裁判を終えて・・・
判決後、医師から寄せられる意見の多くは「小児科は面倒になるから、なりたくないと思う医学生が増
える。
今回の判決に対し、心筋炎と即座に診断できなければ、裁判で負けるのなら小児の救急患者を怖くて診
察できない」というものでした。
私たちが起こした裁判によって小児科医が激減するといった半ば脅しのようなメールが多く、判決の内
容に対する抗議を私たち個人に向けてくる先生方には驚きました。
私たちは心筋炎を診断できなかったという理由だけで裁判を起こしたのではありません。
小児科の先生を困らせようとして起こした裁判でもありません。
期待していた医療を受けることが出来ず沙彩は一晩中苦しみ、その苦しみを必死で伝えたのにまともに
相手にされず放置され、翌朝別の医師によって異常が発見された時にはもう手の施しようがなく、まる
でテレビドラマのような光景が目の前で起こっていることを、夢とも現実とも区別がつかない状況で過
ごすしかなかった無念さと、その後の病院とのやりとりによって、一つの疑問が不信感に、不信感が怒
りへと移行し、「恐らく多くの患者はこのような病院の圧力によって泣き寝入りを余儀なくされてきた
のだろう・・・。絶対に泣き寝入りだけはしない・・・。このまま泣き寝入りをすればきっとまた同じ
ことが繰り返される・・・」そんなやり場のない思いが原点でした。
狂った病院体制を社会に問題提起したかったのです。
命の貴さを医師や看護婦に訴えたかったのです。
全ては、「過ちから学ぶ医療を求めて」の裁判でした。
数少ない情報の中から、軽症患者の中にいるたったひとりの重症患者を見つけるのには、親からの情報
が何より重要な鍵を握ると思います。
ありふれた病気の中に、重篤な病気を抱えて受診している子供がいるということ、日々の診療の片隅に
でも思いながら患者と接してほしいと願っています。
判決後、担当医は臨床の現場を離れたそうです。
しかし診療を離れても医学生に教鞭を執っているという担当医には驚いています。
自分が犯した事故の判決にショックを受け、臨床が出来なくなった担当医師に教えられる医学生のこと
を思うと、こんなのでいいのかという思いでいっぱいです。
自分が犯した過ちを医学生たちに教え、未来ある子供の命を救おうとする情熱のある小児科医を1人で
も多く育てること、担当医にはそういう形で医療と向き合ってほしいと心から願っています。自分の犯
した過ちを医学生に語り続けること・・・それが沙彩に対して出来る唯一の謝罪の形であると思ってい
ます。
新宮市立医療センター院長としての私たちに対する誠意は、「上告を断念したこと」だそうです。
上野市長がぽつりと言った言葉が印象的でした。「いくら市長でも医者を押さえつけることは出来ない
・・・
彼らは自分たちが一番偉いと思っているから。病院関係者も市の職員も今回の僕の判断に賛成する者は
誰ひとりいなかった・・・」声を震わせ、私たちに深く頭を下げ「忘れることは出来ないけれど、許す
ことなら出来るという言葉があります。どうか私に免じて許していただきたい・・・」と涙ながらに語
った市長の姿を見た時、市長の苦しみをも理解出来たような気がしました。
沙彩のかけがえのない命が失われたこと、これまで病院が過失を認めず不誠実な対応をとり続けてきた
ことなどの事実は変えることが出来ないとしても、起こしてしまった過ちを認めて謝罪した新宮市長の
姿勢によって私たちは10年間に渡る遺恨から解放されたような気がします。
私たちの30代は医療の改善を願って過ごした闘いの日々でした。
長く苦しく、怒りと涙の中で過ごした10年でした。
これから始まる40代は、沙彩の分も幸せに家族みんなが健康で暮らせるように努力していきたいと思
っています。
そしていつの日か、沙彩のもとに行った時は、胸を張って沙彩に会えるように、これからの人生を沙彩
に恥じぬよう精一杯生きたいと思っています。
いつの日か天国で再会しこの胸にしっかりと沙彩を抱きしめ、仲良く永遠に暮らせる日が来ることを信
じて・・・
これまでご支援・ご心配下さった皆さま、ありがとうございました。
1つの形を残せたことを心の支えに、これからの人生を歩んでいきたいと思います。