5日目 2016年1月5日(火)

このホテル2日目の朝食。6時半から食べられるが、それを少し過ぎて行ったら、ツアーの人たち2人が既に食べ始めていた。来ていなかった大阪の人は、お腹を壊し、朝食を抜くそうだ。それで3人で食べた。この日は、オシャレなそれもビジネス客らしい男女が大勢食べていた。見とれるくらい素敵なスーツの中年女性がいた。ショートヘアが格好いい。女性達は、アクセサリーをたっぷり付けていた。見習いたい・・・。大きな手の赤ワイン色のマニキュアもかっこよかった。

8時45分に出発し、9時半頃、ベルサイユ宮殿に着いた。私たちは、9時55分に予約しているとのことで、先に庭園を見学した。冬なので、庭園には緑はあるものの全く花がなかった。庭園は広大で、端っこが遙か向こうに見えた。庭園には下りず、上から眺めただけだった。時間になり、宮殿入り口に行くと、色とりどりのアウトドア服を着た中国人の大団体がいた。ガイドさんによると、彼らは9時半の予約にも関わらず、集合時刻を守らない人がいて、まだ入場できていなかった。他に日本人の団体が一つあった。それでごった返していたが、パリのガイドさんの、「私たちは予約時間通り負けずに入らせてもらいましょう。」の言葉で、中に入って行った。入れたのは10時を少し過ぎていた。そこで、日本のガイドさんから、「マリーアントワネットの寝室は1月1日から工事が入ってしまい、残念ですが入れません。」と言われた。しかし、パリのガイドさんが、「ベルサイユはアントワネットだけではありません。それは一部ですからね。他にもいっぱいありますよ。」と慰められた。まあ、仕方ない。鏡の部屋は見られるのだから我慢しよう。








背の低いルイ14世と長身のルイ16世の肖像画があったり、王様のベッドは飛び乗るのかと思うほど高いのに驚いた。寝ているときに落ちて怪我しないのかと心配するほどだった。1m以上はあるかと思う。鏡の部屋から真正面に庭園が見えた。



宮殿の中の売店で本を買ったり、アントワネットグッズを買った。そして、このツアーで初めてブランド品を売っている店に案内された。ツアーにしては店に連れて行くことがないなあと思っていたが、最終日にあった。ブランド品は、日本で見る物と比べて、何だか古くさい感じがした。品物の並べ方によるのかもしれないが。今まで経験から、海外の店より日本で買う方が、品揃えが良いと感じている。そして今は円安である。ツアーの人たちは誰もそれらを買うことはなかった。ただ、大阪の人と私は、行く先々で必ずガイドブックを買っていた。それで、その店には、宮殿にはなかったアントワネット限定のガイドブックを2人とも買った。確かにこれは買っておいてよかった。というのも、工事で現物を見えなかったから。



ベルサイユを後にし、パリに戻った。ガイドさんから、オペラ座近くのギャラリーラファイエットまで行くと言われた。よかったと思った。それなら私には好都合だ。





そのデパートの近くでバスを下り、皆と分かれ、オペラ座に向かった。オペラ座西側の入口から入り、持ち物チェックとボディチェックを受けた。ネットで予約していた紙を窓口に出した。窓口の人は見慣れない様子で、その紙を読んでいた。そして、向こうへ行けと言われた。その通り奥の入口で紙を出すと、元来た方向を指さし、ボックスへ行けと言う。一番手前の窓口に紙を出すと、何やら紙を2枚発行してくれた。それを持って、再び、入口へ行くと、今度は身分証明書を出せと言う。それで仕方なく、パスポートを預けた。そして、帰りに証明書を出して返してもらえるというようなことを言われた。とても不安で不愉快な気分だった。暖房が効いて暑かったのもあった。とにかく、イアホンガイドをかけて、最初の階段の所で説明を聞いた。長かった。これをきちんと全部聞いていたら時間がいくらあっても足りないと思った。それでほとんど聞かず、足早に見学していった。



最大の目当ては、シャガールの天井画。劇場の中観客席や天井画をまず見ようと思ったので、そこへ行った。そして、オペラ座の怪人に関係の5番ボックス席の方へ行き、外から中をのぞいた。





中の様子は、あまり見えなかった。後の予定が気になったし、預けていたパスポートが気になり、見学どころでなかった。他はあまり見ず、出口の方へ行った。そして、パスポートを預けたときにもらった証明書を出した。係の人は、電話をした後、入口へ行くように言った。そして、パスポートを返してもらいにいくと、きちんと返してもらえた。ところが、どこから出ていいものかわからなかったので、最初に行った荷物チェックの場所に行き、係の人に出たいと指さしたら、柵を開けてくれて出してくれた。中では汗だくになっていたので、外の空気は気持ちよかった。パスポートも無事に返ってきたし。

南進し、カルティエ本店の前を通った。シャンゼリゼ通りの店のような派手さはないが、伝統を感じさせる店構えだった。ヴァンドーム広場の方に歩いた。そこは高級ブランドの店が並んでいた。コムデギャルソンと書いた看板があった。ただし、店舗は見えなかった。奥にあったのかもしれない。





そこをさらに南下し、最初の角を右に曲がり、有名なサントノレ通りを歩いた。聞き覚えのあるブランド店が並び、どの店にも入口に黒い服を着た男性が2人ほど立っているのが見えた。随分前に香港で「ラ・バガジェリー」のバッグを買った。この店は日本では見たことがない。その店があった。中を覗くと、なぜかリモワのスーツケースを置いていた。単に鞄やさんということか。西進すると、目当てのエルメス本店が見えてきた。外から見ると、、大勢の客が見えた。思い切ってドアを開け、黒服の男性の前を通り、中へ入った。大勢の人が店員の前に並んで待っていた。ほとんどアジア系で、中国人が多い感じだ。私は、何となく品物をさっと見ていった。昔、香港のエルメスでスカーフを買った。他にもスカーフは何本も持っているが、今は全くしない。スカーフを選んでいる人を横目に、何か買えそうな小さな物はないかと思ったが、どうせ小さなものでも高いので買うのはやめた。また、私がエルメスのバッグを持っても、そこだけ浮いてしまう。



コンコルド広場の方へ行き、レストラン「マキシム」を見た。1989年にここでフルコースディナーを食べた。前菜の生ハムなんかでお腹がいっぱいになり、メインディッシュはほとんど食べられず、チョコケーキが甘すぎて食べられなかった記憶がある。ふわっと膨らんだキッシュも出てきたことを覚えている。



そしてそのとき泊まったホテルクリヨンを見た。今、工事中で外壁で覆われていた。コンコルド広場は、記憶以上に広大だった。



そこを南下し、セーヌ川沿いの道を歩いた。チュイルリー公園と道の境界には高い壁があり、外から公園は見えなかった。



南京錠がたくさんかけられた橋を渡り、オルセー美術館へ行った。オルセー美術館は元々駅で、大きな時計で有名だ。入口はチケットを求める客が並んでいた。私はネットで予約していたので、それを持って空いていたCの窓口に出した。今度は、オペラ座と違い、すんなりと入れた。イアホンガイドは予約できなかったので、中で借りた。そこは並ぶことなく、ジャパニーズと言うと設定までして貸してくれた。コートはクロークへ預けずに、持って見学した。





フランスの美術館はストロボを使わなければ、撮影OKである。皆、スマホやタブレットで撮影していた。私は一眼レフで撮影していたが、どうも他人の画像を見ていると、私のより再現性が良い。私のはコントラストが強いような感じがした。特にゴッホのエメラルドグリーンの自画像を撮ったとき、そう思った。他の人のは、きれいな柔らかい色が再現されている。それで、試しに、i-phone5sで撮ってみた。しかし、何か色が薄いように感じた。最新の機材の方が再現性が良いのだろうと納得した。



見たいと思っていた印象派がある5階から順に見学し、最後は1階のミレーの部屋で見学を終えた。2時間もいなかったが、疲れてしまった。ガイドブックを買い、1階のソファでしばらく休憩した後、外へ出た。



外はすっかり夕闇が迫っていた。セーヌ川にかかる橋を渡り、ルーブル美術館を右に、チュイルリー公園を左に見える場所にベンチがあった。そこで夜のツアーの集合時刻まで時間を過ごすことにした。集合時刻は17:45だったけれど、外にいるのも寒いので、早めに腰を上げた。パリシティビジョン社に着いたのは17時半。その店には既に何組かツアー参加者らしき人たちがいた。私は隅っこで、皆の様子を観察していた。時間になったので、窓口に予約の紙を差し出した。私は、クラブツーリズムとは別に、「地球の歩き方」を見て、ネットでこの日の夜のツアーを予約していた。内容は、エッフェル塔ディナー、セーヌ川クルーズ、ムーランルージュドリンク付きショー11時〜、帰りはホテルまで送ってくれて計39000円。ところが、冬の平日はムーランルージュはショーは1回目の9時からのみで、そうなるとクルーズには行けないので、クルーズチケットを返すと言った。それで、私は、明日日本へ帰るから行けないと言ったら、窓口の女の子は、メールアドレスを書いた名刺をくれて、ここへ連絡せよと言った。日本で何とかしようと思った。この件については、日本で予約したパリ観光という会社にメールし、確かに1900円を返金してもらった。

出発時刻となり、バスの乗り場に行き、私は若い女性2人組の後に並んだ。一人で参加しているのは私一人だった。バスの乗り口で帰りはタクシーか、バスかと聞かれたので、バスと答えた。あと、何か英語で言っていたがよくわからなかった。このツアーは英語によるツアーで日本語での案内はない。私以外全員白人だった。ともかく、エッフェル塔まで行き、下りる前、8時半にバスに戻るように説明があった。はぐれたら困るので
若い2人組の女性についていくことにした。エッフェル塔に上るエレベータの中で、アメリカから来た初老の男性に声をかけられた。どこから来たのか話し、その人は私が持っているカメラの機種を聞いてきた。キャノンの40Dだと答えると、その人は自分が持っているカメラを見せた。キャノンの5Dだった。そして、フレームがどうのと尋ねてきたが、よくわからなかったのでフォーカスポイントのことかと思い、7と答えた。合っていたのかどうかわからない。



展望1階のレストランに行った。ディナーのテーブルは、ガイドの男性がここに座れと言ってくれた。そこはオーストラリアから来た大人男女子ども3人の5人の隣で、私の右側は向かい合って若い女性2人組だった。私の左隣は小さな女の子。聞いてみると意外にも16歳だった。幼く見えて可愛い子だった。思い切って右側の女の子にどこから来たのか聞いてみた。ニュージーランドと言い、向かいはオーストラリアからだと言った。よく見れば、何だかマオリ族っぽい顔をしている。そして、彼女たちは何かを言っていたが、よくわからなかった。



店の人が記念撮影をしに来た。他の人たちはグループごとに写真を撮ってもらっていた。カメラマンは一人の私には声をかけなかった。それでニュージーランドの女の子が、戦えと言ってきた。しかし、私は何も行動を起こさなかったので、代わりにカメラマンに私のことも撮るように言ってくれた。それでニュージーランドの女の子と2人で撮ったり、一人で撮ってもらった。カメラマンはどれを買うのか聞いてきた。私は一人のものより記念になると思って、2人で撮った方を頼んだ。出来上がって代金を払おうとすると、ニュージーランドの女の子が阻止し、私の写真の代金を払ってくれた。

そのうち、オーストラリア人の男女と話しはじめた。彼らは兄と妹で、女の子は兄の子ども、そして男の子2人は妹の息子達。彼らはまだ子どもみたいでジュースを飲んでいた。女の子は話しに入れず、そのうちゲームを始めた。私も会話に入れないので、女の子に話しかけてみた。私が日本のアニメが好きかと聞くと、トトロと答えた。そして、自分が中学校の理科の教師だというと、物理?化学?と聞きにきた。私が全部教えると答えると不思議そうな顔をした。もしかすると、オーストラリアは細かく分かれているのかもしれない。それに彼女は11年生と答えた。オーストラリアの学校制度がどうなっているのか興味を持った。彼らの関係についても、その女の子から聞いた。その子がいたので、まだ間が持った。



展望台のレストランに行ったにも関わらず、ウロウロするのは気が引けたので、食事を終え、集合時刻が近づくと、呼びに来たガイドさんについてエレベータを下りた。一緒のテーブルの人たちは、酒を飲んで盛り上がっていた。結局、オーストラリアの家族はセーヌ川クルーズ組だったのか来なかった。女性2人組は後で来た。ムーランルージュの入口でいつものようにボディチェックと荷物チェック。そして隣の店に入り、クロークでコートとカメラを入れた袋を預けさせられた。袋の口を結ぼうと止められた。後でわかったのだが、袋は、コートをつるしたハンガーに一緒にかけておくのに、持ち手をそのままにしておく方がよかったのだ。引き替えに番号を渡された。ムーランルージュではカメラの持ち込みはできないので預けさせられるとガイドブックには書いてあったが、むき出しのまま預けたので、非常に不安だった。これなら、ショルダーに入れておけばよかったと後悔した。

席はガイドの案内で女性2人組と一緒にしてもらった。そして太った母と息子。私たちは5人組となった。ショーが始まった。始まってすぐに仰天した。いきなり、女性達がはいていた長ズボンがさっと取れて、小さなショーツだけになった。それによく見ると、前の真ん中にいる女性3人の乳首が見えている。私は、何も知らなかった。ムーランルージュというのは、女性が上半身裸で踊ることを。女性達は皆高身長細身で巨乳はいない。そのため、踊っていてもブラブラ揺れることはない。どちらかというと貧乳といってもいいくらいだ。ダンスは腰をくねらせながら、足を高く上げたりしている。今流行のダンスとはちょっと違う。次に、ローラースケートをはいた男女が小さな円の上をぐるぐる回り出した。アイススケートのダンス部門のようだ。そして、今度は、力持ちの男性が女性を持ち上げたりする。こちらは上海雑伎団みたいだ。次に大きな水槽が出てきた。中には大蛇が数匹入っている。女性がその中に入り、ヘビとたわむれるというもの。これは何なのか。目を疑った。そしてまたダンス。途中、オーストラリアから来た女性が先に帰ると言って出ていってしまった。彼女たちは、シャンパンがついていたにも関わらず、ワインも注文していた。1時間半が過ぎ、そろそろ終わりかなと思う頃、先に出ることにした。というのも、帰りの集合場所を説明していたが、よくわからなかったし、何かショーが終わって10分後にはバスを出すというようなことを言っていたので、早めに用意しておこうと思った。

←トイレの中

クロークで番号札を渡そうとすると、係の人に、もう中には戻れませんよと言われた。理解したそぶりを見せると、コートとカメラを入れた袋を戻してくれた。その後、扉から中の様子を見ていると、宝塚のフィナーレのようなショーをしていた。フレンチカンカンというものらしい。長いスカートを翻していた。それも終わり、客達が出てきた。同じツアーで見覚えのある中年男女が出てきた。彼らの様子を見ながら、店を出ると、先ほど出て行ったオーストラリアの女性が座ってスマホを見ていた。それで、バスはどこか聞いたら、あの人たちの後についていけばいいと教えてくれた。店を出て右側の道をついていった。太った親子もやってきた。100mくらい歩くと、バスが見えた。よかった。ちょうど10分後くらいに全員揃い、バスは出発した。一番最初に私のホテル、ハイアッリージェンシーに行くことが説明された。皆に礼を言いながら、バスを下りた。皆の親切でうまく切り抜けられたなと思えた。特にニュージーランドとオーストラリアの女性2人組の親切は有り難かった。

ホテルに着くと11時半頃だった。風呂に入り、午前1時半頃には寝た。