第2日 (1995/8/24) グランドキャニオン

朝食はビュッフェ(日本ではなぜかバイキングという)だった。アメリカ人は大食いだと聞いていたが、年輩の人でもほとんどの人がものすごい量を皿にとっていた。それをぺろりとたいらげるからたまげてしまう。でも肥満の人が多い。あれだけ食べたら太るのは当たり前だ。
私はこの頃ダイエットをしていて多くの量を食べられなくなっていた。だからこの時もあまり食べなかった。でもこれがよかったのである。

セスナ搭乗証明証朝食後、グランドキャニオン観光に向け、シーニック航空の乗り場へ行った。受付の時、一人一人体重計に乗らされ記録をとられた。何人乗りといっても総重量がオーバーすると危ないからだ。黄色のシールを胸にはらされた。周りの人たちを見ると、それぞれ色々な色のシールを貼っていた。黄色呼び出しのアナウンスがあるまで待てということだ。この日は観光客が多く、長い時間待った。左の証書はセスナ搭乗証明書である。後で記念写真とともに渡された。20人乗りセスナ機だった。

ラスベガス全景右の写真はセスナから撮ったラスベガス全景。ピラミッド型の建物はホテルルクソール。その右側を画面左下から右上に真っ直ぐ延びる道が「ストリップ通り」である。変な名前だが細長いという意味でラスベガスが開発されたときからある。山は木も生えず赤土のまま。砂漠の中にできた町ということがよくわかる。

ラスベガスの家並ラスベガスの郊外には住宅地があり、プールのある家が見えた。屋根の色は同じようにレンガ色。大きさも同じ位で整然と並んでいた。グランドキャニオンまでは約1時間だった。ヘッドホンをつけ日本語の説明をボタンで選び聞いていた。

突然、前に座っていた20歳くらいの女の子がもどした。酔ったらしい。もう一人子供ももどしていた。セスナは確かによく揺れたが、私は何ともなかった。私は大人になって酔わなくなったが、食べ過ぎたり、くねくねの山道ではたまに気持ち悪くなる。女の子の家族は朝、食べ過ぎたからだと言っていた。私は朝、あまり食べなかった。よかった。

コロラド川途中、フーバーダムを見て、雄大な景色を眼下に見た。左の写真は峡谷の間を流れるコロラド川である。川は赤土色だった。年中こんな色らしい。

グランドキャニオンに着くとバスに乗り換えた。バスの中で急激に睡魔に襲われた。時差ぼけである。少し眠った。

グランドキャニオンこんなところでも生える植物はあった。松の一種である。右の写真は展望台で撮ったものであるが、下に映っているのがそれである。展望台には売店があった。そこで私は化石と原石標本を買った。驚くほど安かった。グランドキャニオンは化石の宝庫だ。あの模様は長い年月をかけて行われた土地の隆起によるもの。このとき買った標本は今も授業で活用している。

夕方、またラスベガスに戻った。時間があったのでぶらぶらと街に出た。店をのぞいたり、よそのホテルへ行き、ホテル探検をしたりスロットマシンに興じたりした。7時から泊まっているホテルでディナーショーを見た。席は前の方だった。食事はお世辞にも美味しいとはいえなかったが、ショーは素晴らしかった。伝統的な歌とダンスのショー。歌手は日本で銀座ジュエリーマキのCMに出ていた女性だった。ダンスは見事に体型が揃い、宝塚歌劇でするような足上げも揃っていた。この旅行で何が一
番よかったのかと聞かれれば、このダンスと答える。いいものを見せてもらえたという満足感で眠りについた。

3日目に続く