SHINCHAN'S PAGE
Last up dated1998.1.1
since1998.1.17
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わたしのプロフィールmy profile
なまえName
新宮正人Masato Shingu
たんじょうびBirthday
15th.11.1970
しごとjob
マッサージ師Massage
しゅみHobby
買い物特に電化製品AV機器Shopping TV GAME
1997.6.1 これから僕が小さいころから今までの経験を書かせて頂きます。 僕は、昭和45年11月25日(水)に和歌山県和歌山市で生まれました。そして和歌山浦の(わかうら)の片男波(かたおなみ)というところにある保育所に預かってもらいました。僕の記憶のなかでいちばん思い出に残ることは、楽しいはずの保育園での生活でないといけないのに怖い経験がありました。それは、笑い袋というおもちゃで内部に人の笑い声が録音された磁気テープを内蔵しており電池でそれを再生する装置があって布製の袋に入っているものでなぜ怖いのかというとなんのへんてつのない袋から声がきこえるなんてどうなってるんだという不思議感というより、もしここから手でも出てきてなにかされないかなという恐怖感があったからです。毎日の保育書にいくのがこの笑い袋が怖くてたまらなかった思い出があります。でも休むといけないしということで通いつづけました。それから昭和51年に和歌山の府中に県立盲学校という視力障害者がここで勉強して最終的には、あんまマッサージ、鍼、灸という東洋医学系の治療法を学んでその資格をとって卒業するという学校があります。そこに17年間、学生生活をしました。この学校のシステムは、幼稚部、小学部、中学部、高等部に分類されます。そして高等部を更に普通科、理療科があってこに入るためには、もちろん普通科を3年間勉強して入学するための試験をうけます。みごと合格して鍼(はり)や灸(きゅう)マッザージといった免許をもらうための資格試験をうけてはじめて職につくことができるということです。幼稚部は、1年 小学部は、6年、中学部は、3年、高等部の普通科は、一般の高校にあたるので3年、理療科も3年となっています。ちなみに理療科は、大学生にあたるのかといえばそうではなく高校になります。 学生のころから趣味は、今と変わらず電気系統のことが好きです。それで悪いことを小学生のころとち中学3年のころにしました。小学5年生のころに理科室にかってに入って電池や豆球やリード線といったあらゆる部品を盗み出しては、「僕は、こういうことは、決してしていません。」とみえすぎた嘘をついたり電気焜炉を赤く発熱させてろうそくをあてて火をつけて床や机を焦がしたりといったら語りきれぬほどのわるさをしています。もし、僕が死んだら「地獄へ落ちること間違いなし」といわれてもしかたがありませんという経験でした。 中学3年のときもよく似たことをしている情けない新ちゃんでした。ホッホッホ。(アホ) 高校にはいってこのままの僕ではいけないと友達や先生方の説得によって知ることができました。なにか人の喜ぶようなことはないのかなと考えはじめるようになりました。それで将来りりょうかに入るのだから人の肩でもマッサージして少しでもはやく人の為に役に立ちたい、親孝行をしたいと思えるようになったのではと感じました。そして免許もえられて現在は、職につくことができてとても幸せです。 しかし、そこでとんでもないことがおきました。 平成7年3月10日に網膜剥離(もうまくはくり)という病気にかかりました。症状は、白いものを見ていると黒い虫が飛んでいるように見え始め、次第に周りから黒くなってきて全体が見えなくなるのです。暗いところや眼をつぶると、光もないのにきらぎらしています。入院さきは、和歌山の日赤病院です。3月15日に手術をうけました。それから19日ほどして再発したので4月3日に2回めの手術をうけました。今度こそ大丈夫でしょうと思いましたがまた再発しました。4月17日に最終手段ということで3回めをうけました。結局2か月の入院で3回も手術をうけることになりました。結果としては、網膜剥離は、再発しなかったのですが眼圧といって眼球を一定の硬さに保つために圧力がかかっているのですが手術によって正常よりも高くなっているために頭が痛くなったりして仕事どころでは、ない状態でした。「仕事にならないな。」 そこであきらめかけていたところマッサージに来てくれたお客さんから奈良県にいい眼科があるとの情報をいただきました。そのとき僕の目の前に希望の光りが降り注がれたと感じました。そしてすぐにその眼科にいきました。先生に今の状況を話すと「このままでは、失明するといっても過言ではないので、すぐに手術をしましょう」といってくれたのでわらをもすがる思いで「お願いします。」と依頼しました。入院期間も3週間でした。手術は、みごと成功しました。これで仕事もスムーズに出来るのかと思うと嬉しさで表現のしようがありません。 眼科の名称は、永田眼科といいます。ここでもある眼科医が個人で電子メールで眼についての相談をしています。アドレスが判りしだいホームページでご紹介させていただきたいと思っています。
1998.1.1 新しいホームページ あけましておめでとうございます。皆さんお元気ですか。風邪などひいていませんか。私は、元気で今日もがんばっています。 昨年の6月ごろに新ちゃんページを作って早くも半年になります。そろそろこのページを見てくれた方々は、「いつ新しい内容に変えるのかな。」とお待ちであろうということで更新させていただくことにしました。昨年もいろいろな事がありました。今年は、もっと充実した1年でありますようがんばれるボクちゃんに、なります。これからもよろしくお願いします。 さてと、ここで僕が去年にあった体験を書かせていただきます。 一番忘れられないことは、眼の手術のことです。5月に3回の手術をうけ、また10月にも受けました。病名は、緑内障です。生まれつきの病気なので完治するということは、ないといわれたのですが現在は、病状が安定しています。これは、幸運といえよう。 そこで1997年5月8日と1997年10月13日のちょっとした小話でも読んでいただきたいと思います。 ある4月、JR天王寺駅まで阪和線で紀伊駅から出発して環状線の内回りで鶴橋駅まで行き近鉄線に乗り換えて近鉄西大寺駅まで向かう。近鉄西大寺駅についたときは、午前11時まえだったのでちょうどいい時間に病院からの送迎バスがあったのでそれに乗って目的の永田眼科まで行くことができました。 このときに駅などで時刻表などが見えるように単眼鏡(タンカ棕ンキョウ)を携帯しています。これを使うと視野は、狭くなるが視力がかなりあがります。 そして眼科について診察券を受付に渡してしばらく待っていると視力検査をするためにお呼びがかかりました。次に診察室で眼科医に説明をうけました。この説明を詳しく紹介すると網膜剥離の手術をしたときに網膜がはがれるのを防ぐためにシリコンオイルというゼリーを硬くした透明のものを注入したときに眼の硬さをちょうどいいようにするために眼球内に水が常に循環しているところがあってそれらがシリコンオイルが約2〜3年ほど眼の中に入れっ放しになっていたので水のはけ口がふさがってしまっているので手術しないと眼球が硬くなり過ぎて視神経が圧迫されてそれが萎縮して将来は、確実に失明するということです。今までは、これ以上何もできないので様子をみるしかないとあきらめられていました。しかしこの永田眼科を紹介してくれたおかげでいい治療をうけることができたことを心から感謝するべきです。 5月7日(木)に約60分の予定で手術がはじまりました。緊張して汗が吹き出ました。機械の音がけたたましく響き、太陽を眼に入れられたようにまぶしく、ときどき痛みを感じました。それからやく40分くらいたったのか最後のしあげに入って終わりました。予定より早く終わりました。その後の入院期間も20日程でした。結果は、順調にいきました。通院も月に一回と先生からの嬉しい鶴のひと声が僕の心にひびきました。退院後は、3ヶ月程、仕事を休みました。その間は、生活面で少し不安がありましたが乗り越えて9月1日から職に戻りました。あまりの嬉しさに同僚よりも30分ほど早く出勤して待っているくらいでした。しかし喜ぶのは、まだ早いと宇宙のかなたから神の声が聞こえたのかまた眼圧が再上昇。再び入院することになりました。手術の内容は、レーザー光線で毛様体(モウヨウタイ)という眼球内に水を送り込むところの一部を焼いて水の量を減らしてそれに水のはけ口を開きました。この手術も成功しました。経過は、勿論よく、今年の1月から仕事してま〜す。 昨年の9月〜11月の間、仕事を休んでいるときにあった話をしたいと思います。実は、私は、創価学会という平和と幸福を一人のためにみんなが力を合わせていろいろな形で活動していく組織に入っています。(やく3年まえから)そして11月16日(日)〜11月18日(火)に大きなイベントがありました。第17回関西青年平和文化祭といいます。場所は、大阪ドームでした。まさかこの僕がここに出ることができるなんてと驚きの連続でした。ぶんかさいにでてどんなことをしたかといいますとわたしは、創価学会の新入会のメンバーとして出場しました。ドームいっぱいに人が並び各決まった範囲に決まったおどりをして色あざやかに演技を決めるとということでした。そのためには、一人でもタイミングが狂うと全部に悪影響を与えることもあるので毎日のように練習をしました。でも僕にとっては、ほとんど、いやに思ったことはなく楽しい気持ちが勝っていました。なぜならば一人で特訓をうけるのではなく、みんなが集まって何人かのインストラクターがそれぞれの演技を教えてくれたのでわきあいあいと話をしながら練習をすることができたからです。文化祭当日になりました。。想像をこえるたくさんの人達がきれいに列を作って歩いています。そして舞台にたったときは、混雑しているといっていいほど皆さんは、元気でこれからの人生をがんばりぬいていくぞというような勢いに包まれていました。勿論私もエキサイトしました。見事に演技も決まりました。 創価学会のことも私は、まだまだ、勉強不足なのでわからないことばかりですが、これからは、自分自身を成長していく中で勉強してホームページに載せていきたいと思っています。 ★ 連絡先 氏名 新宮 正人(シングウ マサト) 住所 〒649-63 和歌山県和歌山市北野476−1 メールアドレス:fwhf0123@mb.infoweb.ne.jp 電話 0734-62-6235(留守番電話機能付き) FAX 0734-62-6235(留守番電話につながりますので発信音の後にFAXの送信ボタンを押して下さい。) 携帯電話 080-128-2406 使用端末機器:シャープのカラーザウルス MI-10
私にどしどしメールください。友達になりましょう
それから私の友達サチコさんを紹介します。
私は6歳の時に
東京順天堂大学病院で網膜色素変性症
という 病名を告知されました、そのとき20歳前後で失明するだろうと言われました。病気は高校生の時発病し、じわじわ視力が落ち始め, かろうじて27歳の現在0.01程度の視力が残っていますが。 この病気の原因が今だ解らず治療の方法がありません、、しかし かすかな視力で又視力がある間にコンピューターを覚え同じ病気の人、視力障害のある人と交流し互いに励まし人生を楽しく生きることができれば思っています。
みなさんわたしとメールの交換したいかたどしどし連絡くださいね!!
私は特に読書がすきで赤川次郎、林真理子等の録音図書を借りては聞いています、しかし現在録音図書は各地方自治体ではただ一箇所で借りられるだけでその数はわずかな量です。その数に不満を感じている人は少なくないと思います。 もし個人で録音図書を貸し出しできる所があれば教えてください。
それから、点字図書館以外の団体及びボランティアサークルが発行する点字あるいはテープ雑誌について知りたいので何か情報がありましたら教えてください。
また、
録音図書の絶対数を増やす運動に協力していただけるかたがおらっしゃればメールください。
fwhf0123@mb.infoweb.or.jp
連絡はこちらに!!
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