出発まで

 冬旅行として9月に奄美大島7日間のツアーを見つけ、申し込んでいたが、全然催行決定に至らず、11月20日頃キャンセルした。奄美大島は、ルリカケスなどの野鳥観察や、大島紬の泥染めなど見てみたいと思っていた。現地ネーチャーツアー会社にも問い合わせしていた。そのツアーをキャンセルした後、どうしようかと考えた。結局、冬休みの日程から今回のミャンマーツアーに決めた。だから、一番行きたいと思っていた国ではない。あくまでも、休日の日程と現地の気候で決めたのであった。出発が近づくと、男性添乗員さんから連絡があり、男性1名女性7名の8人参加ということを知った。

旅行全体を通じて特に印象に残ったこと

@町を走っているのは日本製の中古車ばかりである。私たちのバスも、金毘羅観光とバスの横に書かれていた。ミャンマー人にとっては、中国製の新車より日本製の中古車の方が安心できるらしい。中国製はボディが弱いかららしい。しかし、私たちの金毘羅観光バスは、3日目の夕刻、空気圧不足でギアチェンジやドアの開閉ができなくなった。そのため、バスの交換を余儀なくされ、その日のヤンゴンへの帰還は1時間遅くなった。

Aヤンゴンの中心部はバイク禁止である。なぜかというと以前あったテロの犯人がバイクで現地に行って事件を起こしたかららしい。ヤンゴンから離れると、2人乗りはもちろん、3人乗り4人乗りのバイクが走っていた。ヘルメットもかぶっていたりなかったり。

Bヤンゴンには、ヨーロッパブランドが入ったデパートや近代的なスーパーがあり、都会であったが、そこを少し離れると農村地帯がずっと続く。ちなみに、私はミャンマーに行くまでヤンゴンが首都だと思っていたが、今は、そうでなく北部の小さな町に首都に移して公務員は皆そちらに住んでいるらしい。

Cゴールデンロックを見るために乗ったトラックバス(トラックの荷台を座席に改造)は、ジェットコースターみたいで楽しかった。

Dミャンマー料理は、どれも美味しかった。苦手なものは何もなかった。

Eミャンマー人は、ほとんどの人が民族衣装を着ていた。インドではサリーを着る人が減っていると聞くが、ここはまだそれほど他国の影響を受けていないみたいだ。

F昨年世界遺産にtなったバガンはテレビで紹介されていたりして行きたかったが、5日間というコンパクトな日程で行けなかったのは残念であった。
仕事の都合で無理だった。

1日目 2020年1月1日(水) ミャンマーへ


 近くのJR駅まで送ってもらい、6時20分頃の電車で、関空まで行った。集合時間は8時30分。先日の電話で添乗員さんから正月で混むため、8時から待っているので早めに来てほしいと言われていた。しかし、8時に行こうとするとJRの乗り換えが1回増えるので大きな荷物持参の私には大きな負担となる。それで、申し訳ないが乗り換え回数最小の電車で行った。団体窓口には8時25分に着いた。私が最後みたいであった。そこにはツアーの人はいなかった。男性の添乗員さんからeチケットを受け取り、燃油サーチャージの差額を支払った。その後、ベトナム空港のカウンターに行き、自分でチェックインし、荷物を預けた。カウンターはそれほど混んでいなかった。通路側にしてほしいというリクエストが通った。
 VN331便はほぼ」予定通り10時30分頃出発し、約20分早めに無事にハノイ・ノイバイ空港に着いた。座席が結構空いていて、私の隣も空席だった。機内では飲み物が1度と食事が1度出た。私は、白ワインと日本食を注文した。
 飛行機から出て、空港の建物に入った所で集合し、ツアーの人たちと顔を合わせた。女性7人に男性1人。女性は30代から60代くらいまで。男性は40歳くらい。そこから、ヤンゴン行きの乗り場まで一緒に行った。 ここノイバイ空港は日本のODAにより4〜5年前に建てられた新しい空港。待ち時間が2時間くらいあり、店をブラブラと見て回った。しかし、これといって欲しいものはなかった。2年前にベトナムに行き、そのときに色々買ったので珍しく感じなかったのだろう。

ヤンゴン行きのVN957便には16:10に乗り込んだ。16:45に動き始め、飛び立った。約2時間後、現地時刻18時に無事にヤンゴンの空港に着いた。ヤンゴンと日本との時差は2時間半である。50歳くらいの現地男性ガイドさんと出会い、市内レストランで夕食を食べた。ミャンマー風麺を中心にバナナのデザートまで出た。麺は以前シンガポールで食べたラクサに似ていて、ココナッツミルクのスープ。ガイドブックには「オンノウカオスエ」とあった。

 

 

夕食後は、ホテルへ直行。ホテルは市街地から北東にある元競馬場の近く。少し行くとインヤー湖やアウンサンスーチーさんの家がある。
部屋は一人にはもったいないくらい広い。風呂のお湯を出そうとしたが、なかなか熱い湯が出なかった。添乗員さんが電話をくれたので、そのことを言うと、しばらくして返事があった。もう少し待ったら出るだろうとのこと。しかし結局熱い湯は出なかった。仕方なく、水で顔を洗い、濡れタオルで体をふいた。日本だと深夜である。ベッドに入るとすぐに眠りについた。