CAST

 
 

テネシー・ウィリアムズ 作  栗原省 台本・演出


3月29日(土)14時・19時   3月30日(日)13時
きび会館ホール

前売り 一般2000円 高校生以下1500円 (当日は500円増)

STAFF

アマンダ
有田 和美

トム
吉井 孝記

ローラ
粟生 香林

ジム
華嶋 風月

文字
栗生千永実
 森口 佳弥乃

演  出

演出助手

舞台監督
舞台美術
作  曲
音響効果・オペ
照明プラン
照明オペ
ヘアスタイル
メイク
衣  裳

大道具


小道員
ダンス指導
舞台製作協力

協  力
ポスターの絵
制  作
栗原 省

嶋田 堅二
山口 真毅
大谷 淳次郎
板坂 晋治
辻  恵子
山崎 悟
大谷 健次郎
大阪共立KK
藤岡 洋子
別院 丁子
芝田 紀寿美
玉井 知子
粟生 知明
的場 亮介
山本 優作
吉井 亜弥
古屋 以津子
楠本 幸男
演劇集団和歌山
佐竹ガラス
宮村 泰彦
栗原 省
嶋田 堅二

「ガラスの動物園」公演を終えて 2003.4(公演記録誌へ私が投稿した文です)

 「ガラスの動物園」公演から20日を過ぎた今も、私には公演のまとめらしきものは出来そうにもない。
 私の心の隅にぼんやりとした、しかしとても大切に思える何かを残して公演は終わったが、今もなおそれが何であるのかが明確にならないまま、日々の折々に私の心に現れては消えてゆく。
 私はそれを時折反芻してみるが、とてももどかしい思いを残したまま一向に明らかになることなく、またがさがさとした日常生活に戻って行くということが続いている。
 そんなわけで、今、公演のことについてまとまったことは書けそうにもなく、私の担当した音響のことを未整理のままに少しばかり書いてみることにする。
 私が今回の公演の音響で実現したかったことの一つは「音の立体化」と「透明化」「繊細感の表現」であった。
 立体化というのは、テネシー・ウィリアムズが細部まで描いた舞台の立体的な構成と、それをきび会館ホールという条件の悪いところで見事に実現された板坂晋治氏の舞台美術に見合うものを作らなければならないと思ったことによる。立体化といっても私が意識したのは左右の広がりはもちろんであるが、特に奥行き感をいかに出すか、ということであった。
 透明化と繊細感というのは、音響が観客に音響として意識されることなく、あくまでも劇を進める上での「黒子」でなければならないということと同時に、ローラという存在(か、あるいは存在の困難性か)を象徴する透明で繊細なガラス細工の動物たちを、変な言い方ではあるが、舞台の上で成り立たせるためにどうしても必要と思ったからだ。
 これらのために私は4個のスピーカーを配置した。そのうち前方の2個は透明感と繊細さを現すのにどうしても私の手持ちのものだけでは無理と考えて、色々と考えた末、知人からソニーのSRPS1000というスピーカーを借りてきた。舞台美術・装置を考えると本当は全てのスピーカーを観客からは見えないところへ置きたかったが、下手前方の一つだけは第七場最後のトムが投げたグラスの割れる音の音質を落としたくなかったので、イントレの上に固定した。
 これは、イントレをも舞台の一部にとけ込ませた装置の特徴を利用させてもらったのだが、なんとか違和感をもたらさずに置くことが出来たのかな、と一応私なりに納得している。
 「ガラスの動物園のテーマ」を始めとする音楽は、辻恵子さんによる作曲だったが、私は大門美保さんのバイオリンと辻さん自身のピアノによる演奏を白浜の辻さんの新居で録音させていただいた。
 曲はいずれもとても素晴らしい、この劇に最もふさわしい曲と演奏だったが、このような演奏の録音は私には初めての経験だった上、初めて使う機材もあったので不安もあったが、そこで演奏しているという雰囲気、臨場感とでもいうものをなんとか表現できるように努力した。また、後で編集や整音をしやすくすることをも念頭において録音した。結果は、皆さんに評価をお任せするしかないが、私としては機材の制限や何やらを考えてギリギリの及第点ではないかと思っている。
 この録音の際には、辻さんの手作りのお料理をいただいたり、辻さんや大門さんとお話をしたりで、とても楽しいひとときを過ごさせていただいた。栗原主宰や皆さんからこのような機会を与えていただきとても嬉しく思っている。
 中前志朗さんの「風よ吹け吹け」の唄は、前回の「KATSU」の時と同じく和歌山市の音楽文化堂のスタジオでの録音となったが、中前さんの唄は一発でOKとなった。何かあっけないような気分であったが、さすがに中前さんはスタジオに入る前に完璧に唄を完成させてきておられて、一点の非もない唄を一発で録音させていただいた。やはり中前さんはすごい人だと思う。
 中前さんの声は低音がとても豊かで素晴らしく、後の整音で最終的にどのようにまとめるのか迷ったが、ジムの高校生の頃の唄声のようであるという想定と、ジムと、そしてローラが回想しているかのような状況を音で現したかったので、中前さんの声のせっかくの豊かな低音を少し押さえ、学校のホールの残響か、あるいは高校時代から今までの時間の積み重ねか、を現す響きをリバーブなどのエフェクトを利かせて作った。
 そのほかにも音楽や音響の事に関しては、テネシー・ウィリアムズが本の中で指定している音楽のことやラッパ蓄音機のことなど、いろいろと考えたり感じたりすることがたくさんあったが、稽古やミーティングのなかで私が折に触れてしゃべってきたのでここでは省略させていただくが、栗原主宰の選曲のすばらしさと、音楽への感受性、厳密性、積極性は今回も感動的な程までに健在であり、輝いていることは言っておかねばなりません。
 それにしても、公演を終わって私の心の中の奥深くに残った何かが一体何なのか、はっきりと見えなくてもどかしい。今はまだどう表現してよいのか分からないが、それは確実に作者テネシー・ウィリアムズと栗原省劇団いこら主宰を始めとする全てのキャスト・スタッフの皆さん、そして観客の皆さんを含め今回の公演に関わった全ての皆さんから私に与えられたものだということだけは確かだ。
 それが何なのか、これからも長く私の心の中での反芻が続きそうだが、いつの日にかそれを見いだし、私なりに何かの形で表現できれば、と切に思っている。                                     

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