2日目 2016年1月2日(土) シャルトルからモンサンミシェルへ

夜中の0時過ぎに目が覚めた。熟年になってから、日本でもこういうことはよくある。仕方なく、関空で買った文庫本を読んだ。今、楽しんで見ている朝ドラ「あさが来た」の原作本だ。ドラマでは五代様が人気で、出演場面も多いのだが、パラパラと見た感じ、五代様が関係しているところは予想外に少なかった。2時間ほどそうしているうちに、眠気を感じたので、電気を消し目を閉じた。

それでも4時には目が覚めてしまった。再び本を読んだりして過ごし、5時には身支度を始めた。6時半に朝食場所に行くと、すでにツアーの3人が食べていた。ここは6時から朝食を食べられたので、その時刻に合わせて行ったらしい。遅れて一番若い人もやってきて一緒に食べた。パリ最初のホテルの朝食はコンチネンタルで、パンと飲み物しかなかった。ただ、部屋にはコーヒーや紅茶のセットがたくさん置いていた。これらを置いていたのは、このツアー中ここだけであった。

8時半ロビーに荷物を持って集合。ロビーは0階。日本で言うと1階にあたる。90km離れたシャルトルに向けて出発。9時半頃に到着。ガイドは日本人のユーケン(お坊様みたいな名前である)さん。この方は、シャルトルに20年くらい住んでいて現地の方と結婚しているとのこと。非常に知識が豊富で、タブレットを使って説明してくれた。本当に、この人はシャルトルのノートルダム大聖堂が好きなのだと思う。ステンドガラスの作り方がよくわかった。有名なシャルトルブルーは目を細めて見ると、空色のそこだけが浮かんで見えた。これもユーケンさんに教えてもらったことだ










ユーケンさんオススメの店でガイドブックを買った。ツアーの人たちは、それぞれゴブラン織りのショルダーバッグなどを買っていた。55歳の大阪鳳から来た人は猫のイラスト入りのものを買った。後にこの人はあちこちで猫イラスト入りのものを買うことになる。

昼食は11時50分から子牛肉メインの料理を食べた。この店は客は私たちだけだった。フランスのビストロでは、前菜を食べると、ナイフとフォークは皿から外してテーブルの上に置かなくてはならないらしい。食べ終わって皿の上にそのままにしておくと、ウエイトレスが機嫌悪そうに、私が使ったナイフとフォークをテーブルの上に直接置いた。テーブルクロスも何も置いていないテーブルに直接である。これには、驚いた。日本では考えられない。清潔感について温度差があるようである。その後、70歳くらいの京都の人の皿を片付けにきて、ウエイトレスが何かを言っているのに、京都の人がわからないので、ウエイトレスがきつい調子で繰り返しフランス語で言った。私が、「ナイフとフォークをよけるように言ってますよ。」と言うと京都の人はそのようにした。そしてウエイトレスは「メルシー」と言って皿を引き上た。京都の人は「メルシーって言ってすませられへんで。こちらは客やで。」と怒っていた。

子牛のステーキは、団子のように肉が丸まった感じで出された。付け合わせは大量のフライドポテト。このポテトは後にあちこちの店で出てきた。しかし、量が多すぎてほとんど残してしまった。シードルと呼ばれるリンゴ酒を飲んでみたが、甘くておいしかった。

12時50分にそこを出発した。きつい感じのウエイトレスとコックが店の外で見送りをしてくれた。その後、バスの中から店がシャッターを下ろすのが見えた。本当に客は私たちだけで、これから来る予定の客もないということだった。

パリを出てからもそうだったが、バスから見える風景は同じような牧草地ばかりだった。たまに、牛が見えた。モンサンミシェルまで4時間ずっとそうだった。いつのまにか眠っていた。ふと目を覚めると、モンサンミシェルが遠くに見えた。1時間くらい眠っていた。ツアーの人たちも眠っていたようで、添乗員さんが「皆さん、おはようございます。モンサンミシェルです。下りる用意をして下さい。」と言った。広い草原の中の細い道をバスは進んだ。モンサンミシェルを背景に羊が草を食べる風景が見えた。そのうち、モンサンミシェルが大きくなってきた。ホテルや店が見えて、その先を進むと、堤防になっていた。バスから下りて堤防を上ると、写真で見るモンサンミシェルに続く長い道が見えた。そこでしばらく写真を撮った。

シャトルバスに乗った。バスに残したスーツケースは、ホテルの人が後から取りにきて運んでくれるらしい。シャトルバスは、モンサンミシェルまで行かず、途中で下りた。下りると、ものすごい風で、歩くのもやっとだった。2014年に完成した橋の上から下を見ると、干潟が広がっていた。海は見えなかった。今夜11時頃が満潮になるので、今は干潮の時刻というとだ。その中をたまに撮影しながら進んだ。

島内のホテルに泊まるのは添乗員さんも初めてだと言った。いつもは、対岸のホテルだそうだ。テロで観光客が少なくなったので予約がとれたのだろうか。17時頃、チェックインし、夕飯まで自由ということで、早速買い物に出てみた。後から考えると、なぜこのときモンサンミシェルの外観を撮影しにいかなかったのか悔やまれる。なぜかというと、先ほど撮影したときは、まだ日暮れにはなっていなくて、私が買い物をしているときがまさしくその時刻ではなかったかと思うのである。

島の中を通る細い路地を上っていき、人が大勢入っている土産物屋でバタークッキーを3箱買った。モンサンミシェルはバタークッキーと塩キャラメルがお土産にいいらしい。そして、モンサンミシェルの絵が入ったポーチを買うかどうか思案した。しかし、やめておき、店を出て、プーラールおばさんのオムレツで有名な店の外から、若い男の子が卵を泡立てる様子を見ていた。

ホテルのロビーに19時に集合し、外へ出て、50mほど離れた同じ経営者のレストランへ行った。そこでは一番奥の席に通された。その席は薄暗かった。私が座った所に置いていた紙が、鳥の糞で汚れていた。見上げると、鳥の巣になっているようだった。添乗員さんに言って、その紙を換えてもらった。鳥はいないようだったので、席は変わらなかった。赤ワインを注文したが、渋くてあまり美味しくなかった。メインはチキンだったが、大きすぎて、それほど美味しくなく、ほとんど残してしまった。




部屋はツインの部屋で広かった。風呂に入ろうと湯を入れてみたが、ぬるくて、入るのはあきらめた。湯がぬるいのはよくあるようで、バスルームにもヒーターがあった。足湯をし、顔を洗った。NHKを見ると、インタビューで日本人が日本語をしゃべっているのを、下に字幕で説明していた。映画を字幕で読むより、英語の勉強になるような気がした。いつ見たのかわからないが、旅の間、石田純一の娘のスミレが英語でしゃべっているのを何度も見た。眠くならなかった。こんな古いホテルでもWifiがつながった。ヤフージャパンでニュースをチェックしたり、天気予報を確認した。どうやら、明日から雨が続くらしい。西の方に980hPaの低気圧があって水曜のパリは嵐になるようだった。