1997年8月6日(一日目) 大阪南港からいざ出発

 外国旅行はツアーであちこち行っていたが、沢木耕太郎の名著「深夜特急」を呼んだことがきっかけで、その頃貧乏旅行の本を読みまくっていた。漫画「旅のグ」や岸本葉子の「よい旅を、アジア」にプサン行きの事が書かれていた。それで自分も体験したいと思った。行くなら一人だ。

近くの旅行会社へ行き、8月6日17時40分発大阪南港発新門司着の大洋フェリーと、7日18時下関発翌朝プサン着の関釜フェリー、8日19時プサン発翌朝下関着の関釜フェリー、10日17時下関発翌朝南港着の大洋フェリーのそれぞれ2等乗船券を買った。そして帰りに福岡で遊ぼうと9日のビジネスホテルを予約した。

1997年8月6日大阪で史上最大の昆虫博を見たあと、夕方早めに南港へ行った。泊つきのそれもごろ寝のフェリー、初めての経験である。フェリーは和歌山から淡路島と徳島へ行くのに乗ったことがあるだけだ。手続きはどうってことなかったが、船内でどこに居ればよいのか困った。客はまだ少なかったが2等は見たところオッサンばっかり。どこへ荷物を置けばいいのやら。心細くなり、乗務員に等級を変えてほしいと言いに行った。すると、もう少し時間がたたなければキャンセル状況がわからないとのこと。また連絡してくれると言った。

荷物はデイパック1つだったので背おったまま船内をうろついていた。大阪の何かの団体(教員組合か?)が長崎の原爆記念日の集会参加のために乗っていた。45歳位の小綺麗なおばさんが一人乗り込んできたので、ついて行き、声をかけた。慣れてないので困っている。そばで寝させてほしいと言ったら、おばさんは親切に愛想よく色々教えてくれた。そしてよさそうな所に荷物を置き、毛布を敷いた。助かった!おばさんは商売で月に一回大阪へ来ること、必ず船ということを何か書きながら言った。そして計算を始めた。おばさんに荷物を見てくれるように言い、さっきの乗務員に等級変更はキャンセルだと言いに行った。甲板へ出てみた。明石海峡大橋の下を通った。感激した。

おばさんは荷物を置いたままお風呂に行った。私はぼーと人々のようすを見ていた。小さい子供たちが走り回っている。おばさんの隣は大学生くらいの男の子が陣取っていた。大きなザックを持っていておみやげ袋から見るとどうやらイタリアからの帰りみたいだ。一人でヨーロッパをまわってきたのだろう。その隣は30歳位のこれもさわやかな感じの男の人だった。私の隣はおばさんだけなので安心した。だって若い男の人のとなりで眠るなんて緊張するじゃない。貴重品をフロントにあずけておけば、あとはそのままほっておいても大丈夫みたいだ。

おばさんが戻ってきたので今度は私がお風呂に行った。風呂から戻り、甲板へ出てみた。風が気持ちよかった。遠くに夜景や船の明かりが見えた。虫がないのでよけいによかった。そばに誰もいなかったので大の字に寝ころんでみた。星がきれいだった。
  

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