12月31日(水) カトマンズへ

今回の旅行は,ペルーへ一緒に行ったKさんと2人でツアーに参加。関空でチェックインしたら,予定より45分も早く飛ぶことになっていた。こんなこと今までで初めてだ。飛行機が早く到着したかららしい。私達のようにツアーで行くのなら2時間前にチェックインするが,個人で行く人の中にはもっと遅くチェックインする人もいるだろう。こんなに早く出発できるのだろうかと思った。飛行機は遅れた人を待つときいている。しかし,遅れる人はいなかったのか,予定30分前の12時に出発できた。最後に機内に乗り込んで来た人は恐縮していた。でも彼は悪くない。予定時刻には充分間に合っている。なんだか気の毒だった。
チェックインした時に,ツアーは3人であることを知り,そして同行する人と顔合わせをした。私達2人と北海道から来たOさん。Kさん47歳,Oさん51歳,私42歳,3人とも独身女性だ。

上海で給油のためトランジットルームへ行った。トランジットルームはとても遠かった。それにわざわざ行ったにも関わらず,何にもない所だった。自動販売機,テレビがないので,することがなく,また寒々とした所だった。上海では2時間費やした。

カトマンズ到着は現地時刻19:15。予定より1時間遅れ。出発が早かったのに1時間遅れとはどういうことだろう。空港でガイドのアロンさんと出会った。アロンさんは日本がとても上手だった。私が今まで出会った外国人ガイドの中では一番だろう。その夜のホテルはヴァイシャリの予定だったのだが,王宮前通りにあるアンナプルナに変更されていた。四つ星から五つ星への変更だったから嬉しかった。アロンさんに言って1万円をルピーに換えてもらって部屋へ行った。

部屋の内装は前にインドで泊まった部屋に似ていた。バスルームの壁がタイル張りなのが同じだ。ホテルの案内書を読むと,インド系のTAJIチェーンに属していることがわかった。タオルがなかったので,持ってきてくれるよう電話した。しばらくしても持ってきてくれないので再び電話したら持ってきてくれた。しかし,後でわかったのだが,他のホテルでも体を洗う小さなタオルは置いていなかった。ネパールのホテルは置かない習慣になっているのだろうか。
日本との時差は3時間15分。ネパールでは午後9時前でも,日本は午前0時。眠かったので二人ともそのまま寝た。

1月1日(木) カトマンズ

Kさんは携帯電話を時計代わりに使っていた。しかし彼女は現地時間に変更していなかった。勘違いして,そのままの時刻でアラームを6時半にセットしたため,カトマンズ時間3時15分にアラームが鳴った。私達は飛び起きた。でも,私の時計が3時15分を指していたので川合さんが間違ってセットしたことがわかり,また寝ることにした。Kさんは眠っていたようだが,私は元々,いったん起きたら眠りにくい体質で,そのまま目が覚めてしまった。しかし起きて動き回るわけにもいかず,ベッドでじっとしていた。5時半になったら,もういいだろうと判断し,朝風呂に入った。7時に朝食を食べ,前の日の打ち合わせ通り,8時にロビーへ行った。しかしアロンさんは来ていなかった。結局,アロンさんは8時半に来た。そのことをとがめはしなかった。でもそれでよかったのだ。というのは,その朝は霧が深かったからだ。カトマンズはよく霧に包まれるそうだ。

最初に目玉寺と呼ばれるスワヤンブナートに行った。9時頃着いたが,霧がまだかかっていた。

初め,霧ではっきりと見えなかった目玉寺。



この寺の写真はよく見ていた。目が描かれていて面白いなぁと思っていた。あの目は四方を見渡すブッダの智慧の目を表しているそうだ。鼻は数字の1を表す。マニ車,5色のタルチョとチベット仏教特有の物がある一方,ヒンズー教の神様の像がある。ネパールは宗教が仲良く共存しているそうだ。


チベット人の子どものお坊さん達がけまりのようなことをして遊んでいた。何を蹴っているのかと近くに寄ってみると,それは輪ゴムを集めた物だった。修行僧といっても子ども。無邪気なものである。






この寺はまた猿寺と言われるだけあって猿が多かった。霧が消えたの10時頃だった。スワヤンブナートの観光を終えようとする頃,ようやく青空が広がってきた。

旧王宮があるダルバール広場に行った。





テレビで何度か見たことがあるクマリの館に行き,中庭に入った。クマリは国王さえひざまづかせる選ばれた少女である。テレビで見たときは,クマリは笑顔を見せず,いつも堅い表情をしていた。私達が中庭にいると,後からどこかアジアの団体が入ってきた。それでか,特別にクマリが2階の窓から顔を出してくれた。
アロンさんによると,めずらしいことでラッキーなことなのだそうだ。クマリは笑顔を見せてくれた。色白の可愛い少女だった。写真は撮ってはいけない。それに目を合わせるのはよくないそうだが,私は確実に目が合った。テレビで見たのはお祭りの日で,その日は神妙な顔をしていなければならない日なのだそうだ。



クマリを見ることができて良い気分になっていたら,突然,嫌な事件が起こった。
鳩のフンが落ちてきて,ショルダーバッグと手が汚れた。アロンさんは,これも縁起が良いことだと言ったが,そういう気持ちにはなれなかった。ただ,服に付かなかったのは幸いだったと言える。ネパールの寺には鳩が多かったので,その後,よく上を見上げて鳩に注意していた。

60〜70年代,ヒッピー達が座って大麻を吸っていたという寺。長髪,ネックレスじゃらじゃら,ベルボトムの兄さん,姉さんの姿を想像してみた。今,腰掛けているのはネパール人がほとんど。

バザールを歩いた。日用品がぎっしりと並んでいた。





市内の中華レストランで昼食をとったあと,空港に向かった。2時にポカラに向けて飛ぶ予定だったが,霧で飛行機が到着しておらず,そのまま2時間待った。4時にやっと出発できた。飛行機は18人乗り用でパイロット2人,スチュワーデス1人。乗り込んでしばらくすると,キャンデーと雑誌綿が配られた。雑誌綿は気圧の変動に対処するために耳に入れる。それにキャンデーをなめていると,だ液を飲み込むから耳が変になってもすぐ回復する。アロンさんから右側の席の方が景色が良いと教えられていたので,そのように座った。席は自由なのだ。おかげでヒマラヤの雄大な景色を,乗っている間ずっと楽しめた。

50分ほどでポカラに着いた。ポカラは標高800m。暖かかった。ホテル到着は5時。コテージのように部屋ごとに外から直接入れるようになっていた。2階建てで4部屋ごとにまとまっていて,そういう棟がいくつかあった。
夕食はいったん外へ出て,前のレストランに行った。ネパール料理のバイキング。香辛料がきいていた。ちょっとなじみにくい味だなと思った。経営者が同じようで,飲み物代はチェックアウトの時にまとめて払った。

夕食のあと,夜の街をアロンさん達とブラブラした。ネパールは正月にあたるのが4月ということだが,観光客のためなのか,ハッピーニューイヤーと書かれ電飾で飾られた門が設置されていた。音楽が聞こえていたので近づいてみると,スイカ割りに似たゲームをしていた。目隠しをしている人をみると,白人観光客。ネパール人達が手拍子,かけ声をして盛り上げていた。しばらくしてそこを離れ,また歩いて行った。観光客が多く,電飾も綺麗で華やかな雰囲気がしていた。少し疲れてきたので,もう引き返さないかと提案したら,他の人もそうしようということで,元来た道を戻った。