1998年8月22日(土) 重慶マンションのファーストフード

朝9時頃大きな音で目がさめた。とても疲れていた。雨の音が換気扇の方から聞こえてきた。しばらくじっとしていたが、意を決して外へ出た。

雨はやんでた。朝食を食べるために目当ての茶餐テンを探した。なかなか見つからなかったがそこかしこに茶餐テンがあったので適当な店、富苑茶餐テンに入った。朝定食が4種類あって牛肉麺と珈琲或茶という字が読めたので20H$のB定食を注文した。そしたら何やら中国語で言うので多分、飲み物は?と言うことだろうと判断してコフィーと答えた。品物はそれらとチーズ入りサンドイッチとグリーンピース入りスクランブルエッグだった。ミルク入りコーヒーを1口飲んだら酸っぱくて飲めたものじゃなかった。腐ったものが入ってるのでは?という味だった。卵とサンドは全部食べた。麺と肉は柔らかめであまりおいしくなかった。半分位残した。代金は日本と同じようにレシートをレジまで持っていって払った。

キリスト教の青年達が寄付を募っていてお金を出した人は胸にシールを張ってもらっていた。そんな青年達をこの日あちこちで目にした。

地下鉄で上湾まで行った。そして路地を歩いて行った。途中蛇屋、はんこ屋、漢方薬店などDEEPな店があった。香港で1番古いお寺まで来たとき、雨が降り出した。寺の中を見ているとゴミが上から落ちてきて胸にかかった。見上げると渦巻きの大きな線香がたくさん下がっていてその灰が落ちたのだった。写真を撮ろうかと思ったが、皆熱心に拝んでいるので悪い気がしてやめた。雨の中、また歩いて行った。骨董品の店が並んでいた。キャットストリートでがらくたばかり積んでいる店を見た。店先でおじさんが向こうを向いて座っていて何か細かい作業をしていた。毛沢東の像や、上海風のポスターなど面白いものがいっぱいあった。写真を撮った。毛沢東バッジがあったのでおじさんにいくらかと問うと25と答えた。一瞬単位を考えた。セントか、H$か。H$にしたら高いと思った。でもセントだと安い。やはりH$だろう。日本円で500円だ。高いけれど、記念だからと買った。おばあさんが何か中国語で話しかけてきた。わからないのでじっとしてたら時計を指さすので見せた。時間が知りたかったのだ。

チムサーチョイまで戻ってきた所で大降りになった。しばらく雨宿りしてぼーと人々の様子を見ていた。

少し小降りになったのでウエルカムというスーパーマーケットへ歩いて行った。そして以前ツアーで一緒になった人から聞いたおいしい香港のネスカフェを買った。大瓶で1本72H$だった。日本円で1200円なので高いなと思ったけど2本買った。昨日買った香港製の水は美味しくなかったのでエビアン水7.2H$とHiーCの缶ジュース3.9H$を1本ずつ買った。宿へ帰ってジュースを飲んだら甘くておいしかった。

しばらくテレビでレオン・ライのドラマを見ていたらお腹もすいてきた。重慶内の中華ファーストフードでチャーハンと栄養を考えて青菜炒めを食べようと思った。言葉が通じないと思ったので炒飯、青菜と書いた紙を持って下へ降りた。そして目的の店、友記中華料理へ行ったら、待ってる人が3,4人居た。店の女の人に紙を見せたら、わかってくれて「Chinese fry rice?」というので「yes」と答えた。「Take away?」と聞いたので「Yes, take away」と答えた。チャーハンが22H$、青菜が20H$だった。10分位椅子に座って待っていた。店をよく見たら前に写真と英語、中国語、番号入りのメニューが大きく張り出されていた。番号だけ言っても注文できたのだ。そうしているうちに発砲スチロールの入れ物に料理を入れてそれをビニル袋に入れて持ってきてくれた。部屋に持ち帰り、開けてみると、量が多かった。チャーハンはとても美味しかった。青菜は何の葉かわからなかったけど、まあ美味しかった。しかし、どちらも量が多かったので半分位残した。

またテレビを見てゆっくりしてた。夜7時半頃、ナイトマーケットを見に外へ出た。4年前来たとき、1番面白いと思ったのでワクワクしながら行った。中国返還されてどうなったかと思ったが、前と同じように白人の観光客や地元の人で賑わっていた。占いも繁盛していた。夜店には安くて面白い物がたくさんあった。レオナルド・ディカプリオの顔が入った腕時計は1000円以下であった。4年前香港で買った安い時計は今も動いているから機能的には問題ないだろう。一瞬買おうかと思ったが、こんな時計持っていてもするには少し恥ずかしいなと思ってやめた。CDが山積みされてたので近づいて見ると、VCDと書いていた。香港では今VCDが流行っていると本に書かれていたので、これか、と思った。見かけは普通のCDと変わらない。値段もCD並だった。四大天王とかと言ってアンディ・ラウ、レオン・ライ、アーロン・クオック、ジャッキー・チョンを1枚にしたものがあった。これは93年製のCDだった。聞いてみたかったが、やっぱりやめた。ちょっと古かったからである。音楽が聞こえて来たので歩いて行くと、チェロやバイオリンなどを4,5人で演奏していたが、どこかアジア風だった。これは例の広東オペラというものだろうか。しかし、この辺りは現地のおじさんばかりで少し気味が悪かったので早々と引き上げた。やぱりナイトマーケットは面白かった。香港で1番の場所だと私は思う。

地下鉄で帰り、チムサーチョイの駅の職務中心という窓口でオクトパスカードを出して現金に替えようとした。50才位の窓口の人は今?と言ったのでYESと言った。でも変な顔して何か言って処理してくれない。何故だろうと思って後に並んでいた人達に先に用事をすませてもらって再度今度は若い係の人にもう1度「change money」と言ってみたら時計を見ながらも処理してくれた。この時、8時55分だった。彼はそわそわしてた。どうやら、頼んだ時間が遅かったのだろうか。駅の職務中心は閉まっていたところもあったので勤務時間の終了が9時だったのかもと思った。でも同じことを頼んでもおじさんよりは若い人の方が親切だと思った。とにかく127H$返してもらえたのでよかった。

チムサーチョイはまだ大勢の人で賑わっていた。香港の店は11時まで開いているので、若い女性でも夜を楽しめる。しばらく歩いていたが、重慶の治安が心配だったので帰った。

外は賑やかなのに重慶の中はシャッターを下ろした店が多く、人も少なくなっていた。不安になった。エレベーターの前まで行ったら警官が居たのでほっとした。安心してエレベータに乗れた。前に声かけてもらった9階のハッピイゲストハウスの前まで行った。ドアが開けられていて持ち主の家族達が見えた。記念に写真を撮った。自分の部屋に戻ってシャワーを浴びて片づけをして飛行機の時間を考えて6時に目覚ましを合わせた。しかし寝ようとしてもなかなか眠れなかった。

浅い眠りだったが時計の音で目覚めた。残してあったチャーハンを食べた。しかし、青菜の炒め物は食べきれずに残した。

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