吉祥寺薬師堂
(国指定・重要文化財) |
概要説明 |
 |
応永34年(1427)の建立と考えられる。もとは真言宗東福寺であったが、現在は浄土宗鎮西派吉祥寺の所管。もともと岩倉神社の別寺で弘仁年中に創立されたが水害で流された。それで室町期の領主神保三河守の家人岩橋内毘が歓喜寺より薬師堂を勧進したそうな。この東福寺の由来については、昔空海上人が修行中この地に草庵を結んだ、これが東福寺の始まりと伝えられている。さてこの薬師様は有田では一番先に国宝に指定されたもので、天竺(てんじく)より伝来されたものらしい。顔も日本人ばなれしている点は見逃せない見どころであろう。この薬師様の他に大日如来、観音菩薩の三体は厨子深く納められていた。厨子外には不動明王、昆沙門天、制夕迦童子、矜羯羅 童子も祀られていたが、いずれも重文の古い立派な仏像(国指定・重要文化財)ばかりである。(下記参照のこと) |
おも講・堂徒式(旧1月8日) (国指定無形民俗文化財) |
H17.1/21 おも講と堂徒式が国指定の無形民俗文化財に認定
|
|
おも講 地域の村々では中世期、草分け開拓者たちによって集落の守護のため原始的な山神信仰から村落共同の社殿を造立し、産土神を勤請して氏家仲間をつくって祭祀したようである。氏家仲間には厳格な座位があって神事を執り行い、これを宮 坐という家付きの座として「主株」とも言った。氏家は氏神祭祝のほかに村の政治・祭礼などの特権を持っていた。近世の 社会では「主」「部屋」「無役」の三階級に分けられ,主株仲間が指導的な集団として尊敬せられ、「講」を結んでその特権と 地位を確認し合い、村の行政や祭行事などの相談事をしたり、お互いの親睦の場として飲食を共にする講寄合を年3〜4 回順廻りで開催した。 堂徒式 前述のおも講の講行事がすんだ後、吉祥寺住職と講衆全員が出席して、数え年3歳の子供を対象とし、三々九度の盃を かわす村入りの儀式であり、同時に薬師始め諸尊に子供の息災成長を祈願し、子供の親たちが主株衆に祝いの杯と膳を 供する儀式。 |
十夜念仏と百万遍念仏会 |
十夜と数珠くり 毎年10月6日の朝から15日の夜までの十日十晩にわたり連続して鉦を叩きながら、『南無阿弥陀仏』と唱えて鉦音を絶やさない浄土宗のお籠り行事である。粟生地区を9組(小一谷、上組上、上組下、中組上、中組下、榎木瀬組、西ノ浦上、西ノ浦下、植木組)に分けた各家から1名宛て出仕し、昼夜交替でする。15日の夜には菩提所である吉祥寺本堂阿弥陀如来の前に村人が参集し、大念珠の百万遍念仏会(マウスを重ねたときの写真)が行われ、持ち投げもあり賑わう。最近は11月頃実施され(H18年は11月25日〜12月4日)夜7時から10時ごろにしている。また、『南無阿弥陀仏』と言う人もいない。私が子どもの頃、おばちゃんらが作る仕出しでおにぎりと渋いこんこ(大根の漬物)が定番だったが旨かったのを覚えている。各地域には当たり前のようにあったそうであるが、過疎化により10日間もするところは珍しくなっている。 |
 |
薬師堂の諸仏
吉祥寺の本尊を含めると重要文化財7体、県指定文化財1体、未指定3体の仏像の計11体が伝来しておりすべてが藤原時代の古仏である。その質・量は文化財の豊富な有田川流域においても群を抜いている。また、この仏像は戦火を逃れるために疎開してきたと言われ、歓喜寺からさらにこの薬師堂へたどり着いたと言われる。いずれにしても非常に貴重なものである。気になる方は一般公開もしており10日前より拝観申し込みをする。
拝観料\3000(1〜10人)11以上は一人300円
連絡先;0737−22−0051 吉祥寺まで |
 |
薬師如来(重文)
像高85cm、平安後期、槙材、一木割矢引造、彫眼、彩色仕上げ
薬師堂本尊 |
 |
右から大日如来・聖観音・不動明王(重文)
順に像高97.9cm、平安後期、槙材、一木割矢引造、彫眼、漆箔仕上げ
像高107.6cm、平安後期、槙材、一木造、彫眼、彩色仕上げ
像高133.3cm、平安後期、槙材、一木割矢引造、彫眼、漆箔仕上げ
|
 |
漢字が見つからず
右から矛今羊?羅・制口屯迦・毘沙門天(重文)
順に像高69.4cm、平安後期、槙材、一木造、彫眼、彩色仕上げ
像高66.1cm、平安後期、槙材、一木造、彫眼、彩色仕上げ
像高133.3cm、平安後期、槙材、一木割矢引造、彫眼、漆箔仕上げ
|
 |
右から伝三ツ目不動・菩薩(A)(B)・棟札(A)(B)
順に像高98cm、平安後期、一木造、彫眼、古色仕上げ
像高67cm、平安後期、槙材、一木造、彫眼、現状素地のまま
像高86cm、平安後期、槙材、一木割矢引造、彫眼、現状素地のまま
後記2対は未完成
(A)は1427年、(B)は1768年の修復 |
 |
阿弥陀如来(県指定)
像高92.5cm、平安後期、一木造、彫眼、古色仕上げ |
 |
十二天画
縦44.5cm×横302.8cm、室町時代、檜の一枚板に十二天を横一列に描く |