4日目 2016年1月4日(月) パリ ルーブル美術館・ノートルダム寺院・モンマルトル・エッフェル塔
                 地下鉄・凱旋門・シャンゼリゼ通り

朝食は、6時半から。6時40分頃行くと、既に3人が食べていた。そこに入れてもらって4人で食べていた。京都の人は後から来たが、別の場所で食べていた。さすが、ハイアットである。朝食の種類は今までと違い、多かった。といっても、日本のホテルより少なめである。生野菜サラダをホテルで久しぶりに食べられた。シャルトルのガイドさんが、フランスでは肉料理が一番よくて、野菜は下等の民が食べるものと考えられたと言っていた。そのためなのか、フランスではあまり生野菜を食べていない。付け合わせもフライドポテトのことが多い。

8時45分に、パリガイドのカテリーヌさんと出会い、ホテルを出発し、ルーブル美術館に向かった。このときは、シャンゼリゼ通りを通った。ルーブルには12時半まで3時間いた。27年前に来たときは、入口を入るとすぐにミロのヴィーナスがあった。しかし、地下の駐車場から歩くと、ピラミッドの真下に行き、そこから1階に上がり、最初に彫像の部屋に行った。そこでミロのヴィーナスに再対面した。サモトラケのニケは日本のテレビ局がお金を出して改修したばかりだそうだ。前は、船があってその上に台があり、その上にニケが載っていたが、今はその台を取ったという。それに船の色は真っ白ではなく、やや緑がかった灰色をしていた。以前はニケは羽を広げて飛び立つところと考えられていたが、今は、天から舞い降りてきた瞬間と考えられているらしい。

ナポレオンの戴冠式は、2枚あって、こことベルサイユにある。そのことは知らなかった。違いは、左に並んでいるナポレオンお気に入りの妹の服の色がここのは白でベルサイユがピンクであること。モナリザは1989年に見たときは、薄暗く奥まった所にあったが、今回はフロアの真ん中で明るく見えた。普段、この絵の前は人盛りで写真を撮りに一番前に行くのに10分くらい待つのに、こんなに空いているのは初めてだと添乗員さん。





ガイドの説明は1時間の予定であったが、フェルメールの絵を見たいと最初に言っていたので、延長してその「レースを編む女」の絵がある奥の部屋まで連れていってくれた。その間、他の絵についても説明してくれた。結局カテリーヌさんは2時間近くガイドをしてくれた

私と京都の人は、その後も奥の方へ行った。他の人は、元来た道を引き返した。奥には、の絵が並んでいた。オランダ絵画の部屋だった。そこで、集合場所の逆さピラミッドまで戻った。トイレを探していくと、ショッピングアーケード街があり、有名高級ブランドの店が並んでいた。美術館にこんな店達が隣接しているとは知らなく、また驚いた。

昼ご飯は、比較的近くのビストロで、そば粉、卵、チーズ、ベーコン入りクレープとデザートのチョコクレープ。最初のクレープは美味しくて完食。しかし、デザートに再びクレープが出て来たときは、はっきり言って「エッ」てなってしまって食べる気がしなかった。白ワインは4ユーロで美味しかった。



モンマルトルの丘に行った。人が少なかったので、サクレクール寺院にすんなり入れた。1989年に来たときは、外観を見ただけだった。ここの神父さん達は写真撮影を嫌うので、中は撮らないようにパリのガイドさんから言われた。テルトル広場に行き、ガイドさんから10分ほどここで観光するように言われた。風景を描いている人やら、似顔絵を描いている人たちが大勢いた。私たちは、そこで絵とモデルを見比べながら、楽しんでいた。デフォルメしたのは、似ていることは似ているが、ちょっと可愛そうなくらい誇張されているなと思ったし、写実的なのは本当にそっくりだった。ガイドさんと京都の人が居ないなとは思っていたが、大して気にはしていなかった。しかし、このとき実は、私が行きたかったユトリロゆかりのピンクの家にパリのガイドさんと京都の人が訪れていたと後でわかった。私がパリへの旅行を思いついたのは、まさしくそのユトリロの展覧会を見たことがきっかけで、旅行前にも絵のモデルになった「コタンの小径」やピンクの家の位置、ムーランルージュの位置もチェックし、地図に書き込んでいた。しかし、そのときは10分しか自由時間がないし、訪れるのはとうてい無理と思っていた。どうやら、京都の人が個人的にガイドさんに交渉し、走って見に行ったらしい。それを聞いた私は非常に残念な気持ちになった。私も行きたかった・・・。








ノートルダム寺院は、人が少なく入れそうだったら入る予定だった。テロの影響で客が少なく、すんなり入れた。シャルトルでみたノートルダム大聖堂とよく似ていたが、シャルトルの方が断然ステンドグラスは多くて綺麗だった。シャルトルでロマネスク様式とゴシック様式の違いや特徴、ステンドグラスの説明を詳しく聞いていたので、興味深く観光できた。



午後3時半を過ぎ、辺りは暗くなりかけていた。エッフェル塔を見に行った。ここも1989年の時は、遠くから眺めただけだったが、今回は真下から見上げることができた。ガイドさんの話では、当時と塔の色が違うらしい。しかし、そのときの色を私は覚えていなかった。

いったんホテルの部屋に戻り、午後6時からホテル近くのレストランに歩いて行った。今回の旅行で初めてビールを頼んだ。小を頼んだが、メニューにあるのに小はないと言われ、中を頼んだ。6ユーロだった。牛肉はボリュームがあり、ほとんど残してしまった。クリームブリュレは美味しかった。




レストランの前に地下鉄の乗り場があることを気づいていたので、ガイドさんに、そこの地下鉄から凱旋門へ行けるのかどうか確かめたところ、行けることがわかった。それで、この後、凱旋門とシャンゼリゼ通りへ行くつもりだと言ったら、途中まで案内してくれることになった。皆で地下鉄の階段を下りたところで、ガイドさんから帰り道であるここの上り口を覚えておくように言われた。それで、写真を撮っておいた。そして、改札口は、その道を真っ直ぐずっと行ったところで、かなり歩くことになると教えてくれた。そこで皆と分かれ、一人で歩いていった。

実際歩いてみると、そんなに距離はなく、切符売り場に着いた。ガイドブックに載っていた方法とは違い、全部画面で選ぶ方式だった。ガイドブックには、下にローラーがあり、それを回して選ぶと書いてあった。これについては後からわかったのだが、駅により違っているらしい。英語表示に変え、簡単に切符は買えた。改札はUSJなどにあるレバー回転式。地下鉄に乗ると、放送していた。そのうち、日本語でもスリに気をつけて下さいと言っていた。どうやら色々な言葉でそのことを言っているみたいだ。私は、鉄壁のジッパー付きショルダー斜めがけで常に前にしているのでスキがないはずだ。2つめの駅で下りた。切符は回収せず、一方通行の自動ドアを出るだけだった。

階段を上ると目の前に凱旋門がそびえていた。写真を撮り、凱旋門までの地下道入口を探した。入口は2カ所あり、地図を見ながら探した。凱旋門の真下に出て、真下からも撮影した。字がたくさん刻まれていた。そして、凱旋門の上り口を探し、荷物チェックとボディチェックを受けた後、入口を通ろうとすると、切符を出すように言われた。怪訝そうな顔をすると、その若い女の子は怖い顔で「チケット!」と怒鳴った。そんなに怒鳴らなくてもいいのに、数日前の昼食でもウエートレスが「ナイフフォーク・・・!」と怒鳴った。フランス人はやはり有色人種を馬鹿にしてるのだろうと思った。1989年の旅行でもそれを感じたことがあったが、変わっていないようだ。引き返し、ボディチェックの所を通してもらい、切符売り場を探し、再度ボディチェックと荷物チェックを受けた。どうやら、その係の人は私は覚えていたようで。リトライ・・・と声をかけてくれた。

凱旋門の中の階段は周り階段になっており、きつかった。外から見るとそんなに高いとはおもわなかったのだが、実際ビル4階分くらいはあるようで、途中息が切れ、休んだ。上に着くと、売店があった。そこは素通りし、外に出た。シャンゼリゼ通りやエッフェル塔が見えた。そのうち、エッフェル塔のシャンパンフラッシュが始まり、持っていた小型デジカメで撮ってみたが、うまく撮れなかった。シャンゼリゼ通りは、テロの影響でクリスマスのイルミネーションは地味にしているそうだが、綺麗だったし、コンコルド広場の観覧車もよく見えた。まだ、i-phonの画像の方がましだった。1周し、風が強く、長居することもなくそこを後にした。







ホテルに戻ると9時半だった。そして、いよいよ明日は自由行動ということで、明日の予定を再確認し、眠りについた。