和歌山の台風被害
 復旧遅れ、支援さらに

 和歌山県議団事務局
  吉田直樹の手記



2011914
 日本共産党和歌山県議団事務局の吉田直樹がボランティアとして参加した現地リポートです。


 私の住む和歌山市から約200Km離れた新宮市は、数々の思い出のある土地です。海や川、山など自然が美しく、そのもとで暮らす人々の優しさにふれ、あたたかい気持ちをもらい、帰路についたものでした。
 台風12号による新宮市への影響の大きさを知り、民青同盟の姫田広和歌山県委員長の呼びかけに応じて災害ボランティアに参加しました。
 新宮市に到着し、杉原弘規市議から状況説明を受けました。川の氾濫で部屋が浸水し、天井から一尺(約30センチ)の間で息をしてなんとか命をとりとめたおじいさんのことなど、話が凄まじすぎてその時点ではまだ現実感がありませんでした。
 しかしその後、同市の市街地でも最も被害が多いと聞いた相筋の地域に入り、惨状を目の当たりにします。細い通路の両脇に高く積まれた家具や電化製品、布団、畳、書籍など、台風の被害にあうまでは自分たちが毎日の生活のなかで当たり前のように使っているものとまったく同じものです。それらが泥にまみれ破砕し、ガレキとなっていました。家々の壁や扉には浸水の跡がはっきりと刻まれています。
 私たちは今やガレキとなってしまった冷蔵庫やタンス、食器棚などを軽トラックに積載し、収集場へおろしに行く作業を繰り返しました。とにかく大きな物から取り除いていくことになり、軽トラックではなかなかはかどりませんが、お家の方から「ほんま、ありがとうねえ」と言われると力がわいてきます。住民の方たちも懸命に作業をされていました。被害から一週間、疲労の蓄積は大変なものだろうと痛感しました。
 子どもたちも大人と一緒に片づけをしています。小学生の男の子の兄弟が、汲んできた水で玄関の泥を洗っていました。本当ならサッカーや鬼ごっこなどで走り回って遊びたい時期です。その日に来たばかりの私は、「ぼくたち、えらいね」という言葉がかけられませんでした。一日でも早く元の生活に戻れることを願った瞬間のひとつです。

 人手や物不足
 翌日は、今回の災害の調査にかけつけた山下よしき参院議員らとともに、現場の被害状況を調査しました。
 高田川の被害跡=9月11日、新宮市
 相賀や高田など山間部は復旧が遅れています。断水が続き、電力も不足しています。電話も通じず、支所に衛星電話があるだけで情報が不足しています。
 今は水量が減りとてもきれいな高田川が、台風時には濁流となり家々をのみこみました。道路から7、8メートル上にある住居の屋根まで濁流の跡がついていました。本来の川の高さは、道路から約10メートル下です。その模様は、今の穏やかな風景からは想像がつきません。濁流に家ごと長い距離を流され、脱出して木によじ登って助かった女性の話を聞きました。夜中の出来事です。大変な恐怖だったことでしょう。
 地元の方の話では、センターにボランティアを要請していてもこちらまで手を回してもらえていないということでした。市街地では水や食料などが足り始めているところもありますが、奥地へ入ればまだまだ人手や物が不足しています。
 山下議員が住民に話した「制度に被害を合わさせるのではなく、被害に合わせて制度をつくっていくのが国の本来の仕事です」の言葉が印象的でした。
 流された家の跡=9月11日、新宮市

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被害の調査をする山下(右)、杉原両議員=9月11日、新宮市