1月2日(金) チャンドラコット ポカラ観光

朝5時にモーニングコールがあり,5時45分にレセプションへ行った。アロンさんがレセプションの人と何やら話していた。昨晩注文していた私たちの朝食用弁当3つを他の客が持って行ってしまったらしい。そして,1つだけ残っているということだった。それでアロンさんはなぜ部屋番号を確かめなかったのかと係の人に文句を言っていた。15分くらいそうしていたが,出発が遅れそうなので私たちから朝食はいいと言った。海外旅行にツアーで行くと,どうしても食べ過ぎるのでお腹のためにもちょうどいいと思った。

チャンドラコットハイキングに向けて車で行った。40分くらい行ったところで ,朝日の展望をするために歩いて丘に登った。現地の子ども達と中年の男性がついてきた。朝日に映えて赤くなったヒマラヤは美しかった。山や子ども達の写真を撮った。





下りの石段が露で濡れ,すべりそうになった。中年の男性がl手をとってくれた。別に手をとってくれなくても大丈夫だと思ったが,なすがままにしていた。案の定,下に着くとチップを要求してきた。手元には50ルピーしかなかったので,高いと思ったが渡した。ネパールと日本では物価が30倍くらいは違うようなので,日本円で1500円くらいか。

再び,車に乗り込み,ルムレまで行った。そこからチャンドラコットまで約1時間のハイキング。石でつくった歩道は,高低差が少なく,風景や人々の暮らしを楽しくながめながら歩いて行った。











チャンドラコットに着くとゲストハウスがあった。そこは店にもなっていた。Kさんが予備のフィルムを忘れてきたので買った。その隣に展望台があった。アロンさんの提案でチャー(ミルクティ)とゆで卵を食べてお腹の足しにした。チャンドラコットは標高1300m。左からアンナプルナサウス(7219m),ヒウンチュリ(6441m),マチャプチャレ(6993m)が見えていた。マチャプチャレは魚のしっぽという意味で鋭く尖って特徴のある形をしていた。この山は角度が急なため登山は禁止されているそうだ。







段々畑を眺めながら下っていくと,登校途中の大勢の小学生達と出会った。子ども達は皆,青いシャツに女の子は紺のスカート,男の子は紺のズボンをはいていた。しばらく行くと小学校があった。小学校のグランドから校舎の近くにいる子ども達の写真を撮っていると,あっという間に子ども達が近寄ってきた。そして私達は彼らを撮った。若い男の先生がこちらの方をにこやかに見ていた。



ルムレから車でポカラに戻り,市内観光をした。ヒンドゥバシニ寺院へ行った。ポカラまで一緒に飛行機に乗ったネパールかインド人の子ども連れの家族と出会った。彼らとは後から行く観光地でも度々会った。一家で飛行機に乗って観光できるのはお金持ちかと思われた。日本円で片道6000円位かかるからだ。その寺院では毎朝生け贄がささげられるそうで,地面にまだ新しいであろう血の跡が残っていた。洗い場には鳥の羽が散らばり,そこにも血の跡があった。

オールドバザールへ行った。ネワール族の典型的なレンガ作りの家が並んでいた。



五目並べのようなオセロのような,石を並べたゲームに男達が興じていた。

後ろを振り返るとマチャプチャレが美しかった。

セティ・ガンダキを見に行った。マヘンドラ・プルという橋から見ることができ、市街を南北に流れているセティ川の奇観。地表からは50mもの深さの峡谷となり、流れが激しいため、岩盤を削って流れている。幅が5mしかないのだが、深さは50mもある。

ニューバザールを少し歩いた。ここは地元の人たちが買い物をする繁華街で賑わっていた。スーパーを見学するために入ったところで停電。それで見学をやめて引き返した。ネパールはしょっちゅう停電になる。あとの自由時間に買い物をしているときも停電になった。色を見るために現物を外に出して見た。

ポカラ博物館はネパールの歴史と暮らしを紹介する博物館。お腹があまりにもすいていたためか,興味を持って見学できなかった。

タシリン・チベット村へ行った。1959年のチベット人迫害で,ネパールには大勢ヒマラヤを超えてやってきた。そしてネパール政府によって難民キャンプが作られた。アロンさんによると,ここのチベット人達は物を売ることで良い暮らしをしているそうだ。





近くにあるパタレ・チャンゴへ行った。滝があった。雨期になると迫力ある風景となるらしいが,乾期の1月はたいしたことなかった。
ホテルの近くで白い水が流れる川を見た。石灰岩が削られて流れてくるそうだ。

お腹がすいたのを我慢しながらの市内観光が終わり,昼食場所のホテルに戻ったら1時半だった。しかし,すぐには昼食にありつけなかった。注文をした後,2時にテーブルにつくようにと言われ,それまで部屋で休憩した。そして,テーブルについたが,料理はなかなか運ばれてこなかった。私達は屋外のテーブルに座っていた。ウエイターに,「私達は20分以上待っているがどうなっているのか」と訊くと,厨房の方に様子を見に行ってくれた。その後,すぐ料理が運ばれた。今回の料理は自分達で選んでよいということで,ラーメン,チャーハン,焼きそばにした。昨晩のネパール料理を続けて食べるのはちょっと・・・という感じがした。3人分としては量が多かったが,私はお腹がすいていたのでたくさん食べた。

隣のテーブルでもめていた。アロンさんに訊くと,子どものための料理が注文して40分経つのに運ばれてこないのでガイドが文句を言っているらしい。わりとしつこく文句を言っていて,初め,ウエイター一人に対してだったのに,次に責任者を呼び,次にウエートレス2人と計4人に向かって次から次に文句を言っていた。どうやら遅いのでウエートレスに尋ねたが,その答え方に失礼があったらしい。しばらくして,そのガイド,日本人家族,アロンさんが雑談し始めた。私達は,すでに食べ終わっていた。早くペワ湖遊覧に向けて出発したかった。運転手が来ていたので,先に車に乗り込んだ。それでもアロンさんは話し込んでいた。話し好きみたいだ。観光中もあちこちで知り合いと話をしていた。

3時頃,出発し,ペワ湖湖畔についてボートに乗った。漕ぎ手はKさんとネパール人。湖の中に浮かぶバラヒ寺院まで行った。

この旅行では日本人観光客が少ないと思っていたが,ここは日本人の密度が高かった。湖に映るヒマラヤの写真を売りに来た。実際にその場所から撮ったと言っていたが,角度から言って無理だろうと思った。でも写真が美しかったので買った。帰りはボートを漕がしてもらった。



古都という日本料理のレストランで夕食を食べた。すき焼き,塩サバ,天ぷらの各定食から選ぶように言われた。私はすき焼き定食にした。食べてみると,これがなかなか美味しい。Kさんの提案でワインを1本注文した。メニューを見ると,そのワインはフランス製で800ルピーした。他の酒とは比較にならないくらい高かった。ネパールには輸入物しかないので高いのだ。国産のビールや酒は安かった。