懇代表)が言うの です。「雑賀はん、今日はルイ・サイヤンみたいなこと言うてたやないか。」この ことばは、世界労連書記長で「いたるところに統一を」という報告で有名なサイヤ ンの言葉だったようです。木戸さんの世代は、若い頃この報告などをむさぼりよん だのでしょう。わたしは、その一言をどこかで聞きかじって知っているだけです。 「あのころその言葉の意味が理解できなかったなあ。」と木戸さんも言うのです。 考えてみると、個人加盟で労働組合が組織されていて、闘争が高まれば組合員は 急増するというフランス型の労働運動であってこそ、この言葉は生きているのだと 思うのです。言い換えれば、幹部が組織の上にあぐらをかいている限りは、この言 葉は理解できないのだと思うのです。(少し舌たらずで不正確な断定ですが) 統一労組懇は、まだ組織は小さいけれど、未組織労働者も含めてめんどうをみる という志を持っています。タクシー労働者が労働相談にきたときも、「それでは、 組合をつくりなさいよ。」と言いませんでした。「はじめに要求ありき。闘争あり き。」なのです。組織は、あとからついてくるものです。もちろん指導部は、その 組織化を目的意識的に追求しなくてはなりません。しかし、組織の前に要求があり、 要求のあるところには、たたかいがあるというのが歴史の法則なのでしょう。(労 働運動の歴史をひもとけばすぐ分かることですが、労働組合ができてストライキ闘 争がはじまったのではないのです。日本最初のストライキといわれる雨宮製糸工場 の女工さんたちは、労働組合ということばも知らなかったでしょう。) 今年は、労働組合は歴史的な岐路をむかえます。統一労組懇が、まじめな組合と 一緒になってつくる「階級的ナショナルセンター」は、組織的には「連合」よりは 小数です。しかし上部組織が労資一体の「連合」に行こうとも労働者は心の深いと ころで生活を守ってくれる労働組合を求めています。そして、そのことの中に情勢 を切り開く客観的条件があると思うのです。教師を手こずらせる子どもたちでも、 成長したい・賢くなりたいという願いを持っていて、キラリと光るものを持ってい るというのと同じことですね。 四、歴史の曲がり道 情勢をどう見るか 昨年は、「消費税反対・リクルート疑惑解明・国会解散・竹下内閣打倒」の叫び と、その声を無視しての消費税強行への怒りのなかで年を越しました。「やり場の ない怒り」という感じを持った人も多いのではないでしょうか。  自民党が衆議院で強行採決したとき各界連絡会の会議で、こんな議論をしました。 「この情勢を、ワクワクする・面白くなってきたと見る人と、反対しても多数で押 し切られたらどうにもならないと無力感に陥る人がいる。安保闘争のような大闘争 を経験した世代とそうでない世代とのちがいにも関係ありそうだ」等々。 情勢をみるとき、長期の展望をみる必要があります。自民党竹下内閣は、国民の 支持を失うのを承知の上で消費税に賭けているように見えます。公明・民社は、そ の自民党に巻き込まれています。「連合」はもとより総評も、たたかおうとしませ ん。そんな状況の中で統一労組懇や各界連絡会は、国民の七〇%も八〇%もの支持 をえて頑張っているのです。その国民の支持というのは、商業マスコミの世論調査 によってさえそうなのです。こんな情勢はそうそうあるわけではありません。しか も、自民党がそれをも無視して大義名分もかなぐりすてて強行しよう としているところに彼らの追い詰められた姿があるのです。そのなかで社会党も、 その最終局面にかぎっていえば、「社公合意」という最近のニュー社会党路線とは 違った態度をとって頑張ったのです。  八九春闘は、追い詰められてメチャメチャをした自民党と、国民の支持のもとに 自民党を追い詰めた革新統一勢力と、それを傍観しあるいは自民党に手を貸した右 寄り潮流が、それぞれ体制を立て直したり、取り繕ったり、さらに前進を呼び掛け たりするところからスタートします。歴史は真っ直ぐに進むわけではありませんか ら、かれらは、とりつくろいやごまかしをするかもしれません。しかし、歴史の発 展のラセンは一周り高いところにのぼり、自民党政治の終りの鐘に近づいたことは 確かでしょう。  ロシア革命の指導者レーニンは、十月社会主義革命のおこる一九一七年の一月、 スイスにいて「一九〇五年の革命についての講演」というものを残しています。講 演してしゃべったのか、講演の形をとって執筆したのか、ぼくは知りません。その 終りがすごく面白いのです。  「われわれ老人たちは、おそらく、生きてこの来るべき革命の決戦を見ることは ないであろう。・・・青年諸君は、きたるべきプロレタリア革命で闘争するだけで なく、さらに勝利する幸福を持たれるだろう。」 そのインクも乾かぬうちにロシアで二月革命がおこったのです。その年の十月に は、レーニンは、勝利した社会主義革命の指導者であっただけでなく世界最初の社 会主義国の首相の地位についていたのです。 消費税反対闘争は、こんな昔話を引き合いに出したくなるほどの歴史のドラマを 感じさせる闘争だったと思うのです。八九春闘は、このたたかいの延長線上でたた かわれます。消費税に続いて年金・健保の大改悪、「連合」の「全的統一」と階級 的ナショナルセンターの確立による二つにナショナルセンターの違いの鮮明化・・ ・・・情勢はラセン状の道を通りながらもますます分かりやすくなっていくに違い ありません。マルクスが「大きな歴史的発展においては二〇年は一日に等しい。も っともそのあとで二〇年を一つに圧縮した数日がくることもあろうが・・・」とエ ンゲルスに書き送ったのは有名です。「二〇年を圧縮したような日々」は、予想以 上に近いかもしれません。  民研「月報」掲載(1988年)

         




         




         




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