« お城の昼下がり。。 | Main | 信愛中・高校生に感激。 »
2005年05月26日 | 【 3.月刊『お前だえよ!』 】 |
鹿児島から再出発!宮井紀行の決意。
和歌山出身の宮井君と福井出身の倉田君のふたりが出会ったのが同じ大学に入学した事から親しくなり結成した ‘なまず‘。ふたりから広がる音楽は、常に前向きで多くの人の心を掴んだ。その大学時代、鹿児島の繁華街で夜に始めたストリートライブは、最初は女の子ふたりだけだったが地元高校生の間で話題になり一時期はそのライブに約1000人もの人が訪れて黒山の人だかり、警察から演奏中止を受けたという伝説を持つ。
その後、活動の拠点を東京に移してプロとして本格的に音楽活動を開始した。
僕が出会ったのがちょうどその時だった。テレビ和歌山‘わかやまナイズ‘で彼らを応援しようというコーナーを始めたから。メジャーデビュー前の彼らの目は希望に満ち溢れていた。 ‘さわやか‘‘元気‘‘笑顔‘そのものの。当然、楽曲も等身大のふたりがいいバランスで表れていて心地いい。後にコロンビアからデビューを果たし、日を追う毎にキャラも楽曲も深みが出てきて、僕は純粋に‘これからの展開‘を楽しみにしていた矢先だった今年春、‘なまず解散‘の事実を発表。瞬く間にファンのみんなを震わした。
お世話になった都市に今までのお礼を伝えたいと解散ライブツアーを慣行。
当然、宮井君の地元でもある和歌山でも行われた。僕もどうゆう顔して行ったらいいのか分からないまま会場へと足を踏み入れると、今までのライブとは当然ながら違った空気。
地元のみのみならず、福井や鹿児島からおっかけの人達の来ており、始まる前からすすり泣いている女の子もいた。今まで僕が味わった事のないライブに彼らは惜しむ声に精一杯ギターで応えた。 そして一ヶ月の月日が流れた先日、宮井君が和歌山に一時帰郷するという知らせ。急な事もあって、親しいごく小人数でお昼ご飯を共にした。まだ解散して日も浅いし、自分の身の振り方に戸惑っていると思いきや、凄くはつらつとした表情にびっくり。もっとびっくりしたのが、ナント住まいを鹿児島に移したという。‘なまず‘を解散しても自分自身の音楽を追い求めたい!それなれば音楽人生のスタート地点である‘鹿児島‘ではじめたいという思いかららしい。そして彼がカバンから取り出してきたんが、手製のプロフィールと解散してから作ったという曲の入ったこれまた手焼のCDである。
なんだか、僕が和歌山へUターンしてきた時の様に思えて微笑ましく話しを聞き入っていた。彼の熱弁の最中、「これからが厳しいよぉ~」と思わず口に出てしまった。それもその筈、一度はメジャーデビューした男。それが解散を機にたった独りでやって行こうというんだから色んなギャップをこれから味わう事だろう?そんな周囲の心配をよそに彼はこう返した。「これからは、なんでも出来ますわ。DJとかレポーターとか・・」と笑いながら。
やりたい事はいっぱいある。その中でも音楽を精一杯やりたい。その拠点を鹿児島に決めた。これからは大学時代とは違って、元‘なまず‘という荷物も背負いながら活動していかなければいけない。何かと大変である。しかし僕は、彼自身の天性の明るさと根性、そしてみんなに好かれる人徳できっと彼自身納得する結果を掴んでくれるに違いないと核心した。僕なら和歌山。宮井君なら鹿児島。拠点としている土地で喜んでもらえるモノは、きっと何処へ行っても通じる。ちなみに彼は、僕同様に活動の範囲を拠点に固執しているわけでもない。だから僕も新たな宮井紀行を和歌山でライブする事があったら応援したいと思う。今度会うのが5月31日東京での僕の独演会である。偶然、彼も前日東京でライブがあるらしく再会を約束した。その時は宮井君の元相棒、倉田君も来てくれるらしい。
進んでいく道はそれぞれだが、「自分らしく生きている!」という拘りの同志。
東京のビルの下で今から乾杯するのが楽しみです。
Posted by sisomaru at 2005年05月26日 16:10