マレーシア・シンガポール

1月2日 3日目 シンガポールへ

モーニングコール5:30 荷物出し6:15 朝食6:30 集合7:15
この旅行唯一の早朝出発。私は、普段から早起きなのでMC前に起きて準備していたが、遅く起きる人は大変だろう。
 国境 向こうがシンガポール

バスでシンガポールに向かった。230km、3時間20分の予定だが、新年ということもあり、渋滞はなく予定より少し早く国境に着いた。ここで一度バスを降り、スーツケースを自分で運び、出国審査場に向かった。乗ってきたバスは別ルートで審査を受けるそうだ。出国審査場を抜け、今度は入国審査場に向かう。ずっと荷物を引きずったままだ。そこを抜け、マレーシアから乗ってきたバスに荷物を入れて乗り込んだ。そして、少しすると、シンガポールのバスが待っている場所に行き、荷物と共に乗り換えた。出国入国に約1時間かかった。(10:30〜11:30)
以前、オーストリアからチェコにバスで行ったとき、私たちはバスに乗ったままで、係の人がバスに乗ってきてパスポートを見せて終わった。こんな面倒な事をするとは思っていなかった。

   午後 シンガポール@

シンガポールのガイドさんは、ロイドさんという中国系の男性。時々ギャグを言ったりして、説明もわかりやすい良いガイドさんだった。市内は美しい町で緑が多かった。道路沿いには緑のゴミ箱が置かれていたが、ガイドさんによると、日本みたいに分別はしていなくて、何でも一緒だそうだ。ゴミ1つ落ちていないとは聞いていたが、たまにちり紙なんかが落ちていて、日本とそんなに変わらないと思った。他の国に比べたら綺麗だとは思うが。ただ、ゴミをポイ捨てする所を見つけられると罰金があるそうなので、その点は厳しい。
バス内で5000円分をシンガポールドルに替えてもらった。今は円安(1USドル=118円)なので、57S$にしかならない。

シンガポールは淡路島と同じくらいの面積。教育は小学校6年、中学校4年、高校2年、大学4年。英語は必修で、民族によって北京語、マレー語、タミル語を学ぶ。大学は3つしかない。男子は18〜20歳の2年間の徴兵制がある。それで、男子は女子より2年遅く大学に入ることになる。当然、就職も遅れるので、会社の中では女性の方が早くからキャリアウーマンとして活躍できる。男性は、2年間の徴兵だけでなく、40歳まで、毎年2週間、兵隊へ行かなければならない。周辺国がイスラム国家ばかりなので、備えているらしい。シンガポールで一番学力水準の高い学校の横を通った。私立で、ガイドさんは、ここの中学校を卒業したらしい。高校もあるが、中学校だけ行ったみたいだ。女子の中学校の横も通った。シンガポールの学力が高いのは有名だ。
お金持ちはとてつもなくお金を持っているようだ。土地が少ないので、一軒家は少なく、買い取りマンションがほとんどだ。賃貸マンションはない。高級住宅地であるオーチャードロードの一軒家は7億、マンションは3億と聞いた。
雨がよく降るのに、水は、マレーシアから輸入している。工場を建てる土地がないためか。
1965年にマレーシアから独立。2015年が独立50周年。イギリスの植民地だったのは、1942年までのこと。消費税は7%。私はシンガポールはフリーポートで無税だと思っていたが、それは昔のこと。
日本車の価格は、日本で買うより2〜3倍高くなる。その割には、ベンツやBMWなど高級車が多く走っていた。お金持ちが多いということがわかる。ガソリンは何と1リットル180円(このとき日本では130円程度)。マレーシアは1リットル35円。シンガポールは、物価が高いようである。  

リトルインディア(インド人街)で昼食。とは言っても中華レストランだ。名物のチキンライスと一般的な中華を円卓で食べる。チキンライスは日本と全然違い、細長く切ったチキンをライスの上に乗せて食べる。黒いドロッとした調味料をつける。(12時〜13:10)




スリ・マリアマン寺院はヒンズー教の寺。寺院内、屋根は神々の像がぎっしり。




チャイナタウンでは、路地を歩き、大きな寺の前の広場で解散。30分間の自由行動。露店も人も多い。オセロみたいなものをやっているオジさん達がいて、その様子を取り囲んで見ているオジさん達。取りあえず、店を見ていくと、強烈な匂いがしてくる。ドリアンだった。はっきり言って臭い。食べたことはないが、美味しいらしい。店先には、手頃な大きさに切って容器に入れた物が並んでいた。一人で食べるには多い。食べてみたいが、感染症を考えて、もうちょっとちゃんとした店で買いたいと思う。
買いたいものがなかったので、寺に入った。仏像は、日本と違い、カラフルだ。ただし、形はよく似ている。









   
 ブッダ・トゥース・レリック・テンプル  ドリアン(臭かった)




シンガポール初の世界遺産、ラン園に行った。その頃から雨が降ってきた。滅多に咲いているのを見ないという虎模様のランが咲いていて、ラッキーだとガイドが言った。胡蝶蘭は、ビニルハウス内にあった。




免税店で有名なギャラリアDFSに連れていかれた。まず、店内でカードをもらったが、そこで解散。ガイドさんが土産屋さんに案内してくれると言うので、ツアーの 5,6人が、ついて行った。大通りの上を通る屋根付きの陸橋を通り、向かい側のビルの2階で、家族と職場用のチョコとクッキーを買った。その後は、皆、別行動。伊勢丹を目指して歩いているつもりが、逆方向に歩いていたらしく、コロニアルな建物が見えた。なんとグッドウッドパークホテルだった。ここも、憧れのホテルである。これ幸いと、中に入ってみた。階段を上がるとすぐにトイレがあった。試しに入ってみた。美しい。紅茶を飲んでいる人たちがガラスドア越しに見えた。これがハイティか。
 

 
すぐにそこを後にし、元来た道を戻り、さらに進み、伊勢丹まで行った。伊勢丹はそれほど大きくなく、中に入り、ぐるりと見て出た。さてどうしたものかと、あたりを見渡すと、ヨーロッパブランドの路面店が並んでいた。それらは買うつもりはないので、DFSに行くことにした。途中、小さなスタバがあり、見ると、ツアーの人たちがコーヒーを飲んでいた。会釈をして、通り過ぎた。

免税店DFSで、関空で買った化粧品が、ここではいくらか興味があったので、店員にいくらか聞くと、こちらの方がずっと高かった。関空で買って得した。円安の今は、日本で買った方が安い。

夕食は名物チリクラブ(チリソースをかけたワタリガニ)と中華。ワタリガニはやはり食べる部分が少なかった。ソースのついたカニを手でちぎって食べるので、手がベタベタに汚れる。そのために、フィンガーボールを2人に1つずつ置いてくれていた。手ふきも一人2枚ずつ使えるが、食べるのに少々苦労した。他の中華は美味しかった。
 

夜のマーライオン公園に行った。写真を撮ってみたが、アイフォンなので、人物を入れた写真はうまく写せなかった。こういうときは、念のために夜景モードのついたカメラを用意しておくべきだった。
 ナショナルギャラリー・シンガポール  ビクトリアコンサートホール&シアター
 

 

 
8時から10分間ほど、レーザー光線のショーがあった。音がなかったし、地味な感じがした。夏の神戸の海で見たショーはもっと派手だったから、それに比べると何だかなあと期待はずれ。
 

ホテルの部屋に入ったのは9時を過ぎていた。もっと早く着けると思っていた。私はラッフルズホテルのショップで買いたいものがあったが、店は9時までだったのであきらめるしかなかった。しかし、急いでワンピースに着替えて、ラッフルズホテルに向かった。目的はロングバーでシンガポールスリングを飲むこと。バーは遅くまで開いているので大丈夫だ。ロングバーは2階にあった。ドアの前に、3人の日本人男女が待っていて、カウンターに案内された。次に私は入り口近くのテーブルを指されたので、座った。中国系のウエイターが来て、シンガポールスリングを注文した。しかし、何か英語で言ってくる。連れの人はどうなっているのかと聞いているみたいなので、私一人だと言うと向こうへ行ってしまった。しばらく様子を見ていると、私の前の日本人達にはすぐにカクテルが運ばれてきていた。かなりの時間が経ったが、全然運ばれてこない。しかし、英語力がないので何ともしようがない。まあ、いつか気がついてくれるだろうと期待していた。これ幸いと店内の様子を見ていた。やがて、そのうち黒人のウエイターが気づき、遅ればせながら目的のカクテルをアジア系の女の子が運んできた。橙色をしたカクテルはさっぱりとして甘かった。グラスに挟んでいたパイナップルは堅く、全然甘くなかった。飾りだったのか。サクランボは甘かった。生演奏が聞こえていた。店の真ん中に回り階段があったので、その上で演奏しているのだろう。カクテルを飲み干した後、階段を上ってみた。上にも客が大勢いた。隅に楽器が並べられていた。今は、演奏する時間ではないらしい。
 

 


部屋に戻ると10時半頃だった。部屋は61階の海側で、夜景が素晴らしかった。熱い湯が出て、気持ちよく入浴し、眠りについた。