コルドバ(バス/約80km)→コンスエグラ(バス/約180km)→マドリッド
コルドバを12:20に出発してバイレンに13:30に着いた。そこで昼食。サラダ(オリーブが数個入っていた。全体に多め)、イカの墨煮、ライス(インディカ米?)、プリン、サングリア(果実酒)付き。サラダは多くて残したが、墨煮は完食。
何も植えられていない畑がずっと続いていた。たまに枯れて茶色になったヒマワリ畑があった。ヒマワリは背が低かった。添乗員さんのお話。「ヒマワリは6月初めから中旬が盛り。ヒラソル(太陽についてまわる花)という。30〜40%は油になる。種が大きい花に改良した。日照りに強いので雨が少ないアンダルシアでも育つ。16世紀コロンブスがアメリカから持ってきた。」私は今年、ヒマワリにまめに水やりをしたが、それほど必要ではなかったのかもしれないと思った。
エシハという街が見えた。塔がたくさんあった。ここはアンダルシアのフライパンと言われ、昨年は55℃を記録した。
プエルトラピセという街に寄ってドンキホーテの旅籠で休憩した。作者のセルバンテスが宿をとったからそう言われた。
ラ・マンチャ地方は赤茶けた大地で昔は作物が作れなかったが、今はダムを作ってそこから地下水路を通し、水を供給している。それで今はサフラン作りが盛んになった。
ロータリーがあった。イギリスにあったものと同じ、信号の代わりをするものだ。ロータリーというものは合理的でよくできていると思う。
コンスエグラに5:20に着いて風車がある丘に上ろうとしたら、警察官に止められた。運転手、添乗員さんがだいぶ長い時間(20分くらいに感じた)話していた。今日はお祭りで一般の車は上へ上げていないということだった。それで、市の観光課へ行ってお金を払って許可をしてもらうことになった。そしてバスをそこまで進め、添乗員さんと運転手が話をつけに行ったが、結局駄目だった。日本からわざわざ来てるからお願いしたいと言っても駄目だったらしい。それで再び丘の下まで行き、そこから歩いて上った。距離にして1.1km。なだらかな丘(勾配100mくらい?)だったし、風が吹いていたので、思ったほどきつくなかった。これなら初めから歩いて上ってもよかった、待ってる時間が無駄だった(多分、予定より1時間くらいのロスがあったと思う)、と思った。歩いて上ると、かえって風景が楽しめた。風車は回っていなかった。コンスエグラの丘には石でできた風車が現在9機あるそうだが、昔のように粉をひくことはしていない。今は観光で残している。中に入ってみた。お土産やさんになっていた。階段を上ってみたが、特に何も置かれていなかった。話では、風車を売って別荘に使っていたりもするらしい。
6:30にコンスエグラを出発し、8:10にマドリッドに着いた。ホテルは4つ星のプラガ。このホテルの周辺は治安が悪いということでバスから降りるときも、添乗員さんが警備の人達を呼んできてからだった。ホテルの前には何人も警備の人たちがいた。本当に物騒な所なんだと思った。地下鉄の駅まで500mくらいあるし、中心地から離れていた。夕食は8:40からだった。もし、早めにマドリッドに着いたら、自分でゲルニカを見にレイナ・ソフィア芸術センターに行こうと思っていたが、無理だった。その美術館は9時までやっているから、もしかしたら行けるかもと淡い期待を持っていた。(しかし運良く次の日に行けた)
夕食はホテルのレストランでゆっくり時間をかけて(10時過ぎまで)食べた。というのは、同席した別府からの2人組と話が盛り上がったからである。近々、別府へ行くだろうと言ったら、別府温泉、湯布院、黒川温泉など地元の温泉について色々お話をして下さった。夕食のメニューはアーティチョーク(朝鮮アザミのことらしい)山盛り・・・酸味の味付けで少しクセもあるが、まあ美味しい方である。しかし量が多かった。初めは美味しいと思ったが、途中でうんざりし残した。豚肉のうすいステーキ、フライドポテト(ツアー中付け合わせとしてよく出た)、ムース。全体的にそう美味しいというほどでもなかった。

旅籠の前にあった銀行ATM

可愛い教会

ドンキホーテはこんなに細かったかな?

ドンキホーテの旅籠

ドンキホーテとサンチョパンサのモチーフに注目

風車は丘の上に建つ。見晴らしのよい風景。

4つ星のプラガ