

アブシンベル神殿と
そのラムセス2世像

アブシンベル神殿の壁画と像

ネフェルタリの小神殿

ラマダン明けのお祭りで
おしゃれをしている少女達

アスワンハイダムとナセル湖

未完成のオベリスク

さらさら砂でした


ファルーカ |
2000/12/27(水) アブシンベル&アスワン
モーニングコールは午前2時!。前の日、夕食が遅かったので風呂に入ってすぐ寝たがそれでも寝たのが午後10時半。初めてだ、こんなツアー。前
の日の夕食が遅くて、食べたくなかったので朝食は食べなかった。でもこれが後に響くことになった。
3時半出発。アスワン行き飛行機5時発の予定が、5時半には乗り込めたが出発は6時半になった。乗り換えの人達を待っていたみたいだ。遅れるのはしょっちゅうらしい。
アスワンからアブシンベル行きに乗り換えた。10時頃から1時間ほど観光。観光はラムセス2世が造ったアブシンベル神殿とその隣にある王妃ネフェルタリの小神殿のみ。これらの神殿は、アスワンハイダムをつくるときにダム湖の底に沈みかけた。それがユネスコの国際キャンペーンにより救済された。神殿をブロックに切断して現在地に移動させるという方法をとったのである。1970年頃の事である。今日から三日間、ラマダン(断食)明けのお祭りということで綺麗な服を着ておしゃれをしている女の子達が大勢居た。12時前にアスワンへの飛行機に乗った。自由席で窓際へ座った。空席が多かった。30分ほどで到着。
アスワンとは市場という意味だそうだ。香辛料が取引されていたらしい。人口は25万人。ヌビア語で文字はないがしゃべっているらしい。スーザン人との混血が多い。花木が多く植えられていて色とりどりの花が咲いていた。沈丁花が道沿いに植えられていて花が赤い花が咲いていた。アスワンハイダムとオベリスクの石切場を観光。石切場は足下全部が花こう岩の塊でサンプルとして小さな欠片を持って帰った。またさらさらのきれいな砂が郊外にあった。これも持って帰った。ところでサハラとはアラビア語で砂漠を意味するらしい。ということはサハラ砂漠は「砂漠砂漠」ということになる。ホテルに着いて昼食は2時になった。
夕方、ファルーカ(帆船)に40分ほど乗った。ナイル河はきれいだった。帆に夕日が当たって柔らかい陰を作っていた。
夕食にステラビールを飲んだ。操業は1897年。イスラムでは酒は飲めないので国内消費量はそう多くないはずだが。後で聞いた話だが旅行会社の人はイスラム教だが酒も飲むと言っていた。ステラビールはピリピリした。同席の人曰く「ホップがききすぎている」との事。初めの一口は美味しく感じたが、あまりにピリピリするので飲んでしまえなかった。後日飲んだサッカラビールの方がさっぱりして飲みやすかった。こちらは最近発売されたものらしい。
1$=113円 1£E=30円
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入場料 |
カメラ |
アブシンベル神殿 |
30£E |
自由 |
アスワン未完成のオベリスク |
10£E |
自由 |
チェックアウト時 |
37£E(お菓子11£E、電話使用料1回5£E、税金など) |
スプライト |
6£E |
ステラビール |
12£E |
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