さいか光夫のとびある記(第一集)

2003年4月

目  次 はじめに  ある社長さんの提言     
 町づくりシンポにて   海南から日本庭園を世界に  商店街に元気呼び込む子どもたち
 プチトマト・糖度十一      耕作できないと罰金?  農産物被害対策を(九月県会中山議員)
サルの群出現!(孟子) 海南市の動脈硬化解消へ阪井バイパス  大きなお寺の和尚さん訪問
 市民の期待にこたえる市民病院に  黒江の市政懇談会に参加して  五色台議会傍聴記
 おかちゃん       昼間の酒    石段の上の家    
 八〇〇円の重み  立派になった教え子たち  立派な小学校・でも決め手は教師集団
 古木が見つめる学校で  校舎管理からサルの被害まで・校長さんも大変  海南市に元気呼び込む少年サッカー大会 
 暗い照明・少年たちに夢を  海南市民の高い文化と貧弱な文化施   「政治家らしくない候補者」と同級生たちの支え
 下手な演説にも激励     ポスター張りは楽し  ゆきずりの方とも対話  
 格子からわたされたビラ  「せんそうしないでね」     消防団のご苦労     
 ある詩人との出会い     地域の銭湯にお年寄りを 紀光とわたし
駅前での演説から

目  次

          

はじめに

一 商店街と地場産業
 ある社長さんの提言     
 町づくりシンポにて 
 海南から日本庭園を世界に
 商店街に元気呼び込む子どもたち 


二 農業問題

 プチトマト・糖度十一    
 耕作できないと罰金?
 農産物被害対策を(九月県会中山議員)
  サルの群出現!(孟子)

三 生活道路問題
  海南市の動脈硬化解消へ阪井バイパス
 大きなお寺の和尚さん訪問

四 海南市政と結んで
 市民の期待にこたえる市民病院に
 黒江の市政懇談会に参加して
 五色台議会傍聴記

五 庶民のくらし
 おかちゃん     
 昼間の酒  
 石段の上の家    
 八〇〇円の重み

六 教育・文化・スポーツ
 立派になった教え子たち
 立派な小学校・でも決め手は教師集団
 古木が見つめる学校で
 校舎管理からサルの被害まで・校長さんも大変
 海南市に元気呼び込む少年サッカー大会 
 暗い照明・少年たちに夢を
 海南市民の高い文化と貧弱な文化施 

七 候補者活動から
 「政治家らしくない候補者」と同級生たちの支え
 下手な演説にも激励    
  ポスター張りは楽し
 ゆきずりの方とも対話  
 格子からわたされたビラ

八 その他もろもろ
 「せんそうしないでね」  
   消防団のご苦労     
  ある詩人との出会い   
  地域の銭湯にお年寄りを

九 紀光とわたし
 
十 駅前での演説から




はじめに




  私は、二〇〇〇年八月、中山ゆたか県議のあとをついで県議会に挑戦することを表明し、
このたび皆様の支えで当選させていただきました。
 この八カ月間、多くの皆様にお会いし、たくさんのことを教えていただきました。教え
ていただいたことをそのつど、「雑賀ニュース」「さいか光夫の赤旗読者ニュース」など
にして、みなさんにお返しして来ました。そこに書いたことをパンフレットにしてみるこ
とにしました。
 文章は、基本的には、「ニュース」に掲載したままにしています。いくつか、「民報号
外」や「演説原稿」から転載したものもあります。
 みなさまから学ばせていただいたことの、自分自身のための覚書のようなものですが、
興味をお持ちのことだけでもお読みいただき、一緒に考え、私の考えの足りないことやさ
らに多くのことをお教えいただければ幸いです。

二〇〇三年四月
                    雑賀 光夫




 

ある社長さんの提言

同級生の事業家といっしょに海南市の財界人のところをまわりました。  「選挙のためと思うな。おまえは世間知らずだから共産党以外の人の意見を聞け」と同 窓生の事業家氏は言う。望むところだ。ちがう意見を受容し一致点を求めるところにこそ 日本共産党の本分があるのだから。こういうわけだから、「共産党公認というのがなかっ たらいいのになあ」という話がでる。私は「中山県議のあとですから」と笑って聞き流す。  大きな家庭日用品の社長の方がいわれる。「小さな穴をあけることからでも活路を求め るべきだ」「高津の桃も桃山に負けないところまできた」「いまは、生産者を明示した農 産物が喜ばれる」私の脳裏には、元気市に農作物をだしているみなさんのすがたと社長の 提言が重なった。  さらに社長は言われる。「閉店したジャスコを海南市と商工会議所が県の支援も受けて 買い取り、地場産業の即売をしてはどうか」「マリーナに行くバスも海南インターでおり る。昭南跡地もあるから駐車場もとれる。漆器も家庭日用品も農産物も即売して昼食をと れる場所にしたらいい。紀南にむかうバスも、有料道路の料金の切れ目だからちょうどい い」 こういう提言は、決して聞き流すことなくしっかりと胸に刻んで帰ってきました。

町づくりシンポにて 

2月2日のまちづくりシンポは、画期的なとりくみだった。私も「元気な海南」をめざ すものとして討論に参加したかったが、時間が押し詰まってきたので、司会者の「2分程 度で」という要請に協力して言いたいことを控えさせていただいた。  時間があれば言いたかったのは次のことである。 @ 海南市でも大手の家庭日用品業界の社長のお話を聞いて、海南市の活性化について「元 気市」にとりくんでいるみなさんやこのシンポジウムを主催した私たちと共通の問題意識 をもっておられると感じたことこと。(ここまでは発言した) A 「阪井バイパス」など道路交通問題について地域でお話しすると「行政はとりくみを 私たちに公開すべきだ。そうすれば応援できることは応援する」という意見が出る。市民 運動というものは、本来、行政と対立するものでなく市民のための行政を応援するものな のだ。  「温かい給食を子どもたちに」とたちあがったお母さんたちの願いは、海南市の教育行 政からみても宝物にしなくてはならない。 行政は財政上の都合などもあって、要求にそのまま応えられない場合もある。それでも、 お母さんたちの願いに共感し、一緒に考え、悩んでほしい。お母さんたちの願いに対して、 当時の行政も日本共産党以外の市会議員のみなさんも、「お母さんたちの願いをどう押さ え込むか」しか考えなかったのではないか。 B そう考えたとき、今回のシンポジウムに「市長の代理」として海南市の幹部の方がパ ネラーとして出席して、「市民とともに考える」という姿勢を示されたことの意味は大き い。 (「町づくりシンポ」にかかわらなかったみなさんには、わかりにくいことをかいてご めんなさい)

海南から日本庭園を世界に

11月8日、日本共産党の経済提言をもって、河野市議と家庭日用品業界をまわった。  いくつかの業者を訪問したあと、ある事業所におじゃました。事務所のそばに倉庫があ るが、その前に日本庭園の門みたいなものがおかれている。「家庭日用品からガーデニン グのようなものに進出してけっこう大きくなったんだ」と河野市議が説明してくれた。待 合室におかれていた業界雑誌をみて、この業者が東京はじめ全国に出張所を持っているこ とを初めて知った。  社長がおられずに専務にお会いした。この会社も「中国に工場を持って1000人ぐら い働いてもらっている」という。けれども、逆輸入だけではない。そこからヨーロッパに も、アメリカにも日本庭園を売り込んでいる。「中国そのものも大きな市場になってきて います。中国経済との共同した発展が必要ですね」ともいわれる。  最近、あちこちで「中国からやすいものが入ってきてかなわん」という話を聞く。その 通りなのだが、「中国経済脅威論だけでなく、中国という大きい発展しつつある市場をど う開拓するかという観点がいる」という意味のことを日本共産党・不破議長が言っている。 その観点でのお話を、海南の家庭日用品組合の一つからお聞きできたのである。  この企業は、社長の親の代にはシュロ関係の仕事をしていたのを、現社長が若い頃、大 きく転換して20数年になるという。  帰りがけに、どんな製品を扱っているのかと倉庫をのぞかせていただいた。すると、倉 庫で作業していた女性が、「いらっしゃい」と対応してくれるではないか。「社員教育が よくできているんだなあ」と河野市議と話し合いながら帰途についた。

商店街に元気呼び込む子どもたち

 一番街で世話人の方のお店におじゃました。 そこでお店の奥さんからお聞きした話。  「日方小学校の子どもたちが空き店舗を利用してバザーをやったんですよ。売り上げは、 福祉や地雷除去などにつかうんだそうです。  はじめは恥ずかしがって『いらっしゃい』ともいえなかった子どもたちが、どんどん元 気になってお客さんの呼び込みをするんです。それも心得たもので、店で買い物している 客のじゃまをしないように、声をかけるんです。  あとから報告とお礼に来てくれましたが、17万円もうれたそうですよ。先生にお聞き したら、『またやりたい』といっているとか」 新聞にも何度か載ったらしいが私は見ていなかったので、さっそく学校によって校長さ んに新聞のコピーをいただいてきた。「市長さんものぞきに来てくださいましたよ」と校 長さんは言われた。 子どもたちと商店街が一緒に元気になる教育実践ができているというのは、大変うれし い。

プチトマト・糖度十一

「高津でいのしし防護柵をはっている」と河野 議員が知らせてくれたので見に行った。  前山さんに車に乗せていただいて、柵作りの現場を探したが見つからない。あるビニー ルハウスに立ち寄って聞いてみると「その日は、雨のため防護柵づくりは中止」とのこと。  そこでプチトマトづくりの話を聞かせていただいた。  ビニールハウスの温度は13度Cに自動調整されている。「いまなら夜は暖房機はうご きづめだろうから、燃料代はそうとうかかる」という。  有機肥料、無農薬の摘みたてトマトをいただく。おいしい。「10人ほどのグループが あって、『おいしん房』というブランド名で売り出すつもりだが、まだ糖度がたりない。 糖度8,5はクリアーしても、低いものもまじるから9以上のならないと。甘くなれば糖度 11ぐらいになる」  生産農家のこだわりが、伝わってくる。「高津の桃は安楽川をこえた」とも聞いたが、 こんな農家の努力がある。

耕作できないと罰金 ?

 南野上をまわり、次ケ谷・上谷・ひや水などの集会所で懇談会を開かせていただきまし た。 「お父ちゃんが病気で、もう耕作ができない。近所に頼もうにもどこも手いっぱい。朝 日新聞で、耕作を放棄したら10万円の罰金をとられるという記事を読んだんですが本当 ですか」というお話。  「朝日」の記事は、山間地の農業にはあてはまりません。それにしても、お金を出して 減反を奨励すると思ったら、今度は耕作放棄の田畑に罰金とは? 耕作を放棄するところ に追い込んだのは、だれなのか? 南野上での懇談会では、たくさんのきびしいご意見をいただきました。過疎化にたちむ かっている皆さんの切実な願いです。「上水道もないところに嫁が来るか!」「南野上に 県営・市営住宅を」「小学校に保育所を併設したらと思うが、縦割り行政ですすまない」 など。  ある地区で「南野上の給食はおいしかった。それが、給食の統合で子どもたちはどう言 っていますか」とお聞きしました。帰ってきた返事は「この地区には小学生は一人もいな いのです」  自然と共生できるすばらしい南野上。元気な子どもの声が響く地域にしたいというのが、 みなさんの願いです。

農産物被害対策を(九月県会中山議員) タイワンザル・イノブタ・アライグマ、新手つぎつぎ

 中山県議は、タイワンザルやイノブタの農作物被害対策を求めて、今まで何回も県議会 で取り組んできたが、今夏、突発的に発生した農作物の課外の新手として出現したアライ グマをとりあげ、その対策を求めた。  アライグマともタヌキともいわれる状況の混乱は行政の取り組みの弱さの反映実態を的 確に把握し、この対策に当たれ。中山議員は、地域での集会で住民から聞いた話や訴えら れた内容を忠実にとりあげ、それの取り組みを求めた。  県は、今夏突発的に発生した事象であることから、実態把握につとめるのもならず、ア ライグマに至るそれぞれに対症療法的なとりくみでは的確に対応しきれない、人間と共生 できる生体系確立をめざすことを視野に入れて、科学的に対応できる調査研究機関を設け よと強く求めました。  これについて、被害続出している田辺・日高地域の議員らも、賛意がよせられています。

サルの群出現!(孟子)    中山・さいか・河野がとんだ    県・市行政がうごいた

 十一月四日夕刻、さいかさんと一緒に宣伝カーで回っていた河野市議の携帯電話に急報。 「これまでにないサルの群があらわれた」孟子の山田さんからです。中山県議に連絡する と「あす朝いちばんで行こう」。 五日、朝の八時に現地へ。木原さんの案内。いるわいるわ、猿の群が人家の屋根にかた まっている。空き家のそばの柿木が放置されているので、その柿を食べにきたのです。小 学校の校長さんも心配してきてくれていました。登校時間です。被害にあったみかんも見 せてもらいました。さいかさんはデジタルカメラに収めます。 午前九時、河野市議は現地から、海南市の農林水産課長に電話。課長みずからが現地に とんだそうです。一方、県では中山議員のところに関係部課のみなさんがやってきた。「振 興局交渉で指摘されたように、関係部課で連携する体制をとりました」とのこと。(「海 南民報・号外」十一月一日参照)

都市計画へ 今年度中に審議会へ 海南市の動脈硬化解消へ阪井バイパス

「 海南市の西部から東部への国道三七〇号線は海南の動脈。動脈硬化を解消する阪井 バイパスの進行は?」と雑賀さん。  「自治会でアンケート。バイパス賛成は九〇%。県が示した経路にも七〇%の賛成をい ただいたので、計画を国と協議し、平成十四年度中に都市計画決定をすべく、今年度中に 審議会にかけたい」と前向きの姿勢を明らかにしました。 また、河野議員からの提起をうけて野鉄跡地の遊歩道に、今年度予算で二基の照明を 増設することも表明しました。 * 十月二九日の県事務所交渉について「海南民報・号外」〔十一月一日〕より

大きなお寺の和尚さん訪問

 西念寺というのは、阪井の大きな寺です。元海南市長の山本有造さんは、檀家です。阪 井の親戚の紹介で、ここの和尚さんとお話して「この方は人物だ」と感じ入りました。そ こで二日後に、こんどは一人で訪問しました。海南市の地図をもっています。 車を山門につけて携帯電話で電話します。「先日お伺いした雑賀です。和尚さんはいら っしゃいますか?ちょうど近くにきてるんですが、差し支えなかったらもう一度お伺いし たいんですが………」 「どうぞ」という返事をもらって、車をお寺に乗り入れます。 和尚さんにお会いすると、テーブルに海南市の地図を広げます。 「海南市の活性化のためには、阪井地区を通る東西の道路をどうするかがカギです。そ の道路は、ここのお寺の合意抜きにはできません。先日の、和尚さんのお話、なるほどと も思いましたので、今日は、詳しくお聞きしたいと地図をもってきました」 地図に線を引きながら、いろいろな案を出し合います。 「阪井地区の区長さんなども入っていただいて、ご意見をお聞きしたいですね。県・市 の土木担当者と一緒に、半日かけて現地を見てまわってはどうでしょう。」と雑賀提案。 話ははずみました。 和尚さんの若い頃、京都大学にまねかれたころの思い出までふくめて、おいしいお茶を いただきながら、話し込んでしまいました。  * この文は、上記の県事務所交渉以前に書いたもの

市民の期待にこたえる市民病院に

市民病院院長先生、事務長さんと懇談の機会をもたせていただきました。中山県議・幡 川市会議員団長といっしょです。 私たちの市民アンケートでも「市民病院改築」の要求は大変強いのです。しかし、近く に和医大病院、野上厚生病院があるなか、どういう病院として再生するのかが問われます。  私は懇談会で「子どもが熱を出して夜間診療に電話したら、二回とも耳鼻科の先生だっ た」という声があったことを紹介しました。 院長さん・事務長さんもその問題はよくおわかりになっていて「小児科病院がすくない ので、小児科の先生を三人体制にしたのです。小児科が少ないというのは、小児科は手間 がかかるのですが、その割に診療報酬が低いという問題があります。夜間の診療について も、小児科、内科の先生の当番日を、『市民病院だより』でお知らせするようにしていま す」という話をしてくださいました。 市民病院の施設の老朽化で、抜本的な改築が急がれます。どういう病院にするか、市民 の願い・医師会との合意が必要です。「病院間のネットワークを」とも語られました。ま た、「病院をどこに建てるかという問題は、病院だけの問題でなく、海南市の町づくりの 一環として考えるべきではないでしょうか」という話も出されました。  市民共同の仕事として、早く実現したいものです。

黒江の市政懇談会に参加して

 黒江公民館での「市政懇談会」に参加させていただいた。  市当局が用意した資料は、「合併やむなし」という前提にたって「合併の優遇財政をつ かって、市民病院建て直しをはじめ懸案事項をかたずけよう」と合併のメリットをならべ たものである。それも分からなくはない。  「岩出町は合併なしで市になろうとしている。打田町も合併に消極的だ。市は合併のメ リットばかりいうがデメリットもあるのではないか」というその場で出された市民の意見 は、必ずしも「合併反対」ではない。「メリット・デメリットを市民に知らせて、市民に 判断させよ」ということだと私は聞き取った。私も同感である。  市長は自分の二人の娘さんが大学に入ってそれぞれワンルームマンションに入った話を して「二人の大学時代が重なるのが一年だったから無理をしたが、これが三年も続くのな ら、二人一緒に住んでくれと言っただろう」と語り、市町村合併の根っ子は国の地方財政 への補助切り下げだということを率直に語った。  示された資料でも、海南市・下津町がそれぞれ受け取っていた地方交付税(国から回さ れる財源)の合計が五一億円たらずであったものが、合併すると将来四二億円あまりに減 ってしまうことが読み取れる(この数字は、今後の制度改革や条件の変化で変動がある)。 その上で、合併後十年間は、いろいろな優遇措置がとられるわけである。  「まず合併ありき」でも「合併反対」でもなく、もう少し詳しい長期的なシュミレーシ ョンを出していただき、市の将来を具体的に明らかにして市民のみなさんとともに考えた い。

五色台議会傍聴記 (岡議員の奮戦)

 五色台聖園は海南市・野上町・美里町・貴志川町が共同で運営している。その運営の問 題点について岡市会議員が追及した。  運営責任者は、黒西野上町長、事務局長というのはAさんという野球好きの人間らし い。併設されている球場の運営にえらくいれこんでいる。また、火葬業務を受託している 五輪という会社が労働者の首切りをして裁判になったことがある。 1 五輪という会社との契約が競争入札でなく随意契約になっているのはなぜか。 黒西町長は、五色台を設立した当時、あちこちを視察して、最良の方式を採用したこと、 その工事をできる業者が、宮本工業とあと一社しかなく、宮本工業の方式がいいので契約 したことなどのべ、その関係で五倫と随意契約した経過をのべた。(説明の流れでは宮本 工業の話はあとから出てきた) ところが、契約しているのは北陸に会社を持つ「株式会社五輪」だが、実際に仕事をし ているのは、子会社の「有限会社五輪関西」である。「下請け会社」と説明されている。 別会社であって株式会社五倫の出張所ではない。株式会社五倫がピンハネして、子会社に やらせていると見るのが自然だろう。 岡議員は主張する。「地方自治法の立場から言って、随意契約というのはおかしい。橋 本市では、はじめは五倫でやってきたが業者を変えた。競争入札できないはずがない。」  黒西町長の答弁「随意契約がいいことはないが業者がないんだから仕方がない。宮本工 業の炉で五輪以外の業者でやれるのかどうか。橋本市が業者を変えたことははじめて聞い た。経費削減になるのならやりたい。」  財政が大変ななか、まことにのんきな話である。ところで黒西氏は決してのんきなお人 好しではない。やり手である。のんきに見える答弁のバックに、なにかの事情がなければ いいがと心配になる。 すくなくても今回の追及で、近く行われる契約では競争入札をしなくてはならないとこ ろに追い込んだ岡議員の奮戦だった。 2 驚くべき放漫な財政運営   岡議員の追及で、いろいろなことが明らかにされた。  @ 「納骨堂の掃除を28万円かけて年3回、北陸の業者にやらせている」  雇用情勢が大変なとき、なぜ北陸から掃除にきてもらわなくてはならないのか。本当に 北陸からきているのなら、交通費にかかってしまう。「納骨堂の掃除」というのは、それ ほど専門性を要する仕事なのだろうか。  A 「球場で紙コップに5万円」  事務局長は「かためて買った」と説明したあと、「球場ではその後紙コップはいらなく なった」と付け加えた。大量の紙コップは、当初の予定外のところで有効に利用している そうである。 B 「球場の砂に一一〇万円」「石灰一〇九袋」「塩化カリウム一四〇袋」  放漫支出が、次々に明らかになる。「専門の野球場ではないのですよ。海南の市民グラ ンドでも年間の消耗品費は十数万円です」と岡議員は述べた。

おかちゃん 

 雑賀さんと岡市会議員は、昼ご飯をたべに市民グランドそばの「おかちゃん」に入りま した。  お父さんは辰が浜に釣り舟をもっているのでこの店は新しい魚がおいしい。この日も、 太刀魚とアジの刺身に舌鼓。「いい日に来たよ。昨日やっと漁に出られて太刀魚がはいっ たんだ。アジは一日おいた今日がたべごろ」  二人が食事するカウンターの向うで、おかちゃんは、漁師の仕事を語る。雑賀崎の漁師 と一緒に串本まで漁に出た話など。釣りにくわしい岡さんが話し相手になる。すっかり仲 良しになったところで、雑賀リーフを渡すと、おかちゃんは「よしわかった、応援する」 とカウンターの前につりさげてくれました。  「前の日に電話してくれたら、太刀魚の味噌漬をしといてやる。あれは、前の日につく らないと酢がぬけるんだ」とおかちゃん。

昼間の酒 ふたたび「おかちゃん」で 

   市民グランド前の飯屋「おかちゃん」のことを書いたニュースをもって、「おかちゃん」 で昼食。  この日は、大将もいる。「ひさしぶりやのう」というおかちゃんの言い方には、ひとつ もいやみがない。みんなにニュースをくばると、おかちゃんも大喜び。 大将に「ポスタ ー張ってもいいですか」というと「ええよ」と快諾。この店には、外に3枚、室内に2枚 の「さいか・石井」のポスターを張ってくれている。  ところで、この店では昼時に一升瓶を前において飲んでいる職人さん風の人がおおい。 「昼間から飲めて結構ですな」というと「そうやない、仕事がないんや」とおっしゃる。 そして「共産党、がんばってくれよ」と激励していただいた。「うちの母ちゃんは創価学 会やけど、わしは共産党のほうがええんや」といわれる方もいる。

石段の上の家

 幡川市議と一緒に黒江をまわった。中言神社の裏には石段があって山の上まで人家があ る。私は、黒江・一中校区に育ちながら、この地域をまったく知らなかった。子どもの頃 の遊び場所は、城山トンネルの上の城山、池崎山、柿本神社の宮山、永正寺であって、浄 国寺(ごぼうさん)と中言神社で遊んだ覚えがない。  さて、幡川さんとまわると「お世話になりました」と言われる方が多い。この石段には、 きれいな手すりがついているが、石段と手すりの整備に幡川議員ががんばられたのである。  そのいちばん高いあたりで、おばあさんがおっしゃった。うずたかく積まれた新聞の束 を指さしながら。「この新聞をゴミに出そうとしたら、鳥居のところまで出さなくてはな らんの。前にはとりにきてくれたんやけど。病院にいくので精一杯で、とてもできへん」  近所の若い人に頼もうにも、隣近所もお年寄りである。手すりがあるとはいえ若い私でも足が痛くなるような石段、毎日、上り下りするお年寄り、そして「ゴミを取りに来てほ しい」という訴え。この声が行政と政治に届くようにしたい。

八〇〇円の重み

幡川議員、民商の役員さんと一緒に船尾をまわった。今日の中心は「新聞赤旗」購読の おすすめである。なんといっても政治の問題、生活の問題を考えてもらうには、赤旗を読 んでいただくことがいちばんだからである。北朝鮮の拉致問題で、公明新聞が無責任な共 産党攻撃をするなどもあり、できるだけ多くの方に「新聞赤旗」を読んでいただきたい。  月八〇〇円いただいて新聞をお読みいただくとなると、生活が語られる。漆器製造業を なさっていた方は言われた。「売り上げがどんどん落ちて、月二十万円。工場の借り賃に 七万円、家賃に三万円。少ないときは月六万円しか収入のない月もあった。とうとう、機 械を引き取ってもらって閉鎖したんです」  絵入れの技術を持った働き盛りの方はいわれた。「とらしてもらうけど、いま大変なん ですよ。本職の収入は月十万円。あと、一時間千円で徹夜してアルバイトして、なんとか しのいでいる。そこから払う八〇〇円だということをわかってほしい」  身の引き締まる行動で、苦しい中から四人の方が購読を約束してくださった。

立派になった教え子たち

 お盆に私が教員になってはじめて教えた教え子が十五人ほど集まってくれました。四九 歳の働き盛りです。暮らしの様子を聞いてみるとそれぞれ大変です。  NTTにつとめている。超優良企業です。でもリストラ・配置転換で大阪勤務、朝は四 時おきで大変だと語っていました・ 「箒屋です」といったのは、家業の家庭用品を継いだ教え子です。不況と中国からの製品 との競争で大変だと語っています。  二人の息子の就職が決まらないという悩みを語るものもいました。  特別養護老人ホームで働いている女性は、百人もの待機老人がいるという話しをしてく れ、そこから自分の親の介護の問題で苦労話が出されました。49歳というとそういう年 齢です。その集まりだけでも、政治が解決しなくてはならない問題がいっぱいです。  先日は事務所に、一人のすてきな女性がたずねてきてくれました。紀南の温泉病院の 看護婦さんなのです。今日は、学会などあって、こちらにきたんだそうです。話しぶりに も立派に仕事をしていることへの自信があふれています。立派になっているのに感動しま した。

立派な小学校 でも決め手は教師集団

退職教員との学校回りは、海草全域におよぶ。井沢、角谷、松本という元校長、元和同 教の豪華メンバーが付き添ってくれている。  野上小学校の校舎はすばらしい。木のあたたかさをいかして、ぴかぴかの廊下が広くな って、学年行事などできるだけのオープンスペースをとっている。県外からも校舎視察が 多いという。  その前に、公民館にたちよって田尻公民館長(前教育長)にお会いした。野上町の公民 館は立派なものだ。生涯学習の行事も活発だとお聞きした。「町長は教育を大事にしてく れて、好きなようにつかえと各学校にお金をくばったんだよ」と田尻さんは語られた。そ れから、野上小学校の校舎に話が及んだのだが、こう付け加えられた。「校舎は立派にな っても、決め手は教師集団だな」と。「教師集団」という言葉がでるところに、昔の同僚 だった田尻さんらしさをみる。  そのあと訪問した学校の校長は、初任は小川小学校で「生石の子」という作文集をつく り僕に送ってくれたことがある。お父さんが目を真っ赤にして炭を焼く姿が描かれていた。 そういう生活を掘り起こしていることに感動して、感想の手紙を書いたことがある。その 校長、いまも作文を大事にしている。しかし、書く力が低下した、書くべき生活がなくな ったと嘆かれる。しかし「先生らにたのんで授業を持たせてもらってんのよう」という言 葉はうれしかった。  なお、「市町村合併をみこしてか、校舎をなおしてくれない」とこぼしていた学校もあ ったことを付け加えておこう。

古木が見つめる学校で

 退職教員のみなさんと一緒に、学校を訪問した。職員室でリーフレットを配るようなこ とはしない。校長先生にお会いして、苦労話を聞くのが中心である。  海南市の学校は、おおむね落ち着いている。海南一中の立派な体育館を見せてもらった。 古い体育館がたったのは、私が中学生のころだから、四〇数年ぶりに新しくなったわけで ある。校舎も、私が中学生だったころの校舎はのこっていない。 運動場に大きな楠の木がある。それも端っこではない。「この木をどうするかと考えた が、生徒たちが残してほしいというので、残したんです」と校長さん。卒業生が十年、二 十年たって学校を訪れたとき「この木は、僕らが残したんだ」と胸を張ることだろう。  井沢先生が言い出された。新設された東海南中学校と大野小学校をのぞいて、どこの学 校にも古木がある。その古木は、学校の歴史を見つめ続けた木だ。学校の古木の一覧をつ くったらどうか」と。

校舎管理からサルの被害まで 校長さんも大変

退職教員のかたと一緒に学校を回る。 ある中学校で教頭さんと休憩室で話していると、手の空いた先生方もはいってきて、話 の輪ができる。「マイナス人勧なんてひどいですよ」「五日制になって学校が忙しくなっ た」「提出書類に追いまくられる」と話がでる。そして、子どもたちのこと。  教頭さんは「トップダウンの押しつけは困るが『教育改革』ということに後ろ向きにな ってはいけない」と語られる。教頭も職員もあつまってきて、わいわいがやがや言い合え るところに、海南の学校現場の健全さをみた思いがした。  生徒減のなかで、「生徒数が増えて教室が足りなくなるのでは」と心配するのは、亀川 小中学校。「運動場を社会体育につかうので、校門を開けているんですが、外部からみえ ないたまり場ができてしまうんです」。学校を管理する責任を負わされた校長の苦労は、 いろいろである。 海南東部では、農産物への鳥獣被害がいちじるしい。サル、イノブタ、最近はアライグ マが加わった。サルは、登校下中の児童生徒まで脅かす。「こんな通知を出しているんで す」と見せていただいた。そこには「サルと目をあわさないようにすること。後ろを向い て逃げださないこと。」などかかれている。(不正確だったらゴメン)

海南市に元気呼び込む       少年サッカー大会 

新春恒例の少年サッカー大会に中山県議に同行した。中山県議、河野市議がサッカーの指 導に尽力されていることは知っていたが、私としては、はじめてのことである。 海南市民グランドでの開会式。主催者挨拶が簡潔なのは気持ちがよかった。驚いたのは 参加チームである。南は串本から北は門真、高槻からきていただろうか。四七チームが正 月、海南市に集う。 中山さんは語る。「一九七〇年、和歌山国体マスゲームに子どもたちがかり出された頃、 子どもとスポーツの関係はこれでいいのかと考えた。一方、子どもがテレビにかじりつく 状況があった。  社会体育である少年サッカーは、学校教育を補完するものであってそれを超えてはいけ ない。また、競技スポーツには、『勝ちたい』という気持ちが出るのが当然で、勝つこと をめざしてがんばらなくてはいけないが、勝利至上主義になってはいけない。親が育成会 の役を持つのが大変だと思うこともある。いろいろ議論しながらここまで来たよ」  海南で盛んになった少年サッカーが、施設がととのっている訳でもない海南に、県下・ 大阪から毎年多数のチームを呼び寄せていることに驚きと関心を持った。「元気な海南」 を子どもたちが先取りしてくれているように思った。

暗い照明・少年たちに夢を      サッカー青年たちとの懇談

 少年サッカーに参加し、いまは社会人としてサッカーチームをつくっている青年・少年 サッカー保護者のみなさんと懇談する機会があった。  まず、出された要求は「サッカー専用グランドがほしい」という声である。理想として は、芝生の本格的なグランドがあるにこしたことはない。しかし、さしあたりの願いは、 ささやかなものである。  「中学校のグランドを借りるが、野球のためのナイター設備なので、暗い」「公式のコ ートをとると、ピッチャーマウンドの盛り土にひっかかる」「沖野々のグランドは、狭い 上に少年用のゴールしかない」など。  お正月に海南市を中心に開かれる少年サッカー大会には、北は高槻市から南は串本町ま でのチームが集まる。それほどサッカーが盛んな海南。ささやかな要求がかなえられない はずがない。 「公式戦ができる環境でトッププレーをみて、子どもたちが夢を追いかけることができ れば」という声もあった。

海南市民の高い文化と貧弱な文化施 

中山ゆたか議員に「公民館文化祭にいきましょう」と誘われました。海南市は公民館活 動が盛んです。最初の立派な公民館が内海にできたのは、たしか明楽民主市政のことだっ たと思います。  公民館文化祭を回ってみて驚きました。絵画・書道・写真・いけばな・俳句・手芸・陶 芸など、みごとで多彩な市民の作品が展示されています。お茶をたててくれるコーナーや 囲碁大会もあります。  海南市民の中には、こんなに立派な文化がある。その海南市には、文化会館も図書館も ない。  選挙中にも市民会館で墨絵と書道の個展が開かれていました。展示されていた作品にく らべて、市民会館はあまりにもみすぼらしいではありませんか。       (選挙終盤の個人演説会原稿より)

「政治家らしくない候補者」と         同級生たちの支え

中山県会議員から「後をついでほしい」といわれたとき、何人かの同窓生の方のところに 相談に行きました。 「お前、ほんまにいくんか」と心配して何度も念を押してくれた方がいました。 「ええやないか。そやけど、お前は昔から気が弱いからなあ。弱気にならんとやれよ」と いってくれたのは、幼稚園のころから私の気心を知っていてくれた友人でした。 「一番政治家らしくないお前が、選挙に出るとはなあ」という声。 「出るからには、『中山さんにいわれて』というんでなしに、お前が県会に出て何をやり たいのかはっきり打ち出せ。」率直に言っていただけるのは同級生だからこそです。こん なアドバイスをいただきながら、私の心は固まっていきました。 ………(中略)………  いま、私利私欲でなく、県民・市民の願いに答える政治家が求められています。中山さ んはそうでした。ところで私は、まったく政治家らしくない。演説は下手だ、パーフォー マンスができない。そんな政治家としての弱点を、同級生のみなさんは心配しながらカバ ーしてくださっています。  実は、私があまりにも演説が下手なので、私の家内が心配してくれました。昨夜、演説 原稿を読む練習を家内の前でしました。「多少、言葉ははっきりしてきた。でも抑揚がな い。笑ってもらえるところがない」という酷評です。 (いま、皆さんに笑っていただいた部分は、家内の酷評を受けた上で、「こんな話を入れてもいいか」と家内に相談して許可を受けて作った原稿です)  それでもいい。私の好きな詩人、宮沢賢治は、歌いました。 「ヒデリノトキハナミダヲナガシ   サムサノナツハオロオロアルキ    ミンナニデクノボウトヨバレ   ホメラレモセズ  クニモサレズ  サウユウモノニ  ワタシハナリタイ」 宮沢賢治が政治家になっていたら、もっとも政治家らしくない政治家だったでしょう。私 はそういう政治家があってもいいと思います。     (後略)       (「同窓生のつどい」での決意表明より)

下手な演説にも激励 

私は演説が苦手。選挙演説というのは、照れてしまう。けれどもそう言っていられな い。同じ原稿で一〇〇回しゃべれば何とかなるだろうとやりだした。 はじめは、一〇分の演説を五回やると、頭が酸欠状態になる。けれども、手を振ってく れる人、車を運転しながら目で合図してくれる人など励まされる。  一〇〇回目の演説の頃、聞いてくれていた女性が、「あじさいニュース」に書いてくれ た。 ……………………………………………  先日Aコープ前で、雑賀さんが街頭演説をしていました。  最初、児童扶養手当制度の改悪問題でした。聞きながら、私の親戚にも離婚して二人の 子どもを抱えている人がいますので、その娘の顔が浮かびました。  次に特別養護老人ホーム入所一年あまり待ちの話です。私も痴呆が進んでいる母を抱え ているので、うちの問題でした。  次に医療改悪の問題でした。一万円も持っていかなければ医者へ行けないとはなしてい ました。これでは、おちおち風邪もひけないと思いました。  Aコープは十一月末で閉鎖です。また失業者が増えます。  夫の給料、ボーナスは下がると言っています。 私のごく近くにも深刻な問題がいっぱ いです。  雑賀さん、当選して世直しにがんばってくださいね。本当に頼りにしています。      (北野上・主婦)

ポスター張りは楽し

ポスター張りは楽しい。一枚張るごとに、町の景色がかわっていく。 でも最初の一枚をお願いするのに勇気がいる。とくに、自分の家の隣だとかどうしても 断られたくないところに頼むのは、すごく勇気がいる。本当に好きな女の子に「好きです」 とどうしてもいえないのと同じである。  でも、勇気を出してお願いすると、右隣のプロパン屋さんも左隣の酒屋さんも快く張ら せて下さった。それに勇気を得て、東浜の商店街は、ポスターだらけになっている。まだ 張らせていただけることがわかっているお宅もあるのだが、あまり東浜ばかりに張ると、 他の地域と差がつきすぎるので控えている。  市会議員の岡さんと一番街でポスターを張った。喫茶店のいい壁がある。支持していた だいているが、商売しておられるから断られてもともととお願いしてみた。すると「いい ですよ」と快諾。それに勇気を得てどんどん頼んでまわった。  私は気が弱いから「入り口の前というのはいかにもですから、端のほうに張らせてもら えませんか」という。岡さんは大胆である。知り合いの散髪屋さんでは「このガラス窓に 外から見えるようにはらしてくれんかなあ」など。  岡さんにも勇気をもらった。

ゆきずりの方とも対話

赤旗分局の由谷君と読者・元読者を訪問。自転車で回ります。「すれ違った人にでも目 が合えば声をかけようよ」ということにしていました。 ある読者の向かいの家、背の高い青年と目が合ったので、あいさつ。 リーフレットを渡して「雑賀と申します。次の県会議員選挙で、中山さんからバトンタ ッチしますのでよろしく」と型どうりあいさつ。 すると、青年「中山先生から電話がありました。ところで、僕は絵が好きなので、美術 年鑑など買うことがあるんですが、紀光さんの名前ものってますね。『号○万円』なんて。」 大阪の画商にまで好きな絵を買いにいく美術愛好青年でした。  二人のおばあちゃんとすれ違いに目が合いましたが、自転車だから通り過ぎました。け れども「これではいけない」と10メートルも行き過ぎてから、とってかえして、おばあ ちゃんたちにあいさつ。  「あれ、あんたとは親戚になるよ。○○さん知ってるやろ」とおばあさん。「ええ、あ そこの節チャンには可愛がってもらったんです」と雑賀。「どんな関係になるんかのう」 とおばあさん。二人のおばあさんは、後援会に入り、別れ際にはがんばれと手を振ってく れました。おまけに犬の散歩で通りかかった元社長さんとも知り合いになりました。

格子から渡されたビラ

投票日前々日、藤白をハンドマイク宣伝しながら歩いていました。格子のレンジのすき 間から寝たきりのおばあさんと握手しました。すると、おばあさんがチラシを差し出すの です。それは、私たちの陣営の方が選挙前に配ってくれた、私の顔写真入りのリーフです。  なんとそこには、「ガンバレ」「さいか ガンバレ」とサイインペンで書いてあるでは ありませんか。  わたしはその夜、内海公民館での個人演説会でそのことを紹介し、次のように付け加え ました。  「このおばあさんは、ハンドマイクの声が聞こえてきたからといってペンを持って書く などできるとは思えない。何日も前から、誰かきたら渡そうと用意してくれていたのでし ょう。このおばあさんの思いに応えるためにも負けられません。助けてください。」と。 投票日に、「早朝投票に行って倒れて怪我をした」という話を聞いてお見舞いに走りま した。めったに外出しないおじいさんが「今回は投票に行く。早く行かないと気がすまな い」と出かけられてのことでした。 投票日翌日、東浜を挨拶にまわって、「雨が降るといけないから、天気のいい日に車椅 子で不在者投票したよ」などのお話をいくつもお聞きしました。  こんな思いにささえられた七七五六票。身の引き締まる思いがします。

「せんそうしないでね」   プラカードをつくった女の子

 燦々公園での平和集会とPEACE WALK に参加しました。  6歳の女の子が持ってきたプラカード。女の子の絵を描いている。そばに花が咲いてい る。ウサギが飛び跳ねている。雲が流れている。そして「せんそうしないでね」と書いて いる。 イラク戦争が始まる前に私にメッセージをくれた小学校4年生の子は「戦争なんてして ほしくない。人が死んでいくのを見るなんてぜったいにいやです」と訴えていた。6年生 の子は「日本人としてなさけない」という。平和憲法をもって世界の平和をリードしなく てはならない日本の総理大臣が、アメリカの言いなりになって戦争の後押しをしているこ とを「なさけない」と言っているのである。 いま、世界で、日本で「戦争反対」「即時停戦」の声が響く。私も子どもたちの声に応 えてがんばりたいと、かわいいプラカードを譲ってもらって、選挙事務所に飾っている。

消防団のご苦労

教え子を訪問しました。たまたま行き会って、「まああがってお茶でも飲んでいけよ」 ということになったのです。 「先生にお願いしたいことがある」という。  「いま、消防団の中心になっている。消防団では年に一回、優秀なものをよりすぐって、 技術を競う全国大会をやるが、それに派遣する費用がたりないんだ」ということのようで ある。  「消防団をやっていると、安心して旅行にもいけないんだよ。このまえ、近所の火事の 時もたいへんだった。消防は火を消したら帰ってしまうが、あとの始末は消防団の仕事だ。 おばあさんが徘徊するのを探しに行くこともあるしね」と教え子は語る。  最近の新聞で、「県庁が抜き打ちで防災訓練をやったら、非常召集をかけられて、時間 どうりに登庁したものが○○パーセント」という記事を読んだことがある。非常召集の対 象者だからといっても私生活もあれば出張もあるからやむをえないだろう。 ところで、一種のボランティアである消防団員が、こんなにまでその役割に責任を感じ ている。むかしやんちゃだった教え子が、すごく立派にみえた。

ある詩人との出会い

地域をまわるといろいろな方にお会いする。 表札を見て、あれっと思った。「この方、詩を書く人じゃない?」とつれてくれた方に聞 いた。  数ヶ月前、梅田恵以子さんに「こういう方から講演の依頼があるんだけど………」聞か れ、私は詩人の世界はわからないから、和教組本部の詩人・植村さんにお聞きして和歌山 の詩人会議の中心になっておられる方だと知ったその方の玄関にたっていたのだった。  そういえば、梅田さんは「海南の方だから、あなた知ってるんじゃない?」と尋ねられ たのだった。 その詩人とは、南村長治さん。推薦文を寄せていただいた。

地域の銭湯にお年寄りを

先週は三〇〇軒を越えるお宅を訪問し、後援会に加入をおねがいしました。幡川議員と あるお風呂屋に立ち寄ると……。「保健福祉センターでお年寄りに百円でお風呂に入れる サービスをしていますが、地域の銭湯は大変です」  幡川議員と一緒に考えました。  「市は善意でやっていることだ。それなら、その費用を、地域の銭湯に一〇〇円で入れ るサービス券を配ることにまわしたらどうだろう。地域の銭湯も元気になるし、お年寄り と地域の人たちのふれあいにもなる」  「元気な海南へ」の知恵をいただきました。

紀光とわたし

  懇談会をして「紀光さんの息子なら絵をかくんですか」「紀光さんの息子さんが、なん で政治の道を歩んだんですか」など聞かれることがある。こんな話をした。 ………私は、絵もかけない。手品もできない。歌は音痴。親の才能を受け継いでいない ので『橋の下で拾われた子だ』といいます。でも紀光の心を受け継いでいます。 一つは、平和の問題。子どもの頃、「どこの政党に投票するの」と父にきいたことがあ る。「左派社会党」と答えた。朝鮮戦争のころです。左派社会党の委員長・鈴木茂三郎が 「青年よ、再び侵略のための銃を持つな」という有名な呼びかけをしたころです。 父は、そのとき戦争体験を語って、「このままでいったら朝鮮での戦争に日本がまきこ まれて、ここにも飛行機が飛んでくることになるのではないか心配だ」と話したのでした。 その後、その社会党が、安保・自衛隊を認める政党に変質します。紀光は、日本共産党 の野間さんを応援します。野間さんのリーフレットに紀光が寄せた言葉は、名言だと思っ ています。  「野間さんは立派だ。同時に、毎回野間さんを国会におくる和歌山県民は立派だ」  紀光は、政治について直接発言することはしませんでした。和歌の浦の開発をめぐって、 不老橋保存がおおきな問題になったころです。紀光は、紀の国会館のギャラリーで、和歌 の浦の風景を描いた墨絵展を開いたものでした。それが、不老橋問題への紀光の発言だっ たのでしょう。 雑賀崎沖の埋め立て問題が起こったときは、紀光はなくなっていました。そのとき雑賀 崎の旅館の若女将さんからファックスが入りました。「雑賀崎沖を埋め立てる計画があり ます。紀光さんが生きておられたら、なんとおっしゃるでしょう!?」私は、大運動実行 委員長という県民要求・環境問題などにとりくむ仕事をしていますから、その旅館に駆け つけてお話をききました。 雑賀崎沖埋め立てを凍結においこむ現地のみなさんのとりくみと民主勢力のたたかいの 最初の接点でした。

駅前での演説から

 本日はお忙しい中、こんなにお集まりいただきまして、ありがとうございます。県会議 員候補のさいか光夫でございます。みなさまの大きな励ましをいただいて、元気にがんば っております。十三日が投票日、最後の最後まで大きなご支援、心からお願い申し上げま す。 アメリカなどがイラクで進めている戦争。胸が痛みます。小学生の女の子からお手紙をい ただきました。 「戦争なんかしてほしくない。人が死んでいくのをみるなんて、絶対にいやです」  平和で幸せに生きたいという子どもの願いを踏みにじる悲惨な戦争、国連の平和的解決 への努力を断ち切って始めた無法な戦争。アメリカは大統領宮殿まで制圧したと伝えられ ていますが、フセイン政権を叩き潰したとしても、難民があふれ、戦争と憎しみとテロの 悪循環が起きるのではないでしょうか。戦争をすすめる勢力に戦争反対の声をつきつけて いきたいと思います。  私たちの暮らしは大変です。不況の問題、医療保険制度改悪。年金がひきさげられる。 そこへ、消費税の引き上げが計画されています。「こんな政治はもう変えたい」という声 が市民の中に広がっています。戦争反対、くらしを守れ、政治を変えようという私たちの 声を政治に突きつけていく選挙。私に大きなお力添えをいただけますよう心からお願い申 し上げます。  地方政治は、私たちの暮らしを守る防波堤にならなくてはなりません。長野県の田中知 事が脱ダム宣言といいまして、くらしや福祉・教育を大事にする方向を打ち出しました。 和歌山県政もそうした方向に向かわなくてはなりません。  私は第一に、元気な海南市になるように県政の光を当てたいと思います。商店街を訪問 したとき、若い奥さんが「私、海南がすき」といわれました。大好きな海南市の商店街が さびしくなっています。でも海南市は、海南駅前に商店街がひろがる。自動車道のインタ ーチェンジがすぐ近くに二つもある。快速電車が海南駅まではいり、海南市の動脈である 国道三七〇号に阪井バイパスをつける、県営住宅を建設する。老人福祉施設をつくって、 お年よりも安心して住める町にする。海あり山あり歴史遺産ありの海南市、住みよい元気 な町にしようではありませんか。  海南市は文化の町。黒江の漆器、文化産業です。市民のみなさんの文化水準が高い。秋 になると公民館の文化祭が開かれます。私もたくさんの公民館の文化祭にお邪魔しました。 絵画・書道・お花・写真・焼き物・俳句などすばらしい市民の作品が展示されています。 しかし、海南市には文化会館もない、図書館もない、市民会館はたいへんみすぼらしいの です。 海南市は少年サッカーのメッカ。お正月の少年サッカー大会には、北は大阪の高槻市から 南は串本まで、少年サッカーチームが海南市に集います。しかしスポーツ施設はどうか。 海南三中で、青年たちがサッカーの練習をしていました。暗い照明で野球のマウンドがも りあがっていて危ないと口々にいっていました。文化・スポーツ施設の充実はおおきな願 いです。  一クラスの生徒数を三〇人以下にすること、学童保育などの教育問題、地場産業への支 援、農業の振興、心配な南海地震への防災対策などたくさんの要求をお聞きしています。  わたしは、なによりもみなさんのところに足を運び、みなさんのご意見をお聞きしら、 その声を県政にとどけたい、そして、市会議員団のみなさん、神出市長とも力を合わせ、 県政と市政をつなぐ仕事をしていきたいと思います。その仕事、中山ゆたか県会議員の後 をうけて、ぜひさいか光夫にやらせてください。私を県会に押し上げてください。みなさ まの大きなご支援をお願いいたしまして訴えとさせていただきます。 ありがとうございました。