旅立つまで

ずっとずっと前から行きたいと思っていた。私の本棚には1989年版の南米ガイドブックがある。11年前、行く予定もないのにガイドブックだけ買って読んでいた。こんなことをしたのはこの時だけ。11年前はとてもじゃないけど現実に行けるなんて思っていなかった。昔、テレビで「世界七不思議」というような題名の番組を毎週見ていた。その中でも特にペルーのナスカの地上絵の話が面白かった。インディヘナの服装、ケーナの音色、チチカカ湖で葦の浮島で暮らす人々・・・見てみたい、聴いてみたい・・・。旅をよくするようになっても、「いつかはペルー」と、決めていた。では、なぜもっと早く行かなかったのか?それは、高山病になったらどうしよう、旅費が高い、日本大使館占拠事件など治安が心配だったから。しかし、新聞広告などで大手の旅行会社がペルーのツアーを出しているのをよく見るようになった。大手が出すということは治安も落ち着いているということなのだろうと勝手に判断した。大統領選挙という心配もあったが、なんとかなるだろうと楽観。遠い高地のハードな旅、体力がある若いうちに行っておきたい、じゃあ今行くべきじゃないか!というわけで知人に声をかけたら一緒に行ってくれるという。と言ってもツアー(日本旅行ベストツアー)。南米を個人旅行するほどタフではないし、時間的制約もある身である。ツアー料金は、9日間、全食事つき、めぼしい観光が全部ついて468、000円だった。一人部屋となると6万円追加になった。これでも他と比べて安いツアーだった。ABロード、パンフレット、インターネット、自分なりにできる範囲の情報を集めて自分にとって最良のツアーを選んだつもりだ。

2000年8月4日

午後3時、関空に集合。添乗員さんとツアー参加者19名、顔を合わせた。何と、男性は1名、それに70才は越していると思われる上品な女性1名も居た。その女性は足下がサンダルだった。大丈夫かな。ギャザースカートにサンダルという若い女性も居た。唯一の男性は夫婦ものだったから、まだ、ましか。もし自分が男性ばっかりのツアーに参加していたら嫌だと思うだろうな。
いつものように免税店で父の為に煙草フィリップモリス1を買った。これは海外の空港では見たことがないので関空で買うことにしている。5時に予定通りアメリカン航空機は飛び立ち、約13時間後、ダラス・フットワース空港に着いた。乗り換えをして今度は約7時間乗り、リマに着いたのは深夜だった。

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