雑誌掲載論文

ようこそ!

いま、教職員組合に求められていること(「学習の友」1986,4)
  
県民過半数の「アピール署名」運動(「学習の友」1987,7)
軍拡臨調と人勧凍結反対の世論結集を
雑賀 光夫(「労働運動」1983、3)
         

いま、教職員組合に求められていること
和教組書記長(当時) 雑賀光夫


 「教育の実際の仕事(「教育実践」といってもよい)には、大きくいって、三つの主要
な側面がある。それは、第一に、国民の民族的・民主的課題の解決に役立つような教育を
すすめることである。第二に、学枚と教師の民主主義的な集団化である。第三に、学枚の
所在する地域において、民主主義と進歩のためにたたかっている勤労的な人民と教師との
協力を組織することである。
 これは、『学習の友』を発行している労働者教育協会の運動にも大きな足跡をのこした
掘江正規先生が、一九六三年、「教育闘争」というパンフレットのなかで書いた言葉です。
★ 「掘江正規著作集第五巻」
 いじめ問題に象徴される困難な教育状況、父母の教育への期待を逆手にとって、教育の
反動化を一気にすすめようとする「教育臨調」………。  きびしい情勢のなかで、教育
そのもののいとなみと深くかかわるこの「三つの主要な側面」を全面的に発展させること
の大切さを、私はいま、ひしひしと感じています。


「感性がにぶってる!」
  「いじめ」シンポジウムの一コマから     

 先日、私が所属している和歌山県教職員組合で「いじめ」問題シンポジウムを開きまし
た。小・中学校の先生、弁護士、大学の教育学の先生がパネルデイスカツションをし、二
〇〇人をこす父母・教職員が参加したもので、参加者からも質問や意見がだされました。
 「いじめ」の実態、管理主義やゆきすぎた校則によるとりしまりとの関連、問題を克服
する実践の方向が討議されましたが、それにふれるゆとりはありませんので、私が「ウー
ン」とうなった発言を一つだけ紹介します。

 「若い先生のことです。担任しているクラスに、ものすごくていねいに絵を書く子
がいました。教師がイライラするほどていねいな子というのは、時どきいるものです。そ
の子が放課後泣いていました。せっかくの絵を画板に入れるとき、はしっこが折れて少し
やぶけたのです。先生は『なんや、そんなこと大したことないやないか』とほげましたと
ころ、その子に『先生なんかキライだ』といわれたそうです。
 私は、その先生に『お前、ちょっと感性がにぶってるんとちがうか。なぜ子どもといっ
しょに悲しんでやれないのか』といったのです」。


 発言の味わいを十分お伝えできないもどかしさがありますが、読者のみなさんはどう受
けとられるでしょうか。
 私が「ウーン」とうなったのは、二つの理由からでした。
 @私もそんな場にいたら「そんなこと気にするな」式のはげましをしたであろうと思い、
それにくらべてこの先輩の先生の、一所懸命仕上げた絵がちぎれたことをいっしょに悲し
んでやれという、子どもの内面をとらえる豊かさにうならされたのです。
 A若い先生に「感姓がにぶってるんとちがうか」とズバリ切りこんで討論できる民主的
な教師集団の質の高さです。「先生なんかキライだ」と子どもにいわれて、その話をすぐ
れた先輩の教師の前に投げだした若い先生自身、そのことだけでも立派だといえるのです。
  実は、この学校は、非行で荒れていたのですが、職場教研をくりかえし、合宿研究会で
「子どもをどう見るか」を討議し、非行克服をすすめてきた学絞でした。私はそのことを
知っていただけに、民主的せ教育実践が、民主的学枚・教師集団づくりと結びついてすす
められていること、そして、その民主的で率直な討論のなかで、ともすれば見すごしてし
まいそうな先生と子どものやりとりのなかから、きわめて大切な問題を見つけだしている
ことに、すごく感動して聞きいったのです。
 いま、教育の管理統制の強化、多忙化、受験地獄などが、教師の心から豊かさをうばい、
感性をにぶらせてはいないでしょうか。子どもが見えない、「いじめ」が見えないといわ
れるなかで、私たちは、豊かな心と感性を守るためにも、力を合わせなくてはなりません。
そのためにも、教職員組合が呼びかけて、教育実践を交流・研究する場をもつことが重要
だと思います。

「日の丸」「君が代」のおしつけ許さず!
         語りつがれる戦争体験!

 教育の反動化のなかで、「日の丸」「君が代」のおしつけがすすめられています。とく
に「草の根保守主義」といわれる地域反動勢力による地方議会での決議などで、学校に圧
力をかけることも目立っています。しかし、教職員組合は、学校の由主性を守り、平和・
民主教育をすすめています。
 私の子どもが通っていた小学校での話です。その学校では、卒業式で「日の丸」をかか
げ、子どもに「君が代」をうたわせていました。職場の組合員は、「平和的な国家及び社
会の形成者」(教育基本法)の育成をめざす教育のさいごの授業としての卒業式を、それ
にふさわしいものにしたいと考えていました。
 まず、青年部が学習会を開きました。「日の丸」「君が代」の歴史やそのおしつけのね
らいについて学習した青年教職員は、こんどの職員会議では、みんなが発言しょうと申し
合わせたのです。
 さて、職員会議がはじまると、思わぬことが超こりました。最初に発言を求めたのは、
産休がおわったばかりの、これまで職員会議でもあまり発言したこともない若い女の先生
でした。
 「この問題は、大変大事だと思います。自分の考えをうまくいえないので、考えたこと
を書いてきました。読ませてください」。
 こうして、彼女は、卒業式に「日の丸」「君が代」をもちこむことは、教師としての良
心が許さないことを訴えたのです。
 青年部長は、びっくりしました。まさかと思う人が口火をきったのですから。青年部長
はあわててみんなに目くばせしました。「彼女につづけ。あとがつづかなかったら大変だ」
と。
 青年教師たちは、次つぎに発言しました。もちろん、ベテランの先生たちも。しかし、
枚長はゆずろうとはしません。「わたしの立場がある」「みなさんのおっしゃることはわ
からないわけではないが、うちだけ、飛びはねたことはできない」。ねばり強い討議にも
かかわらず、その年の卒業式には「日の丸」「君が代」のおしつけが強行されたのです。
 しかし、その職場の組合員はくじけませんでした。この討議を通じて、平和教育のとり
くみの大切さがみんなのものになりました。夏休みの登校日には、子どもたちが、おじい
さん、おばあさんから聞きとってきた戦争体験を発表しました。校長も、「わしも一言…
……」と自分の戦争体験を子どもたちに語りました。こうした平和教育・民主教育の前進
のなかで、次の年には、卒業式から「君が代」がなくなりました。その次の年には、「日
の丸」にかわって子どもたちが作ったパネルが舞台をかざりました。地方のテレビ局が「花
いっばいの卒業式」と題して、すばらしい卒業式を紹介しました。
 「今年は、先生方のいうとおりにするよ」。教育委員会の課長をしたこともあるとなり
の小学投の退職まぎわの投長が、ほっとしたょうに、ニッコリして「日の丸」「君が代」
のない卒業式にすることに同意したのもこの頃のことでした。
 私は、いつも、こういいます。「労働運動というものは、たたかっても敗けること、押
しきられることがあります。しかし、労働者は、そのたたかいを通じて団結を強め、たた
かいの輪をひろげ、攻撃をうちやぶっていくものです。勤評闘争も、安保闘争も、そうだ
ったのです」と。

「孫悟空のようにたたかおう」
「教育臨調」反対、反核署名で父母・県民のなかへ

 民主教育を守るために、教職員は学校のなかにとじこもっているわけにはいきません。
とくに「教育臨調」が、父母の教育要求に応えるかのようなポーズをとりながら教育の反
動化をすすめている状況のもとでは、なおさらです。
 二年前から、「教育臨調」反対の教育対話集会が全県でくりひろげられていますが、あ
る小学校区の対話集会に参加したときのことです。その日は、四時すぎから、職場会で最
終打ち合わせがありました。対話集会で問題提起をすることになっていたのは、五〇歳を
すぎた、物静かな女の先生でした。
 「私は、『教育臨調』といってもむずかしいことはわかりません。『正しい教育とまち
がった教育』という話をしますから、役員の先生、カバーしてくださいよ」。
 対話集会は、夜六時すぎからはじまりました。その先生は、女学生のころ、空襲で逃げ
まわった体験を語りました。「それでも、日本が戦争に放けるとは思わなかったし、この
戦争がまちがった戦争だとは思いませんでした。それが戦前の教育だったのです。『教育
臨調』というのは、また教育をそんな方向に………」。
 教育が危ない、子どもが危ないと知ったとき、組合の役員でもない、もの静かな女の先
生が、父母に「教育臨調」の本質を訴えかける。ここに、私は教職員のもつ民主的エネル
ギーの大きさというものを見せつけられる思いがしました。と同時に、権力からの介入を
はねかえす、教職員の自主性がいかに大切かを、あらためて痛感したのでした。

* 教育対語集会は、いつもこんなテーマできりだすというわけではありません。「いじ
め」「非行」「学力問題」など多様な問題で父母との対話と共同をすすめることが「教育
臨調」と対決する土台になるのです。念のため。

 地域に足をふみだした教聴員のとりくみは、多様な教育要求運動や住民運動へと発展し
ていきました。
・四〇人学級凍結解除の意見書……五〇市町村中四一市町村議会から提出
・紀北養護学校マンモス化にともなう条件整備、高等部全員入学と養護学校新設のたたか
い(紀ノ川筋、紀中、紀南)
・教育予算削減に反対する有権者過半数の署名(海南)
・和歌山線・紀勢線を守るたたかいのひろがり(和歌山線沿線、紀南)
・地元高校に通い、実質小学区制をめざすとりくみのひきつづく発展(伊都、那賀)  

 こうしたとりくみと結びついて、昨年は、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名
運動など、核兵器廃絶を求める運動が大きくひろがりました。労働組合、民主団体が中心
になって青年団、婦人会、老人会、地域の文化人や有力者、行政関係者にも呼びかけ、市
町村ごとに、さらに、中学枚区、小学枚区ごとに署名堆進委員会がつくられました。すで
に県内一五の市町村で住民の過半数署名が達成されています。
 このとりくみのなかで「孫悟空のようにたたかおう」というスローガンが生まれました。
孫倍空というのは大変強いのですが、もっと強い敵とたたかうときは、体の毛をぬいて、
プッと吹いて「分身」をつくります。教職員も、父母から信頼され、父母とむすびつくな
ら父母が教育や平和を守るために自ら立ちあがるようになっていく。これが「分身の術」
だというわけです。
 ここに、最初紹介した堀江先生の「第三に学校の所在する地域において、民主主義と進
歩のためにたたかっている勤労的な人民と教師との協力を組織すること」が、見事に実現
しているといえるでしょう。

でも、しんどい職場も
    千里の道も一歩から

 先日、組合事務所にはいってきた若い女の先生にききました。「いま、小学枚で、先生
たちの最大の要求になってるのは、どんなこと?」
 「そりや、教えるのに自信が持てなくなってきていることよ。きのう職員会議で、ある
先生から、クラスが大変で七キロもやせたという話がでたの。そしたら、それと同じ悩み
が次つぎにだされてね。時間を延長して話し合ったのだけど……。年度のおわりになって、
やっと本音がでたって感じ」。
 サークルのあつまりで、若い女の先生が実践報告をしました。小学生三年生のクラスの
なかで起こった「いじめ」やケンカを、学級討議を組織して解決した報告です。はじめは
「話し合いなどしていたら勉強がおくれる」といっていた男の子も「きょう話し合いで、
大変大事な勉強をした」と感想を書くようになり、クラス全体が漢字の勉強も、とび箱も
力をあわせてがんばるようになるすばらしい実践でした。ところが、ある学校では、五、
六年生で体罰が横行し、中学校の先生にいわせると、中学校に入学してくるころ、子ども
の目つきがおかしくなっているというのです。
 楽天的な先生とお茶々のみました。「うちの先生ら、まじめなんでねえ。昼休みを丸つ
け(テストやノートの点検)してるんよ。せめて昼休み亡らい丸つけやめておしゃべりし
たらええのにねえ」。
 丸つけばかりしていては、自分の感性がにぶったのにも気がつかなくなります。
 堀江先生のいう「三つの主要な仕事」も、一度にできるわけではありません。「三学期
になって、やっと不満がひきだせた」とか、民主的な学級づくりの実践をする仲間を一人
また一人とふやしていくとか、昼休みに丸つけをやめてコーヒをのんでおしゃべりをしよ
うという合意のとりつけとか………「千里のみちも一歩より」というところです。
 しかし、教職員は、本当に「教育が危ない」ということと、自らの生活や権利がおびや
かされていることを統一してとらえたとき、すばらしいエネルギーを発揮できますし、そ
のたたかいは父母、地域住民を大きく絵集することができます。そのことは、四〇人学級
をはじめとする教育諸条件を整えるたたかいが、父母、地域住民の大きな支持のもとにす
すめられていることをみてもあきらかです。
 民主的な教職員組合は、このことに確信をもって、革新統一戦線結成の方向とむすびつ
けて生活と教育を守るたたかいをすすめています。

相手の美点を発見すること、それは…
私の宝物

 困難な職場でがんばっている若い仲間のみなさんに、さいごに、私の宝物をお贈りしま
す。 
 『文化評論』という雑誌の一九七二年二月号に故戸石泰一先生が「実践的『中教審答申』
批判」という一文をよせておられます。
 そのさいごのところで「そこを貫く原則は一つある。職場のなかまはどんな人間でも
『敵』ではない、どんなことがあっても、団結しなければならない仲間であることだ」。
 そのことなら、私も知っています。そのすこしあとで、「子どもを″できない、できな
い″と叱るだけでは決して″できる″ようにはならない。むしろ、その子どものすぐれた
点、よい点をみつけ出して、ほめることの方がきわめて教育的だとは、多くの人がいうこ
とである。職場のなかまに対しても同様だろう。団結するためにはほめねばならない」。
 このことにも、そうおどろきません。しかしそれにつづく三行。「しかし、戦術的にす
るのではなく、ほんとぅに相手の美点を発見すること、それは活動家の自己変革の課題で
もある」。
 なんとずしんとくる言葉でしょう。私は組合活動について話してくれとたのまれると、
いつもこの言葉を引用して結びにします。雑誌がたくさんつまっている本棚のなかからも、
すぐ取りだせるようになっているこの一冊は表紙もちぎれていますが、私の宝物なのです。



         


県民過半数の「アピール署名」運動
署名推進のカギは労組幹部の姿勢にかかっている
和歌山県教職員組合書記長(当時) 雑賀光夫

  和歌山県では、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」署名が、四九万人をこえ、一〇
八万県民の過半数にあと一歩となっています。住民の過半数をこしたのは、県下五〇市町
村中、一市一六町三村まできました。そして今年の五月一六日には「非核の政府を求め
る県民の会」も結成されました。


■「反核国際統一戦線」の基礎をきずく■

 和歌山県で、核兵器全面禁止署名堆進委員会がつくられたのは、一九八五年の二月です。
 前年の原水爆禁止世界大会「東京宣言」が、「核戦争阻止と核兵器全面禁止は、いまや、
全人類の死活に関わる最も重要かつ緊急の課題となっている」と訴えていました。また、
同年末は、日ソ両共産党の「共同声明」がだされました。
 しかしその段階でも、私たちは、この二つの「宣言」「声明」の重要な意義を十分つか
みきっていたわけではありません。
 私たちが、当時、一番頭にきていたのは、人勧凍結・福祉切り捨ての問題です。私たち
の反対にもかかわらず、中曽板反動政治がすすめられていく………。なんとかならないの
か、という思いでいっぱいでした。
 同時に、健保改悪反対闘争の経験から、一つひとつの悪政について国民に訴えていけば、
国民の多数を私たちの側に結集できるという確信がうまれはじめていました。
 その私たちが、この署名運動に組織の総力をあげてとりくむことになったのは、この署
名が「反核国際統一戦線の基礎をきずく署名」だということがわかったからでした。
 そして、私たちは、組合執行部の討議をつうじて、次の点を確認したのでした。
 @核兵器廃絶そのものの緊急性。「大幅賃上げをかちとっても、核戦争がおこったら、
なんにもならないということ」
 A労働組合にとっての反核国際統一戦線の意義。「反核国際統一戦線で、好核の中曽根
内閣をおいつめてこそ、自分たちの要求実現もできるのだ」

■学習、そして執行部が先頭に……■

 まず、私たちは、核問題についての学習から始めました。NHKが作成した「核戦争後
の地球」のビデオも和教組で買いました。そして核爆発のメカニズムを、一生懸命勉強し
ました。「熱線」「爆風」「吹き返し」「放射能」というような、原爆が被害をうみだすし
くみを勉強してみると、「はだしのゲン」の映画でみたことや、山口勇子さん(原水協筆
頭代表理事)が話された被爆の体験について、「なぜ、そうなるのか」がたいへんよくわ
かってさました。また、『学習の友』八五年四月号の「核兵器廃絶大特集」は、たいへん
役に立ちました。
 よく、学習会で、「人間の生きた認識というものは、感性的認識と理性的認識が結びつ
いたところからうまれる」といわれますが、あらためて、そのことを確認し直したもので
す。さらに、組合本部だけでなく地域でも、学習資料をつくり、学習会がとりくまれてい
きました。
 こうした学習をとおして、「署名准進本部長」で、かつ和教組書記長である私自身が、
核兵器の恐ろしさについての認識を深めていったのです。
 『学習の友』編集部から、原稿を書くに当たって、注文がありました。
「職場の組合員が、どのようにして署名活動に足をふみだしていったのか、リアルに書い
てほしい」……私は、この注文にこたえられなくて、原稿の締め切りまで苦しみました。
「ぼくは、現場組合員の苦労をつかんでいないダメな幹部なのだろうか」と。
 そこで、あらためて、この運動を始めた頃をふりかえってみると、次のようなことがい
えます。
 これまで、署名活動に足をふみだすのに苦労した経験がいくつかあります。。たとえば、
統一労組懇がはじめて「軍事費を削って、くらしと福祉………」というスローガンをかか
げ、その署名を集めたときです。「ソ連脅威」論や「日本の防衝費負担は少なすぎる」と
いうキャンペーンのなかで、署名活動に足をふみだすまではたいへんでした。また、昨年
の国鉄「分割・民営化」反対の署名もそうでした。「軍事費を削って………」のときは、
署名をとりやすいように説明用のチラシをつくったり、軍事費についての学習会を何回も
やりました。
 ところが、「ヒロシマ・ナガサキからのアピール」支持署名は、まったく反応が違いま
した。組合員からは「この署名は集めやすい」という報告があがってきます。私も街頭に
たちましたが、訴えると、みんな署名してくれます。
 そして署名運動がすすむかどうかは、国民の悲願をあらわした署名を、労働組合運動の
中心にすえきれるかどぅかという、労働組合の方針や組合幹部・活動家の姿勢にかかって
いるのではないでしょうか。
 和歌山県では、和教組書記長の私が「署名推進本部長」となり、各地域でも和教組の役
員が責任者となる体制をとりました。そして、運動の最重点として方針に位置づけ、とに
かく一年問、集中的にとりくんだのでした。このことが、署名運動を大きく前進させるカ
ギだったと思います。

■"孫悟空″のようにたたかおう■

 和歌山県の署名運動の特徴は、全市町村に署名堆進委員会があり、地域署名をすすめて
いることだと報告されています。たしかにそのとおりなのですが、それにあたっては、労
働組合・民主団体が、どこまでこの運動をみずからの課題にするかが重要だったと思って
います。そして、地域での署名のとりくみのなかで、さまざまなドラマがうまれました。
 国鉄労働組合は、「分割・民営化」を前に、きびしい攻撃をうけていましたが、「核兵
器廃絶ならいける」と、署名用紙をとりにきてくれました。そして、この署名がとりくま
れた地域では、国鉄共闘も大きく発展しました。
 また教職員組合は、「教育臨調」反対の対話集会をひろげていましたが、対話集会でつ
よまった父母とのつながりは署名運動のも生きて、高等学校PTAが、署名に協力してく
れました。
 こうして教育対話集会で父母とのつながりをひろめでいくなかで、ある地域の署名牲進
委員長が次のように発言したのです。
 それは「孫悟空のようにたたかおう」ということでじた。その意味は、「孫悟空は自分
よりおおきな相手とたたうとき、毛をひきぬいて、プッと吹いて分身をつくる」というこ
とです。そして、その言葉がみんなの合言葉になっでいきました。
 住民過半数の署名を集め、非核自治体宣言をしたところでは、、町ぐるみの平和のとり
くみがすすんでいます。印南南町では、昨年十一月、「印南町非核・平和フェスティバル」
が六日間ほわたって繰り広げろげられました。
 この原稿を書いているいまも、和歌山県では、全市町村平和行進がおこなわれそいます。
この行進は、全市町町村に組織をもつ教職員組合が大きな投割をはたしていますが、なん
と言っても県原水協が、日常的に「核戦争阻止・核兵器全面禁止・被爆者擾護」の運動を
ねばりづよく追求しているからできることです。反核国際統一戦線の追求とともに、平和
運動の中核となる地域原水協の確立も大切だと思います。

 

         


軍拡臨調と人勧凍結反対の世論結集を
雑賀 光夫


和歌山県にはピッタリ

 和歌山県は本州最南端、人口約一〇〇万人、隣の三重県境の新宮市から県都和歌山市ま
では二六二`b、特急電車で三時間以上かかるという長い海岸線をもった県です。
 昨年秋、統一労組懇が提唱した「人勧凍結・軍拡臨調反対、くらしと平和を守る全国縦
断大行動」を和歌山県でどう具体化するかを討議し、全県縦断行動の方針をうちだした県
統一労組懇の世話人会で、「こいつは和歌山向きだ」という意見がとぴだしました。海岸
線の長い和歌山県に縦断行動はピッタリだというわけです。 
 和歌山統一労組懇はこの運動に、地域統一労組懇とともに全力をあげてとりくみ、軍拡
臨調・ファッショ行革に反対して、労働者・県民の利益を守るために少なくない実績をあ
げるとともに、ローカルセンター的機能と役割を強化することができました。
 いま、独占資本は、政府の人勧凍結を口実に、民間労働者の賃上げをゼロに抑えると、
かさにかかった攻撃を八三春闘でかけています。.同盟路線で昨年一二月発足した全民労
協は、戦後最悪のファッショ的内閣といわれる中曽根首相の露骨な軍拡・福祉とくらし切
り捨ての反動政策を、事実上支持し、賃上げでも七%という自粛要求をかかげています。
 この情勢を打開する道は、統一労組懇の春闘方針が明らかにしているように、生活改善
をめざす大幅賃上げ、八二年人勧の完全実施、地域最賃の引き上げをはじめとする「国民
生活擁護の共同」と、「自民党政治の転換をめざす革新統一の力量をつよめる共同」とを
柱とする、労働者・国民の共通課題での「二つの共同」を職場を基礎に、それぞれの産別
・地域別山闘争をつよめてたたかう以外にありません。こうしたたたかいを草の根から全
国的規模でもりあげていくうえで、統一労組懇が昨年秋に展開した「人勧凍結・軍拡臨調
反対、くらしと平和を守る全国縦断大行動」から教訓をひきだし、国民とともに危機打開
をすすめるあたらしい運動路線をいっそう発展させることが重要です。そうした観点から、
和歌山県教職員組合が統一労組懇の仲間とともにとりくんだ全県縦断行動の到達点を報告
します。
 和歌山統一労組懇は「人勧凍結・軍拡臨調反対、くらしと平和を守る全国縦断大行動」
を成功させるため.全県縦断行動をどうするのかを産別・地域統一労組懇と相談して、新
宮市から自治体交渉、民主団体・労組への申し入れ活動、集会・デモをしながら県都へせ
めのぼることにしましたβ
 この行動を成功させるためにまず十一の拠点が選ばれま心た。新宮市、串本町、田辺市、
南部町、湯浅町、有田市、海南市、橋本市、岩出町、和歌山市です。
 次に日程と行動内容の基本を決めました。
 @一〇月十一日から二一日までとする。
 A全県単産は、この地域行動に役員を派遣し、地域統一労組懇と一体になってとりくむ。
 B労組でもっている全宣伝力ーを地域に投入する。
 C一日の行動の基本パターンは、 
  ○早朝ターミナル宣伝、○地域ビラ配布と街宣、○労組、民主団体への申し入れ、○
全市町村への申し入れ(臨調、人勧、反核、県民要求)と中心地自治体交渉、○集会・モ
 この行動を成功させるために休暇をとって行動する部隊(地域ことに四〇人ぐらい)を
つくることにしました。

三〇〇人予定のデモが五〇〇人に

☆ 十月十一日 
 第一日日は田辺市。前夜から全県単産の役員十数名はとまりこみ。地元役員と交流を深
めるところからとりくみがはじまります。「軍拡臨調反対、階級的ナショナルセンターの
確立めざしてがんばろう。カンパイ」というわけです。
☆ 十月十二日
 朝は六時起床、七時には田辺駅前にこ台の宣伝カーをすえ、著名、ビラまき、ふうせん
くばりです。三台の宴伝カーは田辺市内をまわります。 
 朝から行動してきた宣伝カーの一台が午後三時に帰ってきました。

 「オイ、鈴木首相がやめたぞ」と留守番役の事務局員。「エッ、本当か」と半信半擬の宣伝隊員。「やっぱり、ぼくらの行動が政府を追いつめてるんだ。情勢は動くぞ」。
 四時からは田辺市長との要求交渉が、そして、夕方五時からカッパセンター(子供広場)
で集会です。手に手に、プラカード、ふうせん、ちょうちんをもって意気高く田辺駅前ま
でデモ行進。
 「きょうのデモはよくあつまってくれたし元気だったなあ.人数の集計をしておこう」
と事務局長は単組ごとの報告をうけました.「なんと、三〇〇人の予定が四〇〇人をこし
て五〇〇人に近いぞ!」
☆ 十月十三日 串本町
 「田辺にまけるな」と大ハッスル。一〇○月九日には、十一人の代表で、串本病院の医
療体制など七四項目で対町交歩。十三日には、町職・国労・全逓・電通・熊交など、職場
オルグも含め、大奮闘。
☆ 同日新宮・東牟婁 四〇人での早朝新宮駅前宣伝にはじまった。駅員さん、警察官も、
「がんばってらー」と声援の声。新宮助役さん「臨調には賛成できない」「核には反対」
「急患センター設置には、市・議会・地域をあげてとりくみたい」と救命急患センターの
設置など一〇大要求に大きな関心。
 ☆ 十月一四日 南部町・有田郡 
 「南部町の土地は高すぎる。町で造成して安く町民に分譲を」「快速電車を田辺まで回
数をやして」などの要求に助役さんは、積極的に努力すると回答。

 寺西湯浅町長は申し入れに「よくわかりました.福祉・教育……充実をめざし、すみよ
い町づくりにがんばります」と決意表明。
 吉備町助役さん「急患センター、中紀にできればありがたい。天満川の治水・汚染につ
いては、なんとかしたい」など各町で県民一〇大要求に大きな関心。
☆ 十月十五日 御坊・日高郡
 救命急患センターは、ぜひ設置を、と川辺町・中津・美山村の助役さん。由良町助役さ
ん「臨調はこまったもんだ。出張キップは往復で、といってる」。南海果工など十六単組
・分会へ協力申し入れ。御坊市交渉は、一部父母負担だった更紙代が、・来年から全額市
負担に、など地元要求も前進。
☆ 同日 有用市・広川町
 広川町長さん「うちは五四年に再建団体に。その年は賃金凍結。以降も国並み水準だ。
わたしは人勧凍結に反対」、と町交渉の席上で。有田市長さん、一〇大要求の一つ看護婦
養成所設置には大賛成.
 鬼松事務局長は「自治体交歩も地域要求ひっさげ行なわれ、労組への協力申し入れなど、
二日間の行動は大成功」と感想。
☆ 十月十八日 南海・海草郡
 早朝から五〇人が行動。ターミナル・大経営門前ビラ。労働組合だけでなく自治会長を
たずねての協力申し入れ活動. 中学絞区ことにビラづくり。夕方は全員行動。半数は海
南市で集会・デモ。半数は地元地域ビラ。
☆ 一〇月十九日
 橋本・伊都郡 
 目標うわまわる四〇人が朝のうち合わせに参加。遠くは花園村職など部周労組へ申し入
れ。
 橋本市交渉で教育長さん、高校増設について「県立、私立各一枚建設したい」と意欲的
な発言。
 市役所前広場。雨にもメゲズ。目標上まわる二五〇人が参加。伊都労組懇にとって大き
な経験、と支部副支部長の西岡さん。
☆ 一〇月二○日 那賀郡
 朝九時すぎから郡内全戸ヘビラ。宣伝カー四台もフル回転で街頭へ。午後、郡内町村会
長と交渉。一〇大要求について「県へ進言できることはする」。貴和高共学について「県
へ申し入れてる。さらに努力する」と回答。
☆ 一○月二一日 和歌山市
 和歌山駅早朝ビラに一〇〇人。用意した三〇〇〇枚はまたたくまに。合計六〇〇〇枚配
る。二b×四bの大横断幕二本。通勤客も足を止めフムフム。
 市内六〇組合へ申し入れ.大半の組合で、署名に協力.フジカラー労組では家族分の署
名も集めてくれる。県・市・陸事・タクシー協会・基準局へも申し入れ交渉しました。 
 最終日、一〇月二一日は、安保廃棄をかかげた統一行動日です.和歌山市では夕方から
県地評・安保破棄実委・護憲連の主催による統一集会が開かれましたから、そちらに合流
です。
 統一労組懇の朝からの独自行動は夜の統一集会をも活気づけ、三〇〇〇人の大集会とし
て成功をおさめたのです(一昨年は県地評単独主催で一〇〇〇)。

 全県縦断行動の総まとめをしてみますと、
全一日行動への参加        七〇〇人
決起集会・デモ          一〇カ所五〇〇〇人
配布したビラ                 一〇万枚     
宣伝カーの走行距離               四台二四〇〇` 
この間にあつめた著名             一三〇〇人     
自治体への申し入れ               五〇市町村     
自治体交渉                       一二市町村   
労組への申し入れ                 一四六組合    
自治余長への申し入れ             二○自治会   
といったところです.   

 こうした大規模な縦断行動は、いままで県内のどのローカルセンターもやつたことがあ
りません.また、既成のローカルセンターでは困難なのが現状です.なぜなら、政府・財
界が軍拡臨調を労働四団体をとりこみながらすすめようとしているなかで、「軍拡転調反
対、労働運動の民主的再生を!」とみんなが心を一つにしたからこそ成功したとりくみだ
からです。

世論結集が決め手

 九月二二日、政府は.「人勧凍結」の閣議決定をおこない、総評は「全一日スト」をう
ちあげました。
 和教組は、この情勢のもとで「秋年闘争方針追加」を発表し、全県地区代表者会議、地
区ごとの全員参加の学習会を開き、たたかいの方向についての意思統一をおこないました。
 方針のポイントは次の点にあります。
 (1)人勧凍結の不当、不法性と要求の正当性をはっきりさせること。
 (2)人勧凍結反対闘争を軍拡臨調粉砕の全層民的なたたかいのたかまりのなかでたたか
  うこと.
 (3)総評・日教組の方針は@人勧、仲裁裁定にしぼったせまいたたかいA軍拡臨調とは
たたかえない四団体共闘路線B労励者全体を結集できない「全一日スト」一発にかけたた
たかいという決定的な弱点をもつていること0
 (4)いまこそ「賃上げなし」「人勧なし」をうちやぶった安保闘争の教訓から学ぶ必要が
あること。
 (5)たたかい方の基本として@国民の世論を自民党・財界がにぎるか、労勧者・民主勢
力が結集するかが、ポイント。A和教組組合員の多数を結集できる三時以降の統一行動は、
断固としてたたかいぬき、わたしたちの団結力と決意を示す。
 この方針討議をつづけながら、日教組の午前半日ストライキについても組合員の意思を
問うための批准投票にしました。賛成は一〇・一%にとどまりました。.授業にくいこま
ない午後三時以降の和教組戦術については七八%の賛成をえました。
                                       ′
 しかし、和教組は、「午後三時以降のストライキで人勧凍結粉砕を」と訴たのではあり
ません。「人勧凍結打破は、政府・財界がすすめる軍拡臨調に反対する世論結集に成功す
るかどうかにかかっている。教職員のストライキもそのたたかいのなかに位置づけられる
べきだ」と主張しました。そして、世論結集のとりくみの一つの柱は、全県縦断行動でし
た。

あて名人りの「封書ビラ」
 
 和教組としては、もう一つの宣伝戦を提起しました。それ払「封書ビラ作戦」でした。
十一月上旬、すべての父母への封書ビラ作戦にとりくみました。
 県本部は、全児童・生徒数のビラと署名用紙を作成する(人勧、臨調、教育をはじめと
する国民要求、平和、約十五万枚)。支部、地区は、それぞれ地域の課題をふくめたビラ
を児童・生徒数作成しました。
 配布方法は、自宅訪問し、はなしあいながら手わたしするのが一番よいが、最低、郵送
でもよいから配布することにしました。そして切手代は、全教職員からのカンパや主任手

当の活用などでまかないました。また、封筒は本部で作成し、私信は入れないこととにし、
差し出し人は、個人名でなく地区または分会としました。
 「血のかよい、心のかよう宣伝」と銘うった封書ビラ作戦は大きな反響を呼びました。
 組合員のなかから「ふつうの全戸配布でなぜいけないのか」「家庭訪問などいそがしく
てできない。郵送するとしても生徒数一〇〇〇人分の切手代六万円をどこから出すのか」
などの意見もでました。しかし、「勤評闘争のころは一軒一軒たずねて説得したではない
か」という意見もでました。
 そんななかで、拡大闘争委員会で那賀支部の亀田支部長が、封書ビラ作戦のとりくみに
ついて発言しました。「このとりくみは、全戸前布とは全くちがった反響をよぶにちがい
ない。しかしとりくみは大変だ。わたしの職場では、ゼンリン地図を買ってきて校区の地
図を作った。タタミニ畳敷の地図で、児童生徒のいる家を赤ペンでぬりつぶす作業をした。
この地図で足をはこんで配るのです」.
 こうしたとりくみにはげまされて、封書ビラ作戦がすすみました。

 亀田支部長がいったとおりでした。封書ビラにつけた署名用紙が次つぎに送りかえされ
てくるのです。もちろん署名がいっぱいになって。
 和教組のきめこまかい宣伝戦の土台になっているのは、ここ数年来重視してきた「職場
の要求運動」のつみ上げです。和教組は一九七八年でろから、職場を基礎にした要求運動
をすすめてきました。そして、要求運動の中心になる分会執行部や地区執市部の確立にと
りくんできました。昨年の臨調行革反対のビラ配りでも、片面は県教組で作成しましたが、
片面は地域・職場での切実な要求の実現を訴えるビラとしました。
 こうした職場の自主的・主体的なとりくみの広がりが、こんどの全県縦断行動と封書ビ
ラ作戦の成功を支えた土台だったといえるようです。
 わたしたちは、秋のとりくみを通じて、県民に思いきってうったえれば、県民の支持を
えられる、世論結集はできるということに確信をもちました。政府・財界の軍拡転調とそ
れに協力する全民労協の路線は、、国民との矛盾を深めざるをえません。中曽根内閣の露
骨な反動政策は、それにいっそう拍車をかけるでしょう。
 わたしたちのとりくみは、まだ初歩的なものですが、八三年春闘勝利へのすじみちを示
すことができたことに確信をもち、全国の仲間のみなさんとともに、がんばる決意です.
               (和歌山県教職員組合書記長<1983年当時>)