マレーシア・シンガポール

1月2日 2日目 午前 クアラルンプール市内観光

ホテル8時20分発。レイクガーデン地区に行った。最初に王宮へ行った。ここは私が持っていたガイドブックには載っていなかった。私が持っていた数年前発行のガイドブックに載っていた王宮はずっと南にあり、こんな遠い所へいくのかと想像していた。帰国して、地球の歩き方を立ち読みすると、2011年に王宮が移転されたことが書いてあった。レイクガーデンの西にあり、私が持っているガイドブックの地図にはその部分はなかった。王宮は、門の外から見るだけで、中には入れない。現国王がすんでいる所なので当然か。王様が居るときは黄色い旗を揚げているが、なかったので居ないということがわかった。マレーシアの国花はハイビスカスで、近くにある信号機にも花の飾りがあった。20分間の見学。


国家記念碑のことは、私が持っているガイドブックには載っていなかったので、JTBのサイトからお借りする。「1949年から12年続いたマレーシア独立戦争で共産主義ゲリラと戦い、亡くなった兵士たちを弔うために造られた、高さ15mのブロンズ像。作者のフェリック・デ・ウェルトンはワシントンDCの硫黄島記念碑の製作者でもある。マレーシア国旗を掲げ、勇敢に戦う兵士の姿が見事に表現されている。」 確かに、以前見た映画「硫黄島からの手紙」に出ていた像とそっくりである。私は、実物を目の前にして、あの像かと一瞬思ったが、兵士の顔が東洋人だったので違うと思った程だった。

国立モスク(マスジ)では、女性は肌を見せてはならず、カーディガンを羽織った。また、頭に黒いヒージャップ(借りた物)を被った。他の国のモスクに行ったことがあるが、このような経験は初めてで楽しかった。鹿児島から参加していた人が、エキゾチックな顔立ちをしていて、とても似合っていたので、「お似合いですよ」と声をかけた。


床に線が引かれ、信者はその線に沿って座る。いくつも時計が掲げられていて、日の出の時刻に合わせて、その日拝む時刻が表示されていた。信者は1日5回拝む。イスラムに関する日本語のパンフがあったのでもらった。イスラム教は偶像崇拝をしない。美術の時間がないということもどこかに書いてあった。絵を描くということは、「偶像を描く」につながるからだそうだ。それで過激派は他宗教の偶像爆破をしたりする。しかし、この国でポケモンはできた。ポケモンも偶像のはずであるが、どう考えるべきか。豚肉と酒は駄目だが、私はワインをこの国で飲んだ。イスラム信徒が60%を超えると言っても、マレーシアは多宗教が共存していくために、平和的な毎日が送れているようである。10:30発。

独立記念広場(ムルデカ・スクエア)は、芝生になっていてクリケットをしたりするそうだ。独立宣言をした場所。一般人は立ち入り禁止。国旗掲揚塔は高さが100mもあり、世界一の高さだそうだ。スルタン・アブドゥル・サマドビルは植民地時代の名残でサーモンピンクが美しい。

チョコレート店に連れていかれた。入り口付近で試食したチョコが美味しかった。添乗員さんに聞くと、そのティラミスチョコが美味しくておすすめだと言う。小さい方の袋を1つだけ買った。

バティックの店では、染色の様子を見た。シルクや綿にろうけつ染めをする。ガイドさんによると、手描きとかスタンプとかあるが、やはりシルクに手描きが高級。華やかで綺麗だとは思うが、買うまでには至らず。
ガイドさんによると、バティックは昔、漁師の奥さんが始めたろうけつ染め。そのうち、工場化した。
 


中華料理を食べた。円卓で回るので食べやすかった。チンタオビールがあったので注文した。このビールは私の舌に合う。


 

バスでマラッカへ移動。約150km、2時間半の行程。
道路の両側はずっと油ヤシ。アブラヤシは西アフリカ原産で、ここに入れたのはオランダだが、プランテーションを広げたのはイギリス。木は3年で実がなる。20〜30年で植え替える。なぜなら、高くなりすぎると、採りにくいからだ。雄花と雌花がある。実を採って24時間以内に油を絞らなければならない。ネズミや蛇はアブラヤシを食べるので、それらを食べてくれるフクロウを大事にしている。フクロウの雄雌のために巣を作ってあげている。アブラヤシは、水をたくさん土から吸収するため、他の植物は育たない。確かに、アブラヤシの下は草が生えていなかった。その説明を聞く前から、雑草が生えていないのに気づき、綺麗に手入れができているなとは思っていた。手入れをしなくても生えないのだ。また、カブトムシが害虫であるということも聞いた。

   午後 世界遺産マラッカ観光

バスを降り、チャイニーズストリートを歩き、寺に入った。マレーシア最古の中国寺院、青雲亭(チェン・フーン・テン)。1646年、マラッカに明の船が到着したことを称え、建立された。お坊様がお経を唱え始めた。日本のものとかなり違う。歌っているようにメロディが付く。後ろで現地の人がひざまづいて拝んでいた。時々、上体を前後させる。チベット仏教の五体倒地ほどでもないが、日本人より熱心に見える。



さらに歩き、ジョンカーウォークへ。観光客で賑わっている。両側は中国系の土産物屋など。ここでも、見るだけで買いたいものはなかった。唯一、北海道チーズタルトを作って売っている店があったので、食べてみようかなと思ったが、お腹が減っていなかったのでやめた。ツアーの人の中に食べている人が数人いたので、美味しいか尋ねると美味しいと言った。ツアーのメンバーの中に、行く先々で買い物をしている30代の人がいた。何を買ったのか見せてもらうと、サンダルとか、ゴムのブカブカパンツとか、お菓子とかの実用品を買っていた。後から聞くと、その人は両親が早くに亡くなり、一人で生きているとのこと。妹とも疎遠で親戚づきあいもない。事務職をしながら、アパートで一人暮らし。海外旅行は今回で2回目だそうだ。






オランダ広場には、マレーシア国内最古のプロテスタント教会をはじめ、オランダ建築様式が集まる。オランダ統治時代は白かったが、イギリス時代にサーモンピンクに塗り替えられたそうだ。

セントポール教会は、丘の上にあり、そこまで階段を上った。頂上に着くと、マラッカ海峡が見渡せた。スマトラ島は全く見えなく、海が広がっているだけだった。昔、沢木耕太郎の「深夜特急」にマラッカの夕焼けの描写の部分を読み、一度行ってみたいと思っていた場所であったが、あいにく夕方ではなかったので、夕焼けは想像するだけであった。教会は、外壁だけが残り、屋根はなかった。ザビエル像があった。彼は、ここから出発し、日本で布教を行った。死後、遺体は9ヶ月間ここに安置された。



丘を下りるとサンチャゴ砦の門と大砲があった。今は一部しか残っていないが当時は大きかったらしい。

 

展望台が上下するマラッカタワーがあった。マレーシアの人は高い物を作るのが好きなのだろう。
隣に15世紀の王宮を真似た博物館があった。

夕食は、ニョニャ料理。マレーと中華の融合料理をニョニャ料理という。正直言って、あまり違いがわからなかった。美味しくいただけたのは確かだ。


スイスガーデンマラッカホテル直結のショッピングモールに行った。バティックの店が割としゃれていて、日本でも使えそうな水色と白2色使いの綿のマフラーを買った。これは翌日から2日間使用した。良い買い物ができたと思っている。まだリンギットが少し残っていたので、ソックス専門店でソックスを2足買ったら、日本円で100円程度しか残らなかった。

ホテルはデラックスなのだが、少々使い勝手が悪かった。まず、バスルームが小じゃれたガラス張りでバスタブが椀型タイプ。トイレ、シャワールームもガラスで仕切られていた。それで、タオルやアメニティがどこにあるのか、いちいち探した。また、残念なことにぬるい湯しか出なかった。シャンプーも泡立たないので、自分が持ってきた物を使った。

いよいよ、明日はシンガポールだ。