8月8日(三日目) プサン探索 台風接近 安宿探しと航空券手配

朝、激しい横揺れで目が覚めた。時間は4時位だったろうか。起きて外を見ると港が見えた。プサン港だ!とうとう来てしまった。そう、ここは外国なのだ。

朝、8時位まで手続きができないらしく、そのまま横揺れしていた。私はこの波では気持ち悪くならなかった。波には弱くなかったのか。少し自信が持てたた。

やがて手続きも済み、プサンの町へ飛び出した。まずは地下鉄に乗って有名なチャガルチ市場へ。
ここでは魚を買うと2階で料理をしてもらってその場で食べられるということをテレビで見たことがあった。魚やのお兄さんが声をかけてきたが、やめておいた。

ぶらぶらと見学して、その後国際市場へ。日常品とか、毛皮とか様々なものが売られていた。路上でキムチと巻きずしを買った。適当に約700円分の札を出したら、その分を全部、食べ物に変えられ、食べきれない分を袋に入れられた。

そのまま、歩いて竜頭山公園へ。入り口がわからなかったので、あるホテルの前にいた従業員らしい若い男の人に尋ねたら200メートル位歩いて連れて行ってくれた。親切な人だ。それとも、ホテルの客だと思ったのだろうか。

下の広場ではどういうわけか、おじいさんがたむろしていた。缶ジュースを買い、端っこのベンチに座り、さっき買ったものを食べ始めた。すると一人のおじいさんが日本語で
「バックパッカーですか?あぶないですねー。それ、多分腐ってる。自分がいいところへ連れって行ってあげるから、そんなもの捨てなさい」
と言ったが怪しかったので断り、その場を離れた。ガイドブックにこの手のトラブルが載っていたからである。

階段を上って上の広場へ行き、ベンチへ座り、また巻きずしを食べ始めた。おいしくなかったが、腹の足しにはなった。豊臣軍をせき止めた武将の銅像が日本の方を向いて建っていた。プサンタワーへのぼった。上から見るプサンの街は小さく思えた。山の方まで建物が建っていた。

そこからブランドショップが並ぶ街へ。若い人が多いが、韓国の女性は結構美人が多かった。韓国では整形が多いと聞くが、二重まぶたの人が多いようすから、やはり整形美人なのだろうか。

免税店へ行った。帰りの便を聞かれて今日のフェリーだと言ったら「フェリー、台風で出ませんよ。」との事。びっくりして、フェリー乗り場へ行ったら、やはり出ない。いつ出るのか聞いても多分明日も出ないとの事。困ったことになったが、何とかしなくては。どっちにしても今夜泊まるところを探さなくてはと、安宿が集まっているところへ行った。ガイドブックにあった丸金荘旅館へ。

玄関に居たおじさんは私の顔を見ると日本語で話しかけてきた。エアコン付きの部屋に泊まりたいことを言うと、扇風機、風呂、トイレ付きなら有るとの事。奥さんに案内され、最上階の部屋へ。セミダブルベッドが置かれきれいだったし、水もちゃんと出たのでOKと言い下へ戻った。
玄関で2万ウオン(約2500円)を払い、名前、住所、電話番号を書いた。

今度は帰りの便だ。フェリーはあてにならない。格安航空券を売ってる店に入ったが言葉が通じなかった。あきらめて、直接空港へ行こうと思った。プサン駅周辺でリムジンバスの乗り場を探したがよくわからなかった。タクシーに乗りエアポートと言ったら着いてしまった。5000円くらい要ったが途中の景色を見られてよかった。

空港のチケット売場でKALはいっぱいでとれない。JALなら翌日の分がとれることがわかった。おまけに係りの人は日本語堪能であった。18000円だという。そんなに高くない。よかったー。ほっとした。その係りの人にテレフォンカードの売場を教えてもらい、電話で予約していた福岡の旅館と、門司ー大阪のフェリーを解約した。帰りはリムジンバスに乗った。途中、ロッテワールドがあった。旅館がある中央洞で下りた。

旅館に戻った。下の部屋には泊まり客がいないらしく、ドアが開け放たれ、中の様子がよく見えた。それらは狭くベッドが置いてない部屋あった。私の部屋はこの旅館では最上級のものであるらしかった。汗でぐちゃぐちゃだったので、お風呂に入った。タイルのバスタブで新しいとはいえないが、掃除はされていた。ただ、湯は相当ぬるかった。

さっぱりして、ゆったりした気分で、街へ。ロッテリアへ。ロッテの社長は韓国人なので韓国にはロッテリアが多い。私の海外定番品チーズハンバーガーとオレンジジュースとポテトを食べた。食べながら韓国の女の子の様子を見た。やはり美人が多い。整形美人か。また、フェリーから思っていたが、化粧ばっちりでも眼鏡の子が多い。コンタクトレンズをあまり使わないのだろうか。地下街をぶらつき、公衆電話から日本の家に電話をかけた。父は台風が来そうなの、わかってたのに行くからだと怒ってた。父は普段から私のすることにケチをよくつける。母は特に何も言わず、今後の予定を聞いてくれた。

夜になると、台風は強くなり、旅館の部屋の窓もがたがた揺れていた。
テレビの台風情報を見たが(チェジュ島やプサン海岸が映っていた。)台風の通り道そのものだった。とても疲れていたのですぐ眠くなった。

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