沖縄修学旅行
 3月11日の東日本大震災に影響で、急遽、行き先を沖縄に変更したが、下見もさせてもらい、自分では満足のいく計画ができたと思った。ただ、沖縄は梅雨なので、天気ばかり毎日気にしていた。天気予報では曇または時々雨となっていた。初日の壕体験の日が曇りになっていたので、それだけは安心していた。

2011年5月18日(水)
 午前7時前、ぎりぎりに一人が来て全員そろった。体調も全員よさそうだった。出発式後、貸し切りバスにて関西空港まで向かった。途中、紀ノ川ドライブインで休憩した後、8時40分頃、関空に到着した。添乗員の中谷さんはそこで待ってくれていた。JALのチケットカウンター前に行き、チケットを名前の順に渡し、大きい荷物を預けた。その後、別の場所で整列し、中谷さんに挨拶をした。
 そして、いよいよ検査場である。生徒達は緊張の面持ちだった。皆、ペットボトルは中で買うつもりのようであった。全員、金属探知機にひっかかることもなく、また荷物の中身を指摘されることもなく、無事にそこを通過した。
 順調よくいったので搭乗口ロビーに着くと、他に客はなかった。近くにある店で飲み物やパンを買うと、することもないのでそのままソファに座っていた。しばらくすると、3中学校の生徒達がやってきた。近くのY中学校、大阪のT中学校、それとどこかの小規模校であった。Y中だけが私服だった。うちの学校は最後に乗り込んだ。
 飛行機は予定通り10時20分頃飛び立ち、シートベルトサインが消えると、持ち込んだ昼食を食べた。Y中の先生が隣に座っていたので、お話ししながら食べた。Y中は生徒も教師も同じ弁当を食べていた。うちの学校は生徒の希望を聞き、生徒は自分で用意し、教師の分は手配していた。機内サービスの無料の飲み物は、茶(H、C)、ジュース(2種類)、ホットコーヒーがあり、私はコーヒーを注文した。下見は全日空で行ったが、そのときの無料サービスは茶とアップルジュースだけだったので、小さな感動を覚えた。予定通り、12時半頃、那覇空港に着陸した。荷物のピックアップに行ったが、ターンテーブルの回転方向は普通よくある左回転ではなく、右回転だった。待っていると、Y中は、そこを素通りして行った。彼らは、荷物をホテルに直送したみたいだ。
 クラシンジョウ壕に着くと、ガイドの仲本さんに出迎えられた。仲本さんは、昭和6年生まれといっていたから、御年80歳である。終戦時は、ちょうど14歳、中学生であった。全員で壕の中に懐中電灯を手に入って行った。ここの壕は、元々鍾乳洞で、奥の方は兵隊さん達が掘り進んだ所もある。中は真っ暗で、前日まで降った雨のためか、所々に水たまりがあった。また、話を聞いている間も、水がぽたぽた落ちてきた。兵隊さんが掘った所は四角い部屋になっていて、1.3m位の高さの所を深く掘って、ロウソクや通信機を置く棚にしていた。
 平和祈念資料館やひめゆり平和祈念資料館内では、大阪の中学生達は、各校で作成した冊子に皆熱心に記入していた。どんなことを書いているのか覗いて見ると、設問形式になっていて、資料館の展示物を探せば答えがわかるという問題を載せていた。怠ける生徒はほとんどなく、熱心に学習していた。うちの生徒達にはこういう課題を与えていなかったので、さっさと外の売店の方へ行ってしまったようだった。今後の課題である。
 ホテルに早く着くと管理が大変だという校長先生のアドバイスで、買い物目当てにガラス村を30分だけ入れておいた。そこで、吹きガラスの実演を見た後、生徒たちは、またもや買い物三昧。10%割引のチケットを入口でもらっていたということもあるのか、今日だけで、買い物はすべて終えてしまえるのではないかと言うくらいの勢いだった。10%引きといっても、元の定価が高いのかもしれないし、最後の国際通りの方が安いんじゃないかと私は思っていた。
 糸満市にあるサザンビーチホテルには予定通り6時頃到着。このホテルは昨年オープンしたばかり。周辺は埋め立ての港があるくらいで他に何もない。遠くから見ると、ホテルだけがそびえていた。
 6時半から夕食。6人ずつの円卓、卓盛り。私なら沖縄料理の方がよかったのだが、初日から生徒にたくさん食べさせるにはやっぱり「人気の和洋コース」ということにしておいた。案の定、普段小食の女子達もたくさん食べていた。早く食べ終わった生徒達は売店へ行くかなと思っていたが、ほとんどの生徒達は部屋に戻って遊んでいた。
 8時から平和講話。予想していた「ひめゆり」の生き残りの人ではなく、終戦当時8歳くらいの男性だった。この方の話は、後から調べた沖縄戦の話で、アメリカ軍はどこから攻めてきてとかいう話だった。生徒達は、予想以上にしっかり聞き、メモをとっていた。9時に講話は終わった。
 その後、10時まで売店で買い物OKとした。10時半には隣室移動をやめさせ、11時消灯としていたが、当然、なかなか寝ない。廊下で打ち合わせの後、12時に再び、見回ったが、ほとんど寝ていない。1時半まで廊下にいたが、こちらも体力温存ということで、風呂に入り、寝た。私は熟睡したが、翌朝、校長先生から3時頃、男子生徒が隣室へ行き来していて注意をして下さったということだった。昼間使った懐中電灯を使って隣室と連絡をとったみたいだ。約3名、ほとんど寝ていないのではないだろうか。


5月19日(木)
 朝は6時半モーニングコールだが、私は6時起床に電話で設定しておいた。昨晩あれだけ食べていたのに、生徒達の食欲はすごかった。全員健康だ。
 8時、バスに乗り込み、美ら海水族館に向かった。天気は、雨は降っていないが、曇っていたので思ったような色の海は拝めなかった。それでもたまにきれいなエメラルドグリーンが見えたこともあった。高速道路を下りる直前に1回トイレ休憩を入れ、水族館には10時頃到着。黒潮の海のジンベエザメを撮影した後、買い物、男子達はマナティ館、女子はイルカショーへ行った。男子は寝不足で疲れていたのか、マナティ館で椅子へ座ったまま動かなかった。館内で11時50分まで過ごし、記念撮影をして全員でバスまで移動した。
 昼食は、名護のフルーツランド。食後、売店でY中といっしょになった。Y中は午前中、はな咲き村で体験学習、午後水族館だ。1時半頃、そこを後にして、再び、高速道路で石川ICまで行き、琉球村へ行った。まず、9人ずつに分かれてサンシン体験。30分でキラキラ星などを演奏できるまでしてくれた。顔を白塗りにした先生は、道ジュネーのとき、道化師をしていた人でトークがとても面白かった。こちらは、爽健美茶のCM曲、踊るポンポコリンなど何曲も披露してくれた。その後、全員で紅型体験。絵の具を塗り込むだけなので簡単。アイロンかけ、糊落としなどの仕上げは持ち帰ってする。生徒達はまじめにやってくれたので有り難かった。
 早くできた者から村内見学。ハブを見に行き、道ジュネー(沖縄風パレード)を30分ほど見た。一緒に輪になって踊ったのは面白かった。
 万座毛では、夕方ではあったが、予想以上に観光客が居た。そこで、少人数ずつ分けて記念写真を撮った。象の鼻の格好をした岩の真下はかなり深いのか、海の色が青緑になっていた。そこを後にする頃、雨が降ってきた。しかし、今日の観光はこれで終わり。ちょうど間に合ってよかった。
 リザンシーパークホテルに予定通り6時頃着いた。7時まで1時間の自由時間。ビーチへ出ても良いとしていたので、皆出て来ると思っていた巡視係の私は外で待つが、一向に誰も出て来ないので仕方なく室内プールの方へ見に行った。校長先生とK先生、生徒2名が泳いでいた。その後、売店の方を見に行っても誰もいなかった。6階フロアへ行くと、生徒達は部屋でくつろいでいた。それで、ビーチへ行かないのかと誘うと、7名の男子が行くと言って出てきた。一緒に行って写真など撮っていると、女子3名も出てきて写真を撮っていた。結局、残り6名は7時までずっと部屋だったみたいだ。風呂に入ったりしていたらしい。
 7時、ロビーに集合し、食事クーポン券を手にして、女子はイタリアン、男子は和食バイキングに分かれた。予想通り、外の焼き肉へは誰も行かなかった。私も養護の先生と一緒に女子生徒6名の後についていった。室内プールが見える席に通された。4人ずつに分かれて座った。前菜はマカロニとピッツア。コーンスープ。メインディッシュは私は白身魚、他の人はステーキを選んだ。他にハンバーグがあった。サラダが少し添えられていた。
ティラミス、コーヒーなどの飲み物で終わり。女子生徒達はとても美味しいと喜んでいた。後で聞くと、和食バイキングもしゃぶしゃぶに刺身天ぷら、ゴーヤチャンプル、デザートなど大変豪華で中学生男子達はお腹が痛くなるくらいに何度もおかわりをしたらしい。
 食後は、ゲームセンターで遊ぶ生徒が多かった。特にUFOキャッチャーが人気で、上手い子は、たくさんの戦利品を手にしていた。女子は沖縄限定プリクラを撮っていた。女子3人は宅配でお土産を送っていた。
 この日は、売店は9時半までとした。10時半には自室にいること、11時消灯は昨日通り。さすがに2日目となると疲れていたのか、12時に見回った時は、全員静かに寝てくれたようだった。



5月20日(金)
 3日目、最後の日だ。2日目と同様、6時半起床、7時朝食、8時出発。全員元気が何よりだ。8時半から、道のえき「かでな」屋上でで嘉手納基地を展望する。ちょうど曜日と時間がよかったのか、次から次にF15イーグル戦闘機が2機ずつ出てきては飛び立つ。その爆音とスピードはすごかった。20機くらい見ただろうか。途中、輸送機エアーフォース1機が飛び立ったが、大きく重いためか、ゆっくり滑走路を走り、離陸した場所はずっと先の方で見えなかった。
 首里城に着き、バスから降りるととても暑く、汗が噴き出てきた。昨日までは涼しかった。これが本来の沖縄なのかもしれない。守礼門前は業者が撮影をしているので、記念写真は撮らなかった・生徒達も暑さでうんざりしていた。首里城正殿前で全員で記念撮影をして、正殿の中に入った。ここは、太平洋戦争時、地下に司令部が置かれ、首里城は爆撃を受け、消失した。10年ちょっと前くらいに再建されたもので、まだ新しい。歴代の王様の肖像画、玉座、レプリカの王冠、17世紀と18世紀の金印(レプリカ)があった。中は修学旅行生が大勢いて、特に出口付近が窮屈だった。
 最後の観光地、国際通りに向かった。バスは国際通りを東から進み、自由行動範囲の沖縄三越を確認した後、西端にある県庁前で降りた。11時半から1時半まで班行動。食事場所も調べて決めている。ただし、皆、私も含めてまだお腹はすいていない。様子を見ていると、まず買い物に向かっているようだった。ただ、男子の1班は校長先生に言われて宮古そばの「どらえもん」に先に入ったのが見えた。女子はTシャツに気にいったデザインを入れてもらうなど買い物をした後、チャーリー多幸寿でタコスやタコライスを食べた。私は、そこへついて行った。ナイナイの岡村達のサインがあった。タコスは挽肉やキャベツがポロポロとこぼれた。あとの男子班はインド人が料理をしている本格インドカレー店のア・ダニーに飲み物サービスするよと呼び込まれ、予定していた焼き肉バイキング店「バンボシュ」へは行かなかったらしい。
 全員最後まで予定通り集合し、那覇空港に向かった。行きと違って帰りは、何人かペットボトルを機内に持ち込み、検査を受けた。何の問題もなく飛び、無事に関空に着いたときは後方の亀山中学校から拍手がわき起こった。添乗員さんとは関空で別れ、出迎えのバスに乗り、学校には予定通り7時前に着いた。ちょっとしたことはあったが、天候に恵まれ、生徒達の体調もよく、多方面の体験ができたとても良い修学旅行だったと思う。