2000年8月5日   リマ    

朝、8時半頃目を覚ました。冬のリマは曇天が続くときいていたが、窓から見るとやはり曇っていた。道路が濡れているようだが雨が降っている気配はない。リマで計3泊したがどの日も同じような曇天だった。ホテルの前を少しぶらつく。土曜のためか、人々の様子もゆったりした感じで、広場の噴水のそばに置かれた大きなスピーカーから大音量の音楽が流れていた。警察官が二人そのそばにいた。

ホテルに戻り、しばらく休息した後、観光に出た。


大統領府









サンフランシスコ教会




背中の楽譜に注目




聖人のお祭り




聖人のお祭り

12時過ぎにアルマス広場に着いた。北側にある大統領府前では、衛兵交代式が行われていた。ロンドンのように楽隊が行進していたが服装は黒スーツでいたって地味。ここにはフジモリ大統領と娘さんが住んでいるとのこと。すると、奥さんはいないのか・・・何年か前に、夫妻の仲がよくないと報道されていたっけ。広場の北東側にはインカを制圧したフランシスコ・ピサロの像が建っていた。広場の東側にはカテドラル(キリスト教会)が建っていた。ピサロが自ら礎石を置いた、ペルーで最も古いカテドラルである。アルマス広場はペルーのどの都市の中心にも見られるらしい。

駅を見て、サンフランシスコ教会へ。最初の神父さん達の墓があるそうだ。ちょうど聖人の祭りが行われていた。モトゥペ(十字架)の祭りというらしい。楽隊だが、前の人の背中に楽譜を張り付けて演奏していた。ちょっと面白い風景。

この日は土曜日でサッカーの試合があるそうだ。サッカーは人気があり、乱闘に備えてサッカー場の周辺には機動隊やシェパードが待機していた。さすが南米だ。ラテンの血がそうさせるのか。

家は日干しレンガでスペイン風に作られている。もし、阪神大震災並の地震に見舞われたらリマの町は2%しか残らないという。後で行ったどの町でもそうだったが、塀には隙間なく落書きがあった。選挙のことを書いているらしい。FUJIMORI2000と赤い字で書かれていた。2000に×をしているものも。魚のマークもあった。候補者のトレードマークらしい。

リマというのはインカの言葉で「おしゃべり川」という意味だそうだ。スペイン人がちゃんと発言できずに呼んだことからきているらしい。そのリマ川のそばを通ったら洗濯をしている人が多かった。車が通る都会のど真ん中でも、ここではまだのどかに洗濯している。

高級住宅街のミラフローレスへ。昼食は海の中のレストランで。ホタテ貝にチーズをかけて焼いた料理が美味。ピスコサワーというカクテルを飲む。卵の白味と砂糖、リキュールでつくったもので口当たりはとてもよい。アルコール度は40〜45とかなり濃いめ。白ワインも出て私は飲み干したので頭がクラクラした。タラのような白身魚のムニエルも美味だった。海でサーフィンしている人が10人くらいいた。みな上手だった。沖合からでもスーイスイ。空には3機のパラグライダー。ペルーにもやはりお金持ちはいるのだ。当然だけど。「恋人達の公園」にはキスをする男女の大きな像があった。さすが南米、大胆なこと。その周りでキスをする若者達。目のやり場に困る。

黄金博物館。1階は武器博物館。各国の大統領などトップの服や持ち物などを展示していた。キューバ、カストロのピストルなんてのもあった。地下が黄金博物館になっている。装飾品や宝石類などを展示している。おおらかに性を模した土器が面白かった。この前見たポンペイ遺跡展でもこんなものがあった。どこの国でも時代が変わっても人々の興味は変わらないということか。

街を行く車は日本製が多い。特にトヨタカローラが多い。日産、ホンダ・・・。日本の会社名をボディに書いた車もある。黄色い小型タクシーは韓国製のハッチバック。日本の中古車はかなり使われているみたいで、後日ナスカで乗ったミニバスには「次でお降りの方はベルを押してください」があった。ナンバープレートにはPEという表示がある。ということは全国共通か。

夕食はシェラトンホテルで。グリーンスープ、牛肉玉ネギポテトの炒め物、インディカ米のパサパサしたライス、フルーツカクテル、パン、コーヒー。出された料理をすべて食べたのはこの時までだった。

ガイドブックや旅行会社のパンフレットにはペルーは220Vとあったが、リマ、クスコ、プーノ、泊まったホテルはどこでも110V、220Vどちらでもいけるようにコンセントが設置されていた。プラグも日本のものでOK。私はダメ元で充電装置を持ってきていたが、デジカメの充電を日本と同じように毎日でき、余裕でデジカメを使えた。ツアーではあと3人デジカメを持っているようだったが、充電できるなんて思っていなかったらしく悔しがっていた。

リマでは5つ星のシェラトン・リマ&カジノに泊まった。このホテルの前には広場を挟んで裁判所があり、旅行直前の2000年7月28日にこの広場で反フジモリ派のデモがあり6名が亡くなった。ペルーには以前から2期までしか大統領をできない法律があったのに、フジモリ氏が法律を変えて大統領を続けられるようにしたということに抗議したらしい。対抗馬の人物は、その間、このホテルにずっと滞在して外の様子を見ていたらしい。私達のツアーは日本旅行では第2ランクのベストツアーなのに、泊まったホテルは五つ星。第1ランクのマッハは出していないようであるから、実質その旅行会社では第1ランク扱いなのだろう。

ホテルにはカジノがあった。ラスベガスでスロットは経験済みだった。同行の○子さんはカジノはしたことがなくて、ぜひやりたいということで早速やった。入り口の所でカメラや携帯電話は提出させられるみたいだった。それぞれ20$を25¢硬貨に換えてそれを元手に興じた。私は少しじゃらじゃら出たところでやめた。○子さんも出た所で、私の勧めで終わった。お金に換えてもらったら私が5$、○子さんは16$増えていた。○子さんはとても面白かったらしく、また最終日のリマでもやろうと上機嫌だった。

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