職員会議と学校の民主的運営

ようこそ!

「日の丸」「君が代」問題ともかかわって、またそういう狭い問題だ
けでなく民主的な学校づくりとのかかわりで、学校の民主的運営が問わ
れています。「日の丸」「君が代」問題も、その役割は、歌と旗の問題
でなく、学校に上位下達の体制をつくることをねらっているように思い
ます。
試行錯誤的につくりはじめたものを載せてみました。ホームページと
いうものは誰の目にも見えるものだから、よほど練り上げたものでない
と載せてはいけないという人もいますが、私は気楽に考えています。
 「不十分だと前置きして載せたものは、不十分なことが分かったとき
消せばいい。」と。ただし、他人に迷惑をかけないのが条件ですね。
                             雑賀光夫
職員会議「決議機関?」「補助機関?」   
         


職員会議「決議機関?」「補助機関?」


a 「職員会議は補助機関だ」と学校教育課長が交渉で答えたのが問題だという「討
議資料」を見ましたが、むずかしい言葉がならんでいて、わかりにくいんです。職
員会議についてどうかんがえたらいいんですか?

b  職員会議というのは、一年間の教育方針を決めるなど、教職員が一致して教育に
とりくむ上で、大事な会議でしょう。高校では、入学試験の合格判定も、留年や処
分なども職員会議で決めるでしょう。

a そうですね。それが「補助機関」ということになると、私たちが職員会議で討議
しても、それは校長への参考意見ということになって、校長が決めればいいという
ことになる。ひどいわ。

c  校長の立場でも困るんですよ。学校教育方針でも生徒への処分でも、教職員が共
同で責任を持ってこそ、学校の教育力は発揮されるが、「決めるのは校長だから、
私たちは言われたことをするだけ」というのでは、………。

a それでは、「職員会議は決議機関」ということになるんですか?

b そうじゃないんです。「職員会議最高決議機関論」というのは、かつて日教組が
主張した議論なのですが、私たちは反対してきました。学校という場は、ものごと
を多数決で決める場ではない。教職員の合意、共通理解を図ることが大事なのです。
また、校長というのは学校の責任者です。また、教員は学級担任、養護教員、体育
の先生などそれぞれの専門性と責任をもっています。こうした中で、校長を中心に
しながら合意によって学校運営を図ることが大事だと考えています。

d  「職員会議補助機関論」や「職員会議最高決議機関論」では、どういうことにな
るんですか ?

b どちらも、教職員の合意を大事にするという観点が抜けています。また、お互い
に「売り言葉に買い言葉」という面があるんですね。当時の日教組の主張は「学校
単層構造論」といいましてね、「教職員は横並びだ。管理職の権限を否定すること
はもちろん、学年主任もいらないんだ」という主張でした。そういわれた文部省は、
「校長権限を否定されてはこまる。職員会議は、補助機関ないしは諮問機関だ。決
めるのは校長だ。」と言い返したわけですよ。

d ばかみたい。そんな議論に学校現場がほんろうされては困りますね。

c でもね、校長の立場に立つと複雑なのです。校長の昇任試験や面接でも言われる
んですが、「教員の意見が一致しないとき、校長の指導性が発揮できますか ?」
と問われます。「合意」が大事なことは分かるのですが、職員の議論が分かれるこ
とだってあるでしょう。それでも学校運営からいうと結論を出さなくてはならない
場合がある。そのとき校長の決断がいると言われるんです。

b  それはその通りです。わかりやすい高校での処分問題でいいますと、一人の生徒
を退学させるかかかえるかで論議をつくしても意見が分かれたとする。そのとき、
校長が「みなさんの意見にはそれぞれ一理があるが結論を出さなくてはならない。
私として、もう一度この生徒を抱えたいのでご協力願いたい。(or これ以上この生
徒をかかえることは、学校教育の限界を超えると思うので、私の責任で断を下した
い)」と言わなくてはならない場合があります。「校長の判断として、この際、み
なさんの多数の意見に従いたい。」という場合もあるでしょう。
  教育の条理にたった論議のあとなら、教職員は校長の判断を尊重するのではない
でしょうか。

d その場合「多数決」といっても、校長の権限を無視した「決議機関論」ではない
わけですね。

a 合意をめざした討論の末であれば、「校長が断を下す」といっても私ら納得する
のよ。そのくらいの指導力のある校長でないとこまる。イライラしちゃう。

c そうそう、私ら校長も、そういう決断で先生方と対立になどならないんですね。
いまの議論で、管理職面接で言われる「校長の指導性」の問題が分かってきました。
教育委員会が「校長の指導性」をいうとき問題にしているのは、そんなことじゃな
いんです。「日の丸・君が代」なんです。「教育論議で先生方を納得できないこと
がわかっている問題を、校長権限で押し切れるか」と迫ってきているわけですね。

b そういうこと、そういうこと。教育論議を抜きにした押しつけ………そこから教
育の退廃がはじまります。






         


校長権限と職員会議の位置づけについて(解説)


1、教育の自主性を守るのか、押しつけを許すのか………二つの流れ

 「日の丸」「君が代」が問題になったとき、故中川教育長は、「教育内容には、
押しつけや強制はなじみません」と答弁し、このことが今日まで受け継がれてきま
した。このことは、深い意味を持っています。
 学校というところは、「教育をつかさどる」教諭、「養護をつかさどる」養護教
諭、「事務に従事する」事務職員など各種の職員がおかれ、「校長は、校務をつか
さどり、所属職員を監督する」(学校教育法)とされています。戦前の「国民学校
令」では「訓導は学校長ノ命ヲ承ケ児童ノ教育掌ル」となっていたものを「学校教
育法」では「学校長ノ命ヲ承ケ」を削ったという点が重要です。
 そこで行われる教育は「不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接責任
を持って行われるべきものである。」(教育基本法第10条)であり、その教育の
目標は、「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、
真理と正義を愛し、個人の価値を尊び、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた
心身ともに健康な国民の育成を期して行われなくてはならない。」(教育基本法第
1条)とさだめられています。
  教育基本法に定められた教育の目的に向かって、子どもの生きた姿をまるごとつ
かんで、「教育上このことが最善だ」ということを校長を中心にしてそれぞれの専
門性を尊重しながら知恵を絞りあうという学校像、教職員への信頼、それが「押し
つけや強制はなじみません」という発言をひきだしています。
 同時に、「なじみません」という発言は、一方に「学校現場に押しつけや強制が
あっていいんだ」という考え方があり、それに対置されていることに注目する必要
があります。押しつけ肯定論の端的な現れは、かつて西岡文相が、「日の丸・君が
代」にかかわって「処分する」と発言した問題でした。このときも、県教育委員会
は「教育内容は、子ども、地域の実態に即し、教師の良心にもとづいて、教師や学
校が決めることである。」として「西岡文相発言は、おかしい」と名指しで批判し
ました。
  いま、職員会議の位置づけや「日の丸・君が代」問題を巡って、学校の民主的運
営のあり方が問われているとき、「なにが子どもと教育のためになるのか」という
子どもの願いに応える立場から問題を見つめる必要があります。

2、職員会議の教職員合意の場としての意義を軽視する論議は、何をもたらすか

(1)  職員会議というのは、学校教育法にも学校管理規則にも明文的に位置づけられ
ている訳ではありません。しかし、一般の企業で行われるミーティングとは違った
位置づけがされてきました。  たとえば、
・「教育目標」や「学校教育計画」は、職員会議で審議され、決定されます。
・生徒指導など問題が起こったとき、職員会議でどういう取り組みをするか論議す
るでしょう。
・高校で、入学者の選抜の合格決定をする場合、最終的に職員会議で決定するでし
ょう。また、原級とめおきや退学などの処分も職員会議で決定されるでしょう。
  これは伝達のためのミーティングとは違います。校長に求められるのは、こうし
た問題を教育的に論議し教職員の合意を生むためのコーディネイトをする力量です。

(2)  職員の合意を得られない場合に校長が断を下すということを一概に否定するの
ではありません。教育論議によって教職員の合意によって学校運営をすすめること
を軽視することは、教育力の低下を生むのです。
  @  たとえば、生徒の処分の問題をめぐって、教職員の意見が割れてまとまらな
い場合があります。そういう場合に論議しても早急に意見の一致がみられないとし
たら「意見は分かれますが、校長の責任でこうさせていただきたい」と校長が断を
下さなくてはならない場合があります。そのことを私たちは否定しません。
  A  問題は、校長が初めから「みなさんの意見は聞くが決めるのは私です」とい
う態度をとるならば、職員会議で合意を得るという教育論議が軽視させるという重
大な問題が生まれます。それは、その学校の教育的力量を低下させることになりま
す。

 * 最近注目されている「アトム共同保育所」の職員会議の論議は、民主的な職
員会議が教職員の力量を高める一つの好例だといえます。

  B さらに重大なのは、教育の条理からはずれ、教職員の合意がえられない問題
を学校に押しつけることと裏腹の関係で「校長権限」「職員会議の補助機関化」が
打ち出されているということです。「日の丸・君が代」押しつけがその好例です。

3、「公務員には思想信条の自由がない」という憲法違反の暴論

  「日の丸・君が代」法制化とのからみで、政府・文部省が言っていることは
「「日の丸」「君が代」を国民に押しつけることはしないが、公務員である教員は、
学習指導要領や校長の指示に従って国旗掲揚・国歌斉唱を指導する職務上の責務が
ある」という論議です。  これは、行政法学上、「特別権力関係」論といわれ、
「校長:教員」という関係におかれれば、どんなことでも職務命令でやらせること
ができるという論理です。東京で君が代のピアノ伴奏を断った先生への処分理由も
「職務命令違反」とされています。この論理によれば、かつて文部省の官僚が言っ
た「酒を買いにいけというのも職務命令だ」ということになるのです。
  文部省が決めた法律でもない「新学習指導要領」より上に、「教諭は教育をつか
さどる」という学校教育法の規定をはじめ、先に述べた戦後の教育法体系がありま
す。憲法第99条には、公務員の「憲法尊重養護義務」が定められています。「日
の丸・君が代法制化」がこうした法体系をゆるがすわけではありません。