瓜子姫とアマンジャク公演記録

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瓜子姫とアマンジャク公演と劇団いこらの解散のこと
(「瓜子姫とアマンジャク」公演のまとめ文集への私の寄稿文です)
 春のガラスの動物園公演の後、次に瓜子姫とアマンジャクを公演すると決まった当時は、私はまだこの劇を理解できないでいた。
 もともと瓜子姫とアマンジャクはラジオ劇の台本だから、音による表現が多く、音響・効果を担当する私にとっては結構たいへんだが、またやりがいがあるだろうな、ということぐらいは思っていたが、音響・効果のはっきりしたプランはまだ持てず、とにかくこの劇を理解する努力をすることにしていた。
 初め頃は、本を読んでも短くて単純な、唄に例えれば簡単なわらべ歌とでもいうような感じがして、明るい劇ではあるが、これをがどうして観客に感動を与えられるのだろうか、ということを思っていた。
 ガラスの動物園の重く深い感動を経験してまだ日が浅い頃であったので、おそらく私はガラスの動物園と比較して、短く、シンプルな物語を読んでそのように感じたのだろうと思う。
  しかし、栗原主宰が木下順二の原作にプロローグ部分を追加し、公演のための台本ができ、本読みから始まる稽古や、いろいろな準備作業が実際に始まってみると、本を読んだだけでは思いもよらなかった、とてもダイナミックな劇の姿がだんだん見えるようになり、わからなかったところがわかるようになってきた。
 稽古が進むにつれて、この劇も次々に新たな展開があって、そのどれもがとても面白く、また芸術的で、観ていても飽きることのない、いい芝居になるだろうと思えてきたのだが、結果は、やはりそのとおりに素晴らしい劇になって、観ていただいた沢山の皆さんから高い評価を頂くことになった。
 私は、今までもそうであったが、改めてこれが「栗原演出」のなせる技なのだなと、つくづく思った次第である。
  私は劇作りの中で、音響・効果という部分を担当しているが、キャストや他のスタッフのみんなと共に稽古や道具の作成と同時進行で進めてゆかなければうまくできない。
 始めに考えていたプランが稽古で試してみるとうまく行かなかったりすることもしばしばで、いつも皆さんに迷惑をかけながら試行錯誤を繰り返し、仕上げに向かってゆくことになるが、今回もやはりそうだった。
  アマンジャクが戸をたたいたりひっかいたりする音の録音では板をたたいたりひっかいたりしてもらった千永実、佳弥乃、優海に、そまの権六と山父の声の録音では何回もの録音失敗で別院清さんと栗原先生に大いに迷惑をかけてしまったが、疲れにもかかわらず辛抱強く付き合って下さって本当にありがたく思った。
 また、山父の舞踏の音楽では仕上げ作業をする内に、はじめ頃とはかなりイメージの違う音楽になって行き、手塚さんを戸惑わせてしまった。
 音楽では他にも、始めの頃私のミスで1小節足りないものを川崎ゆかりさんに渡してしまったり、作曲の辻さんにも何度も打ち込みミスのある音楽を聞かせてしまったりもした。
 しかし、なんといっても最大だったのは、機織りの音と山彦の声で、私の試行錯誤のために稽古の度に違う音を聞かされることになってしまった瓜子姫とアマンジャクの栗生香林への迷惑だったと思う。
 それもこれも、みんなとの劇作りでの私なりのよい音作りのための格闘であった訳だが、迷惑を被った皆さんにはどうかお許しいただきたいと思う。
 おかげで、必死で取り組んできた結果、最終的にはなんとかこの劇にふさわしい音響・効果を作り出せたのではないかと、今では思っている。
 私が演劇の音響で大切にしていることのひとつとして、劇の中で必要とされる音の質感をいかに的確に出すかということがあるが、この劇では、秋の深い山の中の澄んだ空気感のようなものを、効果音、音楽ともに舞台に出現させることを徹底的に追及したつもりだ。
 しかしそれにしても、あのじめじめとした蒸し暑い真夏に、汗をかきかきヘッドフォンを耳にあてながら、秋の山奥の澄み切った空気と、そこに響く美しい山彦たちを想像し続けることは相当な努力を要することだった。
 技術的には、山彦のために6秒以上のロングディレイを使い、ひとつひとつのセリフ毎にそのディレイタイムを現場で切り替えていったり、機織りの音作りでは早くなったり遅くなったりしつつも、音楽とリズムを合わせるためにサンプラーとシーケンサーの同期をとったりと、初めて試すことが多くて、大変なことも多かったが、それがまた私のチャレンジ意欲をかきたててくれて、大いに楽しむことができた。
 常にワクワクしながらの音響・効果を担当させてもらって本当に良かったと思う。 栗原主宰を始めとして、いっしょに劇作りをしてきた皆さんに本当に感謝したいと思う。
 この瓜子姫とアマンジャク公演をもって、劇団いこらは解散することになるが、私はまだ実感がわかない。
 劇団いこらの40年を主導してきた栗原主宰には、本当にご苦労さまでしたと言わねばならないのだろうが、40年のいこらの歴史の内たかだか10年足らずを中途半端に共にしただけの私には、栗原の全貌を知る訳もなく、戸惑いのみで、40年のいこらを締めくくるに当たってのどのような言葉も浮かんでこない。
 ただただ、栗原の「劇団は解散するが演劇活動は続ける」の言葉に胸をなで下ろし、そしてその言葉に勇気づけられ、次の展開にワクワクとした期待感が沸いてきて、もう次のことを勝手に想像して、私のすることのあれやこれやに思いを巡らしている自分を発見してしまっている。
 私は、年齢と共に自分自身が仕事や家庭やらのために割かなければならない時間が多くなってきて、これから何年間かは演劇のためにどれだけの事が出来るのかさえ分かりにくくなってきているというのに、栗原に同伴して、また劇団いこらに関わったすばらしい皆さんとともに、これからやって行くであろうことに夢を持ち続けることを止められない。