3日目 2016年1月3日(日) モンサンミシェルからオンフルール そしてパリへ

やはり早く目を覚ましてしまった。朝食が6時半からということだったので、その時刻に合わせて、昨夜夕食を食べたレストランに、雨の中行った。明かりがついて、玄関が開いていたので中に入ってみたが、誰もいなかった。料理も並んでいない。仕方なく、椅子に座って待っていると、ツアーの人たち3人がやってきた。そこに、店の人が来て、その3人としゃべっている。そこへ近づいてみると、どうやら朝食はまだ用意できていないと言われているみたいだ。そして、その男の人は店の中に入っていった。他の人にせかされて、私は一人で店に入り、その人に何時にオープンするのか聞いた。そしたら、逆に何時にオープンのつもりだったのか聞かれたので、6時半と答えた。男の人は、それはあり得ないという顔をした。そして、7時半ならオープンできるというようなことを言った。仕方なくホテルに戻り、大阪の人が添乗員さんに電話をしてくれた。そして、添乗員さんがホテルに問い合わせをしてくれて、昨日フロントにいた若い女の子はアルバイトで、間違ったことを言ったらしいということがわかった。添乗員さんは、そのときもフロントに書いていることと違っていて何か変だと思い、何度も聞き直したということだったが、6時半でいけるというので、そのように私たちに伝えたのだという。

7時半になり、朝食を食べた。そして、ホテルに戻ってくると、昨日フロントにいた若い女の子がいたので、添乗員さんはその子に文句を言っていた。女の子は自分のミスを認め、私たちにあやまってくれた。なぜ間違ったのかというと、モーニングコールを7時と頼んでいたのが原因かなと添乗員さんが言っていた。

9時にフロント集合ということで、朝食を食べ終わって少し明るくなり始めた頃、モンサンミシェルを撮影しに出かけた。少し離れた所の方がよいと思い、大雨暴風の中、橋を歩いていった。傘が壊れそうだったので、ささずにフードをかぶって雨をしのいだ。服やバッグは防水になっていないので
ビショビショになった。そんな中、撮影しているのは私以外、他にはいなかった。

朝焼けを狙っていたのだが、悪天候の中、とうてい望めなかった。集合時刻を気にしながら、ぎりぎりまでねばった。10分前になり、あきらめて小走りにホテルに戻った。9時数分前であった。ガイドさんがまだ来ていないので、しばらくゆっくりして下さいと添乗員さんに言われた。現地ガイドさんが9時15分に来た。しかし、そのガイドさんは日本語がしゃべれなかった。ここでは、現地ガイドを雇う義務があるらしい。道案内をしてくれるだけであった。


修道院の中も空いていて、特に食堂の中では観光客は私たちだけであり、添乗員さんは、こんなことは初めてだと言っていた。昔、若い修道生達が学び、俗世間と離れた生活を送っていたことを想像してみた。上から外の風景を見ると、満潮に近い時刻であるはずだが、相変わらず干潟が広がっていた。モンサンミシェルが海の中に浮かぶのは、今は年に20日ほどだけであるそうだ。それも橋が浸かってしまうほどの大潮になるのは3月と9月の2回らしい。修道院内の売店で解散になった。他の人たちは、添乗員さんと一緒に行ったが、私はしばらく売店にいた。そして、ガイドブックや絵はがき4枚、ゴブラン織りのポーチを買った。

一人でホテルに戻ったが、すぐに外へ出て土産物屋に行った。しかし、何も買わなかった。

11時半にホテルを出発した。スーツケースは9時までに部屋の外に出していたので、既に運んでくれているはずだ。シャトルバスの乗り場まで歩いた。相変わらず、悪天候であった。

対岸に着くと、20分間ほどスーパーで時間を過ごした。そこでプーラールおばさんの絵が入ったクッキーを買った。他の人たちも何かしら買っていた。昼食場所は近くのホテルレストランで12時から。名物のオムレツを食べた。日本のものと感じが違って、卵白を膨らませた状態でテーブルに持ってきたが、食べている間にしぼんでしまった。どちらかというとクレープに近い感じ。白ワインを飲んだ。赤ワイン、白ワインと飲んでみたが、白ワインは冷やして飲むので美味しく感じられた。赤ワインはどうも渋みがあり、飲みにくい。

12時40分に出発し、港町オンフルールに着いたのは、15時半頃。傘を差して歩く。カラフルなビルと船を撮影する。少し歩いて古い木造教会を見るる。公衆トイレを利用しようとしたが、係の人がいなくドアが閉まっていた。仕方なく添乗員さんが、探しに行き、小さなホテルのトイレを利用させてもらうことにした。

約3時間でパリに着いた。その間、すっかり眠っていた。目を覚ますと、既にパリに入っていた。今晩泊まるハイアット・リージェンシー・エトワールの電光掲示がよく見えた。その横をを通り、凱旋門まで行き、シャンゼリゼ通りには行かず、そこを右に折れ、エッフェル塔を前方右側に見て、セーヌ川沿いを通り、再び、左方に折れて小さなレストランに着いた。そこは、11月13日にテロがあった場所に近いのではないかと想像した。

赤ワインを頼んだ。4ユーロだった。今まで7ユーロだったから安くなったといえる。それもグラス1杯ではなく、お代わり用に置いてくれていた。最初にエスカルゴが出てきた。京都の人や添乗員さんは塩辛すぎると言っていた。豚肉についているソースも味が濃いと言っていた。私は多分エスカルゴは3回目だが、食べたのはずっと前のことなので、どんな味だったのか覚えていない。それで、そんなものかと思った。しかし、全部食べきった。



ホテルには21時頃着いた。Wifiには簡単につながり、日本の様子をチェックしていた。ベッキーの不倫問題などが報じられていた。風呂は当然問題なく、2日ぶりに洗髪し、体を洗った。