000年8月7日     マチュピチュとクスコの夜


ピコアガホテルの前


高山列車アウトバコン


オリャンタイタンボ駅で


ワイナピチュ(若い峰)を背景にした
マチュピチュ遺跡


遺跡の頂上にある見張り小屋


葬儀の石とリャマ


日時計・ワイナピチュの方向が北


東西南北を示す十字が刻まれている


向こうに見えるのは農地管理人の小屋


インカが引いた水路には今も水が


フォルクローレに合わせて踊る4人


夜店の祖母と孫娘


平等が一番の女の子達

あまり眠れなかった。コカ茶の利尿作用のせいか、何度も目が覚め、トイレに行った。5時過ぎに、目が覚めたとき、軽い頭痛がした。やばい!と思ったが身支度をしているうちに頭痛は消えていた。マチュピチュへ行く日だ。列車は7時出発ということで、6時半にはホテルを出た。高山列車アウトバコンはクスコから3時間半かけてマチュピチュの麓の駅アグアスカリエンタスまで。

ユーカリの木が多かった。ユーカリは高度や霜に強く、ペルーの人たちはこの木を乾燥させて風邪薬としたり燃料に利用しているという。
クスコでは高い所に住んでいるほど貧しいのだという。家の様子からもわかった。屋根の上には高さ20cmくらいの牛の置物が2体置かれていた。守り神だという。

ペルーの土は赤っぽかった。レンガの色と同じ。瓦も同じ色。土から作るのだから当然といえるが。クスコの町並みは赤茶色で色が統一されきれいだった。

牛や、黒豚、ロバなどがのんびりと草をはんでいる。アンタとよばれる平らな土地が広がっている。80%がジャガイモ畑になるそうだが今は休耕中。ごくたまにネギが植えられていた。農家の女性達が居た。民族衣装にあの独特の帽子。朝早く、日もそう高くないのに帽子。クスコでも大勢このかっこうの女性達を見たが、女性達は普段家でもこういうかっこうをしているということだろうか。

★高山列車
クスコからマチュピチュへはディーゼルカーが牽引する列車アウトバコンで3時間半かけて行った。朝7時発の列車に乗り、帰りは3時過ぎに列車に乗った。列車は1日1本らしく朝と同じ乗務員が世話をしてくれた。帰りは4時間かかった。クスコからはいったん山を登って行く。この時、スイッチバック方式をとる。つまり山の片面を左右に行き来しながら徐々に登って行くのである。そして、下って行った。マチュピチュの麓はクスコよりずっと低く標高2000mなのだ。列車では私達はAクラスの車両だった。食堂車のようにテーブルが置かれ、飲み物、パン、サンドイッチ、フルーツが食べられた。しかし、朝食後すぐ乗り込んだので、「no,thank you」ばかりだった。もったいない。ただし、コカ茶だけはいただいた。高山病に備えて。列車はアマゾン川源流のウルバンバ川に沿って進んだ。ウルバンバ川添いは聖なる谷と呼ばれている。黄色い花をつけたエニシダをよく見た。たまにアロエ、大きなサボテンも野生で生えていた。途中、オリャンタイタンボ遺跡近郊の駅に停まり、白人バックパッカー達が乗り込んで来た。インディヘナ達が土産物を持って売り込みに来た。ツアーの一人が買い物中、品物を受け取らずに10$を渡しおつりをもらおうとしていた。その時列車が動きだした。彼女はびっくりして大声で10$を返すように言ったら、インディヘナは正直にお金を返した。ずるく考えたらそのまま猫ばばできたのに。ちょっと感心した。

麓の駅から上を見上げた。急斜面の山が四方を囲んでいた。マチュピチュは見えない。その後ミニバスで400m程登りマチュピチュへ。
下からは全く見えなかったマチュピチュ。少し見え始めた時が一番感動した。冬なのに暑くて、長袖シャツ1枚になる。半袖の人も居る。昨日買った毛糸の帽子で日よけ。ちょっとチグハグかな。重い荷物のある人はバスを降りた所で1$出せば預かってくれる。そこから坂道を上り、先に頂上へ。なかなかハードで、70才の女性はとてもしんどそうだった。それでも自分のペースで全員上に着くことができた。そこからおなじみのワイナピチュを背景にしたマチュピチュの写真を撮る。マチュピチュはスペイン人に追われたインカの人達が隠れ住んだ。100人のエリートと300人の労働者が住んでいたらしい。こんな山の上でも水が引かれていて今も水路には水が流れていた。マチュピチュは冬の時期も緑の草が生えていた。日当たりがいいように見えたが、コケ、シダ植物が多かった。ワイナピチュは急斜面だが、急な細い道を登っている人が見えた。一歩でも踏み外したら下へ真っ逆様に落ちそうだ。私には無理だろう。約2時間の遺跡めぐりを終え、ミニバスで麓へ下りた頃、雨が降り始めた。冬は雨が少ないということだったが、降ることもあるらしい。観光を終えた後でよかった。また同じ道をたどってクスコに戻った。

★グッバイボーイ
マチュピチュからバスに乗って九十九折りの道を麓の駅まで行った。途中、民族衣装を着た小学校高学年くらいの男の子が所々で「サヨナラー」とか「グッバーイー」とか言う。大勢の男の子があいさつの為に待ってくれているのだと思っていた。顔も声もよく似ているなあと思っていた。下の方に来て、ようやく同じ子どもだということに気がついた。大体ケチュア族の子どもはよく似た顔をしているので、同じ子だとは思わなかったのだ。それにバスより早く来て待っているなんて思えなかった。男の子があいさつをした後、山の中を下っていると気がついてから、もしや同じ子?と思って顔をよく見た。下の方に着いたら男の子はバスに乗ってきてチップをもらいに回ってきた。私は感動していた。バスより早く駆け下りる少年達。何て野性的なんだろうって。こういう時、日本の子どもとすぐ比べてしまう。ガイドの話によると、声が変わるとグッバイボーイは卒業しなければならないし、彼らはきちんと学校にも行っており、成績がよくないとさせてもらえないということだった。みんながなりたいものらしい。

クスコへ戻るとすぐにフォルクローレを聞きにアルマス広場のレストラン「El Turco」に行った。やはり本場のフォルクローレ。充分楽しめた。2グループが出演したが私は彼らのCDを買い、CDにサインしてもらった。この旅では楽器のケーナ、サンポーニャを買った。今すぐには練習する余裕はないが老後の楽しみにとっておこうかな。

クスコは街灯が多く、その色は黄色で、夜景はとてもしっくりと綺麗だった。山の上の方まで家があるので、長崎のようだなと思えた。ここを百万ドルの夜景といっても過言はないと思う。

★平等が一番
クスコの夜、アルマス広場の周辺では露店が11時頃まで開かれている。私はこういうのが大好きだ。可愛い女の子が居る店で手袋を買い、写真を撮らせてもらった。女の子は珍しく日本人と同じような顔をしていた。日系人だろうか。珍しい。はにかんだ笑顔が可愛い。ぶらぶらしていると、籠に陶器を入れた女の子二人連れにつかまってしまった。その様子を見ていた現地人のおじさんがハポン・・と言った。どうやら日本人だから高く買ってくれる、がんばれと言ってるらしい。私はおじさんに聞こえるようにハポンと言いながら親指を下向けてやった。おじさんや周りの人達はくすっと笑っていた。その後、歩いていても女の子達はついてきて買えという。私は安い物だし根負けして買うことにした。一つ買おうとすると、もう一人の女の子が自分からも買えという。一つ2ソル。私は財布を見たら小銭で3.3ソル分しかなかった。これを1.6ソルと1.7ソルに分けた。1.65ソルには分けられなかった。それで一人の手に1.7ソル渡そうとすると、もう一人の子がダメだと言う。私は小学校1年生向けの民話で10個のもちを3つに分けるのに3個ずつ分けて残り1個を関係のない者にあげたという話を思い出し、後ろ向いて1.5ソルずつを両手にのせた。それらを女の子達に見せたら二人とも納得して受け取った。結局、彼女らは最初より損をしてるのに、にこやかな顔で受け取ったのには可笑しかった。子ども達にとっては平等が一番なのだ。日本の民話と同じ事がここでも現実に通用するということが面白かった。

この夜は頭痛もせず眠れた。だんだん体が慣れてきたのだろうか。

次の日へ