7月31日(土) 出発

早朝6:07発のJRに乗って和歌山駅まで行き,そこからリムジンバスに乗り換えた。バスは40分ほどで関空に着いた。チェックインし,マイレージの手続きもした。私はユナイテッド航空のマイレージを貯めている。今回はオーストリア航空でウィーンまで行き,そこからブダペスト行きに乗り換える。久しぶりの個人旅行だ。台風の接近で出発できるかどうかやきもきしていたが,台風は西方で停滞してくれたので10:10予定どおり飛んでくれた。

隣の席には白人の若い女性がいた。飲み物で私が白ワインを注文したとき,その白人が「私も」と言った。思わず「日本語上手ですね。」と言ったら,「日本人と結婚して2年以上住んでます」と流暢な日本語で答えた。そして色々やりとりがあり,彼女が田辺市に住んでいることがわかった。そこは私が住んでいる市のすぐ近くだ。そして,ロシア人であり一人で里帰りすること,ロシアと言ってもポーランドに近い飛び地のカリーニングラード出身であること,ウィーンからポーランドのワルシャワ行きに乗り換え,そこに両親が迎えに来る予定であること,25才こどもなしということ,期限を決めない里帰りであること,田辺は田舎すぎて退屈と思っていることなどがわかった。

機内に備え付けられていた機械を使ってソリティアをしてみた。このゲームをするのは久しぶりで,はじめどういうルールだったのか正確に思い出せなかった。ロシア人の彼女も10年ぶりくらいだという。あれこれ相談しながらやっていくと完璧に思い出すことができた。私達は飛行機に乗っている11時間,食事以外はほとんどこのゲームに興じていた。最後の方は頭痛がしてきた。私は1度も完成させることができなかったが,彼女は2度も完成させて波を作らせることができた。ともかく,退屈することなく15:25にウィーンに着いた。

彼女はワルシャワ行きのゲートで係の人に何か言われていた。ロシア人ということを申告していた。それでいったんどこかへ行っていたが,しばらくするとうまくいったらしく戻ってきていた。(私はそのとき,ロシアに飛び地というものがあることも知らなかった。帰国後調べてカリーニングラードが貧困な人が4割ほどいて難しい状況にあるということを知った。彼女が係に引き留められたのもそういうことが原因だったのかもしれない。)私達は隣どうしのゲートだった。

乗り換えの待ち時間は1時間40分で,ちょうどよかった。ブダペスト行きの飛行機は小さかった。チロリアン航空のプロペラ機で,片側2列計4列で100人乗りくらい。空席がけっこうあった。地上の様子を見ると,畑は長方形にきちんと区画化され,緑と黄色のコントラストが美しかった。畑と畑の境界には木がよく植えられ整然とした感じだ。17:50,ウィーンからたった45分でブダペスト・フェリヘジ空港に着いた。

空港で花王教員フェローシップに一緒に参加する野澤さんと待ち合わせることにしていた。私の方が25分早く着く予定だった。空港はターミナル2Aとターミナル2Bに分かれていて,国産のマレーブ・ハンガリー航空のみ2Aで発着し,他は2Bである。野澤さんはKLMオランダ航空利用なので私はそのまま2Bで待っていた。しかし予定の時間になっても彼は現れなかった。掲示板を見てもKLMの表示が出ていない。遅れているのだろうとしばらく待ち続けた。午後7時を過ぎ,これはおかしい,もしかしたら2Bの方かもしれないと,そちらの方へ行ってみた。すると掲示板にKLMを見つけた。彼が乗ってくる予定の飛行機はまだ着いていなかった。10分ほどソファに座って待っていると声をかけられた。野澤さんだった。彼は私と同い年,栃木で体育の教師をしている。アムステルダムで飛行機が遅れたらしい。KLMのチケットを持っていたが,アムステルダムからの飛行機がマレーブだったので2Aに着いたのだった。しかしその飛行機が遅れたおかげで私達はうまく会うことができたともいえる。

空港で15000円分を両替したら25983Ft(フォリント)になった。手数料として195Ftとられた。手数料は両替額にかかわらず一定である。リムジンバスに乗って途中地下鉄に乗り換えるつもりで,自動販売機のチケットを買おうとした。3日券を買うつもりだったが,表示に3日券はなかった。また,お札は使えなかった。インフォメーションで訊いてみたがチケットは自動販売機でしか買えないようだった。小銭への両替もしてくれなかった。仕方なくミニバスで行くことにした。ホテルまで送ってくれるが,バスより格段に高い。しばらく待たされた。ミニバスはある程度客が集まってから出発するらしいが,他に客は来なかった。結局客は私達二人だけでミニバスは出発した。

Ibis Vaci Utホテルに「旅の窓口」から予約していた。一泊7000円弱だった。野澤さんはソニー関連のサイトから同じように予約していたが,私より1000円以上高かった。野澤さんは旅行前,とても仕事が忙しく,ホテルや観光地について調べる時間がなかったそうだ。それで私にブダペストでの観光はお任せすると言っていた。ホテルは下町にあり,周辺は綺麗とは言えないが,地下鉄の駅がホテルの前にあって便利で安いし,ツアーでもよく利用されているみたいなので決めた。宮本輝の「異国の窓から」に出ていて宮本氏が泊まったホテル「ボルガ」はこのホテルだ。地球の歩き方の最新版でも地図には「ボルガ」で表示されていた。宮本氏が泊まった頃はこのホテルの部屋は臭く,窓からは工場の屋根しか見えなかった。それで宮本氏達は次の日,ドナウ川沿いのインターコンチネンタルに宿を変えたと書いていた。しかし,今のホテルの部屋は綺麗になっていて,臭いもしなかった。宮本氏が行った頃は,まだハンガリーは東側の国だったので仕方なかったのかと思う。お腹は空いていなかった。時差の関係からか眠かった。それで夕飯はとらずに午後9時には眠った。