この日も那覇交通の定期観光バスを利用して南部を観光した。予定時刻を20分ほど遅れてバスに乗り込んだ。那覇、特に国際通りは渋滞でなかなか車がすすまない。最初の観光場所、首里城に着いたのは10時だった。守礼之門前で団体写真を撮った。門をいくつもくぐって行った。首里城を見るために入場券を買った(800円)。10:50集合なので北殿、正殿を早足で見て行った。それでも集合時間にぎりぎりだった。
園比屋武御嶽石門(そのひゃんうたきいしもん)。国王が出かける際、旅の安全を祈願した拝所。今でも敬けんな人は旅に出るとき訪れるらしい。









戦争時、首里城下に司令部があったため、アメリカ軍は攻撃を加え、首里城をめちゃくちゃに破壊した。戦後、その跡地にアメリカによって琉球大学が建てられた。その後、琉球大学が移転され、その跡地に首里城を復建しようという声が出るようになり、1992年に再建された。このときの苦労話が、昨年、NHKのプロジェクトXで紹介された。私はその番組の影響もあって今回沖縄を訪れたのだ。
旧海軍司令部濠へ行った。兵隊達が掘った濠の中にいると、その当時の若い人達がこの中で必死に日々を過ごしていた姿を想像した。場所がなくて立ったまま眠ったという。そして昭和20年6月、自決。自決の時に飛んで食い込んだ手榴弾の破片の跡が壁にあった。また、大田中尉が自決のときに詠んだ歌「大君の御はたのもとに死してこそ人と生まれし甲斐ぞありけり」も壁に残ってあった。11:30〜11:55までいた。

琉球の館へ行った。ここでは紅型染めや織物の様子を見た。でも主はお土産やさんである。12:16〜12:45までいた。

ひめゆりの塔へ行った。ひめゆりの塔というのは高さ1mくらいの石碑だった。そのそばに兵隊を看護していたひめゆり部隊らが潜んでいた壕があった。ここをどのようにして下りたり上がったりしたのだろうかと思うほど深い穴だった。そして名前を記した碑。私はこれをひめゆりの塔というのだと思っていたが違っていた。その前にあるレストランで昼食を食べた。昼食後は自由に過ごせるということで、私はできるだけ早く食べて、ひめゆり平和祈念資料館へ行った。そこを訪れるのは自由だった。300円を払い、見たあとは、公式ガイドブック(1000円)を買った。この本は以前、同僚の先生が買ったものを借りて読んだことはあったのだが、自分でも平和教育に使うために持っておきたいと思っていた。外に満開のデイゴの木があったので写真を撮った。曇り空が残念だ。13:06〜14:10までいた。





琉球ガラス村へ行った。工場を見学した。職人さん達はキビキビ働いていた。集中していないと怪我につながるだろうから真剣な表情だった。その後、泡樽グラスの赤と青を一個ずつ買った。色を出すのが難しいのか、色々な色の中で赤の値段だけが少々高かった。14:16〜14:45までいた。
平和祈念堂へ行った。ここは大きな仏像と何枚もの絵。前に広場、向こうに摩文仁の丘が見えた。激戦があったところだ。14:55〜15:15までいた。
玉泉洞王国村へ行った。秋芳洞レベルの鍾乳洞とハブ、マングースを見た。ハブ粉を手のひらに少しくれて舐めた。精力がつくということだが、苦かった。ハブとマングースの決闘は今はやらないということで期待はずれだった。人肌にあたためた湯を入れた風船をハブに近づけると即座にかみつく様子を見せてくれた他は説明のみだった。鍾乳洞の中は広くて帰り道を歩くのに疲れた。15:30〜16:30までいた。

今、沖縄の家は鉄筋コンクリート製が多くなっている。そして、門柱の上にシーサーを飾っていたりする。沖縄には高い山がなく、最高でも498mである。当然、材木も少ない。昔ながらの赤瓦に木と土で作る家はコストが高くなる。豊富な石灰岩を材料とするコンクリート製ならずっと安くできるそうだ。石灰岩はサンゴなどの遺骸からできて、沖縄はサンゴが豊富である。石灰岩ならあと200年は採れるそうだ。それに、鉄筋コンクリートの家は風にも強い。しかし、南部の田舎の方へ行くと屋根にシーサーを載せた赤瓦の家を多く目にすることができ、沖縄の風情を感じることができた。
ツアー最後のショッピングセンターは行かなくてもよくて、途中のバスターミナルで降ろしてもらえた。こういうのは融通が効いてよい。外国ならこういうわけにはいかない。
歩いてホテルまで戻った。お風呂に入って休息したあと、夕飯を食べに出た。
ガイドブックに載っていた「ゆうなんぎぃ」という店に行った。入ると前に4人並んで待っていたが、私が1人だと言うと空いていたカウンターにとおされた。そしてガイドブックおすすめのA定食を注文した。この内容を記しておく。
ラフテー(3枚豚のみそ煮込み)・・・沖縄で一番気にいったもの、麩チャンプルー(麩入り野菜炒め)・・・美味しい、ミミガー(豚耳スライスの三杯酢あえ)・・・クラゲみたいでコリコリして美味しい、グルクン(県魚)の唐揚げ・・・淡泊で柔らかすぎてイマイチ、ジーマミ(落花生)豆腐・・・とても美味しい、カラス(塩漬けアイゴ稚魚)豆腐・・・市場で食べたものほど辛くなかった、クーブイリチー(昆布の三杯酢あえ)・・・まあまあ、イナムルチ(豚汁)・・・コンニャク、かまぼこが入ってとても美味しい、しんこ、ごはん。
私の隣の若い女性も1人で来ているようだった。1人かと話しかけられた。どこから来たとか、どこへ行ったとか、これからの予定とかを話した。彼女は泡盛をとっくりで飲んでいた。何度か訊いたら、一番薄い20何度かを注文したが、それでもきついと言った。私の方が先に食べ終わってその店を出た。
ホテルに戻ってテレビをつけたら金八先生の最終回で卒業式シーンをやっていたので久しぶりに見た。教師をやっていると、かえってこの手の番組は避けてしまうのだが、生徒が本当に泣いているようだったので見てしまった。
9時10分頃、ライブハウス「もーあしびチャクラ」の前へ行った。そこに立っていた店の人に喜納昌吉さんのライブは何時かと訊くと、9時20分からだと言ったのですぐに店に入った。店内は既に満員に近い状態だったが、運よく正面に空いていた席に通してくれた。
ライブでは一部の人が立って踊っていた。私の周りの人も踊っていたので前が見えなくなり、私も立って踊った。どんな踊りかというと、リズムにのって沖縄風に両手をパッパとするものである。途中、喜納昌吉は政治の話をして「辻元清美ははめられた」とか言っていた。多分、いつもこの手の話をしているのだと思う。コーラスの女性2人は若くなかったがパワーを感じさせた。「花」の歌はやっぱりよかったが、歌いながら「さんしん」の弦を調節するのにはがっかりした。音があっていないようだった。そしてライブ終わりの頃になってキーボードと音合わせをしていた。ライブが始まるまでにしておいてほしかった。
ライブが終わってCD販売、サイン会、写真会をするというのでその列に並んだ。CD(3000円)を買うとそれにサインをしてくれるようだった。私もせっかくだからと買ってサインしてもらった。その後、写真を一緒に撮りたい人は残って撮っていた。当然、私も一緒に撮ってもらった。ライブの料金はチャージが3000円と泡盛(ダブル)が1500円、それに消費税がついていた。

埼玉から来た若者。観光客のイメージに合った言葉を書いていた。その言葉は若いにもかかわらず味があった。

