2000年8月8日  バスでアンデス高原を行き、チチカカ湖へ


タンボマチャイ


アルパカが放牧されていた


生えているのはイチュ


温泉


ラ・アイア峠(4335m)で
物売りの女性とアンデスの山並み


ペンシルをねだられました


チチカカ湖


トトラ(葦)でつくった島、ウロス島
こういうのが点在している


17歳くらいの美少女でした





上の少女の多分妹。タペストリを買いました


こんな家に住んでます


ウロス島の学校


お手手つないでも歌ってくれました


葦船

6時45分バスに乗り込む。ちょうど登校中の子ども達を大勢見た。山の上の方からはスクールバスが出ているみたいだ。学校は地域によりスペイン語かケチュア語で授業が行われているらしい。山の村ではケチュア語。95%の子どもは学校へ行っている。幼稚園に1年間行き、小学校5年、中学校5年、計11年が義務教育。17才で卒業する。学校によってカーディガンの色が違っていた。同じ地域でも色々な色があるので不思議に思ったら、私立学校らしい。ネクタイの学校もある。インドもカーディガンを制服にしていたっけ。

3日目に行けなかったケンコー遺跡とタンボマチャイ遺跡へまず行く。タンボマチャイはインカ時代の沐浴場だったようだが、今も水は流れ出している。水は透明できれいそうだった。手をつけると冷たかった。

シクアニというアルパカ織物の産地を通った。「マランガニ」という工場があったがとても有名らしい。このあたりはジャガイモ、空豆がよく作られるそうだが今はほとんど休耕中。冬はネギ、レタス程度だそうだ。

その後、延々とアンデス高原をバスは行った。徐々に高度を上げて行き、作物ができない高度になった。広々とした高地に生えているのはイチュという丈がせいぜい1mの草のみ。これは黄色い葉の細い草で3000m以上の高地にしか生えず、今も田舎のこの地方では家の屋根に使われている。マチュピチュでも使われていたそうだ。山にもこの草しか生えていない。湯気を上げる露天風呂が見えた。温泉が出るらしい。両足が悪いインディヘナの女性を家族らしい人が支えて入って行くのを見た。療養だろう。日本とは違って水着を着るようだ。

標高4335mのラ・ライア峠で停まった。この旅行では最高地点。天気がよく、暑くもなく寒くもない。気持ちがよい。そう、私はこの時はまだ気持ちよかった。インディヘナが10人くらい敷物の上に品物を並べていた。セーターを手にとると、女物だという。念のため体に当ててみたら大きすぎる。男物だ。それでまた女物がほしいというと、また男物。しつこく言うと子供物を出してきた。「ええかげんにしてよ」と思っていたら1枚女物があったらしく出してきた。柄も落ち着いていたので母親にいいなと買った。8$。サンポーニャも買った。説明書つき。老後の楽しみとしよう。遠くに雪を抱いた6420mのクヌラナ山が見えた。こんな高地でこんな景色、2度と見えないかもしれない。

また道はゆるやかに下り始めた。ある町でトイレ休憩。子ども達が「ペンシル、ペンシル」と言いながら寄ってくる。ほしいらしい。インドでもそうだった・・・。あいにく余分なものを持っていない。インドで韓国から来たお坊さんが着物の襟の所に何本もペンを差しているのを見た。あれを見て今度ネパールなどに来ることがあるとすれば、必ず私も上げられるように用意しよう、と思っていたのに。こんな所でねだられるとは予想していなかった。ツアーの人で上げた人がいた。ただし、一本だけしかなかったので子ども達にジャンケンさせていた。今度こそ忘れないようにしようっと。

3時頃プーノに着いた。商業船が行き交う湖としては地球上で一番高地にあるチチカカ湖3812m。富士山より高い。湖畔に建つ白亜のホテル。荷物を置いてすぐにチチカカ湖遊覧に出た。

湖の中に生えているトトラという葦を刈り取る人たちがいた。この葦は根元の太い部分の皮をはいで食べると甘いらしい。トトラでできた浮島、ウロス島に降りた。飛び跳ねてみた。意外としっかりしているみたい。沈み込むということはない。移動しないように島の真ん中に一本棒を立て、湖底に固定している。棒の所をのぞくと底に水が見えた。厚さは1mくらいだろうか。下から腐ってくるので上へ上へと継ぎ足すそうだ。島は大体5家族くらいが住むようになっている。そんな浮島があちこちにある。200年前にはすでにこんな生活をしていたということだが、何のために、こんな様式をとったのだろうか。チチカカ湖は日が陰ると、急に寒くなった。それでも、陸地よりは葦の上の方が温度差が少ないのだろう。人々は裸足であった。フジモリ氏はソーラーバッテリーを屋根に取り付けさせ、人々はTVまで見ているという。彼らは葦で舟を作り、昔から魚をとって暮らしていたが、観光地化されると、観光客向けに手芸品を売り始めた。昔の生活とは大分違ってきているようだ。島には土産物を売る女性たちがいて、また「お姉さん、買ってください」が始まった。可愛い顔をした17才くらいの女の子とその妹らしい5才くらいの女の子の前で刺繍が施されたタペストリを物色。目的は写真撮影。買うかわりに撮らせてもらおうという魂胆だ。私がよく使う手。

葦舟に乗って別の島へ。今度の島には学校があった。フジモリ氏が大統領になって建てた。フジモリ氏は教育に力を入れているということだ。子ども達が日本の歌も含めて各国の歌を歌ってくれた。

ここ10年くらいでウロス島は観光の名所になったらしい。観光客は増えるばかりらしい。といっても日本人観光客は他の国ほど多くないみたいで、この日湖畔に建つホテルに泊まった日本人は私達だけだったみたいだった。他にツアー向けのホテルはないということだった。このホテルは20年ほど前に政府が建て、2年前に民営化されたということだった。

ホテルに戻るには階段を上らねばならなかった。ゆっくり上ったつもりだったが動悸がした。少し頭痛がした。ホテルには酸素ボンベが置かれており、ツアーの人でチチカカ湖からの帰り、歩けなくなった人が酸素吸入してもらった。5分間無料でしてもらえる。添乗員さんもこの日、夜中に部屋でしてもらったらしい。仕事の人は大変だ。私の頭痛もだんだん酷くなり、夕食の時も不快で同席した4人とも同じ症状だったらしく口数が少なかった。話すことと言ったら早く地上に戻りたいとか、チチカカ湖1泊でよかったとか。

ガイドの「南十字星が見えているので見ましょう」という言葉で少し元気が出た。チチカカ湖で日が陰ると急速に冷えてきたので、外は寒いだろうとタイツをはき足して、ホテルの屋上へ出た。思っていたほど寒くはなかった。ガイドが指さした方向に南十字星はあった。初めて見た。十字架を右に90度回転させたような十字だった。小さい!その左上に蠍座が見えた。ここではあんな高い所に蠍座が見えるんだ!当たり前だけど。

その夜、私はずっと頭痛に悩まされ眠れなかった。リマに戻りたいとばかり考えていた。それでも朝1時間くらい眠れ、起きたときは頭痛も軽くなっていた。

★高山病とコカ
心配していた初めての高地。クスコの空港に着き、歩き始めたら、なんだかフワフワした感じがした。誰かが水の中を歩いてるみたいと言っていた。水の中はおおげさだが、少しそんな感じがした。速めに歩いたら動悸がした。ホテルに着いたら、ツアーの人たちの白目の部分が充血していた。私は少し涙が出てきた。クスコ(3500m)1泊目の朝、目が覚めると頭痛がした。でも身支度をしているうちに頭痛は消えた。クスコ2泊目の朝は何も感じなかった。クスコからプーノ(3800m)へバスで行く途中、4300mの峠も経験したがどうってことなかった。7時間ほとんど寝ていたし。チチカカ湖遊覧が済み、ホテルへ戻った頃、少し頭痛がした。それから頭痛が徐々に酷くなってきた。頭痛でその夜はほとんど眠れなかった。早くリマに戻りたい、そればかり考えていた。ようやく朝1時間程眠れた。朝起きたときは、少し頭痛も和らいでいた。しかし、快調というわけではない。リマに戻ったら、爽快な気分だった。頭痛もすっかり取れ、高地ではどうしても寡黙になりがちな私であったが、自然と言葉が出てきた。後から聞くとツアーの人たちはほとんどが私と同じように頭痛がしたということだった。20人中4人に吐き気、熱、歩けなくなるなどの症状が出た。これは年齢に関係なかった。しかし、まったく何の症状も出なかったという人もいた。私は副作用が怖くて鎮痛薬を飲まなかったが、飲んだ人は気分がよくなったらしい。これも後から聞いてわかった。私は一晩中苦しみ続けた。高地へ行く人に、頭痛には鎮痛薬が効くということを声を大にして言いたい。私は高山病に効くというコカ茶をよく飲んでいたが、これは効果があったのだろうか。添乗員が言うには利尿作用があるから、効くと言われているのじゃないか、という事だった。飲んでいなかったら、もっと酷い症状に見舞われていたかもしれない。コカの葉も奥歯で噛んでみたが、これは苦かった。コカは麻薬のコカインの原料である。けれど、1枚や2枚を噛んでみたところでコカインを吸入しておこる幻惑などおこるはずないということを言明しておく。

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