〔心筋炎〕・・・娘の死の直前はじめて聞いた病名でした。育児雑誌の子供の病
気の欄の中
にも『心筋炎』という病名は
書かれてい
ないのが現状です。突然死につ
ながる怖い病気です。娘を奪った『心筋炎』を一人でも多くの人に知ってもらいた
い。もっともっと生きたかったであろう娘のために、そして生きようと必死に頑張
った娘の死を無駄にしないためにも、娘の声にならない声を社会に訴えていくこと
が私たち親の務めだと思います。
 二度と同じ過ちを繰り返さないために・・・。



〔怖い解熱鎮痛剤〕


 今、解熱鎮痛剤の副作用について問題になっていますが、発熱時に必ずと言って
いいほど解熱剤が処方されています。
 当たり前のように出される解熱鎮痛剤ですが、医師から「38度5分以上になっ
たら使って下さい」と言われ、何のためらいもなく使用した解熱鎮痛剤が心筋炎の
誘発剤になる
ことを知ったのは、娘が亡くなってからでした。
 熱を下げることが治療ではないということ。
 解熱剤の使用は、エネルギーを消耗させ悪循環の繰り返しになるということ。
 発熱は体の中でウイルスと闘っている反応なのです。
 悲しいことですが、このことは娘を失って得た教訓です・・・。



〔小児科の診療に疑問を感じること〕

 私の子供たちが
受診した病院(小児科)は、どことも採血やその他の検査に母親
を診察室や検査室の外に待たせる病院でした。
 ただでさえしんどくて不安なのに、親と隔離され、泣き叫ぶ小さな体を医師や看
護婦に押さえつけられ、採血や検査を受ける・・・まるで拷問です。
 専門的な知識がなくても、子供が受ける検査の一部始終を見る権利は親にはある
と思います。医療の密室性をなくし、患者の命を預かっているという前提のもとに
診療に当たってほしいと思います。
 わずか17時間の入院でしたが、娘は生きるため懸命に頑張りました。
 飲みたいお茶も飲まずに我慢をしたし、「おなかがいたい」、「しんどい」と言
っても「脱水症状を起こしているから当たり前」と言われればその痛みやしんどさ
に耐えたし、手足の冷たさも「冷たい点滴を入れているから当たり前」だと言われ
れば、そうなのかなと思った・・・。でもそうじゃなかった・・・。脱水なんかじ
ゃなかった・・・。
 あれだけいつもとは違うと言ったのに・・・。神経質な母親だと言われ、しっか
りしなさいと叱られた。
 医師や看護婦にとって、娘は大勢いる患者の中の1人だったかもしれません。
 でも私にとってはかけがえのない、大切な命です。命を削る思いで生んだ、たっ
た1つの大切な大切な命です。娘の訴えは全て子供のわがままだと言われ真剣には
聞いてもらえず、翌朝まで医師の回診もありませんでした。一体何のために入院し
ていたのでしょうか。
 どんな小さなことでも、常に母親の言うことに耳を傾けて下さい。それが、早期
診断、早期治療につながると思います。母親は子供の代弁者であり、医師にとって
は大切な情報提供者ですから・・・。
 たとえ同じ病気の患者がいても、それぞれの年齢や性別、既往症や発病以来の経
過、現在の病状や予後の見込みなどすべて同じであるはずがないのです。
 「ねえ、お母さんどうして沙彩は死ななきゃならなかったの?」そんな娘の声が
聞こえるようです・・・。





 娘は12月25日夜明け前、あまりにもあっけなく私のもとから去ってしまいま
した。
 前日24日に小児科の診察で、「ただの風邪」と診断を受けてわずか十数時間後
のことでした。
「ただの風邪で私は大切なたった一人のわが子を死なせてしまったのか。私のせい
だ。」突然の出来事にただひたすら自分を責め娘に申し訳ないという思いから死ぬ
ことだけしか考えられない日が続きました。
 そんな私に医者から告げられたのは娘を死に至らせた病気が『心筋炎』という恐
ろしい病気であったということでした。
 なぜ、前日分からなかったのか。
 死にいたるような病気をどうしてほんの数十時間前に見つけられなかったのか・
・・。
 私の問いに医者は皆、口をそろえて言いました。「この病気は外来で見つけるこ
とはほとんど不可能なんです。」また、この病気自体がまだ発展途上状態にあり、
医者の心筋炎に対する意識が低いと・・・。
 外来で医者が見つけることが出来ないのなら私たち母親は一体どこでわが子の命
を守ってあげられると言うのでしょうか。
 しかも私は受診の際、『いつもとは違う。』ということを主張しましたが、熱が
高くなかったこと、症状が当時流行っていた風邪の症状と似ていたことから聞き入
れてもらえなかったのです。
 母親はわが子のスペシャリストです。
 しかし、多くの病院では『母親の目』は『医者の知識』の前では無力と化してい
るのが現状なのです。
 娘が24日に受診した際に、すでに心不全の症状が出ていたこともその後、分か
りました。
 (どうしても納得がいかず、専門医や弁護士に相談したのです。)
 その後、数名の“心筋炎で子を亡くした親”と知り合うことが出来ました。
 その全員がうちの娘と同様の症状で受診し、風邪と診断された後亡くなっている
ことを知りました。
 ほとんどがいつもと違う異常を医師に訴えたにもかかわらず、聞き入れてもらえ
なかった、亡くなるまで数回(一晩に)受診したにもかかわらず帰され、その結果
亡くなってしまったと聞きました。
 『外来では見つけられない』という言い訳はあと何人の子供が犠牲になればその
効果を失ってくれるのでしょうか。
 異常を発見するのが医者の仕事ではないでしょうか。
 わが子の死を無駄にしたくない。
 この病気をもっと知ってもらいたい。
 医者も診察の際に常に頭の中に置いて診察してもらいたい。
 子供の病気はたいてい集団発生で時期も同じくします。
 しかし、その中に重大な病気を隠して受診に訪れる子供もいるのだと言うことを
忘れないでほしい。
 わが子をある日突然失う・・・。ただの風邪と診断を受け、安心しきっていた親
には、何がどうなっているのかさえ分からず、いつまでたってもその『死』を受け
入れることが出来ないままです。
 まわりの社会からも「親がついていながら助けることが出来ないなんて」と母親
失格のレッテルを貼られ、実際目の前で死なせてしまった罪悪感に苦しみ続ける毎
日なのです。
 ただの風邪が引き金なだけに、次の子供を育てる自信も失い、家族の再生どころ
か、崩壊さえ招きかねません。
 私たちのこの思いに力を貸していただけないでしょうか。
 これからこの心筋炎を考えるため広く呼び掛けていきたいと思っています。
 今は一人でも多くの仲間が欲しいと思っています。
 この場を借りて、私たちのことを多くの子育て中の親に知ってもらいたい。
 そしてなにより医療の最前線にいる開業医、この病気に対する認識を広めて欲し
い。 そう願ってやみません。
 どうかよろしくお願い致します。 





 1996年10月3日、午前9時21分、最愛の娘との突然の別れ。
この出来事は、私にとって人生の意味さえわからなくなる程過酷なものでした。
 大切な娘の最期の様を書き綴るにはあまりにも辛く、また他人にさらけ出したく
ない部分でもありますが、二度とこのような事態を繰り返さないためにも、あえて
皆さんにこの事実を伝えたいと思います。
 実体験をもとにできるだけその時のことをリアルに伝えたいのです。
 そして目的はただひとつ、子供たちを一人でも多く守れるものならこの病気から
守ってあげたいのです。
 あの、あどけない笑顔を突然奪う恐ろしい病気から守ってあげたいのです。
 その為には、まず親と医師との意志の疎通が強く計られることが必要であると考
えます。
 この病気から「子供たちを救おう」など、一言で言い切れる程、安易な事ではな
いと思いますが心筋炎の発見、治療が少しでも早くできる為には、まず、病気の存
在を知ることが大事だと思います。
 幼い子供は自分の苦しさ、痛さをうまく言葉では伝えられません。
 親の目で症状をしっかりキャッチし医師に確実に伝える。そして医師は子供の代
弁者である親の訴えをしっかり受け止めて欲しいと強く願っています。
 そして、この病気が稀であるとか、発見が困難であるとか、診断前に死に至るケ
ースが多いなどと言って尊い生命を救うことをすぐにあきらめることは今すぐやめ
ることです。
 周りの大人たちで、できるだけ手を尽くすべきです。
 この想いは実際私が娘にしてあげられなかった事、してあげたかった事の全てで
す。
 娘は断末魔の苦しみの中、最期の一瞬まで私の事を呼び続け、私は側で手を握り
不安を取り除いてやることもできず、たった一人で苦しみと恐怖の中、逝ってしま
ったのです。
 だれ一人その病気の真相を知ることもなく・・・。
 このような事はもう二度とあってはいけないのです。
 病気を疑い、その苦痛を少しでも取り除こうとする行為(手当)をして、最悪の
結果を迎えることになっても、それは仕方のないことかもしれません。
 しかし、何も手を尽くさず亡くなった後で難しい病気だったから仕方がなかった
というのはあまりにも生命というものを軽視しているようにしか思えないのです。
 私は娘を亡くし、今までずっと“娘の死”について考えてきました。
 夜間・休日の医療体制についてをはじめ幼い子を持つ、親としての病気に対して
の意識や知識・・・。
    この出来事は娘が残した大切なメッセージなのではないかと・・・。
 大げさかも知れませんが、私に与えられた使命のようなものを感じてならないの
です。
 そして、そのメッセージを一人でも多くの人に伝えなければならないと、日に日
に強く思うようになったのです。
 娘を亡くして1年半もの間、病院側から「とても稀な病気である」と強く意識づ
けされていた私は、同じような境遇の人は他にはいないと思い込んでいたのですが
、このホームページに載っている高山さんと出会ったのです。
 高山さんを通して高岡さんとも出会いました。
 この出会いによって「心筋炎」という病気が決して稀ではないこと、そして「心
筋炎=死」と決して言い切れないという情報も手に入れることができました。
 「心筋炎」という病気により大切な家族を失った者として何か役に立てることが
あるのならできる限り力を尽くしていきたいと思っています。
 一人でも多くの生命がこの病気から救われることを願って・・・。





 平成9年12月24日 午前9:30 サンタさんにドッジボールをもらうこと
を楽しみに待っていた娘が、その願いかなうことなく突然逝ってしまいました。
 ある日突然、かけがえのない我が子が目の前からいなくなる。この恐ろしい事実
が、どれだけ私たちを苦しめたかはとても書き表すことができません。その死はあ
まりにもあっけなく、現実に娘の死を受けとめるまでに相当な時間がかかったこと
も確かです。
 どうして世理奈が亡くならなければならなかったのか。何一つ病気らしい病気も
せず、いつも元気いっぱいで、お茶目で、走り回っていた世理奈が。
 私たちは、すぐさま自分たちの今までの生活を振り返りました。幼い子をおいて
寂しい思いをさせて働いていたこと、共働きなのにうまく協力してこれなかったこ
と、つまらないことで言い争っていたこと、愛する子供たちが元気でいてくれるか
らこそどんな事でもがんばってこれたのに・・後悔せずにはいられませんでした。
 そして、物事を良い方向に考える努力をしました。痛い目をして事故で傷ついた
のではないこと、自分たちが見守る中で急変したこと、たとえ助かっても重い後遺
症で妊娠中の私を心配させないようにしてくれたのだと。 
 願っても願っても赤ちゃんが授からず、一度も我が子に会えない人たちのことを
思えば、3年5ヶ月も共に暮らし、いっぱい思い出をもっている私たちはどんなに
幸せだったかと。
 世理奈が命を削ってまでも私たちに気づかせたかったこと、訴えたかったこと
(夫婦仲良く、家族仲良く)を心から受けとめ、それを大事にしながら残された家
族で寄り添って生きていこうと思い続けてきました。こうやって刻々と変わる気持
ちを少しづつ整理しながら世理奈に謝りつづけてきた1年でした。
 しかし、中日新聞やこのホームページを拝見させてもらって血の気がひいてしま
ったのです。私たちはもしかしたら、あの子を失わなくてもよかったのだろうか・
・・そう考え出したら、今まで少しずつ積んできた積み木が、またガラガラと音を
立てて崩れ去っていったのでした。今まで、世理奈の死は、どうしようもなかった
、できるだけのことはしてもらったんだと思いこもうとしてきた私にとって、病院
での一部始終を思い起こすことはとてもしんどいことでした。泣き崩れる夜が続き
、ペンが何度も動かなくなりました。でも、同じ深い悲しみを持ちながら、現実を
受け止めて必死で戦っているこの会の皆さんに励まされ、苦しいことに向き合おう
と思ったのです。
 実は、主人は以前から病院や医師の対応に疑問や不信を抱いていました。悪化す
る直前に行ったかかりつけのお医者さんに、「おかしいんです。何度も熱が出てく
るし。おかしいんです。」と訴えましたが、ただ「治療だけしておきます。」と帰
されただけでした。
 入院した病院では、点滴を間違えられたり、看護婦さんが飲むように持ってきた
薬をA先生が、「絶対に飲まさないで下さい。」と言われたりしました。B先生は
厳しく水分制限をされたので、「お茶ちょうだい。のどがかわいた。」と泣く娘を
必死でなだめていたのに、A先生は「飲ましてもかまいませんよ。」と言われたり
。亡くなる朝、つながれた機械に赤ランプがともったので、急いで看護婦さんを呼
ぶと、誤作動だと帰っていってしまったのです。実はそれが、急変を知らせるサイ
ンだったのです。たまたま見にきたA先生が異変に気づいてくださったのでした。
 しかし今思うと、それからC先生が来るまで応急処置がきちんと行われていたの
かどうか、私たち素人が見ていても疑問がわいてきます。その日の朝、喜んで飲ん
だ牛乳が鼻と口からだらだらと流れ落ちるのを必死でふいてやることしか私にはで
きませんでした。
 ようやく心臓マッサージが始まり、私は、床にひざまづき「世理奈しっかり。世
理奈がんばれ。」と必死で必死で叫びつづけていました。私たちのかけがえのない
娘が小さな体で死に直面している時、C先生とD先生は娘のベッドの両脇からお互
い目配せし、まるで「まだやるのか・・・。」とでも言うように手の平を返したの
です。私はその姿を見逃しませんでした。そして、これが人の命を預かる医者なん
だろうか・・・と思ったのです。それから主人の話では、年配の看護婦さんが若い
看護婦さんに電気ショックのやり方を笑いながらふざけながらその場で教えていた
というのです。
 入院の費用も二泊したにもかかわらず、たくさんの検査や投薬をされたにもかか
わらず電話代を請求されただけだったのです。どうしてでしょうか。
 病院に勤める人たちにとって、人の死は日常茶飯事なのかもしれません。いちい
ち感傷的になっていたら仕事として成り立たないのかもしれません。でも、でも、
でも、私たちにとっては自分の命より大切な娘なのです。小さな子どもをいとも簡
単に、あまりにも突然に亡くしてしまう苦しみ、悲しみ、それをほんの少しでもわ
かろうとしてくれるなら、このような対応があるのでしょうか。運が悪かったとあ
きらめなければならないのでしょうか。
 娘を亡くしてたった一つの命がどれだけ尊く、重いものであるか、生きていくと
いうことがどれだけ苦しいことなのか、ひしひしと感じます。
 慌ただしい毎日の中、限られた時間の中、どれだけ相手の立場に立てるか、いか
に自分を振り返りながら仕事をしていけるか・・・。どんな職業であれとても難し
いことだと思います。             
 しかし、かけがえのない生命が軽んじられるようなことがあってはならないと、
またないように心から願いたい。病気だけでなく、事故も、虐待も、戦争も・・。
 一人ひとりの生命が大切に、どの子もみんな大事にされますように。
 そして最後に、世理奈の命を奪った心筋炎という病気を一人でも多くの人に知っ
ていただきたい。もう、誰も同じ苦しみ、悲しみをあじわってほしくないのです。





 ピアノが上手じゃなくても良かった。誕生日の前に大きい自転車を買ってあげる
んだった。宿題を後回しにして先に遊んでも良かった・・・いいお母さんじゃなか
ったから、後から後から後悔することがいっぱい出てきます。
 死後、二度、先にかかった(かかりつけの)病院の先生と部長先生にお会いしま
した。最初かかった先生は週一度医大から来られる先生でしたが、会いに行った日
、カルテを見せて第一声、「この通りです。何の改ざんもしていません。」と、そ
れに、「最初不整脈を見つけたのは私の自慢です。」との言葉も出、少し嫌な感じ
がしました。
 つい、当日この先生じゃなかったら、即入院の指示が出ていたら  とついつい
考えてしまいます。
 始め、こころの亡くなったのは運が悪かったからだ、と思おうとしていましたが
、心筋炎のことを知れば知る程、ただ運が悪かった、と済まされるものじゃないと
思うようになってきました。
 夜中、いつも倒れた時のこと、ピアノで叱ったこと、思い出します。
 楽しいこと、笑っている顔、いっぱい知ってるはずなのになかなか出てこないの
はなぜでしょう。
 とにかく側に行ってやりたい、行ってやることが私の出来ること、とおはずかし
い話ですが、眠剤を一気に飲んでしまったことも・・・。
 一人であっちで泣いているんじゃないかと、心配でたまりません。
 でも、この「天使の会」を知って、この病気で亡くなった子と一緒に仲良く遊ん
でいる  そう思いたい気持ちも出てきました。
 こころは少しお姉ちゃんですね。きっと、得意なポケモンのこと、みんなに教え
ているのではないでしょうか・・・。
 人はいつかは死にます。死んだらこころに会える、その日まで自分がしなければ
いけないこと、ちゃんとやらないと、こころに笑われてしまいますね。
 高岡さん達との出会いがなかったら、私今頃、もうつぶれていたと思います。
 もっとしっかり、心筋炎のこと知らなくては  、今はそう思っています。
 天国のこっちゃん、見ていてね。





 あの日の悲しい娘の姿は一生、心の中に深く刻まれるでしょう。
 風邪だといわれてどうして蘇生を受けているの?
 風邪だといわれてどうして心臓が止まるの?
 「看護婦さん、心筋炎って何? 聞いた事もないです。
 風邪じゃなかったの?どうして死ぬ直前までわからないの?」
 私は立っていられずその場にくずれてうずくまりました。
 あなたは自分の子の突然の死を考えた事、ありますか?想像してみてください。 
 風邪の診断後、突然 自分の子が死んでしまう・・・。
 どうか怖がらず最後まで想像してみてください。
 そして私たちの恐ろしい経験を知って下さい。
私たちの愛しい子達が 残したメッセージに耳を傾けてください。

私は この世で一番の悲しみと苦しみを 経験しました。
そして こう思いました。自分の子は 自分でしか 守れない。
100%医師を信用しないで! いくらあなたが 医師を信用しても 
我が子の屍を前にして「風邪に似てたからね」とか
「頻度が少ないから判らない事が多いよ。」とか 
の一言で 済まされてしまうんです。
たとえ重篤な病気の陰を確認できるいくつもの兆候を確認していたとしても・・・。
「心筋炎」という名前すら 知らない医師もいるのです。本当です!
私の娘がそういう小児科医師の診察にかかりました。
・・・・・そして 死にました。
かかった病院は誰でも知っている 地元では有名な小児病院でした。

母のいつもと違う。という直感のようなものは どんな医師でもかないません。
どんなに 嫌な顔をされても 次のカルテを目の前に出されても
看護婦に診察室から 押し出されたとしても 振り払い
そして 医師に食い下がる勇気をもってください。
 
あと 何人犠牲になれば いいのですか?
あと 何人犠牲になれば「 珍しい病気 」 でなくなるのですか?
私達の大切なあの子達の 死は一体なんだったのですか?
もう こんな死は 終わりにして欲しい。 

風邪だと 言われ 何か おかしい様子に引っかかりながらも・・・。
点滴の管をつながれっぱなしで 何時間も放置され ・・・。
今日も 何処かで 風邪と診断された子が蘇生を受け・・・。
私達の子と 同じように・・・・。  あの日の娘の姿は一生、心の中に深く刻まれでしょう。
 風邪だといわれて、どうして蘇生を受けているの?
 風邪だといわれて、どうして心臓が止まるの?
 「看護婦さん、心筋炎って何?聞いた事もないです。
 風邪じゃなかったの?どうして死ぬ直前までわからないの?」
 私は立っていられず、その場にくずれてうずくまりました。
 あなたは自分の子の突然の死を考えた事、ありますか?想像してみてください。
 風邪の診断後、突然自分の子が死んでしまう・・・。
 どうか怖がらず最後まで想像してみてください。
 そして、私たちの恐ろしい経験を知って下さい。
 私たちの愛しい子達が残したメッセージに耳を傾けてください。
 私はこの世で一番の悲しみと苦しみを経験しました。
 そして、こう思いました。自分の子は自分でしか守れない。
 100%医師を信用しないで!いくらあなたが医師を信用しても、我が子の屍
を前にして「風邪に似てたからね」とか「頻度が少ないから、わからない事が多
いのよ」とかの一言で済まされてしまうんです。
 たとえ重篤な病気の陰を確認できるいくつもの兆候を確認していたとしても・・
・。
 心筋炎という病気すら知らない医師もいるのです。
 私の娘がそういう小児科医師の診察にかかりました。
 そして、死にました。
 かかった病院は地元では有名な小児病院でした。
 母のいつもと違う。という直感のようなものは、どんな医師でもかないません。
 どんなに嫌な顔をされても、次のカルテを目の前に出されても、看護婦に診察室
から押し出されたとしても振り払い、そして医師に食い下がる勇気をもってくださ
い。
 あと何人犠牲になればいいのですか?
 あと何人犠牲になれば「珍しい病気」でなくなるのですか?
 私達の大切なあの子達の死は一体なんだったのですか?
 今日も何処かで風邪と診断された子が蘇生を受けているかも知れない。
 私達の子と同じように・・・・。