朝焼けとクフ王のピラミッド


メナハウスオベロイから(手前クフ王)




ロバに乗った少女



シルクの絨毯を織る少女達



ラムセス2世巨像



階段状のピラミッド




クフ王のピラミッド(最大)
私、立ってます



2番目に大きなカフラー王
(化粧石が残る)



メンカウラー王ピラミッドの中



左からクフ王・カフラー王・メンカウラー王



カフラー王のスフィンクス




私の事を覚えていた少年



ラクダに乗りました

2000/12/26(火) ピラミッドとスフィンクス

朝、早めに起きてメナハウスオベロイの本館探索。豪華!の一言。私たちが泊まっている新館とは段違い。スイートルームのドアはさすが大きかった。

7:30出発。今日はピラミッド三昧の日である。午前中は遠くへ。インドと同じように道路のところどころに盛り上がった部分があった。その度にバスはスピードを緩め、よっこらしょと跨いで行く。農家の家は日干し煉瓦でナツメヤシの葉を屋根に使っている。ロバに乗った人。羊たちもいる。

ダハシュールの赤のピラミッドを観光。赤い石灰岩でできており高さは100m。断面が二等辺三角形の真正ピラミッドとしては最古。傾斜は後のものより緩やか。石灰岩ということでピラミッドの石に貝の化石が含まれていた。観光客は私たち以外にはなかった。ピラミッドに少し登ってみたがこのままいくらでも登れそうな気がした。警備の人もいなかった。遠くに屈折ピラミッド見えた。途中から角度が緩くなっているのがよくわかった。

石油精製会社が見えた。産出国なのでガソリンは安く1リットルが約30円位らしい。

メンフィスは古い都だ。遺跡にはギザのスフィンクスより小さいが形が綺麗なアラバスター製(大理石)のスフィンクスがあった。この石はルクソールから運ばれたらしい。ラムセス2世の巨像が横たわっていた。

サッカラの世界最古のピラミッドであるジュセル王の階段ピラミッドを観光した。
ロバに乗った少女が居たので写真を撮ったら手を差し出した。今回は使わずにたまっていた景品のボールペンをたくさん持ってきたのでそれをあげた。
サッカラは人口1万人。農業と絨毯の町。

エジプトは9割の人がイスラム教で残りはコプト教(キリスト教の一派)。熱心な信者は1日5回礼拝をする。その時絨毯を使うので絨毯作りが盛んなのだ。礼拝については熱心な人とそうでない人がいて、ガイドさん達は仕事中、当然そんなことはできない。現地旅行会社の若い男性は金曜にしか礼拝をしないと言っていた。母には礼拝せよと言われているが・・・と言っていた。

エジプトの学制は日本と同じ6・3・3・4制。大学は80校あり頂点はカイロ大学である。入るのは難しいが出るのは易しいらしい。

サッカラでは子供の時から絨毯の学校へ行くか、農業をする。シルクの絨毯はウールののものより2倍位の値段がついているが、シルクは細い指を持つ10歳以下の子供にしか織れない。絨毯の店に連れて行かれ、女の子達が織る様子を見せてもらった。

パピルスの専門店に連れて行かれた。初めにパピルスから紙を作る実演をしてくれた。意外と簡単そうだった。出来上がったパピルスの紙は引っ張ってもちぎれない。観光地で売られている10枚1000円の物はバナナ製でこれは簡単に破れる。本物をぜひ買おうと思っていたので1枚購入した。ヒエログリフ(象形文字)で書いた名前も3$追加で入れてもらった。

昼食。モロヘイヤのスープが美味しかった。以前、日本でモロヘイヤのおひたしというのを知人から出された事があるが、不味くてモロヘイヤは口に合わないと思っていた。やはり料理の仕方なのだ。

ギザの3大ピラミッド(3代の王による)とスフィンクス。一番小さなメンカウラー王のピラミッドに入場。酸素が薄いみたいで息苦しかった。一番大きなクフ王(高さ140m)のピラミッドに入れるかもしれないと期待していたが、1日限定300人、午後観光とわかった時点で無理だなとあきらめた。それでもクフ王のピラミッドには入り口の所まで登ってみた。入り口には係りの人が数人座っていて鍵がかけられていた。のぞいてみたが真っ暗だった。ピラミッドはすべて石灰岩でできているらしい。登る事は禁止されているが、私は旅行前にピラミッド登頂記なるホームページを読んだことがあった。それによると、登るのは夜、警備の人にチップを渡して登ったとあった。一人や二人ではない。でもこうして上を見上げて見ると傾斜のきつさ、石をよじ登らねばならないということを考えるととても危険な行為だということがわかる。風も上の方ではきついだろう。身の危険を冒してまでやったところで何になるのかと思った。

ピラミッドは奴隷が作っていたと思っていたが、NHKの「四大文明」(2000年度放送)見て間違っていたことに気づいた。それはこういうことだ。昔からナイル河は夏、氾濫して畑がつかって農民の仕事がなくなる。ちょうどギザの3大ピラミッドがあるあたりまで浸かったらしい。そこでファラオ(王)はその夏の四ヶ月、農民を働かせるためにピラミッドを建てたというのだ。賃金も払い、理由があれば仕事を休めたらしい。農民達はそれぞれに家族を養い、また身体障害者にも合った仕事を与え、家族を養えたという。自由で豊かな社会だったのだ。

スフィンクスは顔がほとんどないし、体の方も修復はしているが、ただ石を積んでいるという感じでライオンの体というイメージは想像していたほどではなかった。朝見た小さなスフィンクスの方が綺麗だった。

この日はショルダーバッグの外にボールペンを3本ほど差していたのでピラミッドの周辺では大人からも子供からも何度もボールペンをくれと言われた。でもただではあげられない。ピラミッドへ行くときに声をかけてきた物売りの少年は私のボールペンをほしがった。ピラミッドからの帰りに、その少年は私の顔を覚えていて、また声をかけてきた。商売とはいえ、顔を覚えていてくれていたことが嬉しかったのでボールペンをあげるかわりに写真を撮った。

ラクダにはピラミッドからかなり離れた所で乗った。場所がイマイチだった。ピラミッドを仰ぎながら乗るというイメージはなかった。ラクダに乗ることそのものは面白い行為だった。乗るときラクダは座っているが人間が乗るとラクダは立ち上がる。そのとき後ろ足から立ち上がるので上半身は前のめりになる。しっかり支え棒を持っていないと前に落ちそうなくらいだ。ラクダ引きの少年はチップをしつこくせがんだので1£とボールペンをあげた。ツアー料金に入っていると思ったのだが、ガイドに気持ちだけあげて下さいと言われた。

至る所に警官が居た。長い銃を持って。97年にルクソールで事件が起こって以来、政府は更に警備に力を入れているという。観光国エジプトだがこの数年は客足も減っていた。エジプトにとって観光客がもたらす外貨の減小は死活問題であろう。警備のおかげか、あれ以来大きな事件もなく99年7月より関空からの便も復活し、観光客も戻ってきたらしい。

ホテルに戻るとプールはどんな感じか見に行った。今回水着を持って来たので泳げそうなら泳ごうと思った。女の子がたった一人泳いでいた。そばで軽食を食べている人達はいたが。水をさわってみると冷たかった。とても泳げるものではなかった。

7時過ぎから1時間半ほどのピラミッドの音と光のショー。寒くて眠くてお腹がすいて楽しむどころじゃなかった。
夕食は9時になった。

1$=113円 1£E=30円

入場料 カメラ
メンフィス遺跡 14£E 5£E
サッカラ屈折ピラミッド 20£E 5£E
ギザピラミッド 20£E 自由
メンカウラーピラミッド 10£E  自由
音と光のショー 33£E 自由
*入場料はツアー料金に入っています
*ビデオ持ち込み料はカメラの5倍くらいします。

パピルスに描いた絵 68$
4£E?
スプライト 5£E?
ラクダチップ 1£E