8月11日(水) プラハ

5時半に目覚ましをセットしておいたが,5時に目覚めた。プラハへの日帰りツアーの日。6時半に迎えが来る。そのため昨日の朝,フロントの女性に朝食を6時に食べたいということをお願いしておいた。6時に朝食場所へ行くと,それまで見たことがない年配の男性がいて,世話をしてくれた。パンとコーヒー,チーズ,ジュースを頼んでおいたのだが,その他にフルーツも用意してくれていた。ありがたい。

外で待っていると,ミニバンが迎えにきた。日本人の家族連れが乗っていた。父親と子ども二人におばあちゃんらしい。車内で話すと,名古屋から来ていてウィーン滞在9日間の旅行らしい。その間,プラハツアーとプラスチラバツアーに参加するらしい。小学生の男の子はよくしゃべる楽しい子どもだった。オペラ座の前で車は止まった。すぐに私達と同じようなミニバンが次々と来た。大型バスもやってきてそれに乗り換えた。外国人ガイドが乗ってきた。50才くらいの女性だ。そして人員チェック。すると一人で来ていた東南アジア系の女性とそのガイドが何やら話し込んでいる。そしてその女性はバスを降りた。理由はわからなかった。

7時出発の予定だったが出発は7時20分だった。こういう現地申し込み可のツアーにはあまり参加者はいないのではないかと思っていたが,バスの座席はうまっていた。ほとんど日本人。他に2,3才くらいの子どもを連れたイタリア人の夫婦と一人参加の若い白人男性。ガイドはその一人参加の白人にイタリア語はわからないかと英語で訊いていたが,わからないみたいだった。それで日本語,イタリア語,英語の3カ国語でガイドしていった。でもきいていると英語は簡単に済ませていたように思う。

市街地を通り抜けると,田園風景が広がっていた。風力発電,ひまわり,大根,葡萄,トウモロコシの畑が見えた。小麦を刈ったあとだろうか,黄色い畑も広がっていた。信号の代わりにイギリスで見たようなロータリーがあった。この方式は無用な待ち時間が無く,本当に理にかなっていると思う。8:35チェコ入国。係の人がバスに乗ってきてパスポートを見せて終わり。簡単だった。両替をするために,そばのドライブインに寄った。ちょうど私と同じくらいの年齢で一人参加の女性がいた。彼女は英語がよくわかるようで,先陣をきって両替をしに行った。私はいくら両替をしたらよいか,彼女に訊いてみた。10ユーロでよいとガイドが言っていたということだったので,私もそうした。290コルナになった。レートは,あとからわかるのだが,プラハ市内より少し悪かった。8:55出発。9:05ブルノ市街を通った。

11時,昼食をとるためにドライブインに寄った。そこでは自分で適当に買って食べるようになっていた。オープンサンド,グラーシュ(スープ),サラダ,スプライト全部で600円相当だった。私は一人で食べるのも面白くないので,先ほど両替の時に声をかけた女性が一人座っているのを見つけ,声をかけて一緒のテーブルで食べた。それで,仕事のことやら住んでいることや,旅行の日程などを話した。名刺ももらった。彼女は松下電器関連のプロバイダの取締役をしているらしかった。もともと松下電器の社員で関西出身。しかし,就職してから東京だったらしい。本社にいた7年間,ホテル住まいで会社がずっとホテル代を出してくれたという。エリートらしい。松下電器関連の子会社に移り,今は重役というわけだ。花王から派遣されて来たこと,10月の末に発表をしに東京へ行くことなどを言うと,東京へ来た時には連絡するように言われた。(旅行後,ネットで確かめると彼女が重役というのは本当だった。)話の内容が面白かったのですっかり食べるペースが遅くなっていた。突然,彼女にあと8分で集合時間ですよと言われ,はっと気がついた。集合は11時半だった。私はまだほとんど食べていなかった。彼女の方は食べきっていた。なんてことだ。それから急いで食べた。彼女は,後ろのイタリア人家族もまだ食べているから大丈夫ですよと言ってくれたが,気が気でなかった。トイレに行こうとしたことろにガイドがやってきて時間だというようなことを言っていたので,トイレに行きたいことを言った。これで置いてきぼりになることはなかろうと思った。バスに戻ると案の定イタリア人家族は戻っていなかった。ガイドがバスの乗客に向かってイタリア人を知らないかと訊くと,重役の女性が指で指し示した。ガイドがバスを降りて行き,しばらくすると彼らは戻ってきた。イタリア人をかばうのではないが,30分で食料を買い,食べてトイレもというのは忙しいと思う。設定時間に無理があったと思う。予定より10分遅れでバスは出発した。

プラハ市内に入り,あるホテルの前でバスは停まった。25才くらいの女性ガイドが乗り込んできた。プラハのガイドで名前は大梶ユリヤさん。父が日本人の音楽家,母はチェコ人だそうだ。彼女もピアニストらしい。チェコで生まれ,育ったそうだ。日本へ行ったことはない。地味な服装をしていた。彼女はガイドにしては声が小さかった。私は,ガイドの話を聞きたい方なのでいつも近くにいた。いつものことだが,ツアー客は話を聞きたい人とそうでない人に分かれる。ガイドの話なんかそっちのけで写真を撮りまくっている人,店の中の商品にばかり目を向けている人,色々である。プラハで走っている車ではSKODAという小型車が多かった。チェコ国産だそうだ。

初めにプラハ城へ行った。衛兵は直立不動だった。これはよくあることだ。城は高台にあるのでそこから見るプラハの町は赤い屋根と白い壁が美しかった。聖ヴィート大聖堂は修復中だった。ゴシック様式で中にヴァーツラフ教会がある。12時に太陽がちょうどそこに当たると美しく輝くバラ窓というのもあったが,なんといってもアールヌーボーの作家ムハ(ミュシャ)による入口から左3番目のステンドグラスが綺麗だった。大聖堂横のトイレに並んだ。女性用トイレはどこでも混む。並んでいる間,大聖堂の外壁,彫刻をじっくり見た。コウモリや魔女っぽい彫刻が不気味だった。次の聖イジー教会は小さな窓が禁欲的なロマネスクのもの。坂を歩いて下りていった。町の中にモーツアルトがオルガン演奏したバロックの聖ミクラーシュ教会が見えた。モーツアルトのオペラ「ドン・ジョバンニ」はプラハ市の依頼で作曲し,2度目のプラハ滞在中に仕上げ,そこで初演した。モーツアルトとプラハは関係が深いのだ。

チェコで一番訪れてみたかったカレル橋に着いた。クラシック曲「モルダウ」で有名なヴルタヴァ川も見えた。カレル橋はプラハ最古の石橋で1357年に着工し60年近くかけて完成されたゴシック様式の美しい橋だ。橋の両側には30体の聖人像が並ぶ。これらは17〜19世紀にかけて加えられたそうだ。さわると幸せになれるというネポムツキー像は,ツルツルになっていた。旧市庁舎の天文時計は500年以上の歴史を誇り,今も現役だ。

旧市街広場にあるボヘミアングラスの店に連れていかれた。ぜひ買いたいというつもりはなかったが,美しいガラス製品を見ていると,一つ買いたくなった。高い物はどこまでも高いが,付加価値税の払い戻しが受けられる2001コルネより少し超える程度の物にしようと思った。日本円にして9000円程度だ。小さなグラスだが,カットが美しい2本のセットにした。ワイン用には小さいので食前酒用か。私はほとんど酒類は飲まないので飾っておきたいと思う。集合場所に重役の彼女は大きな荷物を持って現れた。5万円程度の大きめのワイングラスのセットを買ったという。彼女の話から赤ワインは白ワインよりも大きめのグラスということを私は初めて知った。その後,彼女と歩きながら話していると,彼女はこの旅行ではオーストリア産の物を買ってきたという。例えばフライ・ヴィレの指輪。これはエナメル焼きで芸術的なモチーフが美しい。それからプチ・ポワンの眼鏡入れ,これも5万円ほど出したと言った。プチ・ポワンのことも知らなかったので訊くと,細かい刺繍のことらしい。シェーンブルン宮殿で細かい刺繍入りのナプキンを見たことを思い出した。

1969年の「プラハの春」や1989年の独立の際,人々が集まったことで有名なヴァーツラフ広場を通った。4時40分,博物館の前でバスに乗った。3時間半ほどの観光の間,ずっと歩きっぱなしだった。派手なかっこうをした買い物好きそうな年配の女性は「疲れた,足が痛い」と連発していた。私は,昨日までの行動に比べればずっと楽に思っていた。むしろ,今日は,休息日ぐらいに思っていた。帰りはシュヴェーデンプラッツ駅のそばで降ろしてもらい,ペンションへ着いたら9時半頃だった。

それから,トラムに乗って,重役の彼女に教えてもらっていた市庁舎のフィルムコンサートに出かけた。夏の間,毎晩,市庁舎前で行われており,屋台もたくさん出て賑わっている。コンサートは椅子に座って見られるが,人々は立ってビールを飲み,歓談していた。彼らの間に立つと,やはりオーストリア人は背が高いなと思った。私は163cmだが,彼らの間に埋もれているような感じがした。屋台はワールドワイドで日本食もあった。午後11時前にペンションに帰ると,朝,世話をしてくれたおじさんがいて「朝早くから今まで出ていたのか,楽しんだか?」というようなことを言った。寝たのは12時頃。