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2005年01月01日 | 【 3.月刊『お前だえよ!』 】 |
努力の天才!小久保裕紀に男惚れ。2005年1月号
新年あけましておめでとうございます。
今回は、僕がアガサスにこのエッセイを書き始めてすぐに紹介した人と久々の再会した。その素晴らしい人間をもう一度紹介したいと思います。
それは、プロ野球選手で現在は巨人の4番バッターで大活躍、星林高校出身の小久保裕紀君。 僕と小久保君との出会いは今から8年前にさかのぼる僕は根っからのホークスファン。実にファン歴25年という筋金入りを自称する。当時、和歌山出身のホークスの選手は、大成出身の西、箕島出身の林そして鳴り物入りの小久保の3選手。当時、僕は大阪に住まいを構え暇を見付けては一軍二軍問わず野球観戦に明け暮れていた。付け加え年に二回「博多へ行っても浪花のホークス」というマニアックなイベントもNGKで開催して僕の青春時代は正しくホークス一色といっても過言ではない暮らしだった。 そんな彼が入団二年目のシーズン、チームはBクラスの低迷だったがホームラン王に輝いた。僕は、その瞬間を今でも鮮明に覚えている。ガラガラの藤井寺球場での対近鉄戦、レフト外野席に放物線を描く当り「入れ!」と祈り目をつぶったその時、大歓声が沸きあがった。ふと小久保を見ると、右腕を高らかに上げるガッツポーズが僕の涙腺を刺激した。その後関係者が気を利かせて僕と一緒に食事をセッティングしてくれた。大阪なんばのとある焼肉屋さんが僕と小久保君との初対面の場所だった。当時、僕の芸名が‘桂小茶久‘。なんか似てるな~と親近感をも感じたふたりの貴重な夜だった。以来、福岡の練習球場でまた故郷和歌山で何度か会う度、自分に厳しくも目標は高く人にはやさしい人格に人間としての素晴らしい姿に魅了されたのである。 そして五年の歳月が流れたある日、再会のチャンスに巡り会った。WTVの和歌山市新春番組の収録である。小久保君は昨年、ホークスから巨人へ電撃移籍。決して望んでいなかったであろうこの移籍にも彼は、打率3割本塁打41本という誰しも認める成績で自己主張をした。「環境が変われどもそれの中でどう力を発揮するか!」を身をもって教えてくれた様な気がした。そして収録現場、会って早々彼は、僕の顔を発見するや否や満面の笑みで微笑みかけてくれた。聞きたい事が山ほどあるのに僕はポーとなってしまった。学生時代ファンだった荻野目洋子ちゃん微笑みかけられた様だった。今や巨人の4番、誰もが認める日本一の野球選手に成長した小久保君に僕はカメラが回ってる回っていない関係なく話しかけた。怪我の事、アメリカでのリハビリに耐えてた時の事、移籍した巨人での事。結果は、全てにおいて彼は前向きであると言うことだった。
選手生命が終わりかと騒がれた昨年オープン戦での靭帯損傷で彼は自費でアメリカに渡り一年間治療とリハビリに費やした。そこで信頼を寄せたドクターにより彼は「怪我する前より五年長く野球が出来る自信がついた。」と話してた。「子供のとき、物覚えが悪いと感じた自分に繰り返し同じことを出来るまでやっていた」と話す。幼少の頃からの形は決して崩れていない。だから誰よりも練習するんだと。「努力の天才」こそが小久保裕紀である。和歌山で生まれ育った男が今日本中の野球ファンの心をしっかり掴んで今年も皆に感動を与えてくれるだろう!しかしその陰では、かけ離れた努力をしている事も忘れてはいけない。会ってるだけでエールを送ってもらってる気がした貴重な一日でした。
Posted by sisomaru at 2005年01月01日 00:10