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2005年05月03日【 3.月刊『お前だえよ!』 】

桂枝曾丸文枝の分子。

落語家になり丸18年。あまりのも早すぎる別れでした。師匠、文枝が今年桜の花が咲くのも待たずに天国へと旅立って行きました。

1月初旬、筆頭弟子の三枝兄さんから緊急招集。新年会としての理由だったが突然すぎる集合に、いささか戸惑いながら大阪へとある会場へと向かう。ビールを酌み交わし一門和気あいあいとしながらも師匠の姿がそこにはない。新年会はいつも師匠のスケジュールにあわすのに、不思議やなぁ~と思ってる矢先に三枝兄さんが中に誰にも入れない様、後輩達を促す。「みんな近くに寄れ!」。重苦しい空気が一機に立ち込める。「今から言う事は例え肉親にも言わないように」とゆっくりと丁寧に話し出した。その内容は、師匠文枝の病状の事だった。‘余命・・・‘聞き終わった後、あまりにもショッキングな内容にみんなすすり泣きながら文枝一門最大のピンチを迎えた。思い起こせば、田舎から出て入門した僕は、出来の悪い弟子だった。着物もたたみ方や礼儀ひとつ知らない僕は、いつも不安な毎日。失敗してはいけないと思えば余計に失敗してしまう。正しく自暴自棄な内弟子期間。
師匠の買ったばかりの新車を仕事先でぶつけ直しに行く途中、交差点でタクシーと正面衝突。または師匠の東京の独演会の際、師匠の衣装を忘れてしまったり。失敗は数え切れない。しかし、そんな僕にその都度こぶしを振り上げながらも破門(クビ)にはしなかった。
また、師匠が怒るといつも奥さんは悲しそうな顔して台所へと行く。ある日えらい失敗をして大目玉。「もう帰れ!」という怒鳴り声に押し出されるかのよう肩を落としてアパートで泣いていると師匠の息子さんが訪ねてきて近所の居酒屋へと誘ってくれ大層慰めてくれた。僕は嬉しさと情けなさにシクシク泣きながらも優しく励ましてくれた息子さん。
後に聞けば、師匠と奥さんが落ち込む僕に気分転換させようとした気配りだという事をしった時、愚かさが胸に応えたものだった。そして、時が流れ3年間の内弟子期間(修行期間)が過ぎ一人立ち。芸にしても人間的にしても何一つ自信が持てないまま、言葉は悪いが何となく時を過ごしていた。そんな僕に大きな出来事が入門して12年目に訪れた。それは「二代目桂枝曾丸襲名」だった。桂家の由緒ある名前を残そうとの大きな動きがあっての事だったがまた29歳の自分にはピンと来ないまま、一門も先輩方の協力で一連の襲名披露も無事済んだ。喜ばしい襲名だが名前が新しくなり先行きの不安に追い討ちをかける事がまたしてもやってきた。それは家庭の事情での和歌山へのUターン。引越しの前夜、師匠の元にご挨拶に伺うと行き着けのバーに誘ってくれた。何も言わない師匠に僕は自分にはっぱをかける意味で「なんとか和歌山で落語家で食べれるよう頑張ります!」といった。すると「お前がその事いつもでも忘れるなよ」と師匠が真剣な眼差しで僕に告げてくれた。
今から7年前の事だった。そして去年初め、師匠と会う機会があり「お前、和歌山弁で落語やってんのかいな」と師匠の会で出番をもらった。噂を聞いて呼んでくれたのである。
「師匠が袖で聞いている!」そんな緊張に包まれながらも無我夢中で舞台で和歌山弁落語を披露。終えた僕が楽屋に帰り「お疲れ様でした」というといつものように「ご苦労さん」
聞いてくれてなかったんかな?と後に心配してる事を他の人に言うと「師匠、枝曾丸君の落語聞いて笑ってたで」で言うてくれた。今まで何一つ師匠に認めてもらってなかったと思ってた僕だけにその言葉を聞いて熱いものが込上げてきた。自分流、それは和歌山に帰らなきゃ僕は落語家として生きて行く事がなかっただろう。遠くから見守ってくれてた師匠の葬儀の日は奇しくもCD第二弾の発売日。一生忘れなれない記念の日になった。
今になって思うのは、天国にいてる師匠がそう決めたに違いないと。落語を愛し、故郷を愛し僕はいつもでも落語家でありますと誓うのです。

Posted by sisomaru at 2005年05月03日 15:00


よせられたコメント

 この前の「第2回浪花の枝曾丸落語会」、嫁さんの体調が悪うて行けませんでした。二人とも楽しみにしてたんですけど。すいません。
 以前、文枝一門のある人たちと呑んでたとき、「なんで師匠は枝曾丸をあんなに買うんやろう」って話が出てきました。恐らくこの「お前だえよ!」にかかれた出番の後でしょう、文枝師匠が「枝曾丸は和歌山弁落語で化けよった」と仰っていたようです。確かに、「わが言葉」を取り戻したとき、人は水を得た魚のようになる場合がありますわな。初めて枝曾丸さんの落語聞いたときには、「まだまだ肩の力が抜けてないなあ」と思ったんですが、和歌山弁落語が軌道に乗るにつれ、肩の力の抜けた、リズムのええ噺になってきたように思います。
 五代目文枝師匠はこの世から誠に「粋に」退場されました。とても残念ですけど、師匠の残した最大の遺産の一つは、和歌山弁落語をする落語家でしょう。肩に力入れんと、ぼちぼち活躍してくださいな。

Posted by: 妻木靖朗 at 2005年05月18日 23:33

妻木さんへ
お気持ちのこもったお便りありがとうございます。
これから大阪でもボチボチやって行こうと思いますのでこれからもご夫婦共々応援してやってください。

Posted by: 桂枝曾丸 at 2005年05月19日 15:03

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